何も予定がない2日間の休暇が出来た。台風16号の影響が出るまで、あと2日ほ
どは大丈夫だろう。秋分の日の休日、午前3時20分に車で自宅を出た。混雑が
予想される中央道も早朝なので渋滞もなくちょうど5時に勝沼ICを抜けた。目
指すは車で通過できる峠としては日本最高所の大弛峠である。大弛峠は奥秩父
連峰の主脈を山梨県から長野県に越える峠で標高2365mの高所にある。自宅か
ら3時間10分かかって6時30分に峠の駐車場に着いた。大弛峠からは日本百名山
の一つ金峰山に最も短時間で容易に登ることが出来るので、休日は登山者が多
い。金峰山は秋に登りたいと思って過去何度も登る計画を立てたが、天候が悪
かったり、林道崩壊の通行止めなどで入山出来ず、私にとって登りたくて登り
残した山だった。
山が混雑しないうちにと考え、6時45分身支度を整えて峠をあとに山道を歩き
だした。緩やかな登り道なのになんとなく体が重く感じられるのは久しぶりの
山行だからだ。奥秩父の主脈はオオシラビソやトウヒ、コメツガなどの針葉樹
林に山体が覆われている。オオシラビソが密生林立する森の稜線をたどり1時
間で朝日岳に着いた。朝日岳からは富士山やこれからたどる金峰山頂上までの
全貌が見渡せた。花崗岩が折り重なった頂上部や五丈岩まで良く見えた。針葉
樹林が這松やシャクナゲに代わるとそこが金峰山の頂上部だった。花崗岩が風
化した白砂の山道を踏んでゆくと、大きな花崗岩が累々と積み重なった金峰山
の頂上に出た。頂上の西には名高い五丈岩が古代遺跡のように立ちはだかって
いる。ガイドブックの写真で見た印象よりはるかに大きく感じられた。ここま
で大弛峠から2時間で着いた。時間はたっぷりある。お湯を沸かしてコーヒー
を入れサンドウィッチでブランチをとった。
金峰山は実に展望が良い、近くは花崗岩の城塞の如き瑞牆山の奇異な姿が目を
引く。遠く八ヶ岳連峰や甲斐駒・仙丈、南アルプスの北岳、間ノ岳が望まれた。
金峰山は花崗岩の山で、頂上付近の各所で花崗岩の折り重なりがみられる。そ
の花崗岩が折り重なる一画、登山道から離れて平らな岩を見つけてその上に瞑
想座法で座った。この場所は大きな花崗岩が人目を遮っているので静かに瞑想
することが出来た。花崗岩は昨夜の冷え込みでまだ冷たくフリースの上着を敷
物にして石の冷たさを防いだ。
大気はあくまでも清涼で冷たく澄み渡っていた。日差しが強いので頭から両耳
に手ぬぐいを渡しその上から庇付の帽子を被った。背筋を真直ぐ立てて身体内
部を知覚した。背骨の中ほどの部分に重く暗く痛みを伴う拳大のブロックがあ
って、アンタル・ヤートラを試みるが上手くエネルギーが流れないし、ブロッ
クも解消されなかった。このブロックが邪魔になって瞑想に入っていけないの
で、次にプラナサンチャラニー・ムドラを試みた。少し早い呼吸で2セット終
わるころには、ブロックが完全になくなった。太陽の暖かさが丁度気持ち良く、
内部感覚は極めてクリヤーで光に満ち満ちて穏やかになった。微風、大気の冷
たさ、這松の匂い、青い空、白い雲、深い緑の山肌、花崗岩の折り重なり、外
の世界の情景もイメージとして記憶に刻んだ。1時間の瞑想がアッと言う間に
過ぎた。3時間もゆっくりと頂上付近で過ごして大弛峠に戻ったのは午後2時前
だった。今日中に自宅に戻ることが出来るが、帰りの中央道の渋滞を考えると
もう一日山に居て翌日の午前中に帰る方が良いと考えた。峠の山小屋(大弛小
屋)に宿泊手続きすると、たぶん今日泊まるお客様は貴方だけでしょうと言わ
