tag:blogger.com,1999:blog-74228133609619685682024-03-13T12:05:47.645+09:00日本プレクシャ・ディヤーナ協会Blog日本プレクシャ・ディヤーナ協会では、インドのジャイナ教で古代から伝わる瞑想法を現代の科学的研究も重ねた結果
体系だてられた「プレクシャ・メディテーション」をご紹介しております。<br>
<br>
日本プレクシャ・ディヤー協会ホームページ:<a href="http://jp.preksha.com/">http://jp.preksha.com/</a>
<br>
日本プレクシャ・ディヤー協会Facebookページ:<a href="https://www.facebook.com/groups/465120036943301/">https://www.facebook.com/groups/465120036943301/</a>Unknownnoreply@blogger.comBlogger195125tag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-50436203834042097702019-09-05T10:53:00.000+09:002019-09-05T10:53:01.765+09:00コラム:南インドの聖なる篝火の山・アルナチャラ その1<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
この旅行記は1994年1月「一瞥のアルナチャラ」として書いた、未発表原<br />
稿に手を加えたものである。<br />
<br />
今から40年以上前、私が20歳代後半に初めてインドを訪れたとき、ぼろぼ<br />
ろですすけたカルカッタ空港の待合室で大きなヒンズー教寺院の写真を見た。<br />
その大きな画像は手前に数本の高いヤシの木が写っていて、その背後にマヤの<br />
神殿のようなピラミダルな高層建築が聳えているものだった。その画像は大変<br />
迫力があり、何かを強烈にアピールしていた。「へー、インドにこんなすごい<br />
建築物があるのか、どこだろう。」その画像は世界中の宗教的建築物に興味を<br />
持っていた私の心に強い印象を残した。後年、その写真が南インド最大のミナ<br />
クシ寺院のゴープラム(山門)を撮ったものであることを知った。<br />
<br />
昭和58年8月、大陸書房より、おおえ・まさのり訳編の『南インドの瞑想』<br />
が出版された。すぐに私はこの本を求めた。本の内容は近代インドの哲人、<br />
ラーマ・クリシュナやオーロビンド・ゴーシュ、クリシュナ・ムルティと並び<br />
称せられるラマナ・マハリシの生涯と弟子達との間で話された対話や質問を採<br />
録したものである。なんと、その本の表紙がヒンズー寺院(アルナチャ・レシ<br />
ュワラ寺院)のゴープラムのイラストであった。<br />
<br />
本をめくっていくと、ラマナ・マハリシやアルナチャラ山、ラマナシュラムの<br />
平和なたたずまいの写真にすっかり魅せられてしまった。そして、何としても<br />
南インドへ行きたいと思った。昭和58年12月、心の高まりを抑えることが<br />
できなくて、南インドへ一人旅に出た。それは、シュリナガールやラッダック<br />
を旅した後、私にとって3度目のインドの旅になった。<br />
<br />
旅行の目的地をタミールナドウ州だけにしぼり、カンチプーラム、マハバリプ<br />
ーラム、マドゥライ、テルチラパッリ、スリランガム、タンジョールなどの街<br />
々に泊まり、ドラビダ様式の代表的寺院を訪ね歩いた。アルナチャラ山のある<br />
テルバンナマライにも行きたかったが日程の都合で割愛せざるを得なかった。<br />
<br />
南インドを一人旅した夢のような日々から10年が過ぎた平成5年8月、下田<br />
の沖ヨガ道場で龍村道場長から「南インド旅行のツアーに一緒に行きませんか?<br />
」 と声をかけられた。その日程をみると、かつて私が一人旅をした場所と全<br />
く重複していなかった。日程の中にアルナチャラとラマナシュラムを訪れること<br />
になっているのが私の心を捉えた。しかし、滞在する時間があまりにも短いこと<br />
が不満だった。しかし、内なる声が一瞥でも良いからアルナチャラを見に行くよ<br />
うにと促す。カーニャ・クマリで沐浴するという目的も持ってツアーに参加する<br />
ことを決めた。以下はその時の旅行記である。<br />
<br />
テルバンナマライ<br />
<br />
マドラスを朝食後に発って、テルバンナマライに着いたのは午後も遅くなってい<br />
た。テルバンナマライでガソリンスタンドを経営しているジャイナ教徒・ネルマ<br />
ール・クマールさんから我々は食事の招待を受けた。何が起こるかわからないハ<br />
プニングの連続がインドの旅であることは充分承知しているけど、昼食の接待が<br />
ぐずぐずと夕食の接待みたいに遅くなったのには参った。クマールさんの家から<br />
憧れのアルナチャ・レシュワラ寺院のゴープラムとアルナチャラの全貌が手に取<br />
るように近くに見える。早くお寺やアシュラムに行きたいと心は焦るけど、とに<br />
かく全てがスローに進行する。せっかくの心を込めた接待も私はうんざりだった<br />
。我々がテルバンナマライに滞在できる時間は20時間ぐらいしかないのだ。や<br />
っと昼食の接待から解放されてラマナシュラムに着いたのは夕刻になってしまっ<br />
た。アシュラムに着くと、私は行けるところまででいいとアルナチャラ目指して<br />
先頭で登り始めた。「できれば、ラマナ・マハリシが瞑想した洞窟や祠も見てみ<br />
たい。」と気持ちは焦る。<br />
<br />
私の意識は少年の頃から何時も山に惹かれている。特に、このような聖山に来る<br />
と意識は高揚してしまう。アルナチャラは樹木が少なくゴロゴロとした花崗岩の<br />
大岩が積み重なった山で麓からの高さは5~600mほどである。Tシャツ1枚<br />
になって登ってゆくが、すっかり汗ばんでくる。12月の夕方、涼しい今でこん<br />
なだから、暑い日中や4、5月の酷暑期では山に登れないだろう。ラマナシュラ<br />
ムから中腹のスカンダシュラムまでは石畳が敷かれていて歩きやすい。スカンダ<br />
シュラムはラマナ・マハリシが37歳から42歳ごろの5年間住んでいた岩山の<br />
小さなお寺である。樹木の少ないアルナチャラにあって、スカンダシュラムの周<br />
囲は樹木が亭々と茂り、寺のすぐ傍らを豊かな水が滝のように流れている。もし<br />
酷暑期であったならここは本当にオアシスのようなところだ。<br />
<br />
スカンダシュラムのすぐ近く、足下にアルナチャ・レシュワラ寺院を一望できる<br />
ビューポイントがある。そこは、ラマナ・マハリシが一時住んでいたマンゴ樹洞<br />
窟やヴィルパクシャ洞窟とラマナシュラムを結ぶ山道のちょうど峠にあたり、峠<br />
の頂き山道の傍らに大岩がある。大岩の東側は崖になっていて、アルナチャ・レ<br />
シュワラ寺院の全貌が足下に臨まれる。素晴らしい眺めである。<br />
<br />
スカンダシュラムは峠を北側に2,3分下った所にあって、時間的に遅かったの<br />
か、門が閉じられていて中に入ることはできなかった。峠の大岩に戻ると後続の<br />
人たちも登ってきていた。大岩に坐って再び足下に展開する絶景の風景を見る。<br />
この峠の大岩はちょうどアルナチャ・レシュワラ寺院の真西にあたり、座ってい<br />
るここから手前に西門、本殿、東門が一直線に並んでいる。左には北門、右には<br />
南門、寺院の8のゴープラムが古代マヤ神殿のように高く聳え立つ様は感動的な<br />
絶景である。<br />
<br />
ドラビダ様式のヒンズー教寺院は山のように高いゴープラムと呼ばれる山門に取<br />
り囲まれているのが一般的である。太陽の登る方向、東門が普通正門で一番大き<br />
く高い。ゴーは牛という意味で、プラムは門の意味である。山門全体で聖なる牛<br />
を表現していると言われる。アルナチャ・レシュワラ寺院を中心にした足下に見<br />
えるテルバンナマライの町から、さまざまな音が混じり合って聞こえてくる。町<br />
からの音はアルナチャラにぶつかってマントラのように反響する。私は夕闇が迫<br />
る岩の上に坐ってシバ神のマントラを唱えた。<br />
<br />
1オーム・ナマー・シバー、 オーム・ナマー・シバー、・・・・・・・。<br />
2 ジャヤ・ジャヤ・シバ・シャンボー、 ジャヤ・ジャヤ・シバ・シャンボー、<br />
マハ・ディヴァ・ シャンボー、 マハ・ディヴァ・シャンボー、 ・・・・。<br />
3 オーム・アルナ・チャラ・シバー・ヤー、オーム・アルナ・チャラ・シバー<br />
・ヤー、・・・・・・・・・・。<br />
<br />
日はとっくに沈み、足元は暗くなり始めた。オーム・アルナ・チャラ・シバー・<br />
ヤー、を唱えながら山を降りる。山の様子はだいたい解った。頂上まで2時間<br />
から2時間半、山を下りながら「明日、早朝に頂上まで登って来よう」と決心<br />
した。<br />
<br />
ラマナシュラムに戻り、夜、アルナチャ・レシュワラ寺院をゆっくり見学した。<br />
門前には多くの店や屋台の売店があり、日本の縁日の夜店を見て歩くようで楽<br />
しかった。電球の光に浮かぶゴープラムは20階建てのビルを見上げるように<br />
高く壮大で、10年前に尋ねたときのミナクシ寺院やシュリランガム寺院の山<br />
門を見たときの感激が再び蘇ってきた。<br />
<div>
<br /></div>
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2018/4月第80号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-83887663735953185102019-08-15T08:06:00.000+09:002019-08-15T08:06:32.164+09:00コラム:人類のカルマ・人類存亡の瀬戸際<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
地球温暖化の嘘は嘘<br />
地球温暖化の脅威についてはこのメールマガジンでも過去に何度か取り上げ<br />
ている。原稿を書いている今は8月の半ばで、今夏はまだ終わっていないが、<br />
今年の夏は世界各地で気候変動による異常高温や洪水被害、大規模な山火事<br />
の発生が多発している。国内でも昨年の九州北部豪雨に続き西日本豪雨災害<br />
が起き、各地で40℃を越える猛暑が連日観測されている。埼玉県熊谷市では<br />
7月23日、41.1℃を観測し国内観測史上最高気温を更新した。いまだに、地<br />
球温暖化は人間活動、CO2の増加が原因ではないとして、地球温暖化は嘘だ<br />
という論調を展開している馬鹿な学者(中京大学の武田邦彦教授など)が<br />
存在しているが、今では地球温暖化の嘘は嘘だと否定する科学者の考えが<br />
世界の主流になっている。<br />
<br />
再び地球環境問題がクローズアップ<br />
私は1980年代から地球温暖化問題に強い関心をもっていて、ジャーナリズ<br />
ムの報道に強い関心を寄せてきた。2006,7年ごろ元アメリカ副大統領のアル<br />
・ゴアによる「不都合な真実」が出版されて地球環境問題は一気に盛り上が<br />
ったが、数年後沈静化して、最近、日本ではあまり新聞やテレビに報道され<br />
なくなっていた。マスコミ関係者は東日本大震災や原発事故の復旧、経済問<br />
題やスキャンダルの報道を優先し、地球温暖化問題は不都合な真実として報<br />
道自粛していたように思える。<br />
その報道自粛で情報が少なかったこの10年間に地球温暖化問題は着実に進行<br />
していた。今年になって積み重なった原因が一気に噴出してきて、世界中の<br />
誰の目にもただならぬことが地球気象に起こっていると実感されるようにな<br />
った。世界に異常気象と災害が続出しているのでマスコミも報道せざるを得<br />
なくなってきている。世界で起っていることを総合的に見れば、何が今起こ<br />
っていて将来どのようなことが起こるか大まかに知ることが出来ると思う。<br />
<br />
世界各地で洪水起こる<br />
今年の4月、イスラエルからパレスチナ自治区ヨルダン川西岸にかけて、<br />
大雨や洪水、雹などの影響で若者ら十数人が死亡。乾燥した中東でこのよう<br />
な災害が起こることは非常に珍しい。5月には中東のイエメンやオマーンに<br />
サイクロンが直撃し水害が起こった。以上はイスラエル在住のガリコ恵美子<br />
さんの報告。ラオスでは7月23日に建設中のダムが長雨で決壊し大規模な洪<br />
水被害をもたらした。7月上旬にはロシアのモンゴル国境付近のザバイカリ<br />
エで観測史上最大の洪水が発生した。中国雲南省では毎年のようにどこかで<br />
洪水が起こっているが今年も激しい豪雨により各地で河川が氾濫した。四川<br />
省や甘粛省でも洪水が起こった。7月の西日本豪雨だけでなく世界中で未曽<br />
有の豪雨や洪水被害が起きている。日本では7月に72時間降水量が全国の雨<br />
量観測地点の一割強に当たる138地点で観測史上一位を更新した。中でも高<br />
知県馬路村では1319mmになった。そして西日本豪雨が発生した。豪雨の後、<br />
被災地に連日猛暑が襲った。気象庁はその猛暑を災害であるとした。<br />
<br />
世界中で森林火災発生<br />
世界気象機関(WMO)の7月20日の記者会見によると、ノルウエーでは北部<br />
の北極圏で7月17日、7月としては史上最高の33.5℃を記録し、翌18日には北<br />
極圏の別の場所で夜間の最低気温が25.2℃と日本の熱帯夜に相当する高い気<br />
温を観測した。読売新聞7月21日の記事ではスウェーデンで7月中旬だけで高<br />
温と乾燥による森林火災が50件以上も起きて国家の危機的状況だと伝えてい<br />
る。APPによれば、ヨーロッパ北部で長期化している未曽有の熱波で北極圏<br />
で森林火災が頻発し、ラトビア西部で大規模な山火事が起こっている。ラト<br />
ビア政府は農業部門で非常事態宣言を出した。8月8日の共同通信の報道によ<br />
れば7月23日から始まったカリフォルニア州の山火事でサンフランシスコ北<br />
部の火災の焼失面積は8月6日までに東京都の半分以上に相当する1150平方キ<br />
ロに達し4万人が避難している。日経新聞の報道によればギリシャでも時を<br />
同じくして29日、大規模な山火事が起こり死者が91人に達した。山火事がギ<br />
リシャのチプラス政権をゆすっている。日経新聞8月1日の記事にはシベリア<br />
で800平方キロの森林火災が起きていると報じている。<br />
<br />
世界中で猛暑・最高気温の更新<br />
世界の異常気象を報じるインターネットのアース・カタストロフ・レビュ<br />
ーによれば、地中海の海水温度が原因不明の異常状態で通常より5℃高い海<br />
域もある。7月10日アリゾナ州南部で今まで見たこともないような超巨大な<br />
砂嵐が発生した。7月15日フランス・リヨンで雹嵐によって風景が雪景色の<br />
ようになった。巨大な積乱雲スーパーセルによるものである。北アフリカ<br />
のアルジェリアのワルグラという町では7月5日、これまで一度も経験した<br />
ことのない非現実的な気温51.3℃を記録した。カナダのケベック州では7月<br />
16日、激しい熱波によって70人が死亡。<br />
ニューズウィークの配信によれば、8月4日ポルトガル中部で46.4℃を記録。<br />
スペイン南部で45.1℃になった。カリフォルニア州南部のインペリア郡<br />
(人口17,000人)で7月24日世界史上最も暑い雨が降った。降り始め時点で<br />
の気温が48.3℃だった。気温37.7℃以上で雨が降ることはほとんどない。<br />
それ以上の気温の場合、高気圧がつきものだからである。<br />
<br />
原因は<br />
どうしてこのようなことになるのかというと、東京大学名誉教授山本良一<br />
氏によれば、地球温暖化による影響がさらなる温暖化を加速させるポジテブ<br />
フィードバックが起こっているからだという。北極圏の海水温が高くなり海<br />
氷が激減している。高緯度地域の気温が上昇し赤道付近の気温との温度差が<br />
少なくなるとジェット気流の流れが遅くなり大きく蛇行するようになる。そ<br />
のことで世界各地で異常気象がもたらされているのだと言っている。日本の<br />
7月の記録的な猛暑は太平洋高気圧が居座り続く中、その上にチベット高気<br />
圧が大陸から張り出してきて二階建て構造になったからである。その気圧配<br />
置の元を辿っていくとインド洋の海水温が東西で逆転していたからである。<br />
通常はインド洋の海水温は東が高く西が低い、これが逆転するダイポールモ<br />
ード現象が起きていたからである。<br />
根本原因は人間の欲望にあり、エゴの心にあり、科学技術の急速な発展にあ<br />
る。それが人類のカルマである。<br />
<br />
2018年は始まりの始まりの年<br />
今までは地球温暖化は人間活動によるものではないとする科学者の見解も多<br />
く、人間活動による化石燃料の消費、CO2の増加が起因していると断定できな<br />
い事もあった。しかし観測結果が積み重なり、そして実際に得られるデータ<br />
と気温上昇がはっきり人間活動の増加によるものと断定できるようになった。<br />
そして、予測された通りの異常気象が起こった。私は、2018年は誰の目にも<br />
温暖化がはっきりした事実と具体的な体験として、人類が引き起こしている<br />
ものだと自覚出来た年になったと思う。そういう意味でエポックな年になっ<br />
たと思う。これからは毎年このような気象災害が起こるだろう。そして、ま<br />
すます激しくなっていくと予測する。<br />
<br />
後戻りできない深刻なことが起こる<br />
私は中国やインド、東南アジア諸国の経済発展が始まった時に、「あー、<br />
これで地球環境問題は深刻になる」と予想した。その時、思ったのは気温<br />
上昇がどのくらいで、海面上昇がどのくらいになるか、だった。近年の海<br />
面上昇は年間2mm前後である。2mmだったらさほど問題ではない。10年で2cm、<br />
100年でも2cmだからだ。本当にそんな程度で済むかということである。南<br />
極の氷が1/10融けると海面上昇は7メートルになる。これには海水温上昇に<br />
よる膨張やグリーンランドの氷河融解は含まれていない。こうした中で、<br />
8月7日インターネット上で驚くべきニュースが流れた。コペンハーゲン大学<br />
、ドイツのポツダム気候影響研究所、オーストラリヤ国立大学などの研究者<br />
がまとめた論文で、このまま極地の氷が融け、森林が失われ、温室効果ガス<br />
の排出量が増え続ければ転換点となる、しきい値をこえる。そうなれば気温<br />
は産業革命前よりも4~5℃上昇する。海面は現在よりも10メートルから60メ<br />
ートル上昇する。という、衝撃的内容である。アメリカの気候科学者の第一<br />
人者であるNASのジェームス・ハンセン氏が2012年講演した話では今世紀末<br />
までに海面上昇は5メートルに達すると予測している。私たちの孫たちはそ<br />
れを目撃することになる。<br />
<br />
予測と対応<br />
海面上昇は人類が築き上げた都市文明を崩壊させるであろう。その前に世<br />
界各地で河川が氾濫し、沿岸地域は巨大台風などの暴風被害により多大な損<br />
失を被ることとなろう。気候変動で食料が生産できず世界各地で飢饉が起こ<br />
るだろう。安全な場所を求めて民族移動が起こる。それが軋轢になって戦乱<br />
が起こるだろう。気候変動はテクノロジーでは解決できないと私は考える。<br />
私はどう考えても悲観的な結論になってしまう。我々は困難な状況に陥る前<br />
に備えるときが来たと思う。我々は人間の暮らしの原点に帰って、何が起こ<br />
っても大丈夫に暮らしていける方法を見出す時が来たと思う。人間に必要な<br />
最低限は何か、昔の人の暮らしはどうだったか研究してほしい。この状況下<br />
、AIも地方に移住することを勧めている。若い世代の皆さんに地方都市近郊<br />
や中山間地域への移住を勧めたい。そこに新しい価値観の理想郷を築いてほ<br />
しいと思う。今の生活を替えられない人はそのようなことが起こるだろうと<br />
予測してビジネスに役立ててほしい。ピンチはチャンスと考えて積極的に生<br />
きる生き方もあります。<br />
<br />
結論・パニックにならないために一歩先を行く<br />
スーパーコンピューター・地球シミュレータは2027年に温暖化限界値+2℃<br />
を越えてしまうと予測している。そうなれば温暖化が加速して、もう後戻り<br />
できなくなる。負のスパイラルが始まる。福島第一原発事故よりも、もっと<br />
大変なことが起こりつつあるのです。ノアの箱舟のような、未曽有の災害多<br />
発の困難を乗り切るための『安全な砦』が必要な時代が始まったのかもしれ<br />
ません。志ある日本の若者よ、機会を捉えて洪水の危険性がない中山間地域<br />
に移住してください。それが自分と家族と子孫を安全に守る道だと私は考え<br />
ています。世界中でそのように考える人が増えつつあります。これからの時<br />
代は地方に移住した方が良いか、首都圏に住み続ける方が幸せかは意見が分<br />
かれるところなので、それぞれの人の立場で広く情報を集め、分析し深く観<br />
察し先の先を考えてください。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2018/8月第84号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-38968047744970473862019-06-16T12:19:00.000+09:002019-06-16T12:19:00.050+09:00コラム:肉体はリサイクル品<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
時間の経過とともに、この世の物質的な物は全て変化してしまう。この世の<br />
中の柔らかい物も固い物も全てが変化する。流れて時が過ぎれば全ての物は、<br />
違った場所で違った物になっている。<br />
<br />
諸行無常という変化の自然法則の中で、似たような現象が前後で少し形を<br />
変えるがパターンになって繰り返し発生することがある。それが循環の自然<br />
法則である。循環とは地球の回転によって生起している朝昼晩の繰り返しで<br />
あり、季節の巡りである。陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずる法則<br />
でもある。春になれば桜の木が満開の花を咲かせるが、桜の木そのものは前<br />
年の木と同じでも、一年の間に盛衰して違った木になっている。満開の桜の<br />
花も咲き方が前の年とは違っている。経済現象や歴史も特定のパターンが繰<br />
り返される。個々の株式相場の上げ下げも循環として考えることが出来る。<br />
私たちの呼吸も循環そのものであり、血液の流れ、生命力の流れも循環で<br />
ある。河の流れも大気も循環して変化はとどまることがない。<br />
<br />
そういう循環法則の中で宇宙そのものが変化して流れている。超新星爆発<br />
で粉々に飛び散った岩石やガスを材料として新たな恒星が誕生する。新たな<br />
星は爆発飛散した古い星の棄てた物質を素材として星自身を創っていく。循<br />
環の中で陰陽が入れ替わり、拡散力と収縮力が入れ替わっている。<br />
<br />
私たち人間の肉体も宇宙的大きな流れの中の循環現象の現れであり、すべ<br />
てリサイクル品によって成り立っている。私たちの肉体はリサイクル品なの<br />
だ。以前、誰かが捨てたものを使って私たちは自分の肉体を作っている。そ<br />
して私たちは自分が使って不要になったものを再度リサイクル品として廃棄<br />
している。リサイクル品を使って自分の肉体を作り、使用済みのいらなくな<br />
った物をリサイクル品として誰かに再度使って貰うべく捨てている。それを<br />
受胎したときから死ぬまでずっと継続してやっているのだ。<br />
<br />
人間の死体は分解して全て地球上で原子・元素に還元される。その原子・<br />
元素は植物や動物や他の人にも使われることがあるかも知れない。たとえす<br />
ぐに使われないとしても、流れて時が過ぎれば、地球の崩壊とともに宇宙空<br />
間にばらまかれる。さらに時が過ぎれば宇宙空間のどこかの惑星で全く別の<br />
生き物がリサイクル品として私たちの肉体を構成していた原子・元素を使う<br />
だろう。そう考えれば果たして墓を作ることが真実のことかどうか疑わしく<br />
なる。その反対に地球そのものが私たちの実家であり、墓地であると考える<br />
ことが出来るかもしれない。<br />
<br />
私たちが吸っている空気は地球上の他の生き物、植物や、動物や他の人間<br />
がすでに使って棄てたものである。以前に誰かが吐いた空気を私たちは今、<br />
吸っている。私が今吸っている空気の中には、大昔の聖者、仏陀やマハーヴ<br />
ィーラが呼吸した空気の一部が含まれているかもしれない。そう考えれば呼<br />
吸によって私は仏陀やマハーヴィーラとつながっているのだと思える。好き<br />
な人だけでなく呼吸を通じて嫌いな人とも繋がっていると理解できる。混み<br />
あった電車の中で乗り合わせた乗客たちは誰かが吐いた息を吸い、自分が吐<br />
いた息を誰かが吸っている。呼吸を通じて乗り合わせた乗客たちはリサイク<br />
ルの空気によって繋がっている。このように、私達は他との繋がり無くして<br />
一人だけ単独では存在することが出来ないのである。<br />
<br />
私が今飲んだ水はかって誰かが使ったリサイクル品である。私が今日排泄<br />
した小便はリサイクルされてビールその他の飲み物になるかも知れない。そ<br />
の飲み物を誰かが飲む。私が排泄した大便は、やがて肥料になり作物の中に<br />
養分として吸収されて、再び誰かの食物になるかもしれない。<br />
<br />
私たちが口から摂取している飲み物や食べ物は地球規模のリサイクル品、<br />
使い回し品である。そのリサイクル品を通じて私たちは過去現在未来の全て<br />
の存在達と御縁で結ばれている。私たちは個であると同時に全体である。私<br />
たちが生涯の間に摂取するリサイクル品としての飲み物や食べ物は甚大な量<br />
である。どれくらいの量になるかイメージすることすら難しい。その甚大な<br />
量のリサイクル品が私たちの肉体を作り、活動のためのエネルギーを生み出<br />
して、私たちの生存を支えている。<br />
<br />
私たちの肉体はリサイクル品なので本当の私ではない。本当の私はそのリ<br />
サイクル物質を使用し廃棄しているアートマンと呼ばれる魂である。魂がリ<br />
サイクル品でつくった肉体を使用しているのである。魂がその人にとって必<br />
要な物質を集めて肉体を作り維持している。肉体を維持するために必要なも<br />
のを集荷し取り入れ、使用し、不要になれば廃棄している。そのように肉体<br />
をリサイクル品と思えれば、肉体への執着が希薄になる。肉体に対する執着<br />
が無くなれば、恐怖や不安が無くなり非暴力が実践できる。<br />
<br />
魂はリサイクル品ではない。魂は変化するものではないからだ。魂は物質<br />
ではない。作られたものではないから、無くならないし滅びもしない。魂は<br />
あらゆるものの中に浸透し行き渡って偏在である。何処かに行くこともなけ<br />
れば、何処からか来るものでもない。<br />
<br />
その魂であるアートマンがリサイクル品を使って人生を体験している。生<br />
きていることの体験は魂にある種の汚れをもたらす。その汚れであるカルマ<br />
がヴァーサナーになって使うべきリサイクル品の選別に関与している。だか<br />
ら私たちはその魂に付いた汚れのことを知らなくてはならない。また、私た<br />
ちは魂と肉体は完全に別物であるということを理解しなければならない。肉<br />
体はリサイクル品でできているということ、その肉体は私ではないと言うこ<br />
とを完全に理解しなければならない。諸行無常の物質世界の原則が当てはま<br />
らない魂についても理解しなければならない。それらのことが理解できれば<br />
魂を中心にした生き方が出来るようになる。魂を中心にした生き方のことを<br />
正しい生き方と言うのである。魂に付着した汚れをとることがプレクシャ・<br />
メディテーションの目的である。魂の汚れが完全に無くなり純粋になること<br />
をモークシャという。モークシャに一歩でも近づくことが人生の意味である。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2018/7月第83号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-29239193814545726332019-05-05T09:16:00.000+09:002019-05-05T09:16:20.506+09:00コラム:四つの身体と霊的色彩光<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
ヴェーダンタ哲学とジャイナ教哲学では、人間の身体は目に見える粗雑な物<br />
質の肉体と、精妙な物質的身体である電磁気的な体と、最も微細な物質からな<br />
る体原因と、物質でない魂が層のように結合したものだと説いている。<br />
ジャイナ教ではその四つを肉体、テジャス体(電磁気的な身体)、カルマ体<br />
(原因体、汚れた魂、個我の源)、ドラビヤ・アートマン(純粋な魂)に分け<br />
て説明している。<br />
ヴェーダンタ哲学では肉体(粗雑な体・アンナマヤ・コシャ・食物で出来た<br />
体)、スークシュマ・シャリーラ(精妙な体)、カーラナ・シャリーラ(原因<br />
体・潜在意識)、アートマン(魂)に相当する。<br />
仏教では魂を説明しないので身体の複合性・重層性を説かないが、四つの身<br />
体を説くジャイナ教とヴェーダンタ哲学には共通の思想がある。『スワーミー<br />
・メーダサーナンダ著「輪廻転生とカルマの法則」参照。』<br />
魂の二面性についても純粋なる魂をヴェーダンタ哲学でシュッダートマンと<br />
言い、ジャイナ教ではドラビア・アートマンという。本性が覆い隠された魂を<br />
ヴェーダンタ哲学ではジヴァートマンと言い、ジャイナ教ではパーヴァ・アー<br />
トマンと言う。何によって魂が本性を覆い隠されるのか。ヴェーダンタ哲学で<br />
は、それは無知・マーヤ(迷い)であると説いている。その迷いとは誤解、妄<br />
想、迷信である。<br />
ジャイナ教では魂に付いた汚れであるカルマ(業)であるとして、中でもカ<br />
シャーイが原因であるとしている。カシャーイとは怒り、慢心、虚偽、強欲の<br />
ことである。ジャイナ教では全ての生き物の魂にはカルマが付着していて、カ<br />
ルマが原因となって輪廻が起こっていると説いている。そして輪廻する魂を持<br />
つ生き物全てをジーヴァと呼んでいる。汚れたジーヴァの魂が純粋になること<br />
がモークシャ(解脱)であり、モークシャに到達することが全ての輪廻する魂<br />
の目標である。人間として肉体を持った状態でモークシャに到達した人をアラ<br />
ハン又はアラハトと言う。アラハトが肉体を捨てて魂だけになるとモークシャ<br />
に到達しているので、もう輪廻転生が起こらない。その輪廻転生しない肉体を<br />
持たない魂をシッダと言う。ジーヴァという言語、シッダという言語はジャイ<br />
ナ教由来のものである。もしかするとヴェーダンタ哲学で説く四つの体は、い<br />
つの時代か、ジャイナ教哲学の影響を受けているのかもしれない。<br />
ジャイナ教哲学では純粋なる魂は色彩を超越したまばゆく輝くものであるが<br />
