メニュー

2011年12月25日日曜日

シリーズ[「基本の4ステップ」瞑想の魅力]


<瞑想とは何か>という問いに対して端的に答えることは難しい。それは、瞑
想には段階があり、それぞれの段階に応じて理解も効果も異なるからである。
山登りに例えるなら、しばらく登った最初の休憩地点で緑葉樹の木洩れ日の中
から見える景色と、常緑樹林帯を越えた高みから見渡す景色、針葉樹の森林限
界を越えたところから臨む景色はずいぶんと異なっている。けれども景色に違
いはあれど、どの場所を歩いていても山登りは気持ちいいものである。麓近く
の生い茂る緑の世界と木々の匂い、はじめて視界が開けた時の解放感、急な坂
を登り切った時の達成感etc.は一瞬一瞬が新鮮で、疲れを忘れさせてくれる。
頂上をめざしていたことさえ忘れてしまう輝きに満ちている。どれをとっても
山登りの魅力を説明するのに十分であろう。

瞑想も同じである。雲の上にある頂上まで登りつめて本当の瞑想の意味を実感
するまでには、幾多の道のりを辿らなければならない。坐禅でもヨガでも、
「無の境地」や「サマーディ」に達するには相当の修行が必要である。まして
や「悟り」や「解脱」など世俗で得られるものではない。気の遠くなるほど先
にそういうものがあるんだろうなぁ、と知識によって想像するだけである。し
かし、プレクシャ瞑想の「基本の4ステップ」にじっくり取り組んでいると、
次第に(頂上はなかなか見えなくても)頂上へ向かう安全で確かな道のりを歩
んでいる、という信念が生まれてくる。瞑想への実感である。そのように実感
できるのは、おそらく、一つひとつのステップが丹念に組み立てられているか
らであろう。瞑想(状態)へのプロセスが要素ごとに分解され、そこへ確実に
導かれるように再構成されているのである。

その要素を大雑把につかめば、次のように整理することができる。

1. 「リラックスせずに瞑想に臨むことは、風の強い日に窓を閉めずに掃き掃
除をするに等しい」とは、プレクシャ・メディテーション体系を構築したアチ
ャーリヤ・マハープラギャ師の言である。とくに「知覚瞑想」の場合、身体に
生じるあらゆる現象を注意深く観察する必要から、余分な筋肉的な現象は微細
な感覚を捕捉する妨げとなる。周囲の雑音を消してはじめて聞こえてくる音が
ある。そこに注意を向けなければならない。4ステップ瞑想の最初に「瞑想の
前提条件をつくるため」にカヨーウッサグを行うのはそのためである。ここは
まだ瞑想への入り口=「登山口」であるが、力を抜くことで心が落ち着き、ス
トレスから解放される。あるいは不眠症・冷え性の改善、疲労回復、不安・イ
ライラの解消といった「景色」をみることができる。

2. アンタルヤートラ(内なる旅)は生命エネルギー(プラーナ)をコントロ
ールし、瞑想の基盤をつくる瞑想である。カヨーウッサグによって体性感覚を
失った状態でエネルギーを「源泉」から「知の中心点」(頭頂)に汲み上げ、
本格的な瞑想に入るための準備を行う。これを行うと、ともすればリラックス
しすぎた脳(中枢神経)の働きが活性化され、意識がより明澄になる。ここか
らみえる「景色」は、神経系(交感神経と副交感神経)のバランス・強化、自
制心の獲得、精神力の向上、感情の安定化などである。

3. 呼吸は命の基本である。「人は時計によって時間の存在を認識できるよう
に、呼吸によって命の存在を認識できる。」(A.マハープラギャ)また、呼吸
は自律神経に支配されている生命維持活動の中で唯一、随意的にコントロール
できる現象である。つまり肉体と意識、体と心をつなぐ懸け橋になる。「ゆっ
くりとしたリズムで深い呼吸」を繰り返しているだけで次第に心は落ち着いて
くる。そういう呼吸をシュヴァーサ・プレクシャ(呼吸の知覚瞑想)で練習し
習慣化すると、集中力の開発、エネルギーの充填・増幅、緊張の緩和、精神の
安定、血圧の安定などの効果が期待できる。最新の研究によると、ゆっくり深
い呼吸をすると、セロトニン神経が活性化されて脳(自律神経)と心に影響を
与える(ストレスの緩和)だけでなく、不安や恐怖を感じる扁桃体への刺激が
減りネガティヴな感情が軽減される効果もあるという。また、肺胞が刺激され
ることでプロスタグランジンI2とう物質が血中に分泌され、血管が拡張して血
圧が下がったり、血栓ができにくくなって脳梗塞・心筋梗塞・動脈硬化も予防
されるという。そういう命のはたらきに直結する「景色」がここではみえてく
る。