れた。午後4時ごろになると登山者は皆帰ってしまい。峠の駐車場も静かにな
った。気温がぐんと下がって10℃以下になった。古びた山小屋の土間に置かれ
た壊れかけた鋳物の薪ストーブに火が入った。泊り客は私一人なのでストーブ
に薪をくべるのも自分でやらなければならなかった。早い夕食が終わって、8
時の消灯までの時間をストーブの火を見つめて過ごした。こうして火を見つめ
ていると寂寥感が幾分和んだ。孤独とは何か、自我とは何か、人は他のものと
完全分離している存在なのか、自己以外のものとの融合は起こりうるのか、
様々な思いが湧き起こった。
翌朝は5時に目覚めた。食堂の石油ストーブに火が入れられて暖かいお茶が用
意されていた。5時半には朝食が出来て、6時に山小屋を発つことが出来た。
台風の影響が出るのは午後からなのか、空は穏やかに晴れていた。誰も登山者
のいない山道をたった一人で歩きだす。夢の庭園と名付けられた絶景の場所を
過ぎ、木で作られた階段と木道を登ってゆく。シラビソの樹林が生えた山の斜
面を観察すると花崗岩の岩塊が折り重なっていて、その上に苔が覆い尽くして
いた。大弛峠から45分で前国師岳、北奥千丈岳に立った。頂上は花崗岩の岩塊
が露出していて瞑想ポイントにふさわしい雰囲気を醸し出していた。ここから
の眺望も実に良い。富士山の方角だけは針葉樹が妨げになって見えないが、甲
斐駒から続く南アルプス、金峰山、八ヶ岳連峰が雲海に浮かんでいた。見渡す
限り人工の構造物が皆無で人の気配もなかった。頭上は青い空、雲海の低い雲
と、高い空に巻雲がたなびいていた。遠くも近くも山ばかり、針葉樹の森は音
もなく静かだった。自分がこの地上でたった一人になってしまったのだろうか
と云う錯覚が起こった。座りやすそうな花崗岩の岩塊の上にスクハーサナで座
った。大気は昨日に増して冷たかった。ギャーナ・ムドラでは手が冷たいので、
アラハンムドラにした。マントラを声に出して唱え、スーフィーの呼吸法とビ
ジュアライゼーションで体内を浄化してから、身体内部を知覚した。内部感覚
はブロックがなく、生命エネルギーはスムーズに流れていることが解った。エ
ネルギーの流れと共に様々な内部感覚が変化し、現れては消え、そして動いて
いた。3、40分も経った頃、内部感覚の変化や動きが静まりディヤーナに入っ
て行った。時間が経過して身体内部が空っぽになったようにクリアに観じた。
冷たい風にディヤーナから顕在意識に引き戻されて、ゆっくり目を開けると1
時間近く経過していた。その間、登山者は誰も来なかった。
自然の中で瞑想するときは屋内でするときのように上手く行かない事が多い。
外部環境に五感が影響されて意識が外に向いてしまうからだ。今日の瞑想も完
璧と云えるような深いサマーディ状態にはならなかった。まだまだ私は未熟で
あることを実感した。山登りが好きで高校1年生のときからずっと続けてきた。
山登りの途中で瞑想することがあっても、今回のように瞑想そのものを目的と
して山登りをしたのは初めてだった。私もすでに高齢の領域に入った。これか
らは単に山頂を目指して山にのぼるのではなく、瞑想するための季節と場所を
考慮して登る山を選定しようと思った。
岩上瞑想のあと国師岳の頂上まで足を延ばした。国師岳の頂上も花崗岩の露岩
となっていた。北奥千丈岳から見えなかった紫色の富士山が、ピラミダルな姿
で裾を広げ雲海上に孤高の姿で浮かび上がっていた。山に来て良かった。これ
からは独りぼっちでもこういう静かな登山が良いとしみじみ思った。
<著:坂本知忠>(協会メールマガジンからの転載です)