、純粋なる魂にカルマが結びつくと輪廻する魂、ジーヴァ、つまり生き物、生<br />
命になる。生命の中の魂はある種のバイブレーションを起こしている。その精<br />
妙なバイブレーション(ある種の周波数を持った波動)が周囲に存在している<br />
様々な微細な物質を引き寄せる。その微細な物質が魂に付着してカルマの材料<br />
となる。人間であれば、五つの感覚器官を通じて微細な物質が魂に引き寄せら<br />
れてくる。色、音、味、匂い、触感として微細な物質が魂に入ってくる。それ<br />
は外から内への方向性である。<br />
魂の内奥から常にある種の霊的精神的エネルギーが身体外部に放射されてい<br />
るが、そのバイブレーションは内から外に向かって放射されるときに魂に付い<br />
た汚れの影響を受けて着色される。それがジャイナ教哲学でいうレーシャとい<br />
う霊的色彩光である。霊的色彩光はカルマ体(アートマンにカルマが結びつい<br />
て出来た原因体であり、自我意識であり、個我でもある。)のカシャーイ領域<br />
を通過するときにカシャーイに影響されて着色される。原因として蓄積されて<br />
いるカルマによってカシャーイ(情欲・パッション)が出来てくるが、カシャ<br />
ーイの領域を通過して着色されたレーシャは、次にカルマ体のアデヴァシャー<br />
イの領域に入り、感情が生起する元となるエネルギーを生み出している。この<br />
段階(カルマ体の段階)ではレーシャの周波数が高いので我々はまだ霊的色彩<br />
光を知覚することはできない。<br />
レーシャがテジャス体に入ると周波数が低くなり、テジャス体に流入したレ<br />
ーシャは生命力や内部感覚に影響し、テジャス体のレーシャの領域(霊的色彩<br />
光の見える領域)に到達すると我々はレーシャの色を知覚することが出来るよ<br />
うになる。更にレーシャが肉体のレヴェルに入ると中枢神経に到達し内分泌系<br />
に影響を及ぼして、そこで化学物質・ホルモンが分泌され感情が生起する。感<br />
情によって思考が生まれ、知性が心で考えたことを分析判断し決定する。決定<br />
することで行動となる。行動の源を辿っていくとカシャーイがその根源となっ<br />
ていることが解り、行為の結果であるカルマがそのカシャーイを生み出してい<br />
ると理解できる。<br />
又、カルマはレーシャに引き寄せられていることがわかる。つまりレーシャ<br />
が我々の行動の全ての根源だということがわかる。レーシャによって我々は行<br />
動させられ、そしてその行動が新たなカルマを引き寄せ新たな原因を作ってい<br />
るのである。<br />
だからカルマを変えたかったらレーシャを変えればよい。それがジャイナ教<br />
のカルマを変える瞑想法レーシャ・ディヤーナの理論である。霊的色彩光の知<br />
覚を通じてレーシャの色をより良い色彩に変えていく、因果律の負の連鎖を正<br />
の連鎖に変えて魂の純粋化を目指すのである。<br />
カルマによって汚れた魂となったパーヴァ・アートマンをもつジーヴァ(生<br />
き物、特に人間)が修行によってアカルマ(純粋)になると、モークシャが達<br />
成されて輪廻転生しない普遍的なドラヴィア・アートマンになる。このことを<br />
解脱と言う。解脱がジャイナ教・仏教・ヒンドゥー教の理想である。それは、<br />
今も昔も変わらない。レーシャ・ディヤーナ(霊的色彩光の知覚)は瞑想の目<br />
的と目的地とそこに到達する方法を示している。<br />
感情を生み出すホルモンの内分泌線と関係が深いケーンドラ(チャクラとも<br />
いう)という霊的中心点に善い色彩をイメージし、善い言葉と共に潜在意識で<br />
あるカルマ体に浸透させる。この瞑想の継続によって我々の潜在意識は変容し<br />
カルマも変わり、カシャーイも善きものとなる。<br />
自分自身を知るというのは自己のカルマを知ることである。自己コントロー<br />
ルとは自己の行為の結果であるカルマによって作られたカシャーイをコントロ<br />
ールすることである。また、カルマによって形成された心の癖、願望、傾向、<br />
好みであるヴァーサナー・サムスカーラをコントロールすることでもある。<br />
我々は自分自身を肉体としての体だけであると見ていたのでは救われない。<br />
常に肉体だけでなく、自分の体を電磁気的な体として、原因の体として、純粋<br />
なる魂として見なくてはならない。それが、自分で自分を救う道である。ジュ<br />
ニヤーナの道、智慧のヨガ、論理的思考を好む人の歩む道、プレクシャ・メデ<br />
ィテーションがそれである。<br />
<br />
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<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2018/6月第82号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-1047012922811618212019-04-13T21:21:00.000+09:002019-04-13T21:21:46.229+09:00コラム:私のヴァーサナー<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
外は吹雪。夜中に風が吹いて、ここ二階の窓ガラスに風に運ばれてき<br />
た粉雪がびっしり付いている。昨夜は電気炬燵に足を突っ込んで寝てい<br />
た。温かい寝床から渋々起きて、階下に降りる。室温-6度。厳冬の朝、<br />
先ずしなければならないことは居間の石油ストーブに火をつけること、<br />
そして、電気炬燵をONにすることだ。今朝は室内でも素手がかじかんで<br />
しまうぐらい寒い。昨夜、ストーブの上で湯が沸いていた薬缶は夜の間<br />
に冷えきって中まで凍っていた。外の積雪はゆうに2mを超えている。<br />
<br />
私は今、新潟県との県境の町、福島県只見町にある福島県指定重要文化<br />
財古民家・叶津番所に2週間の予定で滞在している。叶津番所は250年程<br />
前に建てられた奥会津地方最大規模の古民家で、そこに一人で夜を過ご<br />
している。その歴史を刻んだ大きな古民家の圧倒的な雰囲気のもとでは、<br />
孤独に強くなければ一晩たりとも過ごすことは出来ないだろう。吹雪の<br />
夜は建物のあちらこちらでさまざまな音がする。建物がしゃべっている<br />
ようでもあり、目に見えない精霊の声のようにも聞こえるからだ。<br />
叶津番所の周りには、番所を核として100年以上前に建てられた伝統的な<br />
「蔵」、13年前の2005年に新築した古民家風多目的道場の「みずなら只<br />
見ユイ道場」、「小番所」と称する中古住宅がある。私はその4棟の建<br />
物のオーナーなので、豪雪から建物を守るために滞在しているのである。<br />
平成30年1月27日午後4時、アメダスランキング積雪量情報は只見が271<br />
センチで青森の酸ヶ湯353セン、山形の肘折についで3位であると報じて<br />
いる。<br />
<br />
雪に閉ざされた中で、囚われの身になったような状態で日々を過ごして<br />
いると、「何が原因で自分はこのようなことを体験しているのだろうか<br />
?」という思いが強くなる。「なぜ叶津番所を買ったのか、どうして道<br />
場を創ったのか。」「文化財の保護と活用を続けたこの30年間はなんだ<br />
ったのか。」などと考える。何もすることがなく、ボーとした頭に反省<br />
的な心が沸いてくる。そんな時、ふと、「今、私がこのような形で存在<br />
し、このようなことを体験しているのは、原因と条件と結果の糸が必然<br />
的に連綿と悠久の過去につながっているからだ。」と解った。<br />
<br />
叶津番所を所有することになるまでに数えきれない御縁があった。その<br />
、どんなに小さな御縁が欠けても叶津番所に出会うことは無かっただろ<br />
うし、また所有することもなかった。私が高校一年生の時、山岳部に入<br />
部しなければ、佐藤勉さんという山登りの先輩に出会わなければ、20歳<br />
で肺結核にかからなければ、ヨガの導師・沖正弘先生に出会わなかった<br />
ら、沖先生の言葉が無かったなら、私がヨガやインド哲学に興味を持た<br />
なかったら、そのようなことは起こらなかったであろう。しかし、その<br />
ような無数の御縁があって今の私が存在している。人間存在は孤独に思<br />
えるがそうではない。あらゆる他のものとの御縁によって支えられてい<br />
るのである。宇宙全体が私という存在を支えてくれているのである。<br />
<br />
物を所有するということは、土地であれ建物であれ、家族であれ、美術<br />
品、骨董品、職場、財産、ペット、その他なんでも後々、管理しなけれ<br />
ばならない、世話をしなければならない苦労がつきまとう。所有し使用<br />
する喜びと、それに伴う苦労は必ずついてまわる一体のものだ。人間だ<br />
けがこの苦しみを喜びに替えることが出来る。それが人間の理性的な心<br />
であり、他の動物にはない仏性というものなのだ。さまざまな経験をす<br />
ることで人間の霊性が高まっていくのだと思う。どのようなことを経験<br />
するのかはその人が自由意思で選んでいることである。その自由意思の<br />
根源がヴァーサナーであり、サンスカーラーという。その人の持つ個性<br />
、性向、志、夢や希望の出発点のことである。<br />
<br />
番所の周りの4棟の建物で一番問題なのが、「小番所」である。小番所<br />
は道路を挟んで番所と向かい合っている2階建ての中古木造住宅である。<br />
私が2010年に買い受ける前は90歳近いおばあさんと息子が住んでいた。<br />
おばあさんが高齢になったので、姉さんの居住地近く福島県郡山市に<br />
二人で引っ越していった。番所の隣接地であり、建物からの山や川の<br />
風景が絶景なのが気に入って、番所でのヨガ合宿や国際交流の利便性<br />
が高まることもあり、その住宅を買ったのである。売り主の条件とし<br />
て家具や什器備品を全て残置していくというものであった。私はその<br />
条件を承諾して、建物の引き渡しを受けたが、建物内部は不用品でご<br />
み屋敷のようだった。そのとき私は地獄のようなこの環境を天国にし<br />
てみせると心に誓った。今では佐藤松義さんキエ子さん夫婦の協力も<br />
あり地獄のような雰囲気が天国に替わった。近年、2階の一室を綺麗<br />
に整えて只見での私のプライベートな居室にしている。<br />
<br />
小番所は建物の構造上致命的な欠点があった。冬の只見の豪雪に対応<br />
していない事だった。それに、極めて安普請で構造材も細かった。屋<br />
根勾配が緩く、積もった雪が滑り落ちなかった。1階部分に下屋が6、<br />
5間×1、5間で付いている。およそ畳20枚分の下屋屋根に雪が積も<br />
る。さらにその上に2階屋根からの落雪が積み重なる。屋根に積もった<br />
雪を放置するとこの家は雪に押しつぶされてしまうのだ。平成27年1月<br />
母が亡くなり葬儀などに追われて只見に来ることが出来なかった。そ<br />
の年は大雪の年だった。屋根に積もった雪が落雪せずに積み重なって、<br />
その重量に押されて小番所二階の梁と柱が折れてしまった。保険に加<br />
入していなかったので修理代は痛い出費となった。<br />
<br />
番所や倉は管理を委託している三瓶こずえさんの家族が雪下ろしをし<br />
てくれる。道場は地下水をスプリンクラーのように出しているので、<br />
急こう配の屋根から自然に落雪したあと融けるので、手間がかからな<br />
い。私が冬に只見に滞在する目的は主に小番所を雪害から守るためで<br />
ある。<br />
<br />
なぜ、これほどまでに小番所にこだわるのかと言えば、私はこの場所<br />
で自分の理想を表現したいからである。私はここに借景を取り入れた<br />
枯山水の庭を造ってみたい。チャンスがあれば建物を建て替えて、皆<br />
がアッと驚くような素敵な建物を創ってみたいとも思っている。<br />
<br />
60歳の時には前途があり、まだいろいろ出来ることがあると思ってい<br />
た。今、70歳を超える年齢になってこの後、何が出来るのだろうか<br />
と考えてしまう。私が只見で活動していることを引き継いでくれる人<br />
は家族にも友人にもいない。妻が私にいつも言っている。「あんたみ<br />
たいな馬鹿な人はいないよね。お金をみんな只見につぎ込んでしまって<br />
・・・。」「あなたが死んだらどうするの?早く只見を始末してよね。<br />
」「私は何も解らないんだから、あなたのやったことの後始末は出来な<br />
いから・・・。」 もっともなことである。<br />
<br />
どうやら、私の先が見えてきた。只見での活動は道半ばで終わりそうで<br />
ある。私に働いていた求心力が拡散力に変わったことを感じる。今後、<br />
10年程度かけて只見での活動の整理をしようと思う。成し遂げられなか<br />
った夢を抱えて、今生で経験した様々なカルマを潜在意識に宿して、そ<br />
れらによって熟成したヴァーサナーとサンスカーラが私を次の人生に導<br />
くであろう。<br />
<br />
私は過去を振り返り、現在の状況を考察することで、自分の未来が少し<br />
ずつ見えてきた。前世で私を導いたキーワードは海と軍艦だった。今<br />
生で私を導いたキーワードは山と健康と瞑想だった。来世で私を導く<br />
キーワードはユニークな建築物と日本庭園と水晶のような気がする。<br />
私は6のプレクシャ・メディテーションとアヌ・プレクシャで自己の<br />
内部観察を深めていけば、自分の来世がどのような場所に生まれ、ど<br />
のような人生を歩んでいくのか大まかに知ることができると思っている。<br />
<div>
<br /></div>
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
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<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2018/2月第78号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-54188533501995312482019-03-23T10:57:00.000+09:002019-03-23T10:57:42.466+09:00コラム:自分で自分の医者になる・無病の道<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
現代人は一般的に病気になると先ず身近な医療施設に出かけて診療を受ける。<br />
そして、医師の診断を受け、処方箋に従って薬を飲むことで病気を治してい<br />
る。癌などの重度の病では医師による手術を受けて病の原因を除去する方法<br />
をとっている。現代では医学技術は目覚ましい発展をとげて、従来治療が難<br />
しいとされてきた多くの難病も治療出来るようになってきた。医療に対して<br />
の信頼感が増してきたので、ほとんど全ての人が病気になると、病院や医療<br />
施設を頼りにしている。<br />
<br />
現代のように医療技術や医療施設が発展し、整っていなかった時代、人々は<br />
どのように病気に対峙していたのであろうか。多くは薬草などを使う民間療<br />
法であったり、祈祷やさまざまなヒーリング技法に頼っていた。近年の食事<br />
療法、色彩療法、指圧、霊気、ホメオパシー、整体、カイロプラクティック<br />
等のような代替医療として知られている方法を使っていたのである。<br />
<br />
もっと古代においては、自分の体調不調や病気は他に頼る方法がなかったの<br />
で自分で自分を治すしかなかったのである。その場合、古代人は自分の身体<br />
の内部を観察した。身体内部の痛みや不快な感覚を注意深く知覚した。内部<br />
感覚を知覚することで自然に痛みや不快感がなくなっていくことを体験した<br />
。それが瞑想の起源であると思う。<br />
<br />
私たち現代人は痛みや病を悪いものと捉えている。しかし、痛みや病は決し<br />
ては悪いものではない。それは自然法則が現れたものであり、命の働きが命<br />
を守るために痛みや病を起こしているのである。もし痛みや病が無かったら<br />
我々は命を長らく存続できないだろう。そう考えれば病は悪いものではなく<br />
、むしろ善いものであると言える。痛みと病は原因と結果の法則に従って起<br />
ってくる。痛みと病は原因と縁である条件が整わないと現れてこないし起こ<br />
らない。例え遺伝子の中に弱点として病気の原因を抱えていても、魂のレベ<br />
ルで条件が整わなければ病気は現れない。<br />
<br />
ジャイナ教僧侶は自分に起こってくることの原因を自分の内側にある魂の汚<br />
れに見ているので、病に対しても自業自得とみている。自業自得であるから<br />
他に頼らない、自分で問題を解決するしか方法はない。病気になっても薬を<br />
飲んだり手術することもない。同僚による手助けで代替医療などを受けるの<br />
みである。戒律によって医師にもかかれないので、自己の病に対して一番の<br />
治療手段が断食と瞑想である。断食と瞑想によって命の働きを高め、整えて<br />
、病を治癒する方法をとっている。<br />
<br />
プレクシャ・メディテーションは本当の自分を見つけるために皮膚の内側<br />
に深く観じようとする意識を向ける内なる瞑想法である。それによって、<br />
真我つまり魂を知ることが出来る。魂に到達するまでに私たちは身体内部<br />
のあらゆる感覚、粗雑なものから超微細なものまで観察し調べつくさなく<br />
てはならない。その過程で私たちは自分とは何かということがわかってく<br />
る。自分とは何かが解ること、そして自己コントロールが実は自分の病に<br />
対する最も優れた治療法なのである。<br />
<br />
現代医学は肉体レベル、物質レベルで起こっていることしか治療出来な<br />
い。検知器で検知できないようなもっと微細なことが原因になっている<br />
ことに対して根本的な治療は不可能なのである。人間という存在は物質<br />
的な肉体だけで出来ているのではない。目に見えない検知器にかからな<br />
いような微細なレベルの物質で出来た身体や物質ではない魂の結合によ<br />
ってできているのである。ジャイナ教哲学では肉体の内側に微細な物質<br />
による電磁気体があり、更にその内側に超微細物質によってできた原因<br />
体があり、更にその内側に物質ではない魂があると観ている。そのよう<br />
に自分の身体が重層的になっていることを理解できなければ、本当の自<br />
分を知ることも出来ないし、自分をコントロールすることも難しい。<br />
自分で自分の医者になるとはそのように、深いレベルの自己コントロー<br />
ルのことである。<br />
<br />
プレクシャ・メディテーションは深いレベルの自己認識法である。それ<br />
によって、自分自身を知ることが出来るし、自己コントロールが出来る<br />
ようになる。肉体よりももっと内側の電磁気体のレベルで、原因体のレ<br />
ベルで自己コントロール出来なければ本当の意味での自分で自分の医者<br />
になることは出来ない。アカルマの道、自己解放の道が無病への道であ<br />
る。悟りへの道、解脱への道すなわち精神性が高まらなければ無病は無<br />
い。カルマが原因となって輪廻する魂に様々な苦しみと病がついてまわ<br />
るのである。<br />
<br />
知恵ある人というのは自己コントロールできる人のことをいう。プレク<br />
シャ・メディテーションの技法は身体内部の感覚を知覚する技法と言っ<br />
てもよいが、その実践よって身体内部に調和がもたらされ、生命エネル<br />
ギーの流れがスムーズになり生命力、自然治癒力、免疫力を高めること<br />
が出来る。その意味で瞑想とは自己ヒーリングと同義語なのである。<br />
<br />
カーヤ・ウッサグは心身の完全なるリラックス法であり、もっとも優れ<br />
たストレス軽減方でもある。ストレスに対応できなくて発症する病を発<br />
病前にコントロールできる方法であり、同時に生と死の意味が理解でき<br />
るようになる。カーヤ・ウッサグによって身体内部の調和が達成されて<br />
精神世界への扉が開かれる。カーヤとはインドの言葉で身体という意味<br />
であり、ウッサグは去る・分離するという意味である。つまり、カーヤ<br />
・ウッサグとは心身分離ということで、意識が肉体から離れることを意<br />
味する。最も深いリラックス状態では身体があってないような感覚が起<br />
る。身体感覚が消滅して意識だけがはっきり目覚めている、そんな感覚<br />
が起る。その時、内なる完全性が達成されて痛みも無ければ病も無い、<br />
悩みもない平和な完全性がその人の内側に立ち現れている。カーヤ・ウ<br />
ッサグを継続的に実習すればストレスによる悩みや病と無縁になる。<br />
<br />
アンタール・ヤートラ(内なる旅)は電磁気的な体の流れをスムーズに<br />
して生命力を高めることが出来る。シュヴァーサ・プレクシャ(呼吸の<br />
観察)は深い呼吸を通じて万病に効く特効薬の代わりになり得る。シャ<br />
リーラ・プレクシャ(身体の観察瞑想)は身体内部に深い調和が起こり<br />
電磁気体のレベルで完璧な健康がもたらされる。そして身体の観察によ<br />
って自分とは何かが解ってくる。自分を知ることが自分をコントロール<br />
することであり、自分を自分で癒す方法である。<br />
<br />
チャイタニヤ・ケーンドラ・プレクシャは生命力が集中している中心点<br />
を知覚することで特に内分泌線が活性化され、ホルモン分泌を正常化さ<br />
せることが出来る。そのことで感情が調和安定する。感情が安定すれば<br />
心も安定し正しい生き方、正しい行動が出来るようになる。<br />
<br />
霊的色彩光の知覚瞑想は潜在意識に働きかけ、消極的態度を積極的なも<br />
のに改善することが出来る。アヌ・プレクシャでは言葉によるアーファ<br />
メーションを通じ潜在意識を積極的なものに変えることが出来るし、<br />
考える瞑想がもたらす直観力によって、真実を知ることが出来るよう<br />
になる。<br />
<br />
プレクシャ・メディテーションは精神性の向上、人格の向上を目的にし<br />
ているものであるが、その効果だけでなく、同時に私たちの健康を身体<br />
の深いレベルから達成できる技法でもある。プレクシャ・メディテーシ<br />
ョンはインドで古代から現代まで続いてきた宗教であるジャイナ教のセ<br />
ンターや大学で研究しつくされ、体系化された優れた瞑想法であると同<br />
時に、自分で自分の医者になる最も優れたテクニックであると言える。<br />
プレクシャ・メディテーションこそ人類の宝である。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2018/3月第79号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-34704615057050381822019-03-16T00:39:00.000+09:002019-03-16T00:39:00.481+09:00コラム:欲望とは何か<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
私たち人間が生きていて生活の中で求めているのは、如何にして幸せになるか<br />
ということに尽きる。では本当の幸せとは何であろうか。仏陀は「人間の日常<br />
生活は、ほとんど苦しみに満ちている。その苦しみの生活から脱却して絶対安<br />
心、満足、至福、自由に満たされた悟りの世界に行くことが可能である。」と<br />
提唱した。インドに起こった宗教のヒンドゥー教もジャイナ教も仏教も人間が<br />
本当の幸せを得るために、世俗的、一般的な人間生活の放棄を勧めている。<br />
さらに此岸(人間としての日常生活の苦しみの世界)から彼岸(悟りの世界)<br />
に行かなければ本当の幸せになれないと説いている。<br />
<br />
なぜ日常的な人間生活では本当に幸せになれないのか?それは物質世界が限<br />
定的な変化の世界であるからだ。我々は肉体という物質を使って物質世界を体<br />
験しているからである。ヴェーダンタ哲学ではこのことをモーハ(迷い)と言<br />
っている。迷いの世界では楽しみと苦しみがセットになっていて、苦しみだけ<br />
を取り除いて楽しみだけ得ることはできない。呼吸を観察しても吸う息と吐く<br />
息で苦楽がセットになっていることが解る。人間として生きていると楽しみよ<br />
り苦しみの方が多いのだが、人は多くの苦しみを忘れて、楽しかった想いを増<br />
幅出来るから、なんとか辻褄を合わせて生きていくことが出来るのである。<br />
<br />
唯物論者は否定するが、魂の永遠性や普遍性を信じる人は物質世界の背後で<br />
物質世界を支えている非物質の存在を確信している。物質世界が此岸で非物質<br />
世界が彼岸である。此岸は因果律に支配された輪廻転生の世界であり、彼岸は<br />
輪廻転生を超えた、再び生き物に生まれない解脱の世界である。彼岸に行くこ<br />
と、解脱することが真に幸福になることであると言える。解脱無くして真の幸<br />
福、自由、安心、至福はあり得ないと仏教やジャイナ教、ヴェーダンタ哲学が<br />
教えている。<br />
<br />
我々人間が解脱して本当に幸せになれないのは、人間の心身システムのソフ<br />
トの中に本能的な欲望がインプットされているからである。全ての生き物の命<br />
の働きの中に、命が命を守り存続させるために本能的な欲望がインプットされ<br />
ている。この欲望が人間の自由を奪い、本当に幸せになることを妨げ、輪廻転<br />
生に縛り付けているのである。<br />
<br />
欲望とは何であろうか。生き物には本能的に三つの欲望がインプットされて<br />
いると言われている。一つが生存欲である。長く生きていたい、健康でいたい<br />
、病気になりたくない、いつまでも若々しくいたい、それらは言葉を変えるな<br />
ら 『食欲』 である。二つ目が自己拡大欲で、自分の分身を増やしたい、子<br />
孫や種族を増やしたい、つまり 『性欲』 です。三つ目が自由欲で、好きな<br />
所に行きたい、遊びたい、世界を知りたい、理解したいという知識欲、悟りた<br />
いという欲、それらが言葉を変えるなら 『解脱欲』 です。人間だけが持つ<br />
芸術的文化的な創作欲、権力欲、名誉欲、所有欲、金銭欲、は三つの基本的欲<br />
望から派生した欲望と言える。人間は多くの人を愛し、多くの人から愛された<br />
いとの欲望を持っているが、これも基本欲望が派生したものと考えることが出<br />
来る。<br />
<br />
なぜ欲望が起こるのか、それは生きていると体の中に生命エネルギーが流れ、<br />
それによって感覚が起るからである。感覚には苦楽がある。それは快感と不快<br />
である。苦楽の感覚は生きる力であり苦楽の感覚無くして生き物の生存はあり<br />
得ない。苦楽の感覚が肉体の生存を脅かす敵や病から自己の命を守っている。<br />
その苦楽の感覚が欲望の根源である。<br />
<br />
生命の働きが起こす根本的な苦楽の感覚を仏教用語で『痴・ち』といい、ヴェ<br />
ーダンタ哲学ではモーハ(迷妄)にあたる。生きている時に身体に流れる感覚は<br />
止めることが出来ず、ほとんど制御が不可能である。だからそれを称してタンハ<br />
ー(渇愛)という。身体に生ずる感覚は沢山あってほとんど自覚出来ないからア<br />
ヴィッジャー(無明・無知)という。この自覚できない身体内部の微細な感覚が<br />
中枢神経系とのやり取りで、盲目的な生の衝動を生み出している。その生の衝動<br />
によって好き嫌いの欲望が起こる。欲望には2種類あって好きなものを求める欲<br />
(貪・とん)と嫌いなものを避けたい欲(瞋・じん)がある。<br />
<br />
コントロールが難しい身体内部の微細な感覚に促されて欲しい、避けたい、と<br />
いう欲望が起こる。その欲望が私たちに行為と行動を促す。心地よい感覚によっ<br />
て、好きなものを側に置きたい、手に入れたいという所有欲が起こる。欲望は一<br />
つ達成されると、別のもっと良きものも欲しくなり、欲望の火はエスカレートし<br />
て燃え上がる。欲望に際限はない。<br />
<br />
いろいろな欲望のなかでも、三大根本欲に関係する所有欲は誠に厄介なもので<br />
ある。沢山のものを所有すれば我々は幸せになれると思って行動している。結婚<br />
し家族を持つこと、仕事を持つこと、家や財産を持つこと、物を所有することで<br />
渇望は満足に変わるが、その反面それらを管理しなければならないし、世話しな<br />
くてはならない苦労が生ずる。所有の満足が管理の苦しみに変わるからである。<br />
多くの快楽は多くの苦労が付きまとうという法則が所有にも当てはまる。<br />
<br />
自分にとって愛おしく、とても好ましいものを所有すると、それと長く一緒に<br />
いたい執着が起こる。好きなもの愛おしいものを手放さざるを得なくなった時、<br />
人はとても苦痛を感じる。どんなに良い物を持っていても、いつかは手放さな<br />
ければならないし、多くを所有した人は多くを放棄しなければならない。これが<br />
物質世界の掟である。お金でも、物でも所有したものを自分だけの為に使うとそ<br />
れは悪いカルマとなって未来に悪い結果を招く原因となる。だから、所有を手放<br />
して無所有を理想として出家が起こった。なるべく所有しないことで執着から離<br />
れようとしたのである。欲望から起こってくる所有と執着によって私たちは不自<br />
由になり輪廻の世界に縛られている。だからマハーヴィーラも仏陀も出家するこ<br />
とで所有を放棄して無執着を目指したのである。無所有・無執着は欲望から離れ<br />
た平和な心軽やかな生き方と言える。<br />
<br />
欲しい欲望が他人に妨げられたとき、所有を強引に奪われたとき、また、避け<br />
たい欲望、嫌悪が原因で怒りが起ってくる。不平や不満も怒りの感情と言える。<br />
嫉妬や憎しみ等のネガティブな感情も欲望が元になっている。暴力や争いご<br />
とも欲望にもとづく悪行と言える。私たちは欲望に突き動かされて生活している。<br />
願望や希望も形を変えた欲望と考えられる。欲望が私たちを行動させ行為させ<br />
ている。その行為によってカルマが引き付けられ、潜在意識下にインプットされ<br />
る。インプットされたカルマの蓄積が結果となって今、このような環境のなかで、<br />
姿形で自分自身が存在しているのである。我々は欲望に基づき行動している<br />
が、実は悪いことばかりしているわけでもない。行動の善悪は相半ばといった<br />
ところである。それが一般的な人間だと思う。<br />
<br />
欲望の全てが悪いわけではない。善い欲望もある。そのことを煩悩即菩提と<br />
言う。解脱欲、完全なる自由を求める欲望は善い欲望と言える。カルマのコン<br />
トロールとは悪い結果を起こす欲望のコントロールである。それには自己中心<br />
的な物質的な欲望を、他の全ての生き物たちの幸せのためになるように精神<br />
的に昇華させて行為することにある。あらゆる欲望を魂の解脱に結びつけるこ<br />
とにある。私はだんだんそれらが幸せになる道であると信じられるようになって<br />
きた。他の誰かが私を救ってくれるわけではない。自分の行為が自分を救うの<br />
である。魂が信じられなかったら、欲望のコントロールは出来ない。なぜならコ<br />
ントロールする必要性が無くなるからである。人生の目的が物質的、肉体的な<br />
感覚だけの喜びを追求するだけで良いことになるからである。人間の生き方<br />
に善悪は関係ない、欲望だけを満足させればよいと、倫理を否定する考え<br />
に陥るからである。人間は心の深いレベルで魂を信じているから、なるべく善<br />