4. そして、最後にジョーティ・ケンドラ・プレクシャ(輝く白い光の知覚)
瞑想を行う意味は何か。霊的色彩光の一つであるこの「色」(シュクラ・レー
シャ)を知覚すると、一般に、怒りやイライラの沈静化、平常心の獲得、平穏
・平和な気持ちの維持などの効果がもたらされるが、4ステップの最後で常に
これを行うことにはそれ以上の格別な意味があるように思われる。実際にステ
ップ(階段)を順に昇ってくると、1~3までの体験と4の段階でもたらされる
体験との間にはある種の質的な違いが感じられるからである。その質感自体を
言葉で言い表すのは難しい(本質的に言語表現になじまない)が、私はそれは
「集中」(行為)と「瞑想」(状態)の違いではないかと考えている。よくい
われる「瞑想とは一つの事物に集中することである」という定義は「瞑想をす
る」という行為を示しているだけで、瞑想そのものではない。それは瞑想に至
るための条件でしかない。それは必要不可欠な絶対条件ではあるが「瞑想」で
はない。集中によって思考が止まり、内的な環境が整った時、そして意識が集
中から解放された時、はじめて瞑想の状態が訪れるのである(坂本知忠[瞑想
をする、瞑想が起こる]本誌6号でいう「起こる」と同義)。4ステップの第4
段階は、この「状態」を誘発する意味と効果があるのではないか。ここで意識
的な作為から離れた瞬間に、頂上を覆い隠していた霞が晴れ、何かが感得され
る。そこに4ステップ瞑想の真義があるのではないか。そんなふうに思われて
ならない。

上に述べた「景色」はいずれも瞑想の究極的な目的(頂上)に至るまでの「副
産物」にすぎないが、どれも素敵な魅力と瞬間に溢れている。


<著:中村正人>
(協会メールマガジンからの転載です)

コラム[自己防御の砦]


インド西部、グジャラート州・パリタナと云う町にシャトルンジャヤ山がある。
シャトルンジャヤとは勝利の扉と云う意味で、山の頂上稜線に城塞都市のよう
なジャイナ教山岳寺院群がある。イスラム教の侵攻に対してジャイナ教徒が防
御するために山岳寺院を造ったと云われている。非暴力・他と争わないジャイ
ナ教徒が砦を作って武器で敵と戦うことはないが、亀が甲羅の中に首をすくめ
るように、ヤドカリが貝殻の中に閉じこもるように無抵抗非暴力の防御線にす
ることを目的に造られたのかもしれない。私はここの地球離れした異星に建て
られているような不思議な外観の寺院建築群に魅せられて、1989年、2000年と
2回訪れている。

防御とは何か。

今も昔も人類社会に争いが絶えない。商業活動や経済活動は見方を変えればラ
イバルとの競争、戦争である。ライバルとの争いに敗れれば企業は立ちいかな
くなり個人は生活の為の基盤を失いかねない。経済活動では今、勝者であって
も何時、敗者になるかわからないので人の心は不安で一杯になる。

近年の日本経済は繁栄の頂上に登ってしまったのではないか、後はいかに上手
に下山するかという理論と方法を考えなければならない時期にきているのでは
ないかと思う。だが今でも、もっともっと便利に快適にと商品開発や経済活動
にライバルと鎬を削ることが止められない。世界中で不況感が高まりライバル
との競争も激しさを増している。激しい社会情勢の変化に合わせて、一生懸命
努力して新製品を開発しても、不況による少ない需要の奪い合いで利益も出な
い。あくせくした気持ちで、長時間奴隷のように働きライバルと争っているの
が今の人間社会ではないのか。人間社会の中に天国も地獄も修羅界もある。

怠けることが出来ない修羅界のような争いの社会に嫌気がさして、解脱の境地
に救いを求め南伝仏教やジャイナ教に出家しても、それは社会からの逃避では
ないのか?出家集団は怠けもの集団ではないのか?との疑問が起こる。全ての
人が出家して修羅界から逃避できるわけではない。出家が少数であればその人
たちを大多数の人で支えることはできる。私は先進諸国の人と発展途上国の大
多数の人類は修羅界に陥っているのではないかとおもっている。仏陀は争いを
止めよと両手を胸の横で前方に掲げられた。ジナは非暴力・不殺生を第1の戒
律とした。それでも人類は争うことを止めず今なお嫉妬、悲しみ、怒り、不安、
絶望で苦しんでいる。

