私のクラスでは、プレクシャ瞑想とヨガを実習するにあたって3つの点を特に
意識するよう強調している。一つは呼吸(ゆっくりとした深いリズミカルな呼
吸を維持し)、第二にリラクセーション(随意筋を徹底的に弛緩させて心を解
放し)、そして第三に知覚への集中(思考が停止するほどに感覚に意識を向け
る)である。この3つは密接に関連し合いながらヨガの段階から瞑想の状態に
移行することに寄与するが、その過程で生じる「痛み」をどう扱うかというこ
とが多くの場合課題となる。
この点に関連して、ムニ・マヘンドラ・クマール師は、シャリーラ・プレクシ
ャ(身体の知覚瞑想)の解説において、興味深い説明をしている。
瞑想中に体のどこかに痛みを感じても、その痛みに対して好嫌の感情を抱いて
はならない。快・不快に対して反応してはならない。痛みを感じたら心をそこ
から切り離して自由にし、感情や評価をまじえずに純粋に知覚に専念しなけれ
ばならない。そうすることで平静心が生まれるのである。もし痛みに対して感
情を伴わせて反応してしまうと、新しいカルマ(業)を作りだすことになる、
と。一方、既存のカルマについては、自分自身を変えるには粗大な身体(肉体)
の繊細な活動・機能を知覚し、それによってさらに奥に在るより微細な身体と
コミュニケーションを確立する必要がある。そこ(カルマ体)に精神的な発展
・進歩を阻害している原因があり、それが魂の束縛をもたらしている。カルマ
体には様々なことが記録されており、「自分を変える」にはそこに記録されて
いることを書き換えなければならない。その影響を阻止することが魂を自由に
することである。我々は身体の知覚を通して身体と自己との間にコミュニケー
ションを再構築する必要がある。
(『International Preksha Meditation: Shareer Preksha』Muni Mahendra
Kumar師ビデオ講義より抜粋・要約)
この説明は実に僧侶らしい宗教哲学的な表現であるが、よく考えると、大変示
唆に富んでいる。すなわち、肉体的な「痛み」(に影響された心)の行きつく
先と精神的な苦楽の源泉が同じだということである。用語こそ「カルマ」(原
意は「行為」)というインド思想からくる概念を用いているが、こうした「苦
痛」に対する捉え方は、最近、精神医療の現場でも見直されつつあり、トラウ
マ(*1)の治療にも導入されている(以下、デイヴィッド・エマーソン他
『トラウマをヨーガで克服する』2011/12紀伊國屋書店より抜粋・要約)。
トラウマを負った人は、その特徴として、一度何かのきっかけで体の警報装置
がオンになると二度とオフにならず、絶えず脳の原始的な部分で警戒状態が維
持され、真のリラックスを感じることなく、安心して生活することができなく
なる、という。原因は様々だが、子供時代に刻み込まれた「自分」や人との関
わり合いの中でもたらされた感情が潜在意識となって蓄積・沈殿し、人生のリ
アリティに対する混乱が生まれ、自らの人生を十分に生きることができなくな
る。喜びや苦痛を受けとめ、対処し、楽しみ、受け容れる能力が損なわれ、苦
しみに満ちた日常を送り、身体的にも免疫系が過剰に活性化し過度の警戒感を
解除できず自己免疫病を発症したり、脳の自己認識に関わる領域の活動が低下
して自己の中心を失い(中心が他人に遷移して)周囲に振り回される等の影響
を受けやすくなる。トラウマとは固く執拗に「嫌悪」に縛りつけられた状態で
あり、不安、恐れ、憎しみ、忌避といったネガティヴな感情と行動が繰り返し
もたらされる。
こうしたトラウマ症状に対する従来の標準的な対処法は、言葉によるカウンセ
リング(認知行動療法や曝露療法)が中心だった。しかし認識するだけでは、
心の傷や外傷記憶がいたずらに喚起され、苦痛が増大し、症状が悪化する場合
がある。そこで、身体を使って介入するタイプの療法(感覚運動精神療法/肉
体的な経験を足がかりとしてその人の内面・情緒・認識へと向かう方法)が試
みられるようになってきた。その最前線に、トラウマ用に考案されたヨガや瞑
想がある。
数多くの臨床を通じて導き出された結論は、次のようなものである。まず、す
べてのトラウマに共通する要素は「体からの疎外と断絶」と「<今ここに在る>
ことのできる能力の低下」にある。ここからトラウマを克服するための手法が
考案されるが、なかでも重要なポイントが<身体への指向>と<苦痛の受容>
である。すなわち、「ヨーガはまた、思考、感情、肉体的反応を含めた<自己>
の意識を強くする。そうした感覚的気づきの増大が、その人の体、そして自己
意識との結びつきの再構築を助ける。・・・それが体を指向するものとなったと
き、より成功の度合いが高くなるということをわれわれは見出した。われわれ
はクライアンに、彼らの思考や感情、彼らを取り巻く光景、周囲の音やにおい
までも意識するよう求めるのではなく」たとえば鼻で呼吸するエクササイズを
勧める。「そして、不快感の兆候や、自己判断が出てきたことに気づいたら、
ふたたび本来のエクササイズに戻り、経験のあらゆる側面に関心を持ち続け、
”判断を下さない”というスタンスを保ちながら取り組みを続け」る。そこで
は「身体的・感情的に不快な状態に対する判断をとりやめること」が重要であ
る。「知ろうとすることによって、それらの状態を直ちに変えようとする行動
に出るのではなく”ただ意識している”という、感情的に距離を置いた内的状
態をつくりだす。・・・何を変えることもなく、判断をしないで冷静に知ろうと
するプラクティスを特に勧める。」(p.143-4)
上記のポイントは、ヨガや他のどんな瞑想よりも、まさに身体内部の現象にの
み注意を向け意識を集中するプレクシャ瞑想(とくに身体や呼吸の知覚瞑想と
カヨーウッサグ)そのものである。「トラウマの克服」をそのまま「カルマの
浄化」という表現と置き換えてみたとき、現代におけるこの瞑想法の意義と役
割が浮かび上がってくるように思われてならない。
*1「トラウマ」(心的外傷)とは圧倒的・暴力的あるいは衝撃的な身体的経
験または心理的あるいは感情的経験によって生み出される心の傷をいい、それ
が精神に異常な状態を引き起こすとPTSD(心的外傷後ストレス障害)となる。
典型的な原因としては、戦争、強姦等の犯罪、事件・事故を含む悲惨な出来事、
暴力、虐待、いじめや嫌がらせ、親や配偶者によるDV、大規模な自然災害など
がある。しかし本文に書いた特徴は「トラウマ」に限らず、うつ病や抑うつ状
態にもあてはまる点が多い。
<著:中村正人>
(協会メールマガジンからの転載です)