い行いをして、悪い行いをしないようにしているのである。欲望が少なくなり心<br />
軽やかになることで差別心がなくなって、全てを平等に見ることが出来るように<br />
なってくる。根本欲すなわちカルマのコントロールで個我の魂が清らかになっ<br />
て、やがては真我を悟る本当の幸せに到達するだろう。<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
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<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2018/1月第77号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-39191092348323066882019-02-16T14:49:00.000+09:002019-02-16T14:49:11.207+09:00コラム:アートマン 魂 本当の自己とは何か<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
私達は皆、『なぜ自分という存在(肉体や意識)がここに居るのだろうか。』<br />
あるいは『生きているという自分の根本的な仕組みが、何処から来て何処へ<br />
行こうとしているのだろうか。』 と考えたことがあるのではないでしょう<br />
か。つまり魂は存在するのか、生命は輪廻転生するのか、という形而上的問題<br />
について考えたことがあると思います。私は長い間、魂の存在や輪廻転生につ<br />
いて疑問に思っていましたが、身近にその問題を解りやすく教えてくれる人が<br />
いなかったので、まったくの手探り状態で一人で探求していくしか方法はあり<br />
ませんでした。<br />
<br />
幸い現代は古今東西の宗教哲学や聖者の教えが書物になって沢山出版されてい<br />
るので、疑問に思ったことをいろいろ比較検討することが出来ます。私はその<br />
ような書物を数多く読んで、先人たちの教えを比較検討してきました。さらに<br />
ジャイナ教僧侶の講話を聴き深く考察することを重ねて、だんだん魂について<br />
理解を深めてきました。<br />
<br />
魂とはなんでしょうか。魂の定義は『永遠で不変の実在』であるということで<br />
す。私たちの生きているこの3次元+時間の物質世界は全てのものは変化して<br />
しまうから、永遠で不変なものは存在しません。ですから魂はこの世の次元を<br />
超越した、非物質のものだと考えられます。物質世界だけを論じようとすれば<br />
、魂はどこにもないということが出来ます。BC8世紀ごろインドに現れた哲人<br />
・ヤージュニヤヴァルキヤは、目には見えなくとも、この世のあらゆるものの<br />
中にアートマン(魂)は浸透している。しかしアートマンである自己(認識主<br />
体)は自己(認識対象の魂)を認識することはできない、と説きました。ヤー<br />
ジュニヤヴァルキヤの説はその後のインド哲学思想の源流となったのです。<br />
<br />
形而上的な論争を避けることの実用性と現実性を重視することから、仏教は非<br />
物質的な考え方や魂・アートマンについて、言及を避けてきました。仏教では<br />
魂を説明することもなく、魂についての定義もありません。しかし、仏教と同<br />
じく古代インドに起こった宗教のジャイナ教やヴェーダンタ哲学は魂について<br />
詳しく説明し定義しています。ヴェーダンタ哲学はヒンドウ教の拠り所となっ<br />
ている古代インドの哲学です。魂について深く知りたいと思うなら、ジャイナ<br />
教やヴェーダンタ哲学を勉強するしかありません。<br />
<br />
魂を信ずる人達は、世界を物質だけの世界とは見ていません。私たちの存在を<br />
物質やエネルギーだけでなく、非物質的なものを含めて重層的な存在であると<br />
見ています。つまり身体とは肉体だけでなく、肉体よりも微細な物質の電磁気<br />
的なエネルギー体があり、その奥にデーターベースになっている最微細物質が<br />
関与した原因体があり、最奥に非物質の魂であるアートマンが存在していると<br />
見ています。<br />
<br />
多重的な身体の見方はさまざまなバリエーションがありますが、概ね3つの身<br />
体と魂の4層構造になっているというのが、ジャイナ教とヴェーダンタ哲学で<br />
共通の見方です。<br />
<br />
ヴェーダンタ哲学では1.肉体をストゥーラ・シャリーラ(粗雑な体)、2.生命<br />
エネルギーと感覚と心、知性、記憶で構成された精妙な体をスークシュマ・シ<br />
ャリーラ、3.自我意識の体であり原因の体であるカーラナ・シャリーラ、4.ア<br />
ートマン・魂、に分類します。 <br />
<br />
ジャイナ教では1.肉体 2.電磁気体であるテジャス・シャリーラ 3.原因体で<br />
あるカルマ・シャリーラ(純粋なる魂にカルマ的物質が付着して構成された体)<br />
4.純粋なる魂・ドラビア・アートマン に分けて考えます。<br />
<br />
このように比較してみると、身体の考え方や魂についての考えがジャイナ教哲<br />
学とヴェーダンタ哲学では共通していることがわかります。<br />
<br />
魂は非物質であることが共通した概念です。非物質的なものの特徴として魂を<br />
定義付ければ、始まりもなければ終わりもない、無始無終である。成長もなけ<br />
れば衰退もない、永遠不変である。何時でも何処にでも有り、全てのものの中<br />
にあまねく充満していて、偏在遍満である。時間や空間、次元を越えていて無<br />
限のものであると言えます。<br />
<br />
一方、魂でない物質的なものの特徴は、始まりがあり終わりがあって、変化す<br />
るものである。成長もあり衰退もある、一時的で有限なものである。時間と空<br />
間に制限されていて、同じ時間に一つのものが別々の場所で存在することは出<br />
来ない。魂以外の3つの身体は一時的で変化してしまう無常なものであると言<br />
うことができます。諸行無常とは物質世界に適用される真理であって、魂には<br />
適用できません。<br />
<br />
非物質である魂がどうして生命をもち身体を持つようになったのか、ジャイナ<br />
教は次のように説明しています。本来純粋なる魂であるドラヴィア・アートマ<br />
ンが、ここにも有る、あそこにも有ると偏在している微細な原因物質であるカ<br />
ルマと結びつくことで、汚染された魂・パーヴァ・アートマンになる。パーヴ<br />
ァ・アートマンは輪廻する魂であり、輪廻する魂のことを称してジーヴァとい<br />
う。地球だけでなく宇宙には沢山の生命体が存在していると考えられるが、そ<br />
の生命体の基礎は汚染された魂のパーヴァ・アートマンである。生命体が魂の<br />
汚れ(パーヴァアートマンについたカルマの汚れ)を払しょくして純粋になれ<br />
ば(ドラヴィア・アートマンに戻れば)輪廻転生しなくなる。それが解脱であ<br />
りモークシャという。全ての生き物たちの長い旅路の最終目的地はモークシャ<br />
になることであり、モークシャになることが人間として生まれた理想である。<br />
モークシャのことを全知全能、完全なる自由、無限の愛と至福の状態という。<br />
<br />
仏教ではモークシャ・解脱・もう生まれない死なない、ことをニルバーナ・<br />
涅槃寂静という。ニルヴァーナーとは吹き消してなにも残らない深い沈黙の<br />
世界、無の状態である。全知全能とか至福の状態はないとする仏教の考え方は、<br />
虚無的で暗く無気力になる恐れがあるように私には思える。<br />
<br />
ヴェーダンタ哲学では魂の2面性をシッダ・アートマンとジーヴァアートマン<br />
に分けて考えている。シッダ・アートマンは唯一の神であり普遍的な梵である。<br />
これをブラフマンという。シッダ・アートマンから分かれた小さな分身のよう<br />
な個我が迷いのうちに、自分の真実の姿を見失っている状態が我々生き物であ<br />
り人間である。迷いの状態にあるジーヴァ・アートマン(個我)が迷いがなく<br />
なり、実は自分はシッダ・アートマン(真我)なのだと解ることが梵我一如で<br />
、神との合一であり、解脱であり、このことをカイヴァリアという。<br />
<br />
輪廻転生、因果律、魂の法則を解りやすく合理的に説いているのはジャイナ教<br />
哲学だと思うようになってきた。魂にどうして汚れが付くのか、それは心に思<br />
い、考え、行為したからである。思い考え行為したことが魂に物質的な汚れの<br />
カルマ惹きつけて付着する。そのカルマが原因となって我々に様々な結果をも<br />
たらす。我々が今このような場所、このような姿、境遇に存在し幸不幸を受け<br />
取っている原因の根本は、魂に着いたカルマの汚れや、汚れによって傾向づけ<br />
られたサンスカーラという力が作用しているのである。私たちはカルマに縛ら<br />
れ操られている限り真の自由はない。我々はカルマにコントロールされ奴隷に<br />
なっているようなものだ。魂の汚れを取り除き、純粋なる魂になるのがジャイ<br />
ナ教の修行であり、プレクシャ・メディテーションの目指すところである。そ<br />
れが究極の自己コントロール法である。<br />
<br />
魂の汚れとは、例えれば汚れた水のようなものである。水はH2Oで水素原子2個<br />
と酸素原子1個が結びついて出来ている。水素はこの世(宇宙)で一番質量の<br />
多い物質である。酸素は三番目に質量が多いことから宇宙には広く水が普遍的<br />
に存在していると考えられる。水は非常に優れた溶解力を持つので、いろいろ<br />
な物質を取り込むことが出来る。地球の自然環境の中で水は完全に純粋な形で<br />
ほとんど存在しない。雲や渓流も何らかの形でミネラルなどを含んでいる。純<br />
粋な水は工業的に人工で作り出すことが出来る。私たちが飲んでいる飲み物は<br />
さまざまな種類があるけれど、その飲み物は実は全て汚染された水なのである。<br />
お酒はお酒になる成分が汚染物質となって溶け込んだ水なのだ。牛乳も牛乳と<br />
いう汚染物質が溶け込んだ水であり、味噌汁も味噌や他の具材によって汚染さ<br />
れた水である。コーヒーも爽健美茶もビールもオレンジジュースも皆、我々が<br />
飲み物として摂取しているものは汚染された水といってよい。水の中に溶け込<br />
んだ汚染物質が飲み物の個性になっている。同じように普遍的な魂の中にいろ<br />
いろな種類のカルマの汚れがついて輪廻する生き物、人間一人一人の個性にな<br />
っている。汚れが違うから違う形で存在しているのである。<br />
<br />
飲み物から汚染物質を取り除けばH2O、純粋な水になる。同じように魂から汚<br />
染物質であるさまざまなカルマを取り除けば純粋なる魂・ドラヴィア・アー<br />
トマンになる。それがモークシャであり全ての人間に課せられた最終目標で<br />
ある。魂を純粋にすることは大変な努力と困難を要するが、より良い魂、よ<br />
り良い個性と人格、より幸せになることは今日からできる。それには、プレ<br />
クシャ・メディテーションを継続し、日常生活を通じて因果律を信じ、真の<br />
カルマヨガを行うことである。それが自由という事であり自己責任であり、<br />
自己の内に神を見ることであり愛という。<br />
<br />
ヤージュニヤヴァルキヤや8世紀ごろインドで不二一元論を提唱したシャン<br />
カラは認識主体は認識対象にはなりえないと説いた。しかしジャイナ教では<br />
自己(魂)を知覚の対象としている。優れたメディテーターは深い瞑想の中<br />
で魂をじかに知ることが出来るとしている。これが、ジャイナ教哲学の神髄<br />
である。<br />
<br />
プレクシャ・メディテーションの始めに 『サンピッカエー アッパーガ<br />
ー マッパエー ナム』『魂を通して魂を見てください。そして本当の自分<br />
を見てください。』 と唱えるのは魂を認識、知覚の対象としているからで<br />
ある。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2017/12月第76号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-36574282601705981122019-01-15T10:21:00.000+09:002019-01-15T10:21:23.593+09:00コラム:仏陀はなぜ魂について説明しなかったのか<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
インドには古代から続く宗教的流れとして、バラモン系(アーリア文化系)の<br />
流れと、シュラマナ系(土着的クシャトリヤ系)の流れがあった。バラモン系<br />
宗教の修行の主たるものは苦行であり、シュラマナ系宗教の修行の主たるもの<br />
が瞑想であった。そしてシュラマナ系の宗教の中に輪廻転生思想が伝わってい<br />
た。BC8世紀後半、ウッダーラカ・アールニーなどの思想家の登場によりバラ<br />
モン系宗教の流れとシュラマナ系宗教の流れに思想的な合流が起こった。苦行<br />
と瞑想、自業自得と輪廻思想が結びついて、その後、インドに発生した宗教を<br />
特徴付ける解脱思想が起こった。解脱思想が広まることで出家が流行した。そ<br />
のような時代背景があって、輪廻からの解脱を求めて、BC6~5世紀ごろ、ジ<br />
ャイナ教の開祖マハーヴィーラと仏教の開祖ゴータマ・ブッダが登場した。<br />
<br />
仏陀はマハーヴィーラと同じく、シュラマナ系の出家修行者であった。出家し<br />
てから仏陀はアーラーラ・カーラーマ仙人とウッダカ・ラーマプッタ仙人のも<br />
とで瞑想修行をしたが、悟りは開けなかった。仏陀は瞑想修行を捨て、次に苦<br />
行の道に入った。仏陀の苦行は断食行と止息行が中心だったと伝わっている。<br />
しかしどんなに苦行をしても悟りは開けなかった。苦行を止めた後、仏陀は考<br />
察瞑想を行って、徹底的に原因と結果の法則について考えた。仏陀以前のカル<br />
マ論は原因があれば結果は必ず起こるというものであったが、仏陀は原因と結<br />
果の間にある縁としての条件や環境が重要な因果律の要素であることを発見し<br />
た。『いくら原因があっても環境や条件が整わない限り結果は起こらない。』<br />
と従来のカルマ論を修正した。また従来の輪廻説では欲望が原因となって輪廻<br />
が起こると考えられていたが、たんなる欲望ではなく、もっと深いところにあ<br />
る人間としての根本的な生存欲にあることを発見した。この二点の新発見が従<br />
来の宗教哲学になかったものであり、仏陀の悟りの核心だと考えられている。<br />
<br />
仏陀は苦行は何の意味もないとして排除した。仏陀は 『人間として正しい生<br />
き方はどうあるべきか』 について考察したときに、ジャイナ教のように魂を<br />
強調してしまうと極端な非暴力、不殺生の考え方に陥り、人間としての現実生<br />
活に合わなくなると考えた。ジャイナ教では全ての生き物に魂があり、皆生き<br />
たいと思っているのだから、人間生活を脅かす害虫の命でさえ奪ってはならな<br />
いとした。ジャイナ教哲学では植物にも魂があるのだから、農業は出来ない。<br />
実ったコメや麦を刈り取ることも出来ないし、種籾は生きているのだから煮炊<br />
きすることは出来ないことになる。雑草を抜くことも樹木を伐採することも出<br />
来なくなる。輪廻の中の生き物は皆、魂を持っているという考え方だ。その考<br />
えは真実かもしれない。しかしそうだとすれば非暴力を徹底して、自分が生き<br />
るためには殺生を他にしてもらわなければならなくなる。そういう行為は卑怯<br />
だという批判になる。だから、仏陀は「あまり魂、魂と言うなよ」との立場を<br />
とったのだと思う。そして苦行を排して苦楽中道を提唱したのだと思う。<br />
<br />
仏陀が魂についてあまり語らなかったので、「ミリンダ王の問」(紀元前2世<br />
紀頃書かれた仏典、最初に無我説を説いた。)などの論調に見られるように、<br />
後の世の仏教徒は仏陀ともあろう人が魂を語らなかったのだから、きっと仏<br />
陀は魂はないと説いたのだろうと解釈して、仏教が無我説(魂は無い)になっ<br />
てしまった。<br />
<br />
仏陀は魂についてよく理解していたと思う。なぜなら、仏教の根本思想は因果<br />
律の教えであり、輪廻転生からの解脱がその中心思想であるからだ。仏陀の悟<br />
りは「縁起の法」として知られる。縁起の法とは原因と結果の法則であり、<br />
「カルマによって輪廻転生が起こっている。」との思想はジャイナ教やヴェー<br />
ダンタ哲学とほぼ共通のものである。<br />
<br />
仏陀が魂について無記(言及を避ける)の立場をとったので、本来、非我(体<br />
や心は私ではない)であったものが後の仏教徒に無我(魂は無い)と解釈され<br />
てしまった。そこで、行為の結果を受ける輪廻の主体があいまいになって、仏<br />
教が他からの論争攻撃の対象になってしまった。仏陀在世の時は仏陀は形而上<br />
学的な論争は無駄だとして論争を避けることが出来たが、仏陀亡き後はその攻<br />
撃に対して苦し紛れの理論武装をしなければならなくなった。そんな理由で、<br />
仏教理論が複雑化し解りにくくなり、今に続く混乱のもとになったと私は推察<br />
している。無我説では自業自得や因果応報の説明がつかないので、輪廻転生説<br />
がなりたたなくなるからだ。<br />
<br />
仏陀は現実主義者であり実用主義者だった。一方、マハーヴィーラ・ジナは極<br />
端な苦行を通してカルマを根絶し悟りを開いた厳格主義者であり理想主義者だ<br />
った。ジナは魂を重要視して決して他の命を奪ってはならないとした。ジャイ<br />
ナ教は非暴力・不殺生、無所有・無執着を徹底することを悟りに至る最重要課<br />
題にした。絶対非暴力だから、他の命を奪うことはない。他と争うこともない。<br />
自分の命が奪われようと他の命を害することはない。それがジャイナ教の理想<br />
主義である。ジャイナ教は宗教の名のもとに他の宗教と戦争したことのない唯<br />
一の平和宗教といってよい。仏教にも非暴力の考えがあるが現実主義をとるの<br />
で非徹底にならざるを得ない。ジャイナ教の無執着は無所有と同義語であり、<br />
魂の清らかさに重点をおいて、物質的なものや肉体的レベルのもの、快楽原理<br />
に従う世俗的なもの等の価値に執着するな、との教えのことである。人は家族<br />
や財産や地位や名誉や知識など、自分のものだと思うものに、どうしても執着<br />
しがちである。その執着を手放せ、つまり所有してはならないと戒律で厳しく<br />
制限した。ジャイナ教は執着しない所有しないことで輪廻の原因となる欲望か<br />
ら離れようとしたのである。<br />
<br />
仏陀の無執着は無執着にも執着するなとの教えであって、ジャイナ教の無執着<br />
とは少し意味が違う。仏陀は苦行を排して苦楽中道を立てた。中道とは世俗的<br />
な安楽な道と苦行的な厳格さの中間、つまりいい加減にしたのである。中道と<br />
は厳格な人から見ればハードルを下げた堕落に見える。<br />
<br />
仏陀は当時の出家者の厳格さを排して、屋根のある建物の中で起居するように<br />
なり、綺麗な衣を身にまとい、食事の接待を受けるようになった。従来の出家<br />
者の常識であった厳格な戒律などに執着するな、こだわるな、とらわれてはな<br />
らないと主張した。<br />
<br />
仏陀のこのような革新的で実用的、現実的な思想が当時台頭してきた新しい都<br />
市国家の裕福な商工業階級の人達に絶大な支持を受けて仏教教団が大きくなっ<br />
ていったと考えられる。<br />
<br />
ジャイナ教と仏教はシュラマナ系の父母を同じくする兄弟宗教である。基本的<br />
な哲学もほとんど同じと言ってよい。一つだけ違うところがあるとすれば永遠<br />
で不変で無限で偏在で純粋なる魂を認めるか認めないかである。仏教は現実主<br />
義、実用主義だから、非物質的なものは認めていない。仏教の世界観は基本的<br />
に物質世界のみのことである。物質世界では変化しないものは無いのだから非<br />
物質であると定義されている魂は無いことになる。<br />
<br />
ジャイナ教やヴェーダンタ哲学では非物質なものの特徴として、始まりもなけ<br />
れば終わりもない。永遠に存在し不変である。何時でも何処にでもあって偏在<br />
している。無限であって時間と空間に制約されない。時空を超えていて次元も<br />
超えている。そして穢れなき純粋なものであると定義している。それが真我、<br />
魂であるとしている。<br />
<br />
仏陀が沙羅双樹のもとで涅槃に入られるとき、弟子たちは「仏陀入滅の後、私<br />
たちはどのようにしたら良いのでしょうかと」と質問した。仏陀は答えて曰く<br />
「これからは法灯明、自灯明あるいは法帰依、自帰依でいきなさい。」と最後<br />
の教えを残された。「私は充分お前たちに教えてきた、もう教えることは何も<br />
ない、私の教え【真実】を頼りに、他に頼ることなく自分で道を歩んでいきな<br />
さい。」と言った。仏陀の法とは縁起の法のことである。つまり、「因果律の<br />
教えが真実なのだから、そのことを生活の全ての羅針盤にして、全て自己責任<br />
で生きていきなさい。」と教えたのである。それが仏教の核心的教えだと私は<br />
考えている。自分が神であり、全ての人が神である要素を持っている。仏陀は<br />
自己の内側に神聖をみて自業自得、全責任を自分に見なさいと教えているので<br />
ある。<br />
<br />
仏教のカルマ論(因果律の教え)とジャイナ教のカルマ論、ヴェーダンタ哲学<br />
のカルマ論はそれぞれ少し違うところがあるけれど、要約すれば、ーーー【こ<br />
の世の中に偶然は無く、原因と結果の法則に従って必然的に起こっている。<br />
そして、今自分が存在していることの全て、受け取っていることの全ては過去<br />
の自分が為した行為の結果によるものだ。だから自業自得であり全責任が自分<br />
にあるのだ。】ーーーとの基本哲学は同じものである。<br />
<br />
ヴェーダンタ哲学は創造神としての神を認めていた。マハヴィーラの時代の<br />
ジャイナ教、初期仏教では創造神というものはなく宇宙はカルマによって始め<br />
もない始めから、終わりのない終わりまでただ変化が継続しているのだと説い<br />
ていた。BC2世紀の後半ごろ仏教がヒンドゥー教の影響を受けて大乗仏教が起<br />
こった。同じころ、ジャイナ教でもジナ像が作られ神様の概念のようなものが<br />
登場した。救い、救われといった他力救済の概念が起こったのである。<br />
<br />
およそ2000年以上に亘って、仏教もジャイナ教もヒンドゥー教も互いに影<br />
響しながらその教義を発展させていった。原点に帰っていろいろ考えないと、<br />
宗教とは何か、なぜ瞑想が必要かなどのことは良く理解できないのである。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2017/11月第74号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-55115880164957133272019-01-08T14:33:00.000+09:002019-01-08T14:33:03.203+09:00コラム:アカルマへの道・モークシャとサンミャク・ダルシャン 2017年3月20日(月) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
今日はカルマから自由になる話をしたいと思います。ジャイナ教哲学では人間<br />
にとって最高の理想状態になることをモークシャと言います。私たちはモーク<br />
シャになることを目指すべきであり、そして、モークシャになる努力をすべき<br />
です。モークシャになることはマハーヴィーラだけでなく偉大な教祖の示す道<br />
でもあります。モークシャになることは印度哲学の最高の目標であり、仏教も<br />
ジャイナ教もヴェーダンタも同じです。それら、どの哲学も人間にとって最高の<br />
理想状態をモークシャといいます。モークシャになるには語るだけではだめで、<br />
モークシャになるための訓練、修行を始めなければなりません。我々一人ひとり<br />
がモークシャになることを最終目的とすべきです。<br />
<br />
モークシャになるには3つの道があります。ずっと昔の古代の聖者の中には4<br />
つの道を歩いた人もいます。しかし、一般的には3つの道を歩くことで実現され<br />
ます。モークシャを目指すなら、それに値する人にならなければなりません。<br />
解脱(モークシャ)するには、解脱するための資格が必要です。それには、まず<br />
真実、本当のことと、嘘、間違いを見分けることが出来る力が必要です。<br />
<br />
1.正見ー正しいものの見方が必要です。偏見や妄想でないものの見方が必要で<br />
す。知識によってものを見るのではなく、言葉を変えるなら開けた目で全てを<br />
観ることです。<br />
2.正しい知識ー正しく観て 、正しく受け取ること(正知)です。<br />
3.正しい行動ー正しく学び、正しい訓練、修行をする必要があります。<br />
<br />
正しく見、正しく知り、正しく行動するとはどういうことかというと<br />
<br />
正しく見るとは真実を信じられるということです。正しく見るとは物事を妄想を<br />
抱かないで見ることをいいます。この世の中を正しく観るとはそういうことで、<br />
この世の中を正しく観、そして我々自身を正しく観れば、我々は世の中を知るこ<br />
とができるし、全てのことを理解できます。そして、私たちは世の中を理解し、<br />
私たち自身を理解して、そのつながりを理解しようと努力することができます。<br />
そこには迷いや妄想は生じて来ません。誤解も生まれて来ません。それをサンミ<br />
ャク・ダルシャン(正しく観る)といいます。正しく観るとは真実を信じられる<br />
ということです。<br />
<br />
「サンミャク(Samyak)」 とは、正しいこと、真実、迷いがない悟りの状態<br />
を表す言葉です。<br />
「ダルシャン(Darshan)」とは、観ること、運命という意味もあります。<br />
<br />
サンミャク・ダルシャンとは揺るぎもない、迷いもない状態のことで、正しい<br />
見方、正しい生き方、正しい哲学のことをいいます。サンミャク・ダルシャン<br />
は本当のことと、嘘のことを見分ける見方(知力)のことです。<br />
<br />
何が正しくて何が正しくないかを見分けられるから、そこから全てが始まります。<br />
まず、正しいものの見方は、本当の意味での明確な人間の目的を示してくれます。<br />
そして、それは世界中の人間に共通していることです。それこそが人類が体験すべ<br />
きことで、その方向が自分の修行、訓練の方向で、力を得る方向です。<br />
<br />
世の中にはいろいろな悲惨なことや悪いことがありますが、その根底にあるもの<br />
は何が正しくて何が間違っているかが解からないところにあります。もしサンミャ<br />
ク・ダルシャンが自分の中に整ったと思ったら、次の6つのことについて自分自身<br />
に問いかけてみてください。<br />
1.魂は有る。<br />
2.魂は永遠。魂は死なない。輪廻転生する。<br />
魂は永遠でないという考え方や魂はないという考え方もあるが魂は永遠と信じ<br />
られないと自分を律することが出来ないし、好き勝手に生きても構わないとい<br />
う生き方になります。<br />
3.魂はカルマに従っていて、カルマに拘束されています。<br />
4.魂は為したことを受け取ります。<br />
私たちは原因と結果の法則の中に生きています。何を考え、何を為したかで結<br />
果が起ります。今このようにある自分は、全て自分自身に責任があります。善<br />
因善果、悪因悪果。<br />
5.魂はモークシャ(解脱)になれます。<br />
6.モークシャの道を歩きたいと思っているか。<br />
我々は全てのカルマを打ち砕き、解消してモークシャになることが出来ます。<br />
それがモークシャへの道です。<br />
<br />
以上6つのことを理解していれば正しいものの見方が出来ていると言えます。モー<br />
クシャに至るには基本としてサンミャク・ダルシャン、正しいものの見方を持って<br />
いることが必須で、6つのことを理解し信じていればその人をサンミャク・ダルシ<br />
ャーニといいます。サンミャク・ダルシャーニとなることがモークシャに至る基本<br />
で、建物でいえば基礎にあたります。<br />
<br />
次にモークシャに至るには正しいマスター(導師)、正しいグル(教師)、正しい<br />
宗教が必要です。<br />
正しい指導者と真実の宗教によって我々は真のサンミャク・ダルシャーニになれま<br />
す。<br />
<br />
では正しいマスター、正しいグルとはどのような人でしょうか?<br />
本当の智慧を授けてくれるマスターは完全に無執着です。好き嫌いが全然ない。<br />
人間だけでなく、全ての生き物に対しても好き嫌いが全然ありません。全てを<br />
平等に無差別に見ることが出来る人です。マスターは本当の智慧を授けてくれる<br />
人ですが、グルはそれを人々に教えてくれる人です。<br />
正しいグルとはどのような人でしょうか?<br />
本当のグルは無所有を実践している人で、結婚していないし、お金を触りません。<br />
貯金通帳も持っていないし、土地も家屋も財産もありません。自分のものを何も<br />
持っていない人です。世俗生活から完全に離れた出家です。そのようなマスターや<br />
グルを見つけることは大変難しいことであるがとても大切なことです。日本にい<br />
なければ地球は狭いので旅をしてグルを探すのも善いでしょう。ジャイナ教では<br />
出家と在家の支え合いシステムが出来ています。日本でもそのようなシステムを<br />
作ることは可能でしょう。<br />
<br />
間違ったマスターやグルを選んでしまったらどうなるでしょう。正しくないグル<br />
についてしまうと人生を無駄にしてしまいます。そしてモークシャに至る正し<br />
い道を歩くことが出来ません。だから、本当のマスターやグルを見つけるのに<br />
注意深く慎重でなければなりません。<br />
<br />
正しい宗教とは完全なる非暴力を実践するものです。どんなものにも生き物たち<br />
にも暴力を加えないものです。<br />
我々は生きていくために食、衣、住、仕事(活動するところ)の4つはどうしても<br />
必要ですが、その必要なものに対してアヒンサー(非暴力)、サイグルタ(忍耐)、<br />
サンヤム(節度、制限、慎み深さ)が必要だと思います。それが正しい宗教の基本<br />
です。<br />
<br />
正しいマスター、正しいグル、正しい宗教をもつことが本当の意味でのサンミャク・<br />
ダルシャーニであり、モークシャへの道の基本になります。修行しても努力しても<br />
サンミャク・ダルシャーニになっていなければ、得るものは少ないと思います。<br />
<br />
サンミャク・ダルシャーニになると、恐れ、怒り、執着、混乱から離れられます。<br />
多くの善くない習慣から離れられます。鬱や自殺から離れられます。サンミャク・<br />
ダルシャーニになることで、多くの病気から私たちは守られます。<br />
<br />
サンミャク・ダルシャーニになると、それがその人の行動に現れてきます。<br />
1.シャムが出来るようになります。シャムとはネガティブな気持ちをちゃんと<br />
コントロールできることをいいます。なので、ネガティブな感情はほとんど起こ<br />
って来ません。<br />
2.悟り(モークシャ)に対する強いあこがれを持っています。<br />
3.全ての執着から離れることが出来ていて、完全なる無執着が実行できます。<br />