どうしたら俗生活を続けながら、修羅界から遠ざかれるか、敵の攻撃から身を
守ることができるか、それにはむさぼり心を止めることであると思う。自然に
与えられる以外のものは取らないということであり、他の人を陥れたり、騙し
たり恨みをかうようなことをしないことでもある。また足るるを知るというこ
とを実践し、むさぼり心にたいして塹壕を築くことである。他の人の価値観が
自己中心的でむさぼり心に占められているようならそのような人とは争わない
ことである。少ない物を分かち合い、互いを尊重して譲り合えば調和に満ちた
平和な人間界、地上天国ができると思う。

ブータン王国の価値観はグローバル化したアメリカ式自由貿易主義、自由競争
経済主義ではない所に価値観を置いている。それは足るるを知るという幸せ感
である。ブータンのように物質的豊かさでなく、足るるを知る所に本当の人類
社会の平和があるような気がしてならない。努力することと怠けることの調和
の中に人間らしい幸福な生活があるような気がしてならない。沖正弘先生は瞑
想を中心とした出家主義の怠け心は許されないとし、冥想を中心とした全力投
球の積極的な生き方である沖道ヨガを提唱した。私は日常生活を通じてプレク
シャ・メディテーションと沖道ヨガの実践が修羅界からの離脱、争いから身を
守る自己防御の砦であると思っている。


<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2011年12月22日木曜日

教室のご案内

★1月より、葛西教室が新たに設置されます。

■「瞑想とヨガ」教室(浦安)
毎週木曜日19:0020:30
ペンテフラット スタジオ
(東西線浦安駅から徒歩2分)

■プレクシャ・メディテーション基礎コース(浦安)★12月新設
毎週水曜日10:0012:00
癒しの空間「Bran樹」内
(東西線浦安駅または京葉線新浦安駅から
おさんぽバス10分「中央武道館」下車すぐ)

■「プレクシャ・ヨガ&メディテーション」実践クラス(行徳)
毎月第1月曜日15:0018:00
行徳(東西線行徳駅から徒歩5分)

■「ジャイナの瞑想とヨガ」一般クラス(葛西) ★1月新設
毎月第3日曜日9:0010:30または10:0012:00
(会場予約の都合により多少変動します)
葛西区民館 健康サポートセンター(東西線葛西駅から徒歩10分)
または
長島桑川コミュニティー会館(葛西駅徒歩15分)
---
1/15 9.00-10.30
葛西区民館 健康サポートセンター2F「健康スタジオ」
(葛西駅徒歩10分 江戸川区中葛西3-10-1)
2/19 9.00-10.30 同上
3/18 10.00-12.00
長島桑川コミュニティー会館「リクリエーションホール」
(葛西駅徒歩15分 江戸川区東葛西5-31-18)
---
「葛西区民館」へのアクセスマップにつきましては下記URLにてご確認下さい。
http://www.machi-info.jp/machikado/edogawa_city/index.jsp?menu=00&lat=35.662708333333335&lon=139.873173828125&scale=6000&imagetype=0&mode=0
「長島桑川コミュニティー会館」へのアクセスマップにつきましては、下記
URLにてご確認下さい。
http://www.machi-info.jp/machikado/edogawa_city/index.jsp?lon=139.8809926470588&lat=35.66273048371647&scale=5000&mode=0


参加ご希望の方は、お気軽に協会までお問合せください。
japan@preksha.com

2011年12月1日木曜日

【新設】プレクシャ・メディテーション基礎実践コース

プレクシャ・メディテーションの基礎実践コースが新設されました。

3カ月かけてプレクシャ・メディテーションの基礎をじっくり学び、
基本ステップの習得を目指します。(途中からの参加も可能です)
毎週水曜日10:0012:00


場所:千葉県浦安市 「癒しの空間『Bran樹』」内(047-383-9314
279-0004 浦安市猫実1‐17‐16(浦安市中央武道館前)
京葉線新浦安駅または東西線浦安駅から便利な「おさんぽバス」
が出ています(バス停16番目「中央武道館」下車すぐ)。
詳細(地図&バス時刻)については、下記URLをご参照下さい。
http://www.baycity-bus.co.jp/rosen/rosenz-osanpo1.pdf

会費:1 1,500円(協会会員1,000円)/2h
*新設キャンペーン実施中
12月受講料半額にて体験できます(初回体験無料)

初めて参加される方は予めご連絡のうえ、日程を確認してください。

(原則として毎週開催されますが、都合で開催できない日もあります)
お問い合わせ先:savita.nakamura@gmail.com