前号のメルマガ・コラムで非我か、無我か 魂はあるのか無いのかについて取
り上げたら、九州に住む知人のOさんからメールをいただき「仏陀は非我を説
いたのであり、無我を説いたのでは断じてない。私は魂を認める」という力強
い賛同のコメントをいただいた。
Oさんはミャンマーのパオでテーラワーダ仏教を長年学んでおられ、瞑想体験
も深い方です。
Oさんが言うには『目が目自体を認識出来ないように、認識主体は認識主体を
認識することが出来ません。(認識出来たらそれは客体です)無我と言ってし
まうと誰が涅槃するのかも分からなくなります。心と体が自分のものでなけれ
ば「それは自分のものではない」と言っているもう一人の誰かがいなければ計
算に合わないと思いますが、』と魂の存在を認める見解をいただいた。
現在、日本のテーラワーダ仏教界で指導的な地位にあるスリランカ出身のS師
は沢山の著書を書いているが、S師の著作を読んでいると魂を認める立場の人
を尊重せず、心と魂の定義を不明確のままごっちゃにして魂はないと言い切っ
ている。ジャイナ教についても偏見丸出しで、邪教呼ばわりし、あたかも自分
だけが正しいかの如く傲慢さを感じる。私はS師から瞑想の指導を受けたこと
があるが、その時、師の雰囲気に突き放した、冷たいものを感じた。S師が魂
なんて無いと言っているから、魂で魂を観る瞑想であるプレクシャ・メディ
テーションが誤解され普及が進まないのかもしれない。我々はもっと我々の立
場で魂について、輪廻転生について、カルマについて、きちんと論調を展開し
ていかなければならないことを痛感している。
以下はジャイナ教テーラパンタ派のサマニー(スレーヤサ・プラギャ師)から
聞いた魂に関するレクチャーをまとめたものである。
ジャイナ教では魂を神聖な魂と神聖でない魂の二つに分けています。神聖な魂
とは解脱した魂で、神聖でない魂は輪廻転生の中にある魂です。神聖な魂は生
命がなく、体がなく、カルマがなく、食べることがなく、生きている特徴のな
い完璧な魂です。身体を持たない完璧な魂をシッダといい、人間としての肉体
を持ちながらアカルマになって解脱した完璧な魂のことを、アラハトと言いま
す。アラハトが肉体の死を迎えるとモークシャの世界に入りシッダとなります。
全ての生き物には魂があります。全ての生き物は輪廻の中にある魂だと言えま
す。人間は各々の魂を持っています。各々の動物も各々の魂を持っています。
魂は独立した存在で、魂には意識が備わっています。魂はエネルギーであり、
永遠であり、無限の幸福を持っています。
魂には2種類あって、一つは移動出来るもので、もう一つは移動出来ないもの
です。移動できない魂は感覚として触覚しかない魂で、地球、水、火、空気、
植物(樹木、草、野菜)があります。
移動できるものには二つ以上の感覚があります。貝、ミミズ、蛆虫は触覚と味
覚の二つの感覚しかありません。蟻、百足は触覚、味覚、嗅覚の三つの感覚で
す。蚊、蠍、蜘蛛、蜜蜂は視覚を加えて四覚であり、ほとんどの動物はさらに
聴覚が加わり五感覚を持っています。
五感は魂から創られたもので、五感そのものは魂ではありません。感覚を有し
ているものには全て魂があります。そして、魂には叡智が備わっています。魂
は平等で、魂は独立して、それぞれに動いています。
私の考え方を要約すると次のようになる。
魂は見ることも触れることもできない、捕捉することが出来ないので、一般に
無いと言われている。しかし魂は最も微細なエネルギーで、この世とあの世に
属している。3次元(この世)で生きる人間は肉体の死で身体は分解し大地に
帰っていく。心も消滅し無に帰すが、魂は我々が生きている次元とは別の次元
(あの世)にもまたがって存在しているので、3次元での肉体や心が消滅して
も別次元(あの世)で魂は存在し続ける。地獄界(ジャイナ教では7層ある)
も天界(26層になっている)もこの世とは違うあの世の世界なので、そこで
の住人の身体や食べ物は、我々の世界(この世)と全く違っていて当然である。
輪廻している魂はそのカルマに応じて地獄界、動物界、人間界、天界を行き来
しているというのがジャイナ教の考え方である。動物界、人間界がこの世に属
している。テーラワーダ仏教より合理的で分かり易く、納得できる考え方だと
私は思う。テーラワーダ仏教の無我=魂は無いという理論は矛盾がとても多い
と私は感じている。
魂のことが理解できないと、輪廻転生やカルマについての理解が得られず、又、
解脱のことや、なぜ修行するのか、瞑想するのか、善を行xわなければならない
のかが解らなくなる。魂の理解は因果律や原因と結果の法則についての理解を
深める。
プレクシャ瞑想を続けて少しずつ解ってきたこと。それは、仏陀は難しい魂の
ことを論じてはならないとしたが、魂は無いとは言わなかった、というのが真
実であろう。
<著:坂本知忠>(協会メールマガジンからの転載です)