4.慈悲の心が絶えることがありません。慈悲の心は全てのものに対してであり、<br />
その心が自然に備わっています。<br />
5.真実、真理を信じています。<br />
<br />
だから、サンミャク・ダルシャーニは困難、否定的なこともポジティブに肯定的<br />
に解決できます。どのような苦しい状態の時も気持ちは沈まないし、その困難を<br />
突き抜けていくことが出来ます。本当の意味で真実を追求していけば薬物中毒<br />
にはまるようなこともありません。サンミャク・ダルシャーニにならないとアカル<br />
マになることはできません。<br />
<br />
カルマから解放されることの障害になること、つまりサンミャク・ダルシャニー<br />
の障害物は何でしょうか。<br />
1.疑い。精神的なものに対して疑い深い人。人間の頭は常に疑いを作り出してい<br />
ます。<br />
2.間違ったことを期待してしまうこと。他力本願、資格がないのに救いを求めてし<br />
まうことです。<br />
3.自分の修行に対する結果に疑いを持ってしまうこと。例えば、この方法でモーク<br />
シャに至ることができるかと疑ってしまうことです。<br />
4.人々に間違ったことを教えてしまうこと。<br />
5.間違った信念を持ってしまうこと。<br />
これらのことがモークシャへの道の障害となるのです。<br />
<div>
<br /></div>
<br />
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<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2017/10月第74号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-5692931041035057412018-12-18T09:20:00.000+09:002018-12-18T09:20:53.619+09:00コラム:2017年3月19日(日) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演「ジャイナ教のカルマ論と輪廻転生」<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
ジャイナ教のカルマ論はヴェーダーンタ哲学や仏教とは少し違っている。ジャ<br />
イナ教でカルマのことを考える理論では5つの事柄を中心に考えている。その<br />
5つのこととは、1.魂 2.カルマ的な要素 3.バイブレーション <br />
4.物質的カルマの解放 5.魂が純粋になった状態<br />
<br />
カルマの理解の基本は魂(輪廻の主体となる魂つまりジーバ)について知るこ<br />
とが大切である。魂が無ければカルマは無い。宗教によっては魂はないと考え<br />
る宗教もある。ある宗教哲学では宇宙の5大要素が集まった時、魂が出来て、<br />
肉体が死ぬと5大要素はバラバラになって魂は消滅すると説くものもある。<br />
ジャイナ教の魂はそのように消滅する物ではなく、永遠のものである。永遠<br />
なる魂がベースになってそこにカルマが付いたときジーバと呼ばれる。宗教<br />
によっては魂は無いという考え方がある。仏陀は魂を語らず説明しなかった。<br />
ジャイナ教では魂は説明できるという立場をとっている。魂とカルマが結び<br />
ついたとき、その魂をジーバと呼ぶ。ジーバとは輪廻の中にある魂のことで<br />
ある。<br />
<br />
魂のことをアートマンともいう。魂(アートマン)は一つのことであるが、<br />
二つの性質側面がある。それはドラビア・アートマンとパーヴァ・アート<br />
マンである。<br />
ドラビア・アートマンは基本的な魂のことで、まったく純粋な魂のことで<br />
ある。<br />
パーヴァ・アートマンはカルマ体によって影響を受けた魂をそのように呼ん<br />
でいる。愛とか怒りとか感情や意識によって作り出された汚れのようなもの<br />
が魂に付着している。魂の中にいろいろ感情的なものの凝りとか、活動した<br />
ことの結果によるものとかが付着している、それらを含めてパーヴァ・アー<br />
トマンと呼ぶ。<br />
基本的な純粋な魂ドラビア・アートマンは永遠。輪廻の中にある汚れた魂パー<br />
ヴァ・アートマンも永遠なものである。パーヴァ・アートマンはそれぞれ違う<br />
体に宿りながら輪廻の中を動いている。<br />
<br />
カルマもアートマンと同じように二つに考えることができる。<br />
ドラビア・カルマは宇宙全体に広がっていて、ずっと私たちの魂にくっつい<br />
てくる素材のカルマである。宇宙のどこにでもある。ここにもある。あそこ<br />
にもある。しかし我々には見ることは出来ない。意識的なものではなく、生<br />
きているものではなく、物質のようなものだが我々には見ることができない、<br />
宇宙全体に満ちている原材料のようなものである。ドラビア・カルマの中に<br />
は色、匂い、味、触覚が含まれている。それは、肉体的なものに関係する。<br />
本当のカルマとは言えないがカルマの素材になっている、生き物ではない<br />
物質である。パーヴァ・カルマはカルマによって実った結果をいう。<br />
<br />
(注:物質は魂に付着して、その下降性ゆえに魂を身体のうちに押しとどめ<br />
、魂の本来の特徴である上昇性が発揮できないようにしている。 <br />
渡辺研二「ジャイナ教p171」)<br />
<br />
アートマンにカルマが結びつくとバイブレーションが生ずる。私たち人間、<br />
生き物はカルマとアートマンを持っているから、魂は四六時中いつも、寝<br />
ている時もバイブレーションを起こしている。<br />
バイブレーションが起こることで、色々なものを引き寄せている。しかし<br />
通常意識ではこのバイブレーションは感じることはできない。魂にカルマ<br />
が付くことで二つが一つになり波動が起こり、その波動によってさまざま<br />
なものを引き付ける力が生まれる。波動によって宇宙に漂っている、充満<br />
している小さな粒々、カルマのもととなるドラビア・カルマを引き付けて<br />
いる。ちょうど、磁石が砂鉄を引き付けるように。魂はドラビア・カルマ<br />
を全方向から、魂に一番近いところからより沢山、受け取っている。思考<br />
だけでも宇宙からカルマを引き寄せている。肉体はスカスカである。その<br />
スカスカの空間に物質を引き付けている。<br />
<br />
なぜ、魂が縛られてしまっているのか。それは、カルマがあるから。では<br />
カルマは何によって縛られてしまうのか。それは迷いによってである。<br />
なぜカルマを引き寄せてしまうのか。マーハーヴィーラはゴータマに話<br />
した。それには二つ理由があって、一つは無知と行為によっておこるのだ。<br />
もう一つは執着と精神的な誤解、妄想、混乱によっておこると説いた。<br />
また、プロマーダとカシャーイも身(行動)、口(言葉)、意(意識、<br />
マインド)によってカルマを引き寄せている。引き寄せられたものがま<br />
た、新しいカルマを引き寄せている。<br />
<br />
1.プロマーダ (Pramaad) 惑わすもの(迷い、妄想、誘惑)。永遠な<br />
る喜びでなく、一時的な快楽を本当のものと思ってしまうこと。魂(スピ<br />
リチュアル)なことでなく、肉体的な喜びの迷い。肉体は永遠でなく、魂<br />
は永遠。<br />
2.カシャーイ(Kasaay) もう一つの惑わすもの。4つの情欲のこと。<br />
すなわち、<br />
1、怒り・アンガー 2、慢心・エゴ 3、強欲、貪り・グリード<br />
4、偽り、虚偽、騙す・デシード<br />
<br />
カシャーイすなわち情欲がなくなれば、物質は付着する可能性が少なくなる。<br />
<br />
カルマによって我々の行動は違ったものとなる。いろいろな人の違い、個性<br />
別はカルマによって起こる。アートマン(魂)の性質は、生まれることも死<br />
ぬこともないというもの。永遠の智慧と永遠の理解と永遠の至福が備わって<br />
いる。魂は苦しみがない。魂は形がない。魂に高いとか低いとかはない。皆<br />
同じである。<br />
そして、魂の奥には永遠の力が備わっている。その力は私たちの魂が持って<br />
いる自然のものである。もとからあるものである。しかし、我々はそれをな<br />
かなか信じられないし、感じることは出来ない。なぜなら、我々の知識は極<br />
めて限られたものであるからだ。例えれば、それは大海の中の一滴の水でし<br />
かない。我々は極めて少ない知識しか持っていない。<br />
それぞれの知識は又、違っている。知識を沢山持っている人もいれば、持っ<br />
ていない人もいる。知識の理解度も人それぞれ違う。ある人はすぐ理解でき<br />
るし、ある人はなかなか理解できない。我々の苦しみも違う。沢山苦しむ人<br />
もいる。そうでない人もいる。我々の呼吸もみな違う。社会的に高い地位に<br />
ある人も、低い地位にある人もいる。我々は生まれたり死んだりする肉体を<br />
持っているので限られた時間しか持っていない。魂は永遠なのに、なぜ私た<br />
ちはこんなに限られた生き方をしているのか? この違いはどこに原因があ<br />
るのか? それがカルマというもので、カルマがそれを生じさせている。<br />
<br />
ジャイナ教の8のカルマ<br />
1.ギャーナ・ヴァラニーヤ・カルマ 知識障害や知識の容量に関係してい<br />
る。魂の持つ知の能力、理解力を覆い隠してしまう。<br />
2.ダルシャナ・ヴァラニーヤ・カルマ 信仰障害。魂に備わる見(信仰)<br />
の能力を覆い隠してしまう。<br />
3.ヴェーダニーヤ・カルマ 感受の障害。<br />
4.モーハニーヤ・カルマ 迷妄によって執着心を生じさせる。信仰と行為<br />
を惑わすカルマ。<br />
以上4つのカルマは善くないカルマで、善くない結果を生じさせる。<br />
以下の4つのカルマは善いことをすれば善くなり、悪いことをすれば悪くな<br />
る。<br />
5.アーユシュ・カルマ 寿命に関係している。<br />
6.ナーマ・カルマ 身体上の相違をもたらすカルマ。男女に生まれる違い。<br />
健康に恵まれる恵まれない。肉体的な不調和、美醜。尊敬される、されない。<br />
7.ゴートラ・カルマ 社会的なステータスに関係している。生まれる家柄<br />
の上下貴賤を決定する。<br />
8.アンターラヤ・カルマ 内部障害に関係している。目的に到達できるこ<br />
との困難度に関係している。ある人は目標達成が簡単であるが、ある人にと<br />
っては大変困難である。<br />
我々は悪いカルマに気づき、カルマに縛られないようにしなければならない。<br />
ジャイナ教では苦行者は苦行の実修によってカルマが結果を作る前に原因を<br />
除去できるとしている。<br />
<br />
カルマ体にカルマ(物質)が結びつくとカシャーイ(4つの情欲)が生まれ<br />
る。そのカシャーイがもとになってアドバシャーイ(感情)的動きを作って<br />
いる。<br />
<br />
魂はバイブレーション波動のようなものを起こしている。周波数が高い極め<br />
て微細なものである。カルマ体からアドバシャーイまではとても微細なもの<br />
である。バイブレーションはレーシャの領域に来ると、色がつけられている<br />
わけではないが、我々が色として知覚できるレヴェル(段階)となる。ここ<br />
からは色が力になっていく、色の力が我々に影響する。肉体的にホルモンが<br />
出る。ホルモンが脳の機能に影響し科学物質が生成される。頭に浮かんだこ<br />
とで行動する。そのプロセスが逆に内側に影響する。魂から外へのプロセス<br />
と逆の外から魂へのプロセスがある。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2017/9月第72号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-74815827419866572872018-12-11T10:44:00.000+09:002018-12-11T10:44:24.492+09:00コラム:火とは何か<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
火とは何かについてアヌプレクシャした。火について考察するとき私の脳裏に<br />
まっさきに思い浮かぶのは焚火である。今の若い世代や私の孫たちは焚火の経<br />
験が少ないか全くないといってよい。また、どのように薪を燃やすのか、その<br />
技術を知らない。私は若いころ、北関東から東北北部の白神山地まで未知なる<br />
渓谷を求めて沢登りに熱中した時期がある。道のない山を渓谷伝いに登るとき、<br />
渓畔での野宿の友は焚火であった。山での焚火は調理のための燃料であり、体<br />
を温めるための暖房であったが、それ以上に心の安心や暗闇を照らし、友との<br />
語らいを引きだしてくれる媒体であった。薪を刈るための山道具として私は秋<br />
田県角館の喜一鍛冶に特別注文の鉈を作らせたほど、渓流歩きと焚火の達人に<br />
なった。<br />
<br />
南アルプス北部の白岩岳に8月に登った時のこと、滝もない登りやすい門口沢<br />
を登り予定より早く白岩岳に登頂し、前小屋沢に下った。登行記録のなかった<br />
前小屋沢は、登りの時の門口沢とは全く違って険しい谷だった。下山途中で不<br />
運にも雨になった。我々3人は誰も雨を予期していなかったので雨具を持って<br />
いなかった。雨に打たれて全身びしょ濡れになった。雨に打たれているので下<br />
山を急いだが夕暮れ時、どうにもならない大きく高い滝に遭遇した。無理して<br />
滝を下降して滑落したら命にかかわる。3人で協議して滝の落ち口の安全な場<br />
所でビバーグすることにした。我々は日帰りでベースキャンプまで降りてくる<br />
予定だったので食料も持参していなかった。ひもじく、寒さに震えながらの長<br />
い一夜を過ごした。遭難一歩手前の夏の夜が明けた。幸い雨が止み流木を集め<br />
て焚火を盛大に起こし、濡れた衣服を乾かした。雨具や食料は持っていなかっ<br />
たが、マッチと鉈だけはサブザックに入れていた。地図を焚きつけにして、火<br />
を起こした。この時の焚火のありがたかったこと、一生の思い出である。<br />
<br />
火を扱えるようになって人類はほんとうの意味で人類になれたのではないかと<br />
私は思う。火は暗闇を照らす明かりであり、食物を食べやすくする煮炊きの燃<br />
料であり、寒さから暖をとったり、獣から身を守るありがたいものとなった。<br />
ホモサピエンスの登場以前、今から40~50万年以前、原人の時代から人類<br />
はすでに日常的に焚火としての火を使っていた。<br />
<br />
火を巧みに扱えるようになって初めて人類は文明を持つ余裕ができたと言える。<br />
石炭や石油などの化石燃料が広く使われるようになる以前、人類史の長い間、<br />
人間が火を作るための燃料は主に薪と炭であった。火は調理、照明、暖房、合<br />
図として使われてきた。焚火で調理する方法として土器や金属器がなかったと<br />
きには調理する物を串にさす、木の葉に包む、焼石を使う方法がとられた。火<br />
を使うことが出来るようになって、食べることが困難だった豆や穀物、芋など<br />
多くのものが食用可能となり農業が起こる礎となった。火を通すことで肉に付<br />
着している寄生虫や病原菌を熱消毒できる利便性も得られた。<br />
<br />
さらに火を扱うことに上達して土器が焼けるようになり、陶器や磁気まで焼け<br />
るようになった。火が使えることで銅と錫を混ぜて青銅器をつくれるようにも<br />
なった。文明とは火を上手に扱える技術のことだといえる。照明器具として菜<br />
種油や魚油を燃やす行燈やランプが作り出され、化石燃料を安価に大量に扱え<br />
るようになって、蒸気機関から自動車、航空機まで作れるようになった。さら<br />
に現代ではエネルギー源として原子力や燃料電池、風力発電や太陽光まで火の<br />
カテゴリーとして扱えるようになり、文明は加速度的に進歩発展している。<br />
<br />
火という言葉の定義づけは、「熱と光を出す現象のこと」といえる。科学的に<br />
は、「物質の燃焼に伴って発生する現象のこと」である。燃焼とは物質の急激<br />
な酸化である。火が燃えるとき熱や光とともに様々な化学物質が生成される。<br />
炎は煙が熱と光を持った状態になった気体の示す一形態である。それを科学的<br />
にいうと、気体がイオン化してプラズマを生じている状態という。<br />
<br />
火は大地の重力や引力、大気の対流や、湿度などとも関係している。ろうそく<br />
の炎は炎心と内炎と外炎によって構成されている。最も明るいのは内炎である。<br />
内炎では炭素(すす)が多く含まれていて不完全燃焼を起こしている。最も熱<br />
いのは外炎で酸素と最も多く接している。ろうそくの炎の先端では1000℃<br />
になっている。地球では火は地球独特の火の燃え方をしている。他の惑星では<br />
火は違った燃え方をするだろう。宇宙船内部など無重力状態では対流が起きな<br />
いので炎は球形になってしまうという。そして、完全燃焼するために青くなる<br />
らしい。丸く燃える炎はゆっくり動かさないと消えてしまうらしい、丸く燃え<br />
る炎の周りに発生した二酸化炭素が炎を包み込み酸素を遮断してしまうからで<br />
ある。<br />
<br />
火が燃え続けるには適正な温度と燃料と酸素の継続的な供給が必要となる。火<br />
を消すにはその条件を奪えばよい。調理には炎が小さくて長くゆっくり燃える<br />
小さな火が都合よい。燃えても炎が小さい炭はその点で使いやすく、灰をかけ<br />
るなどの方法で燃料を長持ちさせることもできる。<br />
<br />
火は人間に多大な恩恵を与えてくれる半面、時には大きな災いをもたらす。不<br />
注意から家屋が火災で焼け、時には燃え広がって大火となり多くの家屋を焼き<br />
尽くす。第二次世界大戦時、日本の主だった都会はB29による焼夷弾攻撃をう<br />
け焼け野原となった。広島や長崎に落とされた原爆も人為的な火の大災害であ<br />
る。火は善悪の両面がある。優しさと恐ろしさの両面を備えている不動明王の<br />
ようだ。不動明王は体から火炎を放射した御姿をしている。それは究極的な火<br />
の神像である。私の家の床の間には代々、慈覚大師が版木を彫って制作された<br />
下総御瀧山の不動明王像の掛け軸が掛けられている。光背の炎は人間の血液で<br />
彩色したものである。私はずっとこの掛け軸を見て育った。今でも毎日それを<br />
見ている。<br />
<br />
火は熱であり、光であり、エネルギーである。その根源、生まれたところは宇<br />
宙の誕生とおなじ所である。今から138億年前、空間もなく、光も電波も物<br />
質もなく、時間もない、点もないところにビックバンが起こった。天文学用語<br />
でいう特異点から急激な膨張する動きを伴って宇宙は生まれた。なぜ急激な膨<br />
張、天文学用語のインフレーションが起こったか?それは宇宙全体が急に加熱<br />
された結果、急激に膨張が起こったのである。その熱は真の真空から現在の真<br />
空に相転移することで想像を絶する高温が発生した。それが宇宙の誕生ビック<br />
バンである。全ての元素やエネルギーや物質や星々や生物や火や水や風や地球<br />
や我々一人ひとりの出発点がその特異点、ビックバンにある。<br />
<br />
光も熱も火も、地球も大地も樹木も我々自身も、宇宙空間の膨張と共に時間が<br />
始まり、時間の経過で継続する変化が起こり、その変化の中で最初の相転移の<br />
熱が形を変えて今、このように違った形で違った場所に存在しているのである。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2017/4月第70号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-756867384525307122018-12-04T10:43:00.000+09:002018-12-04T10:43:39.658+09:00コラム:自分が自分の主人公になる<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
全ての人間が望んでいることは幸福になることである。幸福とは何だろうか?<br />
<br />
幸福とは無限の愛に満たされることである。沢山の人を愛し、沢山の人から愛<br />
されることである。そして、全てのものと一体になり、宇宙と合一することで<br />
あると言える。幸福とはまた、自由自在を獲得することであり、全知全能を得<br />
ることだと言える。自由自在で全知全能、そして無限の愛に満たされた状態に、<br />
肉体をもって生きながら達成した聖者をジャイナ教ではアラハンという。アラ<br />
ハンになることが我々人間に生まれた目的・目標なので、アラハンというマン<br />
トラを唱えるのである。アラハンとは人間としての最高の状態であり、それを<br />
達成した聖者は死んだ後、魂だけになってモークシャの世界に入り、二度と生<br />
き物に生まれることはない。<br />
<br />
モークシャの世界に入り輪廻の環から外れた純粋なる魂をシッダという。アラ<br />
ハンのマントラを繰り返して唱えていくと、言葉の意味とかくありたいとの意<br />
識が結び付いて潜在意識化する。潜在意識化した願いや思いはある種の周波数<br />
をその人の周囲に放射するように働き始める。するとその周波数に応じて宇宙<br />
空間にある目に見えない、音に聞こえないレベルのエネルギーが引き寄せられ<br />
て、目に見えるものが形づくられ現れてくるのである。<br />
<br />
私たちの潜在意識と強い思いは常に結果を出そうと周囲に周波数を出し続けて<br />
いる。問題はどのような周波数を自分が放出しているかである。周波数に呼応<br />
して条件が整えば、善いことも悪いことも、どんなことでも結果として起こり<br />
うる。人間が自由に生きようとして自由に生きられない、誰かにコントロール<br />
されているかのように感じるのは、潜在意識の働きを知らないからである。私<br />
たちの背後で私たちを操っているものは偶然なる運命でもなければ、気まぐれ<br />
な神の仕業でもない。私たちを操っているものはカルマと呼ばれる潜在意識で<br />
ある。これをコントロールしない限り、自分で自分の医者になることもできな<br />
ければ、自分が自分の主人公になることもできない。<br />
<br />
ヨガの修行と訓練と方法は自己をいかにコントロールするかである。瞑想法が<br />
ヨガに含まれているのはカルマのコントロールが最も大事だからである。<br />
<br />
私たちの潜在意識下には善いものと悪いものを結果として引起こす、原因とし<br />
てのカルマがごちゃごちゃと蓄積されている。原因は条件・環境が整うと結果<br />
として現れてくる。自己の人生に善いことも悪いことも起こってくるのは、善<br />
い原因と悪い原因が潜在意識下にあるからである。悪いことが自分に起きたと<br />
き、悪いことだけが起きたのではない。善いことも同時に起きたのである。善<br />
悪一如。つまり、悪いことが起こったということは、過去の行為の原因として<br />
の悪いカルマが消滅したのである。結果が起こった時、過去の悪い原因は消滅<br />
した、つまり過去が善くなったのである。原因が起こって消滅したので二度と<br />
全く同様な結果は起こらない。同じように善いことが起こった時、善いことだ<br />
けが起こったのではない、悪いことが同時に起こったのである。善いことが起<br />
こったときは善い原因が消滅している。二度と全く同じ善いことはもう起こら<br />
ない。貯金を使って減らしているようなものだ。幸せになりたかったら、未来<br />
に貯金することである。今という一瞬に、悪いことを為さず善いことだけをす<br />
る。いつもそのように意識し行動すれば、やがて悪い原因は出てい行って無く<br />
なるか、変質するから潜在意識は善い原因だけになってしまう。善い原因だけ<br />
になれば、善いことしか起こらなくなる。それが、最高の幸せと喜びの心の状<br />
態、プラサード状態である。<br />
<br />
善いこととは何か、それが般若心経などで言われている波羅蜜である。仏教で<br />
は六波羅蜜という。波羅蜜とは本当の幸福に至る方法のことであり、六通りの<br />
方法がある。どれか一つでも徹底して行えば、悟りにいたるという方法である。<br />
私は六通り全部することが、自分が自分の主人公になる道だと思っている。六<br />
波羅蜜とは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若(智慧)の六種をいう。布施<br />
波羅蜜とは他に親切にすることである。自分が持っていて他が持っていないも<br />
の(体力、能力、知識技、技術、お金)を他に分かち与えることである。あら<br />
ゆる社会奉仕救済行は布施である。持戒とは言行一致で行動し約束は必ず守る<br />
ことである。忍辱とは忍耐のことで怒りの心を堪え忍ぶことである。精進とは<br />
努力することそして努力を継続することである。一枚一枚日々の紙の積み重ね<br />
が年月を重ねると分厚い積層になるように努力することといえる。禅定は瞑想<br />
することを意味するのでなく、反省を意味する。後悔や悩みは感情であって反<br />
省ではない。反省は原因と結果を分析することである。般若波羅蜜は優れた人<br />
格を形成しようと努めることである。それには、因縁果の法則を知り、正しく<br />
行動することである。また、今現在に最善を尽くすことでもある。般若の意味<br />
は智慧ということであり、正しい生き方をするということでもある。<br />
<br />
私たちの人生はカルマの鎖に縛られている。完全なる自由・モークシャへの道<br />
のりは果てしなく長い。モークシャに入ることが難しくとも、私たちは幸福に<br />
なることはできる。自分のカルマに気づき、カルマをコントロールすることが<br />
その第一歩である。ジャイナ教も仏教も同じ教えであり『諸悪莫作、諸善奉行』<br />
という。全ての悪いことを為さず、善いことだけをするということだ。それが<br />
カルマを無くす道であり、心と魂を清らかにする方法であり、自分が自分の主<br />
人公になる方法である。<br />
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2017/2月第69号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-41181271023338258812018-11-26T17:14:00.002+09:002018-11-26T17:14:57.387+09:00ご案内「インドツアー報告会&忘年会」<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<br />
<div class="MsoNormal">
皆さま</div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
今年も早いもので、師走も目の前に迫ってまいりました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
プレクシャ・インドツアーは大変充実した旅だったようです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
今年最後の西池袋のプレクシャクラスでは、坂本先生の瞑想クラス、合宿、<span style="color: red;">インドツアー</span>でご縁のあった方々と合同で忘年会をおこないます。</div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
瞑想クラスとインドツアー報告会&忘年会の<span lang="EN-US">2</span>部制とし、いつもより早めに瞑想クラスを行いますが、報告会と忘年会だけのご参加も<span lang="EN-US">OK</span>ですので、お時間にご都合のつくほうをお選びください。</div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
なお、<span lang="EN-US">2</span>部の会場はそのまま瞑想会場の<span lang="EN-US">Hiraya</span>・平舎で行います。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
日程:<span lang="EN-US">12</span>月<span lang="EN-US">20</span>日(木)<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
時間:<span lang="EN-US">18:00</span>~<span lang="EN-US">19:00</span> 瞑想 特別講座 参加費<span lang="EN-US">1000</span>円<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 3.0; text-indent: 31.5pt;">
<span lang="EN-US">19:00</span>~<span lang="EN-US">21:00</span> インドツアー報告会&忘年会<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
(インド・ベジお弁当 <span lang="EN-US">1000</span>円~<span lang="EN-US">1500</span>円程度、飲み物は各自持ち寄り<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
でご持参ください。ソフトドリンク<span lang="EN-US">or</span>アルコールなんでも<span lang="EN-US">OK</span>)<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US">1</span>年を振り返りつつ、インドツアーのお話を伺ったり、<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
親交を深めましょう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
ご参加をご希望の方は、担当:<span lang="EN-US"><span lang="EN-US"><span lang="EN-US">伊東真知子(machiko@kej.biglobe.ne.j)</span></span></span>へ<span lang="EN-US">12</span>月<span lang="EN-US">15</span>日(土)までにご連絡をください。</div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
皆様のご参加をお待ちしております。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
