ゴータマ仏陀の仏教(仏陀在世から入滅後100年まで)と現在印度で行われて
いる白衣派ジャイナ教を比較してみると、驚くほど教義と修行体系が似ている
ことに気づく。
仏陀の仏教は2500年の間に変貌をとげ、北伝仏教では仏教のカテゴリーに入ら
ないのではないかと思うほどに変化してしまった。ジャイナ教は裸行派、白衣
派の違いこそあるが、2500年の間伝統を守りほとんど変化することなく現代に
伝わってきている。
世の中には理想主義と現実主義がある。私はジャイナ教が本家、仏教が別家あ
るいはジャイナ教が本店で仏教が支店、新店だと考えている。ゴータマ仏陀は
もともとあったジャイナ教の哲学や思想、修行体系に若干の手直しと新発見を
加えて別家を作ったのだと思う。そして改革派であり現実主義をとった別家
(仏教)が時代のニーズをつかみ当時の大衆や金持ち達に支持され繁栄したの
だと思う。
仏陀の改革は輪廻転生からの解脱法として苦行を止め、智慧の瞑想を重視した
点にある。只そこだけが違っている。仏陀は実際主義者、実用主義者だった。
厳格主義者ではなかった。現実妥協の面が多々あった。仏陀の時代、出家の立
場からすれば、糞掃衣、食物は托鉢で得る、屋根の下で寝起き出来ないのが通
例だった。
金持ちの信者が増えると仏陀は信者からの新品の衣をつけ、食事の接待を受け、
寄進された精舎の屋根付きの家の中で寝起きするようになった。在家信者は出
家に布施することで多くの功徳を積むのであるから、その機会をシャットアウ
トしてはならないというのがその理由だった。
このような仏陀に対して反旗を翻したのが、悪名高き?デーヴァダッタ(仏陀
の従兄弟)である。彼は極端な厳格主義者、理想主義者だった。仏陀のやり方
に不満を持った。このことについて仏陀の留守に投票にかけた。デーヴァダッ
タの圧勝だった。しかし同じ仏陀の従兄弟のアーナンダの説得で多くの弟子は
仏陀に戻った。デーヴァダッタは少数の仲間と別の教団を作った。
仏陀入滅後百年ほど経って、再び戒律をめぐる対立が起こった。戒律を時代に
あった緩やかなものにしてはどうかという提案だった。主なところは、当時教
団で食料の貯蔵は認められていなかったが、食材(特に塩)の貯蔵を認めては
どうか、布施を金銀で受け取ることを認めてはどうか だった。ここに仏教の
根本分裂が起こった。厳格派が上座部(後のテーラヴァーダ仏教の前身)にな
り、改革派が大衆部(大乗仏教の前身ではない)となった。その後、教団は分
裂を繰り返し20程のグループになった。これを部派仏教という。いずれも出家
主義をとり大乗仏教とは区別される。
大乗仏教はそれよりずっと後に起こったもので、ヒンドゥ教の影響を受けてい
る。そして在家主義的な面が出てくる。仏塔信仰や讃仏運動がベースとなって
起こってきたと考えられる。仏教ではゴータマ仏陀が過去仏の最後、過去仏は
七仏、二十五仏、二十八仏の説があり未来に弥勒仏が出現する。ジャイナ教で
はマハーヴィーラが最後のジナで24人のティールタンカラ(過去仏と同じ)を
挙げている。未来においてジナを輩出する時代がくる。このような教義もジャ
イナ教と仏教は同じルーツを持つと予見させる。
現代印度、ジャイナ教白衣派のテーラパンタ派はジャイナ教復古主義者のグ
ループでジャイナ教の原型が比較的よく保たれている。非暴力のシンボル、マ
スクと箒がなければ形態の上でも教義の上でも古代の仏教そのもののような感
じを受ける。ジャイナ教にとって非暴力の教義は厳格なもので、この点ではジ
ャイナ教は今も苦行を重視している宗教として仏教とは区別される。
<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)