以下、インドツアーの写真の一部になります。当日は写真と動画で現地の様子をご報告させていただきます。</div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-030EzIdavc8/W_urCo7MvaI/AAAAAAAAAFc/X31kTPRwQncEIXfeb4kLRW7p7J7MNqaagCLcBGAs/s1600/45357137_1386007531531140_1874154038111502336_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="960" data-original-width="720" height="320" src="https://4.bp.blogspot.com/-030EzIdavc8/W_urCo7MvaI/AAAAAAAAAFc/X31kTPRwQncEIXfeb4kLRW7p7J7MNqaagCLcBGAs/s320/45357137_1386007531531140_1874154038111502336_n.jpg" width="240" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-UkWx9SuA_7k/W_urCn7iC2I/AAAAAAAAAFk/2sdorYnHOywG_p7NtyrKXlpkrKahn_0CACLcBGAs/s1600/45645852_1388832044582022_3511160310218096640_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="720" data-original-width="960" height="240" src="https://4.bp.blogspot.com/-UkWx9SuA_7k/W_urCn7iC2I/AAAAAAAAAFk/2sdorYnHOywG_p7NtyrKXlpkrKahn_0CACLcBGAs/s320/45645852_1388832044582022_3511160310218096640_n.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-5wfLybUYXtA/W_urCrAgeTI/AAAAAAAAAFg/fETO0o7DsV8J00-HMLjJ2XYoKy-xg4A3gCLcBGAs/s1600/45733043_1388565494608677_5846790227594575872_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="960" data-original-width="720" height="320" src="https://1.bp.blogspot.com/-5wfLybUYXtA/W_urCrAgeTI/AAAAAAAAAFg/fETO0o7DsV8J00-HMLjJ2XYoKy-xg4A3gCLcBGAs/s320/45733043_1388565494608677_5846790227594575872_n.jpg" width="240" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-zUEcsAMpyCo/W_urDWB1YCI/AAAAAAAAAFo/jBDWA9mdK4oVwZm_8RKNkWYgsVve3fy8QCLcBGAs/s1600/45891271_1388831857915374_6435547746144354304_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="960" data-original-width="720" height="320" src="https://4.bp.blogspot.com/-zUEcsAMpyCo/W_urDWB1YCI/AAAAAAAAAFo/jBDWA9mdK4oVwZm_8RKNkWYgsVve3fy8QCLcBGAs/s320/45891271_1388831857915374_6435547746144354304_n.jpg" width="240" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-dpJwB2eZELA/W_urDmM-vDI/AAAAAAAAAFs/lkwXI_GjZB0aDByrGYCSNOTSzgwmwepSgCLcBGAs/s1600/46089481_1392022720929621_1980033176755503104_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="720" data-original-width="960" height="240" src="https://3.bp.blogspot.com/-dpJwB2eZELA/W_urDmM-vDI/AAAAAAAAAFs/lkwXI_GjZB0aDByrGYCSNOTSzgwmwepSgCLcBGAs/s320/46089481_1392022720929621_1980033176755503104_n.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-5OWhm3NRfGQ/W_urDxTrwgI/AAAAAAAAAFw/mCbYOjKLHeUIpwktemaQyjf6pZeeP1fUACLcBGAs/s1600/46362846_10156748930238749_217287351896899584_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="720" data-original-width="960" height="240" src="https://2.bp.blogspot.com/-5OWhm3NRfGQ/W_urDxTrwgI/AAAAAAAAAFw/mCbYOjKLHeUIpwktemaQyjf6pZeeP1fUACLcBGAs/s320/46362846_10156748930238749_217287351896899584_n.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-b3a9n_c_bhY/W_urEIhwiwI/AAAAAAAAAF0/80sxlLBx7ikFoK4s8p60N6utaBVtFE_LgCLcBGAs/s1600/46381373_2027419480674698_4374606061366149120_o.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="792" data-original-width="1107" height="228" src="https://2.bp.blogspot.com/-b3a9n_c_bhY/W_urEIhwiwI/AAAAAAAAAF0/80sxlLBx7ikFoK4s8p60N6utaBVtFE_LgCLcBGAs/s320/46381373_2027419480674698_4374606061366149120_o.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-tS0cQ0xENBc/W_urEKDhGTI/AAAAAAAAAF4/uu2spJ23pswYwy2wAVF1BSYbcOL_9AXngCLcBGAs/s1600/46384989_2027425090674137_7004329187116843008_o.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1200" data-original-width="1600" height="240" src="https://3.bp.blogspot.com/-tS0cQ0xENBc/W_urEKDhGTI/AAAAAAAAAF4/uu2spJ23pswYwy2wAVF1BSYbcOL_9AXngCLcBGAs/s320/46384989_2027425090674137_7004329187116843008_o.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
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<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<br /></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-74471126182350463312018-11-20T09:54:00.000+09:002018-11-20T09:54:49.375+09:00コラム:虫たちのこと<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
プレクシャ・メディテーションの終わりに、「自分の内側に真実を探しましょう。<br />
そして全ての生きもの達と仲良くしましょう。」と毎回唱えている。全ての生き<br />
ものには当然害虫も含まれる。果たして私は害虫と仲良く出来るのか考えてみた。<br />
<br />
家内も子供たちもあまり虫が好きでない。嫌いなので見ることも触ることも嫌が<br />
る。私の家族は、子供が好きなカブトムシやトンボもあまり好きではないらしい。<br />
私は子供のころから虫に親しんでいるのでどんな虫でも特に嫌いではない。ヤン<br />
マやカブトムシ、玉虫、カミキリムシ、トノサマバッタなどは子供のころ良く捕<br />
まえて遊んだので好きな虫である。子供のころ稲田でイナゴの大群をみた思い出<br />
がある。沢山捕まえたイナゴをどうしたか覚えていないが佃煮にして食べたのか<br />
もしれない。<br />
<br />
小学生のころ夏の終わりに、ある日突然、家の周りに無数の赤とんぼが飛び回っ<br />
ていた。母親に針に糸を通してもらって虫網で捕まえた赤とんぼを針糸に刺して、<br />
赤とんぼのレイを作ったことがある。なんて残酷なと今の若者は思うだろう。私<br />
が子供だった頃はおもちゃがない時代だったから、遊びも自分で工夫しなければ<br />
ならなかった、虫たちは良い遊び相手だったのである。虫にしてみれば人間の子<br />
供は天敵だっただろう。<br />
<br />
昆虫と虫は厳密には違う。昆虫の定義は動物界に属し節足動物門、昆虫網に分類<br />
される。節足動物門とは外骨格、つまり鎧のような固い外皮でその中に筋肉が詰<br />
まっているものをいう。エビやカニやダンゴ虫のようなものを思い浮かべればよ<br />
い。それに対し、脊椎動物は部分部分の中心に骨が通っていて、その周りに筋肉<br />
がついているので、体のつくりが全く違う。昆虫は大まかに頭部と胸部と腹部で<br />
体が出来ている。頭部は食べ物をとるための機能が集まっている。そこには目(<br />
複眼と単眼)があり、触覚があり、咀嚼のための口や吸引器が付いている。胸部<br />
は三節になっていて、そこに1対ずつ計6本の脚がある。腹部は10節に分かれて<br />
いて、消化器や生殖、産卵、排泄の機能が詰まっている。昆虫の胸部には2対の<br />
翅があって99パーセントの昆虫は飛ぶことができる。飛べない昆虫は少数派であ<br />
る。また、昆虫の80パーセント以上が変態する。変態とは幼虫から繭の時期を<br />
経て全く異なる成虫となる。完全変態(卵・幼虫・繭・成虫)繭(蛹)にならず<br />
に成虫になるものを不完全変態という。蝉やトンボ、カメムシなどは不完全変態<br />
である。蜘蛛は脚が8本で頭部と胸部が一体化しているので昆虫ではない。ムカ<br />
デは各節に1対ずつ数十の足があるので昆虫ではない。その他にダンゴ虫、ヤス<br />
デ、ダニ、サソリが昆虫でない虫である。<br />
<br />
私も昆虫に含まれない虫はあまり好きではない。昆虫も2、3匹と少なければ不<br />
快ではないけど大群になるととても不快感が起こる。季節感がはっきりしていて、<br />
自然環境が豊かな只見は当然昆虫が多い。只見で毎年、大量発生して暮らしに影<br />
響を与えているものにメジロアブとカメムシがいる。カメムシは卵から幼虫にな<br />
り蛹や繭にならずにそのまま成虫になる。カメムシは夏に成虫になり、秋の晴れ<br />
た日に越冬のために大挙して人家に入ってくる。壁や網戸の隙間から侵入して、<br />
さらに押入れの中、布団や毛布などの隙間に潜り込む。本を取り出そうとすると<br />
本棚の奥に数十匹のカメムシが身を寄せ合って潜んでいることもある。そのまま<br />
にしておいても害を及ぼすことはないのだけれど、触ると臭いので、許せなくて<br />
つい外へ掃きだしてしまう。カメムシは10月中旬ごろ人家に入り、越冬して5月<br />
の中旬温かく晴れた日に戸外に飛び出していく生態をもっている。体力を使い切<br />
って越冬できなかったものはカラカラに乾燥してミイラになって、ちょっと触れ<br />
るだけで粉々になる。カメムシは危険を感じるととても臭い体液を放出する。カ<br />
メムシの体液がちょっとでもかかると食べ物はまずくなってとても食べられたも<br />
のではない。メジロアブは8月の中旬に水のきれいな渓流に大量に出現して、人<br />
間をこまらせる。里にも出てきて噛みつかれるととても痛い。昆虫にたいして完<br />
全なる非暴力を実践するなら、やはり、人間生活に多大な影響を及ぼす昆虫の生<br />
息域に居住しないことである。また、害虫被害で困る農業にも従事しないことが<br />
良いこととなる。魂の輪廻転生を信じるジャイナ教徒は何が何でも絶対に非暴力<br />
を貫くことを義務づけられている。非暴力は不合理でも絶対的なものであり妥協<br />
は全く許されず完全に履行されなければならないのである。昆虫を殺すことなど<br />
もってのほか、いじめることすらしない。鳥インフルエンザに罹った鳥を全て殺<br />
処分することなどジャイナ教徒には考えられないことなのだ。<br />
<br />
昆虫は子孫を残すことだけが生きる目的である。そのために生まれて死ぬ。人間<br />
のように脳が発達していないので、考えることなく、刺激と反応系が直接つなが<br />
って行動している。体が小さいので重力の影響が少ないから、ハエなど敏捷なも<br />
のや蚤などは跳躍能力に優れている。昆虫は生きている機械と言ってもよい存在<br />
に思える。これから人間はさまざまな用途で昆虫型ロボットを作るに違いない。<br />
<br />
カメムシを愛することが出来るようにと、いろいろ観察しているうちに、ふとあ<br />
ることに気づいた。カメムシを上からよく見ると6角形の形に見える。そして昆<br />
虫の脚が6脚だということが、バクテリア・ファージと呼ばれる細菌ウイルスの<br />
姿に共通性があるのではないかと思った。<br />
<br />
ウイルスは鉱物特有の結晶の側面があり、細胞がないので生物とはいいがたいが、<br />
自己増殖するので一応生物としてみなされている。ウイルスの一種、バクテリア・<br />
ファージは細菌に感染し菌体を溶かして増殖する。バクテリア・ファージは機械<br />
的な6角形構造をしていて6脚の足がある。カメムシに良く似ている。カメムシ<br />
は植物の栄養素をストローのような口で吸引しているが、バクテリア・ファージ<br />
は脚のような尾部からRNAを細胞に注入する。侵入したRNA(リボ核酸)は細胞<br />
内で自分のコピーをどんどん作り出す。作り出されたウイルスの構造物は外に飛<br />
び出し、また別の細胞に侵入する。細菌ウイルスの6角形構造物は昆虫の外骨格<br />
に極めて構造が似ているようにおもう。<br />
<br />
ウイルスも昆虫も生きる目的は自分の遺伝子を存続させることだけである。ホモ<br />
サピエンス・人類の歴史は16万年前からであるといわれる。人類は地上に?栄<br />
し大都会を築き、今では地球は人類の惑星といった位置を占めているけれど、<br />
地球が人類の惑星となったのはたかだか近、数百年に過ぎない。昆虫の出現は<br />
4億年以上前のことである。植物が地上に進出した初期段階で昆虫が登場した<br />
のだと思う。その時、宇宙空間から生命と鉱物の中間であるウイルスが胞子の<br />
ように地上に降り注ぎ昆虫誕生に影響を及ぼしたのではないかと私は考えてい<br />
る。鳥や翼竜よりもずっと以前、昆虫が地上の生き物として最初に空を飛行し<br />
たのである。その飛行能力によって、広く生育域を拡大し、環境に適応して生<br />
き残るために様々に工夫、進化した結果、今では1000万種以上に分化して<br />
いる。たった一つの種である人類が滅亡しても地球はさまざまな昆虫の惑星で<br />
あり続けるだろう。<br />
<br />
日本のカメムシだけで55科に分類され1000種以上に上る。我々の遺伝子<br />
をさかのぼれば昆虫からさらに先まで、魂の輪廻転生を遡れば昆虫として過ご<br />
した時もあったのかもしれない。昆虫の生態を観察すれば、昆虫もかくありた<br />
いと意志をもって生きていることは間違いない。カメムシの身になっていろい<br />
ろ考えれば、仲間のような親しい感情が起こってくるのである。<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2017/1月第68号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-77606404977173206702018-11-13T09:49:00.000+09:002018-11-13T09:49:55.215+09:00コラム:皮膚と触覚と意識について<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<span style="background-color: white; font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px;">人間は他から侵害されたくない境界を持っている。集団としての国は国境を設け、</span><br />
<div style="background-color: white; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">小集団では砦や城に堀をめぐらし、町村境を設けて自らの権益を守ってきた。家</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">族として家を構え塀や外壁で外と内を区別している。生物の個体である自己と世</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">界の境界は樹皮や皮膚である。皮膚の内側が自己で外側が他物すなわち世界であ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。人間は触覚、味覚、視覚、聴覚、嗅覚の五感によって外側の世界を探ってい</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。味覚、視覚、聴覚、嗅覚は特別につくられた特殊感覚器官と呼ぶべきもので、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">舌、目、耳、鼻がその役割を担っている。触覚は皮膚表面だけでなく内臓諸器官</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">にもそのセンサー機能がある基本的な感覚神経である。舌、目、耳、鼻の感覚受</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">容器にも触覚が備わっていることに注目したい。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">植物は舌、目、耳、鼻を持っていないが、触られたことがわかる触覚を持ってい</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。根や樹皮、葉に存在する特殊な感知器で光や温度、水の存在を感じることが</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">できる。植物は一感しか持っていないが、その一感が触覚であることは注目すべ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">きところである。地球上に生息する全ての生き物(植物を含めて)には触覚が備</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">わっている。触覚が受け取っている感覚こそ自己が外界を知り、自己を守り、生</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">存し、子孫を残すための根源的な感覚なのだ。生まれて間もないころの人間の子</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">供を観察してみると、主に触覚で環境や世界を把握しようとしていることがわか</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">人間でいえば、自己と世界の境界は皮膚である。皮膚の表面には外界(自己以外</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">のもの)を探るセンサー機能が備えられている。皮膚は触覚の感覚器の役割を担っ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ている。皮膚が感じることが出来る刺激は、触られている(触覚)、押される(</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">圧覚)、痛み(痛覚)、かゆみ(痒覚)、温かさ(温覚)、冷たさ(冷覚)の6</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">種の刺激である。それぞれを圧点、痛点、温点、冷点が対応している。皮膚表面</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の触覚は重さ軽さ、温かさ冷たさ、固さ柔らかさ、ザラザラ・つるつるなどであ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">り、これらの感覚は好き嫌いの感情を招来し、心に影響を与えている。例えば、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">初対面の人を堅い椅子に座らせると相手は座らせた人を固い奴だとおもう。自動</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">車の販売デーラーは顧客を固い椅子に座らせると値引きされないで済む。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">PRESSURE(圧)、TOUCH(触)、VIBRATION(振動)、TICKLE(くすぐったさ)な</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">どの感覚を生理学用語で機械的感覚という。機械的感覚の受容器は指先と口唇に</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">多数分布していて、上腕、大腿上部、背部には少ない。肌があう肌が合わないな</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">どというように、触覚は人間にとって究極のコミュニケーションの手段でもあり、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">触ってみなければ解らないというように、美術品や骨董品など見た目の印象と実</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">際触れて感じたものでは違うことが多い。インターネットで画像だけ見て商品を</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">購入して失敗するのも実際手に取って触らなかったからだ。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">人間の皮膚の総面積は約1.6平方メートルでおおよそ畳一畳分に相当する。皮膚の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">表面には1平方センチメートルあたり触点が25個、痛点が100~200個、温点</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">が0~3個、冷点が6~23個分布している。全皮膚表面には200~300万の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">痛点があり、侵略刺激を受けて反応する。皮膚や粘膜に分布する3万点の温点が温</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">度に反応している。触点や痛点などの下には各種の感覚受容器があって、それら</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">受容器はそれぞれ固有の刺激に反応するようになっている。受容器が受けた反応・</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">興奮は1次知覚神経によって伝達され脊髄を上行して視床で中継され頭頂葉の体性</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">感覚野に到達する。体性感覚野には体の各部についての情報を取り扱うもののほか</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">に触れる対象の特徴を取り出せるようなニューロンがある。それらは、硬いものに</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">触れたときのみ反応したり、ザラザラしたものに触れたときのみ反応するもの、角</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">のあるものに触れたときのみ反応するものがある。体性感覚野でこれらの情報が統</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">合されて能動的に獲得する感覚をもっている。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">意識とは考えることであり感じることも含んでいる。心を意識と言い換えてもよ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">い。知覚とは考えることではなく感じることである。感覚と知覚の違いは感覚が</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">観られる対象であり、知覚は観る主体者の意識的な心である。熱いものに触れた</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">とき皮膚の温度受容体が作動し、電気信号として神経を通じて脊髄に到達する。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">その時パッと手を離す行為が脊髄反射として起こる。これが感覚である。このと</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">き脳によって知覚されたわけではない。知覚とは情報が大脳皮質の皮膚の感覚に</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">対応する場所にとどいて「熱いと」感じることをいう。知覚には脳による意識が</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">必要である。脳のない生物は植物であれ、ゾウリムシやクラゲ、ウニなどは感覚</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">機能は持っているが知覚機能をもっていない。熟睡しているときに、誰かに触ら</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">れても感覚機能は作動しているが知覚されているわけではない。知覚には脳によ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る意識の働きが必要である。睡眠は脳の働きの休眠状態なので、知覚することが</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">できなくなる。より良い瞑想は意識がはっきりしていなければならない。脳が感</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">じようとして鋭敏に働いていなければならない。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">人間には特殊感覚器官である舌、目、耳、鼻の他に触覚として身体の内側と外側</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">からの刺激信号をとらえて、中枢神経系に伝える働きをもった受容器(感覚器)</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">が皮膚の表面だけでなく、身体の全ての組織に存在している。これらの感覚系を</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">生理学で体性・内臓感覚という。体性感覚は皮膚の表面で感じる感覚の他、皮下</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の筋肉や腱、関節などの受容器が内部感覚(深部感覚)としても感じている。そ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">れから胃、腸、肝臓、肺、心臓などの内臓は内臓感覚をもっている。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">人間が生きているとは、「生体を成長させ維持し動かすために外部からエネルギ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ーを取り込み、呼吸が継続し血液が流れ、神経系を電磁気的な信号が途切れなく</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">伝わっていき、その流れによってさまざまな身体組織と臓器に感覚が起こってい</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">て、生起している感覚の粗雑なものから精妙なものまで、意識的なレヴェルから</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">無意識レヴェルまで」、中枢神経系がさまざまな身体感覚を感じとって、それに</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">対応して命を守るために、身体が健全に動くように、適切な指令を身体各部に発</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">信していることをいう。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">粗雑な感覚から精妙な感覚まで、我々は瞬間瞬間に生起する全触覚情報の数千万</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">分の一しか知覚できていない。知覚できない情報は全て無意識情報になっている。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">その無意識情報が潜在意識化して我々の思考や行動に莫大な影響を及ぼしている</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">のである。プレクシャ・メディテーションは知覚することが難しいレヴェルの精</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">妙な感覚を、訓練によって知覚できるようになることを目指している。その達成</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">によって我々は深いレヴェルの自己認識に到達する。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">皮膚の表面は自己と世界の境界になっているので、自己防衛のための兵士がたく</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">さん存在する場所である。その兵士が触覚器である。皮膚はアンテナのようにセ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ンサーとして働き、とても鋭敏である。そのような鋭敏な皮膚表面に感じようと</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">する心を向けるとき、高い集中力によって見逃していた精妙な感覚を知覚するこ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">とができる。最も高度なダラーナ(集中のテクニック)は身体内部の精妙な感覚</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の知覚である。これをヴィパッサナーといい、プレクシャという。好き嫌い、良</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">い悪いの判断を手放してありのままに感じ観察することを意味する。</span><br />
<span style="font-family: inherit; font-size: 13.2px; line-height: 18px;"><br /></span>
<br />
<div style="line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<span style="font-family: inherit; font-size: 13.2px; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2016/12月第67号からの転載です)</span></div>
</div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-78550605075174845512018-11-06T10:42:00.000+09:002018-11-06T10:42:31.532+09:00コラム:カルマヨギ・二宮金次郎<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="background-color: white; line-height: 18.48px;">
<div>
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><br /></span></div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">自己探求に偏りしすぎると宗教は理想主義の傾向が強くなり、社会救済を重視</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">すると宗教は現実主義、実用主義化する。宗教の理想は理想主義と現実主義が</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">フィフティ、フィフティに調和されたものが私は望ましい宗教だと考えている。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">自己探求とは皮膚の内側に深く潜っていって真実の自己を見つけることである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">それがメディテーション(瞑想)である。瞑想によって「自分だと思っていた</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ことが自分ではないとわかる」。真実の自己は神であるとの悟りを得ることが</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">できる。社会救済は愛、慈悲、菩薩行の実践である。社会救済は皮膚の外側に</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">自己を拡大していく行為であるということができる。社会救済、菩薩行、奉仕</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">行によって「自分ではないと思っていたことが全て自分だとわかる」。菩薩行</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の実践によって、全てのものとの融合、宇宙との合一、神との合一が達成され</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。 沖正弘先生はそのことを真智聖愛と言った。真智が自己探求、聖愛が菩</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">薩行、二つ合わせたものが沖ヨガ行法でそれを冥想行法と呼んだ。自己探求だ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">けの意味の瞑想でなく、沖ヨガは社会救済を含む意味の冥想行法と表現して両</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">者を区別したのである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">2600年前のインドは多くの出家僧が瞑想と苦行に取り組んでいた。当時の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">シュラマナ系宗教は自己探求とカルマの解消、輪廻からの離脱にばかり目が向</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">いて理想主義、厳格主義に傾いていた。そのシュラマナ系宗教に対し、実用主</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">義、現実主義をとってシュラマナ系宗教を改革したのが仏陀だと私は考えてい</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。仏陀が現実主義(中道の教え)をとったため、厳しかった戒律が、後に仏</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">教徒によってだんだん戒律の数が増えていったのに反比例して安易なものにな</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ってしまった。古代のシュラマナ系宗教の姿を今にとどめるジャイナ教は、魂</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の存在を認め、非暴力、不殺生、無所有、無執着の戒律を、不合理でも現実離</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">れしていても何が何でも変更せずに堅持した。ジャイナ教が理想主義で仏教が</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">現実主義といってもよい。どちらが優れているかという問題ではなく、どちら</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">をより重視しているかの違いなのだ。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ヨガの部門は72部門あると言われている。その中で主要なものはバガバッド</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ギータに説かれているジュニヤーナヨガ、カルマヨガ、バクティヨガである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">バクティヨガは信仰のヨガで全てに神を見ることで救い、救われを目指してい</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。ジュニヤーナヨガは自己探求の瞑想ヨガであり、カルマヨガが生活や仕事</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">を通じて社会救済をする菩薩行ヨガである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">カルマヨガとは何か、カルマとは日本語で業という意味である。業とは因縁果</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">のことであり因果律のことをいう。全てのものごとには起こってくる原因があ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">り、原因と縁なくして結果はおこらないという考え方のことをいう。幸せにな</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">りたかったら幸せになるための行為をしなさいという実践である。それが社会</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">奉仕行、社会救済行である。仕事を通じ生活を通じて世のため人のためになる</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">奉仕行の実践がカルマヨガである。カルマヨガを実践したカルマヨギを思うと</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">き、私の頭に真っ先に思い浮かぶのは日本の偉大なるカルマヨギ・二宮金次郎</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">である。江戸時代後期から幕末にかけて日本はキラ星のごとく幾多の精神性の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">高い人々を輩出した。武士階級だけでなく庶民階級からも優れた人物が現れた。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">心学という道徳を教えた石田梅岩であり、船乗りの高田屋嘉兵衛や百姓出の二</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">宮金次郎もその一人である。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">キリストや仏陀、親鸞、道元などすぐれた宗教的指導者になった人は、子供の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ころ父や母を亡くした例が多い。江戸時代後期小田原藩の百姓として生まれた</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">二宮金次郎も14歳で父を亡くし、16歳で母を亡くし、貧困という苦難に直面し</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ている。そうした困難の中から世のため人のためになるという覚悟が生じてき</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">たのだから菩薩の出現と言ってもよい。金次郎は一般的に思想家、道徳家、農</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">村指導者というイメージで見られているが、大実業家であり現実的な商人、大</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">政治家、社会革命家などの側面をもっていて、一言では表現できない偉大な人</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">物である。身分制度が厳しかった江戸時代、百姓から武士に取り立てられ、財</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">政難に窮した各藩の改革を任せられ、それを見事にやり遂げていることに驚き</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">を禁じ得ない。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">私が小学生だった時代、浦安小学校にも薪を背負って読書しながら歩く二宮金</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">次郎の石像が校庭の片隅にあった。努力と勤勉という道徳を教えていたのであ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。二宮金次郎は理屈でなく実践で社会を向上させ多くの人々を幸せにした。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">金次郎は徹底的な現実主義者、実用主義者だった。自然を良く観察し自然から</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">学び自分の体験を通して自分の思想を作り上げた人だった。私が金次郎を偉大</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">なるカルマヨギであるとする根拠は、日々の生活と実践を通じて無私の立場で</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">社会貢献をなした点を評価している。彼が亡くなった時、家も土地もお金も残</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">さなかった。すべてを他に捧げたのである。他に譲ることを金次郎は推譲(ス</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">イジョウ)といった。金次郎の教えを要約すると、天地自然の恵み、社会の恩</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">恵、父母祖先のおかげに報いるために徳行、報恩、感謝、積善をもってする実</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">践の道であるといえる。人間が働くのは、ただ自分の為に働くのではなく、他</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の命のために働かねばならぬということであり、これを金次郎は「報徳」とい</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">った。私が金次郎を素晴らしいと思うのは、人間の道と天の道は違うと説いて</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">いることにある。「天の道は自然法則だから稲や雑草に善悪はない。自然法則</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">だけに任せると荒地になってしまう。人の道は自然法則に従うけれども雑草を</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">悪とし、稲や麦を善とする。人間にとって便利なものが善、不便なものが悪と</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">考える。この点で天の道(自然法則)と人間の正しい生き方は少し違う。人の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">道は天の道に任せておくとたちまち廃れてしまう、行われなくなってしまう。」</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">自然法則に従うだけの理想主義ではなく、あくまで人間の生き方を現実主義、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">実用主義としてとらえているのである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">金次郎は小さなことをこつこつ積み上げることを大事にした「積小為大の理法」。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">金次郎は善悪、強弱、遠近、貧富、苦楽、禍福、寒暑など互いに対立している</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ものを一つの円の中に入れ、常に総合的に物事を判断していた。因果律を重視</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">して積善を唱えた。万物は一つも同じところに止まっておらず、四季が循環す</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">るのと同じで陰極まれば一陽来復、厳冬だからこそもうすぐ春がそこに来てい</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">るのだと苦難に悩んでいる人を鼓舞した。天地の間で万物の道理は皆同じであ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。善の種を撒いて悪の実がなることはない。悪の実がなったのは悪の種を撒</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">いたからである。困窮はその人自身の因果の上に成り立っている。他から救助</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の手をさしのべる方法はない。本人の気づきが大事といった。本人がそのこと</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">に気づくようにして、それに気づけば惜しげもなく援助の手をさしのべたので</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ある。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">日本が生んだ偉大なるカルマヨギ・二宮金次郎のことをもう少し知りたい人は、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">三戸岡道夫著『二宮金次郎の一生』(平成14年6月、栄光出版社刊)、及び現</span></span><br />
<span style="font-size: 13.2px;"><span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; line-height: 18px;"></span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">代語抄訳『二宮翁夜話』(2005年2月、PHP研究所刊)を読まれることを勧めます。</span></span><br />
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<div style="background-color: white; font-family: Arial, Tahoma, Helvetica, FreeSans, sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2016/11月第66号からの転載です)</span></div>
</div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-70422959742149508422018-10-30T11:58:00.000+09:002018-10-30T11:58:42.132+09:00コラム:日本文化の精髄・露天風呂<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
夏休みに上越国境に近い群馬県の山の中にある、二軒の秘湯温泉宿に泊まった。<br />
初日に泊まった宿は 「たんげ温泉美郷館」、この宿は5年前の正月休みに一度<br />
泊まったことがある。和風木造の日本情緒あふれる建物の雰囲気や露天風呂の<br />
作りにすっかり魅せられてしまった。そのときは外気温が寒くて、お湯の温度が<br />
ぬるかったので、もう一度次回は夏に行きたいと思った。今夏、再訪して感じた<br />
のは、6か所ある浴場の作りがいずれも上手にできていて高い美意識と完ぺきな<br />
芸術性を感じた。地元の林業会社の社長が趣味で凝りに凝って作ったとしか言い<br />
ようがない、手の込んだ作りになっている。渓流沿いに露天風呂は3か所あって、<br />
うち一番大きなものは、使われている石も大きく上手に石組みされている。この<br />
ような形よく美しい大きな庭石をどのように集めたのだろう、さらに現地で庭園<br />
にするために石組みする技術にもすっかり感心してしまった。銘庭と呼ぶにふさ<br />
わしい石組みの露天風呂に温泉が掛け流されている。<br />
露天風呂から望む渓谷の流れも美しい。客室は18室しかないのでウイークデイ<br />
に泊まればすいていて、どの浴室も貸し切りのように入れる。自然の中に融合して、<br />
まったく違和感のない人の手でつくられたこの露天風呂に入るとき、日本人に生<br />
まれた幸せをつくづく感じた。美郷館は平成3年に開業した比較的新しい温泉宿<br />
である。露天風呂の設計や施工は多分群馬県内の業者が携わっていると思われるが、<br />
その技術力の高さは称賛すべきものである。<br />
<br />
二日目に泊まったのが法師温泉長寿館、新潟県境の三国峠に近い山中の秘湯だ。<br />
長寿館は40年前、50年前の若いころに2度泊まっている。昔ながらの鄙びた<br />
風情を感じさせる「法師の湯」は、湯船が4つに仕切られた大きな木造の浴場で<br />
ある。湯船は川底につくられているので足元は卵大の大きさの川原石が敷き詰め<br />
られている。湯船の底の丸石の隙間から新鮮な温泉がふつふつと湧き上がってくる。<br />
印象深いこの温泉にもう一度入りたくなって二日目の宿に選んだ。40年ぶりに<br />
訪れた法師温泉は新館が増設されて旅館の規模が大きくなっていた。旅館の玄関や<br />
囲炉裏の間は全く昔のままだった。昔の雰囲気を壊さずに守り残そうとしている<br />
旅館の経営方針に共感を覚える。建物も浴場も綺麗に掃除され磨きこまれて清らか<br />
である。前回は本館に泊まったが今回は法隆殿に泊まった。混浴の時間帯だったが<br />
家内を誘って、法師の湯に入った。湯船を仕切るように置かれた丸太を枕にして体<br />
を湯に横たえると全ての筋肉から緊張が抜け出ていった。はじめ我々二人だけだった<br />
が、一人二人と男性が入ってきた。昼間でも薄暗い、広い浴場に数人だけしか入浴<br />
していないので、のんびりとした気分になる。丸太を枕にあお向けになって浴場の<br />
太い丸太の小屋組みを見ていると、身も心もリラックスしていった。<br />
<br />
時間制で男女別の入浴時間をもうけている「玉城の湯」は近年、新しく作られた<br />
法師温泉の名物風呂である。内湯と露天風呂に分かれている。内風呂から望む露天<br />
風呂の景色が実に美しいが、さらに外の露天風呂に出てみて驚嘆した。この露天風<br />
呂に使われている石が形も色も模様も銘石ばかりで、大きく存在感があり、実に巧<br />
みに石組みされていたのを見たからだ。どうやってここまで運んだのだろうかと思<br />
うほど巨大な石の上から温泉の湯が滝になって落ちてくる。玉城の湯の露天風呂に<br />
入って、使われている石を触ったり石組みを見ていると日本人はなんて素晴らしい<br />
のだろうと思う。翌朝、滝となっている石組みの大石を後ろから見てみたいと思って<br />
散歩に出た。背後から大石の石組みは良く見えなかったが、小さな石碑があって <br />
「法師温泉 長寿館 玉城の湯 露天風呂造園工事一式施工 平成12年7月 <br />
設計・濵名造園設計研究室 施工・群馬庚申園株式会社」 と彫られてあった。<br />
<br />
法師温泉に向かう途中時間があったので、旧三国街道の宿場だった須川宿にいった。<br />
須川宿は宿場町全域を「たくみの里」というコンセプトでテーマパークのような<br />
町づくりをしていることで知られている。その町はずれに桃山時代創建と伝わる<br />
曹洞宗の古刹泰寧寺がある。山門と本堂の須弥檀が県の重要文化財になっている。<br />
泰寧寺はアジサイと蛍の名所で、地元にも人気の寺らしい。<br />
山門の前には小さな川が流れている。村道から川に降りて砂防堰堤と一体に作られた<br />
橋をわたって対岸に作られた石段を登っていくと立派な山門が現れる。山門をくぐ<br />
りさらに少し上ると本堂の立つ境内にでる。鐘楼もあり趣ある山寺である。ここで<br />
私が興味惹かれたのは山門でもなければ、石段や山門の石垣でもない。堰堤と橋を<br />
中心にした回遊式庭園の石組みである。寺に向かう橋は砂防堰堤の落ち口に堰堤と<br />
一体的にコンクリートで作られている。コンクリートであるが太鼓橋のように優美<br />
に緩やかに中央を膨らませて作られている。シンプルなデザインであるが趣がある。<br />
コンクリートの橋は苔むして古びた良い雰囲気を出している。橋の下が堰堤の落ち<br />
口になっていてそこから流が滝となって落ちている。堰堤の上流は池になっていて<br />
池の水際から上手に石組みされている。人間が作ったとは感じさせないほど自然と<br />
同化している。堰堤の下流の巨岩の石組みは驚嘆すべき巧みさである。堰堤を落ち<br />
る滝はどう見ても自然に落下している滝に見える。庭園なのだがどう見ても自然<br />
風景になっている。神の手が加わったかのように自然風景を超越した完璧な調和の<br />
石組みとなっている。こんな巨大な石をどうやって運び入れ、どうやって組み立て<br />
たのだろうか本当に素晴らしい。指摘されなければ人工物とは気づかない。そのよ<br />
うな、石組みの中に座禅に手ごろな平らな大石がいくつも配置されている。その<br />
一つに座ってみた。私の心の奥深くから、深い感動が湧き起ってきた。この庭園を<br />
設計した名もない造園家、施工した名もない職人の美的感覚の凄さがわかった。<br />
泰寧寺はこのような立派な庭園を造れるほど裕福な寺には到底思えない。多分街<br />
づくりの公共工事の一環としてなされたものであろう。寺の住職か公共工事にか<br />
かわる誰かが発案したのであろう。真相がわからないのでどのような経緯でいつ頃、<br />
この庭園が造られたか調べてみたいと思う。<br />
<br />
自宅に戻って泰寧寺のことをいろいろネットで調べてみた。沢山の記述投稿が<br />
あったが、この庭園を称える記述や、誰がいつ作ったかについて触れた文章は皆無<br />
だった。評価されないのか、忘れられてしまったのか私には解からないが、この<br />
庭園こそ真に価値ある文化財である。<br />
思い起こせば自然に流れていた川に庭師が手をいれて、庭園のようにしてしまった<br />
川を私は過去にも見ている。一番印象に残っているのは厳島神社の側を流れる「紅<br />
葉谷公園」である。谷の石組みは庭師が組んで調和した理想形に作られている。<br />
もみじ谷はよく観察しないと人間が作ったものと感じさせないほど自然に溶け込み、<br />
人工的な不自然さを感じさせない素晴らしい渓谷になっている。<br />
<br />
奥多摩の御岳山近くのロックガーデンも自然の谷に人工的な手を加え、さらに自然<br />
美を整えたものである。大型建築機械が入れないような場所で自然の雰囲気を損な<br />
わないように大きな石をたくみに組み合わせ人が歩きやすいように整えている。<br />
大きな石を適材適所に配置した技術に驚嘆する。<br />
<br />
伊豆半島の湯ヶ島温泉に白壁荘という温泉宿がある。宿の敷地から掘り出された<br />
巨石をくりぬいて露天風呂の湯船にしている。この巨石の湯船がユニークでみごと<br />
である。石庭の美しさ、敷地内の巨石の石組みや、露天風呂の石組み、銘石など<br />
日本の石の文化を堪能したかったら山梨県石和温泉「銘石の宿・かげつ」に行く<br />
と良い。石庭が好きな人にとって「銘石の宿かげつ」はたまらない魅力の宿である。<br />
<br />
私は石庭や露天風呂の石組みだけでなく、城の石垣が好きである。石垣を見ている<br />
と古く忘れられた記憶は過去生まで辿れるような気がする。私が興味惹かれるもの<br />
は石や石で作られたものである。石灯籠や石仏なども大好きだ。河原の石が私に<br />
話しかけてくる。路傍の石が私に話しかけてくる。石とだったら私はいろいろ話が<br />
できる。20歳のころ造園家になりたいと思ったことがあった。自分の中に熾火の<br />
ように残っている「かくありたい」を探るとき来世で私は造園家を仕事に選択する<br />
ような気がする。近いうち、静かな時を選んで再び泰寧寺の渓流庭園の坐禅石に<br />
坐って瞑想してみたい。<br />
<br />
<div style="background-color: white; line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2016/9月第65号からの転載です)</span></div>
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-91972621797077811252018-10-15T11:37:00.000+09:002018-10-15T11:37:07.850+09:00コラム:カラーセラピー・色彩療法<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
プレクシャ・メディテーションの第六段階はレーシャ・ディヤーナである。<br />
レーシャとはジャイナ教哲学でいう魂から放射される「霊的な色彩光」のこと<br />
である。レーシャは本来、魂から発せられた純粋無垢な光であるが、魂の周り<br />
に付着したカシャーイと呼ばれる汚染物質の影響で色が付着する。着色した<br />
レーシャは魂よりも外側のレヴェルにある電磁気体や肉体に影響を与え、肉体<br />
の外側に広がって人それぞれのオーラの色になると考えられている。<br />
<br />
オーラとは仏教で云う後光であり光背のことである。キリスト教ではオーレ<br />
オールと言い、古代から人間の周囲には不思議な色彩をもつ何かがあると知ら<br />
れていた。<br />
<br />
身体を取り巻くオーラは特殊能力を持つ人にははっきり見えるらしい。現代で<br />
はオーラを映像に写せるオーラカメラが開発されている。マハーヴィーラは長<br />
期間の断食や瞑想修行により、オーラを見ることができ、その色の持つ意味を<br />
極めて正確に解釈できたと考えられる。古代ジャイナ教聖典にはレーシャに関<br />
す記述が多い。<br />
<br />
ジャイナ教瞑想修行のレーシャ・ディヤーナというテクニックは、肉体の外側<br />
にポジティブな色彩をイメージして、その色彩を魂の外側を雲のように取り囲<br />
んでいるカルマ体レベルに流入させ、ネガティブな色とされる黒や灰色、その<br />
他くすんだ色と置き換えることにより、カルマ(業)の浄化を目指すものである。<br />
色彩は私たちの精神状態に影響を与えているが同時に、精神状態によって霊的<br />
色彩光(レーシャ)が影響を受けていると考えられる。<br />
<br />
色彩とは一体何なのだろうか。物理学的な解釈では「色彩とは電磁波における<br />
可視光線のことである。」と定義する。私たちの周囲には光や電波など波の性<br />
質をもった電磁波に溢れている。ガンマ線やX線、紫外線といった電磁波は可<br />
視光線より波長が短く、赤外線やテレビ電波、ラジオ電波は可視光線より波長<br />
が長い。赤の波長は700nm(ナノメートル)前後で、青は460nm前後、紫<br />
は380nmである。<br />
<br />
可視光線の波長が長いと赤に近づき短いと紫に近づく。可視光線をプリズムで<br />
分解すると、彩度の一番高い純色の虹の七色となる。その色彩を波長の短い順<br />
に並べると紫、藍、青、緑、黄、橙、赤になる。色彩の彩度は電磁波の振幅が<br />
高く(大きく)なると明るくなり、振幅が低くなると暗くなる。光である電磁波<br />
は物質のない真空中でも伝わっていくが、音は空気や鉄の棒などの伝える物質<br />
がないと伝わらない。<br />
<br />
我々は光の無い所では何も見ることが出来ない。光源から放たれた光が物体に<br />
当たり反射され、それが人間の目の視細胞を刺激し脳によって変換され、はじ<br />
めて私達は形や色を知覚することが出来る。物体色は物体そのものに色が備わ<br />
っているわけではない。あくまで光のどの部分の波長を反射するかが、その物<br />
体の色を決定する。物体が全ての光を反射すると白く見え、全ての光を吸収す<br />
ると黒く見える。<br />
<br />
色の見え方には2種類あって、反射の結果として見える色と、光が物体を通過<br />
することで見える色がある。この場合透過した色だけが見え他の色は吸収され<br />
てしまう。ステンドグラスの場合赤い波長だけを通すと赤く見え、他の色はガ<br />
ラスに吸収されてしまう。色彩照射療法はその原理を使っている。レオナル<br />
ド・ダビンチは教会で紫色のステンドグラスを透過した色彩を浴びて瞑想する<br />
ことを好んだ。<br />
<br />
古代ギリシャでは太陽神が信仰されていた。その中心地になっていたのがヘリ<br />
オポリスの癒しの神殿である。癒しの神殿では太陽光を色に分けて、それぞれ<br />
の色によって特定の治療を行っていた。そのヘリオセラピー(太陽色彩療法)の<br />
父が有名なヘロドトスである。色彩療法は古代ギリシャや古代インドに起源が<br />
ある。<br />
<br />
光線療法やカラーセラピーは本質的には自己の内的空間を探求することを意味<br />
する。それは色彩を観るビジュアライゼーション(瞑想)によっても可能である。<br />
瞑想によって魂の汚れを取り除いていけば魂の純粋性が立ち現れる。自己の本<br />
質である魂からの純粋な光によって自己を深いレヴェルで癒すことが出来る。<br />
自分で自分の医者になる方法の一つである。人間の悟りや人格の向上は身体的<br />
にも精神的にも外部から上手に光や色彩を取り入れてそれを活用することがで<br />
きるかどうかにかかっていると言っても過言でない。<br />
<br />
光は色の本質(親)であり、又、光は生命の根源・本質である。光はエネルギー<br />
そのものである。全ての物質はエネルギーが形を変えたものである。人間もエ<br />
ネルギーのかたまりによって出来ている。138億年前のビックバンの光エネ<br />
ルギーが人間という形のエネルギーに変わって存在しているのである。私達は<br />
光である。私たちの本質つまり親が光である。生き物の生命エネルギーの根元<br />
は太陽光である。人間だけでなく地球上の生き物が食べている全ての食物の源<br />
は太陽光である。光が神であるとはそのことを云う。光なくして人間は生存で<br />
きない。又、色彩の本質も光である。だから人間の生命は色彩の影響を強く受<br />
けていると言える。目を有する生物は皆何らかの色覚がある。昆虫、魚、鳥、<br />
両生類、爬虫類は色彩を感じている。、世界は色彩にあふれている。自然界の<br />
多彩な色彩を見ていると、この世はなんと美しい世界なのだろうといつも思う。<br />
そして色彩は形とともに個別のものに個性を付与して、個性の情報元となって<br />
いる。<br />
<br />
人間は目だけでなく皮膚でも色を感じ取っている。皮膚には色を識別する特殊<br />
なセンサーが備わっている。だから、皮膚に光線を照射する療法が生み出され<br />
た。光線療法に照射する色彩は 赤、オレンジ、黄色、レモン、緑、青緑、青、<br />
藍、スミレ、紫、マゼンダ、深紅である。レモン色は慢性病、青緑は急性病に。<br />
紫色、深紅色、マゼンダは心臓病、循環器系、生殖器系をはじめとして全ての<br />
症状に良い。活動過多の人に紫色を照射し、活動不活発の人には深紅色を使う。<br />
マゼンダは両者のバランスをとる時に使用する。無気力の人に対してレモン色<br />
とオレンジ色を合わせて使う。感覚麻痺の時にはこれに赤を加える。藍色は鎮<br />
痛、出血、膿傷のある症状に使う。緑色とそれに近いレモン色や青緑は体のバ<br />
ランスと関係しているので必ず照射(トネイション)に含めるようにする。19<br />
79年マルティクとベレンジは酵素の反応速度を増やして活性化させる、ある<br />
いは不活性化させる色彩や、細胞膜を通る物質の移動に関与する色彩があるこ<br />
とを発見した。<br />
<br />
赤は生命力を高める色で交感神経を刺激する色である。青は副交感神経を刺激<br />
する。赤い色は瞬発力が高まり青い色は持久力を高める。不眠症の人は青い敷<br />
布や毛布を使うと良い。赤やピンクでは寝つきにくい。ベージュ色はリラック<br />
スさせる色、一番筋肉の緊張をほぐす色である。白い色が健康に一番良い。黒<br />
い服ばかり着ているとシワが増えるし早く老け込む。明色の橙色をピーチとい<br />
うが皮膚に不思議な効果があり、ピンクとともに若返りの色である。<br />
<br />
色彩は私たちの精神性にも深く関係している。色彩は意識や感情に深い影響を<br />
与える力がある。プレクシャ・メディテーションのレーシャ・ディヤーナはそ<br />
うした理論を基にした瞑想法である。一例を挙げれば、頭頂に黄色をイメージ<br />
することで知性が高まる。眉間の奥にオレンジと深紅の中間色をイメージする<br />
ことで直感力が高まる。胸の中央でピンク色を観ることで友愛の情を育てるこ<br />
とができる。色彩と精神性の関係については いまなお不統一で未知なること<br />
も多く、更に研究の上、瞑想体験を深めて別の機会に詳述したいと思っている。<br />
<br />
<br />
<div style="background-color: white; line-height: 18.48px;">
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
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<div style="background-color: white; font-family: Arial, Tahoma, Helvetica, FreeSans, sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2016/7月第64号からの転載です)</span></div>
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-6911031249571868922018-10-09T09:03:00.000+09:002018-10-09T09:03:25.747+09:00コラム:生命が病気を創る<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="background-color: white; line-height: 18.48px;">
<div>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">身体の中で生命力は私たちを生かそう生かそう、長生きさせよう、効率よく元</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">気に身体が動くようにと働いている。それが生命のバランス維持回復運動とし</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ての働きである。身体の病気や痛み、心の悩みは生命が命を存続するために起</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">こしている現象と言っても良い。病気や痛みがなかったら生命は命を維持し存</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">続させることは出来ない。病気は悪いものではなく生命のバランス回復運動と</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">して起こってきていると言える。原因がなくなりアンバランスが是正されれば</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">バランスを取るために必要だった重石としての病気は不要になる。重石として</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の病気を取るためには、一時的に極端なアンバランスを身体内部に招来させて、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">アンバランスの上にもっとアンバランスを起こさせて、命の働きが更に高まる</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ように誘導する必要がある。動には静を静には動を加える反対刺激が必要であ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">り、それが病気治しのコツである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">身体存続維持の働きは、身体内部に流れていく生命エネルギーと、流れに伴っ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">て生起する感覚と、その感覚を受け取とって適切な対処法を指示する意識であ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る中枢神経系、末梢神経系の連携で起こっている。身体内部では生命エネル</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ギーとしての電磁気的な流れが神経系を通して一つ一つの細胞に生命力を吹き</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">込んでいる。血液が細胞に必要な燃料(栄養と酸素)を供給しているだけでは</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">命は働かない。生命に感覚と意識がそなわっているから、命を守り存続させる</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">働きが起こるのである。その自覚意識で身体内部に生起している感覚を観じる</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ことが、プレクシャ・メディテーションの原理である。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">今から5億2000万年前、地球上でエビやカニ、昆虫の先祖である節足動物</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">が繁栄していた。その頃、魚が誕生した。魚はそれまでの生物が持っていなか</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">った中枢神経としての脳を持つようになった。魚の脳には外敵から身を守る装</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">置としての扁桃体も備わっていた。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">扁桃体は脳が危険を察知すると活動を始める。扁桃体が働いてストレスホルモ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ンが分泌され、全身の筋肉が活性化されて運動能力がたかまり、天敵から素早</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">く逃げられる。危険が去るとストレスホルモンの分泌は収まる。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">2億2000万年前に哺乳類が誕生すると扁桃体は外敵以外にも反応するよう</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">になった。人類は更に身体機能を発展させて複雑な自己防衛、自己保存維持機</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">能を持つようになった。天敵ばかりでなく孤独になると不安や恐怖を感じて扁</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">桃体が激しく活動する。過去のつらい記憶が呼び起こされたり、他からの言葉</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の暴力によっても扁桃体が働き内分秘腺に働きかけてストレスホルモンが分泌</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">される。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">その代表的なホルモンとして副腎皮質から分泌されるコレチゾールやアドレナ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">リンがある。コレチゾールやアドレナリンは本来悪いものではなく、身体を守</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">るために生命が適切適量に分泌しているのである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">人間が生きていくとき心身にとって不快なこと嫌なことが身辺に沢山起こって</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">くる。それがストレスである。ストレスとなる刺激のことをストレッサーと言</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">うが、ストレッサーには様々なものがあり物理的なストレッサーとして気温、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">湿度、騒音などがあり、化学的なストレッサーとしては栄養の過不足、カフェ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">イン、薬物等がある。生物的ストレッサーとしては感染、痛み、炎症があり、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">心理的ストレッサーとして不安、恐怖、怒り等がある。現代人特有のストレッ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">サーとして、人間関係や仕事のプレッシャーや不規則な生活リズムが挙げられ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">る。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">人間にはストレッサーに応じて生命の働きとしての適応性、バランス維持能力</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">が備わっている。過剰なストレスや慢性的なストレスが加えられると心身のバ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ランスが崩れる。バランスが崩れるとその反応として身体はストレスホルモン</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">を分泌し血圧を上げ血流を増やす。また体温を調整して心身のバランスを回復</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">させようとする。強いストレスや継続的なストレスでこの反応が過剰になった</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ときバランスが崩れて病気が起こる。体に現れれば目まい、頭痛、吐き気など</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の自律神経失調症、胃や十二指腸潰瘍など過敏性腸症候群となる。心に現れれ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ば不眠症や欝となる。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">心理的ストレスを長期間受け続けるとコレチゾールの分泌によって脳の一部、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">海馬の神経細胞が破壊され海馬が萎縮してしまう。海馬は脳の記憶や空間学習</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">能力に関わる脳の器官であり、これが萎縮することで記憶喪失や認知症が起こ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ってくる。鬱病患者には海馬が萎縮していることが知られている。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">強い不安や恐怖を感じると扁桃体が過剰に働く。すると全身にストレスホルモ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ンが大量に分泌され脳にまで及ぶ。このとき、脳の神経細胞に必要な栄養物質</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">が減少するので栄養不足で縮んでしまう。脳の萎縮が意欲や行動の低下を招来</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">する。それが欝状態である。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">心の病である鬱病に対して近年の研究で瞑想や「マインドフルネス認知療法MB</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">CT」が有効であることが解ってきた。マインドフルネスは自分の身体や気分の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">状態に気づく力を育む「心のエクササイズ」である。マインドフルネスとは自</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">覚的な心であり、深い気づきの心であり、強い心の集中力であり、覚醒された</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">意識のことである。マインドフルネスの反対のことが集中力欠如の状態である。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">瞑想を実践すれば集中力が増し、創造性が高まり、幸福感、リラックス感が高</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">まる。瞑想することによってストレスが軽減され、免疫力が向上し心身の健康</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">に極めて有効である。瞑想することによって物事をいろいろな面から捉えられ、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">不要物を有用物に変える能力も高まる。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ストレスを軽減する極めて有効な方法としてプレクシャ・メディテーションの</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">カーヨウッサグがある。古代インドから伝わる瞑想法で「完全なる心身のリラ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ックス法」である。完全に心身がリラックスすると心身分離が起こる。この時</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ストレスは完全除去される。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ストレスを軽減する方法としてコーピングという気晴らし法も有効であること</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">が知られている。好きな音楽を聴いたり、歌ったり、踊ったりする。ストレッ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">チや散歩など軽い運動をする。バランスの良い食事をとり、たっぷり睡眠をと</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">り、休む。動画や漫画などを見ておもいっきり笑う。海や山、森や川、木々や</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">草花、石や鉱物等の自然物には癒しの力が備わっている。自然の情景の中に身</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">を置くことで深い癒やしが起こる。自分が楽しいと思うこと気晴らしになるな</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ら何でもしてみる。ストレスに応じて気晴らしをいろいろ工夫する。そうする</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ことで現代人の最大の問題になっている心の病、欝の予防と欝からの回帰がで</span></span><br />
<span style="font-size: 13.2px;"><span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; line-height: 18px;"></span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">きる。</span></span><br />
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
</div>
<div style="background-color: white; font-family: Arial, Tahoma, Helvetica, FreeSans, sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2016/6月第63号からの転載です)</span></div>
</div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-84176357868494429012018-10-05T08:42:00.002+09:002018-10-05T20:08:30.345+09:00コラム:無限の自由とは<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="background-color: white; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 13.2px;">地球に生きる全ての生き物たちに生命力が宿っている。生命力の根源は宇宙が</span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">始まった時に生じた電磁気的な+と-の流れである。この電磁気的な+と-の流</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">れが生じたとき情報としてのカルマが同時に発生した。カルマとは陰と陽、拡</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">散と収縮、苦と楽、快と不快、善と悪のように存在している物の質の捉え方で</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">あり、また、カルマとは測定の仕方や、判断の基準によって結果が動く物事の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">相対的性質であり、不二一如のことである。生命が宇宙に生じたときそこに</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">『個性・性質』としてのカルマが結びついた。情報としてのカルマが形を変え</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">て、生き物たちに命の願いとして根本的な欲望が備わっているのである。その</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">欲望が身体に備わった苦・楽、快・不快の感覚とともに、命を守り、命を進化</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">させる原動力、働きになっているのである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">その根本的な欲望とは命を長らえたいとする自己保存本能 (食欲・外部から</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">身体を持続成長させるためにエネルギーを摂り入れること)、 子孫や種族を</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">増やしたい自己拡大本能 (性欲・繁殖の仕組み)、あらゆる束縛から自由にな</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">りたい自由獲得本能の三つである。全ての生き物の願い、最終目的は永遠の生</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">命、生命の無限拡大、生命の無限自由の獲得と言える。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">生き物たちにはその三大欲望が生命の深いレベルで情報としてインプットされ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ている。完全なる自由を獲得するために、時には食欲や性欲が妨げになる。完</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">全なる自由の獲得を目指そうとする古代のジャイナ教や仏教の出家修行者達は</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">食欲や性欲のコントロールが重要と考えた。そうした考え方が戒律の中に入っ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ている。仏教やジャイナ教の理想は輪廻転生しないこと、もう生き物として生</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">まれないこと、解脱が理想である。無限の自由とはカルマの束縛、つまり電磁</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">気的エネルギーの流れやもっと精妙な霊的エネルギーからも離れてその束縛か</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ら自由になることである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">無限の自由とは生き物たちの最終目的地で、無限の愛、宇宙との合一 (梵我</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">一如) と同義語であり、全ての宗教の目標である。宗教とは無限の自由を個</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">人的に達成しようと起こってきたものである。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">一方、無限の自由を集団的に達成しようとして人類全体が努力しているのが政</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">治であり、経済であり、科学の進歩発展である。経済の発展や科学技術の発達</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">は人間が無限の自由を求めて活動している結果の現れである。飛行機や自動車、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">鉄道機関車などの交通機関、冷蔵庫、洗濯機などの家電、テレビ、スマホ、パ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ソコンなどの情報通信機器の登場は人間が自由を追求している集団的な活動の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">結果として出現したと言える。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">テクノロジーの高度な発達は生き物としての人間が集団的に求めている進化の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">現れであり、必然的な方向性でもある。コンピューターの発明は今や高度に改</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">良発展して人工頭脳が作られるようになった。人工頭脳と各種センサーが結び</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">つき、車の自動運転がまさに始まろうとしている。近未来、人工頭脳が自ら学</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">習し判断までするようになるので、車の運転走行に運転手としての人間は必要</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">なくなるだろう。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">私は自動車道路の必要性は物質輸送のためのトラックだけになってしまうと想</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">像している。人間の移動手段はヘリコプターを小型化した一人乗りのトブコプ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ター、つまり、ドローンを大型に発展させた飛行物体になると思っている。ト</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ブコプターの人工頭脳が目的地と気象条件や飛行高度、経路を最適に判断し、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">障害物や進入禁止地を避け、トブコプター同士の空中衝突を避けて我々を安全</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">に早く目的地に運んでくれる。東京と只見間の移動所要時間は江戸時代には一</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">週間を要した。車が登場した初期の頃60年前は只見まで一日がかりだった。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">そして今や高速道路が整備され自動車の性能が良くなって4、5時間で行ける</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ようになった。そして、トブコプターが登場し実用化されると2時間程度に短</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">縮される。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">友達が「只見も良いところだけど、東京から遠いからねー」と今は言う。トブ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">コプターの登場で夜、友達とお酒を飲んで10時頃東京に居ても、その日の深</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">夜には只見の自宅に戻れるようになる。このようなことが実現されると文明は</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">全く新しい局面を迎える。自然災害の少ない所、風景の美しい所、水の清らか</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">な所、森や耕地が豊かな所が、人が住む適地として一番の価値を持つようにな</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ってくる。只見のような見捨てられた所に人が集まってくるだろう。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">2016年頃、自動車の燃費性能偽装問題を起こして業績低迷にあったスリー</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ダイヤモンドがトブコプターの研究にいち早く着手して自動車の生産からトブ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">コプターの生産に業態を切り替える。スリーダイヤモンド社は将来トブコプ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ター生産で世界一の企業になるかも知れない。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">農業はアンドロイドが野菜工場で作るようになっている。気象条件に影響され</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ないので、雪の降る冬の只見でマンゴーやパパイアなど南国のくだものが作ら</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">れている。地球温暖化、気候変動によって露地栽培での農業が難しくなるが、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">アンドロイドが工場で農産物を生産することで食糧問題は解決している。エネ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ルギー問題は自然エネルギーから電気分解によって作られた水素による燃料電</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">池発電が主役となっている。エネルギーは個人が自前でつくるので送電線や電</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">柱がなくなり村や町の景観も美しくなっている。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">月や火星では人間に先駆けてアンドロイド達が都市や町、文明を作っている。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">アンドロイドが作った宇宙都市に人間は宇宙旅行するようになる。地球の引力</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">の束縛から解放されて人間活動は宇宙に広がっていくだろう。50年後の世界</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">は今からは想像すらできない世の中となっているだろう。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">沿海部に発展した大都会は気候変動による海面上昇があるとき急激に起こって、</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">対応ができず居住地を放棄せざるをえなくなるかもしれない。大都市住民が2</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">016年頃のシリア難民のようになって、過疎地の中間山間地に移住すること</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">になるなど、50年前の現在には誰も想像できなかったことが起こるかも知れ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ない。</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;"><br /></span></span>
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">どんなにテクノロジーが発展しようとも人間の動物的な身体の仕組みはすぐに</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">は変えようがない。高度にテクノロジーが発達した社会が出現すれば、動物的</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">身体を持つ人類にますます不自然生活を強いられることになる。不自然生活に</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">よる適応障害が起こってさまざまな心身の病気が人類を苦しめることになるだ</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">ろう。そんな時代が到来したとき、人間にとって免疫系や内分泌系、神経系の</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">コントロールは今よりづっと重要なテーマとなる。そのためにヨガの身体的訓</span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">練や瞑想の実践が欠かせないものになる。プレクシャ・メディテーションを伝</span></span><br />
<span style="font-size: 13.2px;"><span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; line-height: 18px;"></span></span><br />
<span style="font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif;"><span style="font-size: 13.2px;">え遺すことは未来の孫達へのメッセージであり贈り物でもあるのだ。</span></span><br />
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: arial, tahoma, helvetica, freesans, sans-serif; font-size: 13.2px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
</div>
<div style="background-color: white; font-family: Arial, Tahoma, Helvetica, FreeSans, sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2016/5月第62号からの転載です)</span></div>
</div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-70952683433376715282018-10-02T17:29:00.003+09:002018-10-02T17:29:33.605+09:00コラム:アンベードカルと仏教改宗アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』(1987年 三一書房刊 山際素<br />
男訳)とダナンジャイ・キール著『アンベードカルの生涯』(2005年 <br />
光文社新書 山際素男訳)を再読した。<br />
<br />
近代インドは優れた思想家、政治家を輩出しているが、マハトマ・ガンジーと<br />
並び称される人にアンベードカルがいる。アンベードカルはカースト制度の中<br />
の不可触民カースト(マハールという村の雑役を世襲職業とするデカン地方中<br />
西部の大カースト)に1891年に生まれた。<br />
<br />
不可触民階層はカースト・ヒンドゥー(一般ヒンドゥー教徒)から穢れを与え<br />
る存在としてさまざまな差別を受けてきた。1950年インド新憲法が不可触<br />
民制を廃止するまで、ヒンドゥー教徒の内おおよそ四人に一人が家畜にも劣る<br />
存在として言語に絶するさまざま差別を受けてきたのである。<br />
<br />
その差別から同胞を救おうとして立ち上がり、獅子奮迅の働きをしたのがアン<br />
ベードカルである。<br />
<br />
アンベードカルの父はイギリス・インド軍の兵士として出世した人で、英語も<br />
話せ数学も得意な教養のある人だった。アンベードカルは父に励まされ差別に<br />
苦しみながらハイスクールに通った。その後、ボンベイのエレファント・ガレ<br />
ッジに入学したが、父からの学費が困難になったとき、さまざまなご縁でバロ<br />
ーダ藩王国のマハラジャが奨学金を出してくれた。さらに、バローダのマハラ<br />
ジャはアンベードカルの優秀性を認め、アメリカのコロンビア大学へも留学さ<br />
せてくれた。さらにロンドン大学で経済学を学んだ。マハラジャからの帰国要<br />
請を受けてバローダ藩王国に戻ると、高い教養を身につけたアンベードカルを<br />
待っていたのは又しても理不尽なカースト制度による差別であった。カースト<br />
上位の部下や召使いたちがさまざまな嫌がらせを彼に対して行ったため、マハ<br />
ラジャとの約束と御恩に報いることが出来なかった。再度ロンドン大学に戻っ<br />
たアンベードカルは弁護士資格を取った。ドイツのボン大学にも3ヶ月間留学<br />
した。<br />
<br />
このようにアンベードカルは不可触民カーストに生まれながらも本人の血の滲<br />
むような努力と、良きご縁に恵まれて、輝かしい知性と教養と誰にも負けぬ行<br />
動力を武器として身につけた。アンベードカルは政治家として教育家としてま<br />
た社会改革家として理不尽なカースト制度全廃のためにカースト・ヒンドゥー<br />
と戦った。時にはマハトマ・ガンジーの政敵として彼の政策に反対した。アン<br />
ベードカルにはマハトマ・ガンジーの不可触民廃絶運動が口先ばかりで、カー<br />
スト・ヒンドゥー側に立った行動を伴わない社会改革運動であると見えたから<br />
である。また彼がガンジーを嫌った理由の一つが産業の機械化を憎み、人間に<br />
大きな可能性を与えず、経済的平等に対する情熱を拒否したからであった。ア<br />
ンベードカルは不可触民階級の先頭に立ち、その廃絶のために奔走した。<br />
<br />
彼の行動力と弁舌と知性は多くの人の心を捉えた。1942年、アンベードカ<br />
ルはイギリス植民地下のインド中央政府の労働大臣になった。不可触民から政<br />
府の閣僚になったのは実質的にアンベードカルが初めてであった。1947年、<br />
パキスタンとインドは分離独立した。インド制憲議会は憲法草案起草委員会を<br />
設置し、アンベードカルを議長に指名した。ネール首相のもと、アンベードカ<br />
ルは初代法務大臣として憲法の創設者になった。アンベードカルを中心に起草<br />
された憲法は1950年に施行され、インド共和国が誕生した。この憲法17<br />
条に不可触民制廃止が謳われている。<br />
<br />
憲法に不可触民廃止が謳われても実際にはすぐに差別はなくならなかった。ヒ<br />
ンドゥー教の根本思想の中にカ-スト制度が肯定されているので、理不尽な差<br />
別から同胞を救うためにはヒンドゥー教から仏教に改宗するのが一番良い方法<br />
だと考えるようになった。1956年仏陀生誕2500年祭が南伝仏教諸国で<br />
行われたとき、アンベードカルは20年来温めてきた懸案を一挙に解決する決<br />
心をした。<br />
<br />
デカン高原中部の都市ナーグプールで大規模な仏教改宗式を挙行した。この時<br />
彼に従って仏教徒に改宗した人は30万人とも50万人とも言われている。ア<br />
ンベードカルは自分の属するカースト構成員全員を改宗させ、次に全ての不可<br />
触民を改宗させ、最後に全てのヒンドゥー教徒を仏教に改宗させる夢をもって<br />
いた。改宗式が終わった2ヶ月後、彼は全ての命を燃焼しつくしてこの世を去<br />
った。享年65歳。<br />
<br />
アンベードカルの死の枕元には、自ら渾身を傾けて書き上げた労作『ブッダと<br />
そのダンマ』の最終原稿があった。彼はこのタイプに打たれた英語原稿に目を<br />
通しつつこの世を去ったのである。<br />
<br />
『ブッダとそのダンマ』にはアンベードカルの命の声が宿っている。<br />
<br />
アンベードカルはパーリ語で書かれた甚大な仏典の英訳を渉猟して、重要な文<br />
章を拾い出し、分類整理したあとに彼独特の解釈をした。彼独特の解釈を、言<br />
わばブッダの言葉に託して彼の思想を伝えようとしているとも受け取れる。輪<br />
廻転生の否定、カルマ論の解釈にアンベードカルの現実的な解釈が現れている<br />
。<br />
『ブッダとそのダンマ』は初期仏教がどのようなものであったかを理解するた<br />
めの入門書として、懇切丁寧に詳細にわかりやすく書かれた良書である。仏教<br />
学者でもないアンベードカルがカースト制度の差別に苦しむ同胞を救おうとし<br />
て、ヒンドゥー教徒から仏教徒への改宗を進めることを目的として全身全霊を<br />
傾けて書いたものである。一部の学者がアンベードカルの自説の部分だけを取<br />
り上げて、それはブッダの説から逸脱していると批判している。ブッダの仏教<br />
ではなく、アンベードカル・ヤーナであるとも言っている。『ブッダとそのダ<br />
ンマ』を読み、どの部分がアンベードカルの独特の解釈なのかを探し出すこと<br />
は初期仏教を深く理解するためにとても役立つ。私たち日本人は本来の仏教と<br />
は何かが解らなくなっている。日本の仏教が仏陀の時代の仏教から余りにも変<br />
質してしまっているからである。私たちに必要な知識は仏教学者の大乗仏教の<br />
各論ではなく、最も基本的な初期仏教の総論である。<br />
<br />
『ブッダとそのダンマ』はその要求を満たすものである。その初期仏教の総論<br />
が偉大なるインドの政治家、社会改革運動家という在家の実践家、現実主義者<br />
によって書かれ、出家主義ではないというのが重要なのである。是非、皆さん<br />
に読んでいただきたい一冊である。<br />
<br />
<div style="background-color: white; font-family: Arial, Tahoma, Helvetica, FreeSans, sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;"><著:坂本知忠></span></div>
<div style="background-color: white; font-family: Arial, Tahoma, Helvetica, FreeSans, sans-serif; font-size: 13.2px; line-height: 18.48px;">
<span style="font-family: inherit; line-height: 18px;">(協会メールマガジン2016/4月第61号からの転載です)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-48533211974360187572018-09-01T00:01:00.000+09:002018-09-27T13:19:48.668+09:00 平成30年・秋冬 プレクシャ・メディテーション指導士養成講座Lv2<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
西池袋の平舎(Hiraya)にて「 平成30年・秋冬 プレクシャ・メディテーション指導士養成講座Lv2」<span style="font-family: "helvetica" , "arial" , sans-serif;">が開催されます。</span></div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: helvetica, arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px;">
</div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
<br /></div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
単発受講可、初心者でも参加できます。</div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
<br /></div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
<span style="font-family: "helvetica" , "arial" , sans-serif;">詳細は下記チラシをご覧ください。</span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-C6SBl3PFCK8/W6xaG93Zo9I/AAAAAAAAAFI/stdctZyxWvM1DM0iX82diCN2HSYE76x2wCLcBGAs/s1600/%25EF%25BC%2591.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1132" height="400" src="https://4.bp.blogspot.com/-C6SBl3PFCK8/W6xaG93Zo9I/AAAAAAAAAFI/stdctZyxWvM1DM0iX82diCN2HSYE76x2wCLcBGAs/s400/%25EF%25BC%2591.jpg" width="282" /></a></div>
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<a href="https://4.bp.blogspot.com/-KsURvFukOHk/W6xaG_sqk5I/AAAAAAAAAFM/26hEy_F5CloRItNoCAERXe-6h80hOwkFgCLcBGAs/s1600/%25EF%25BC%2592.jpg" imageanchor="1" style="font-family: helvetica, arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-left: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1132" height="400" src="https://4.bp.blogspot.com/-KsURvFukOHk/W6xaG_sqk5I/AAAAAAAAAFM/26hEy_F5CloRItNoCAERXe-6h80hOwkFgCLcBGAs/s400/%25EF%25BC%2592.jpg" width="282" /></a>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-62690072392257687222018-07-31T00:01:00.000+09:002018-09-27T13:20:07.398+09:002018年秋 プレクシャ・メディテーション キャンプ<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px;">
奥会津只見・叶津番所と みずなら只見ユイ道場にて、「2018年秋 プレクシャ・メディテーション キャンプ」が開催されます。</div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px;">
<br /></div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
今回のテーマは「瞑想の奥義 自分で自分の医者になる・無病の道」です。</div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
<br /></div>
<div style="background-color: white; color: #1d2129; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
合宿では、インド古代の宗教哲学と現代科学、医学、心理学の融合による知覚瞑想法を学びます。</div>
<div class="text_exposed_show" style="background-color: white; color: #1d2129; display: inline; font-family: Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 14px;">
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
<br /></div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
プレクシャ・メディテーションが初めての人、学び続けている方、指導士、講師の先生、全員が一堂に会し、親睦を深め合うキャンプとなります。</div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
<br /></div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
詳細は下記チラシをご覧ください。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-ZPQBsh5TrD4/W6xY6npM4fI/AAAAAAAAAE4/0Ru5fWgyUMYqk_YGASVKgVY2lUJldg2pwCLcBGAs/s1600/1.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1132" height="400" src="https://3.bp.blogspot.com/-ZPQBsh5TrD4/W6xY6npM4fI/AAAAAAAAAE4/0Ru5fWgyUMYqk_YGASVKgVY2lUJldg2pwCLcBGAs/s400/1.jpg" width="282" /></a></div>
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-BiRlJeyKTB8/W6xY6zRGS6I/AAAAAAAAAE8/TL8zc08NJlws6E81f1xG7kITpi7a990MgCLcBGAs/s1600/%25EF%25BC%2592.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline !important; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1132" height="400" src="https://1.bp.blogspot.com/-BiRlJeyKTB8/W6xY6zRGS6I/AAAAAAAAAE8/TL8zc08NJlws6E81f1xG7kITpi7a990MgCLcBGAs/s400/%25EF%25BC%2592.jpg" width="282" /></a><br />
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
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</div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7422813360961968568.post-26287772825748192272018-07-01T00:01:00.000+09:002018-09-27T12:46:46.437+09:00坂本知忠先生と行く最高のインド・聖地瞑想巡礼の旅(2018年11月) 詳細案内のチラシを下記UPしておりますので、ご覧ください。<br />
<br />
お申込みに当たりましてはチラシ内「参加申込書」に必要事項をご記入いただき、下記お申込み先までお知らせください。<br />
<br />
申込締切:2018年9月25日(火)<br />
*定員となり次第締切となりますのでお早目の申込をお願い致します<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-sMoEaN6Xp2Q/W6xRJWmK8RI/AAAAAAAAAEU/z-bOvLDZj1Qa9XBCvA8CMdvk5XzjQCrbQCEwYBhgL/s1600/IMG_8426.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1132" height="320" src="https://1.bp.blogspot.com/-sMoEaN6Xp2Q/W6xRJWmK8RI/AAAAAAAAAEU/z-bOvLDZj1Qa9XBCvA8CMdvk5XzjQCrbQCEwYBhgL/s320/IMG_8426.JPG" width="226" /></a></div>
<div>
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-5htIDWW7UO8/W6xR_S9zQVI/AAAAAAAAAEc/PkyLADhUcIQtny2t6WFuwB-Dvbk148WnQCLcBGAs/s1600/IMG_8427.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline !important; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1117" height="320" src="https://3.bp.blogspot.com/-5htIDWW7UO8/W6xR_S9zQVI/AAAAAAAAAEc/PkyLADhUcIQtny2t6WFuwB-Dvbk148WnQCLcBGAs/s320/IMG_8427.JPG" width="222" /></a></div>
<div>
<br /></div>
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-NSeia1Xptzg/W6xR_deoxxI/AAAAAAAAAEY/9gREBIkd3scaPgXUiJxXiYgiiJg0pQ7sQCLcBGAs/s1600/IMG_8428.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline !important; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1116" height="320" src="https://4.bp.blogspot.com/-NSeia1Xptzg/W6xR_deoxxI/AAAAAAAAAEY/9gREBIkd3scaPgXUiJxXiYgiiJg0pQ7sQCLcBGAs/s320/IMG_8428.JPG" width="222" /></a><a href="https://1.bp.blogspot.com/-fm598JPDHW8/W6xR_ipYbCI/AAAAAAAAAEg/h6DZ4_outIclgYwnmYghznbWItuBWcUswCLcBGAs/s1600/IMG_8429.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline !important; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1147" height="320" src="https://1.bp.blogspot.com/-fm598JPDHW8/W6xR_ipYbCI/AAAAAAAAAEg/h6DZ4_outIclgYwnmYghznbWItuBWcUswCLcBGAs/s320/IMG_8429.JPG" width="228" /></a><br />
<br />
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-NNbZn7DRZm4/W6xSAmav1sI/AAAAAAAAAEk/fM8FJiPc_Qw6z5gYICXHuUG-6DeKd7pqgCLcBGAs/s1600/IMG_8430.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline !important; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1070" height="320" src="https://4.bp.blogspot.com/-NNbZn7DRZm4/W6xSAmav1sI/AAAAAAAAAEk/fM8FJiPc_Qw6z5gYICXHuUG-6DeKd7pqgCLcBGAs/s320/IMG_8430.JPG" width="212" /></a><br />
<br />
旅行企画:<br />
日本プレクシャ・ディヤーナ協会<br />
代表 坂本知忠<br />
TEL:047-357-2641<br />
E-mail:tomotada@icnet.ne.jp<br />
<br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com