メニュー

2015年3月31日火曜日

第4回プレクシャ・コミュニティ交流会開催のお知らせ

直近のお知らせとなりましたが、来たる4/4(土)18時より、ジャイナ教の開
祖マハーヴィーラの生誕祝賀集会に合わせて「第4回プレクシャ・コミュニテ
ィ交流会」の開催が急きょ決まりました。下記のテーマで、在日ジャイナ教徒
の皆さんとざっくばらんに、楽しく意見交換をしたいと思います。参加は無料
です。ふるってご参加ください。

テーマ: 「アヒムサ(非暴力・不殺生)と食文化あるいはアネカンタ(非独
善主義)はどこまで両立できるか?

日時: 4月4日(土)17:45集合

集合場所:完全菜食インド料理店「ヴェジハーブサーガ」入口前集合
     (→会場に移動)
     住所:上野5-16-9サンエイビル地下
    (JR御徒町駅or地下鉄仲御徒町駅から徒歩2分)
    (店舗ホームページhttp://www.vegeherbsaga.com/shop.html)

会場:ジャイナ教寺院(御徒町)にて、18時過ぎ~開始

※ジャイナ教徒の皆さん(インド人)の集会にお邪魔する形となりますので、
 本物の賛歌なども聴くことができます。

※一連の会の終了後、自由参加にて「ヴェジハーブサーガ」で夕食・歓談を予
 定しています。

平成27年度 日本プレクシャ・ディヤーナ協会 年次総会開催のお知らせ

当協会では、第四回年次総会を4月の研究会開催時に執り行う予定です。会員
の皆様へ平成26年度の会計報告ならびに来期27年度の開催予定行事や今後の協
会運営について話し合いの場をもちたいと思いますので、ふるって出席くださ
い。

当日は簡単なお菓子とお茶などをご用意いたします。参加費は無料ですので、
お早めに協会事務局(メール:japan@preksha.com)まで出席のご連絡をよろ
しくお願いいたします。なお、この日に限り、プレクシャ・メディテーション
研究会にも無料で参加いただけます。

会員の皆様からご提案などございましたら、事前に協会事務局までご連絡くだ
さい。

日時:2015年4月6日(月)18:00~(総会終了次第研究会となります)
場所:市川市南行徳市民センター3階 集会室1
千葉県市川市南行徳1丁目21番1号  TEL: 047-359-5451
東京メトロ東西線南行徳駅下車、徒歩1分
アクセスマップにつきましては、下記URLにてご確認ください。
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/gyotoku/m_mapprak.html
参加費:無料

※会員様のための総会となりますが、新規会員希望の方や協会の活動内容に
 興味がある方のご参加も歓迎いたします。

以上、皆様のご参加をお待ちしております。


第61回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第61回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さい
ますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2015年4月6日(月)19:00~21:00
場所:集会室2(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ: うつと瞑想~うつ対策プログラム構築への試み(理論編/実践編)

瞑想は何故「うつ」にいいのか。代替医療(自然治癒論)の権威、アンド
ルー・ワイル博士の最近の著書『うつが消えるこころのレッスン』(2012年)
を整理しながら、精神医療における瞑想の効果を検討します。(総会終了後、
時間の許す限り、理論→実践プログラムの順で進めます。)そのうえで、プレ
クシャ瞑想の特長に照らして、独自の「うつ対策プログラム」を模索します。

※事前に連絡をいただかないと資料を受け取れないことがあります。
※参加費は通常、会員1,000円/非会員1500円ですが、
今回は総会開催のため無料参加いただけます。

【今後の開催予定】
・2015年6月1日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2015年7月6日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日(祝祭日を除く)に開催しています

コラム[利己心と依頼心]

人類社会が混乱し争いが絶えない根本の要因は、人間の心の奥に巣食っている
自己中心的なエゴの心と他者への依頼心である。この心を正し、取り除いてい
かないと個人として幸福になれないし、社会に平和が訪れることもないだろう。
宗教が必要とされる理由は、その二つの心から起こる問題を取り除くためであ
る。

世界中にある宗教の根本教義を要約すると、宇宙は神によって創られたもので
あるという創造神を認める立場と、宇宙は神によって作られたものではなく始
めもなく終わりもなくただ無限の変化を繰り返しているに過ぎないという立場
の二つに分類できる。創造神を認める立場の主な宗教はユダヤ教、キリスト教、
イスラム教である。一方、創造神を認めない立場が仏教やジャイナ教である。
ただし、後世の変容した仏教やヒンドウ教には創造神を認める立場もある。

創造神を認めると神様が人間の人生をコントロールしていると考えるようにな
る。それに対して、創造神を認めない立場の人間は神様にコントロールされて
いるのではなく、自分の為した行為に支配されていると考える。自分の行った
行為は潜在意識下の深いレベルに蓄えられていて、それが人間をコントロール
していると考えた。それが自業自得、自己責任、因果律の考え方、教えである。

創造神を認める立場の人は人間的に成長するために、そして神に救われる為に
は、他に対する奉仕、社会救済活動が必要と考えた。自分が他を救うことによ
って神様からの救い、恩寵を受けることができると考えた。神による救いと救
われを理想とし、他に対する思いやりの心を育むことと愛の実践を重視した。
この立場はエゴの心を取り除き自己中心的になることを防ぐ利点があるが、と
もすると依頼心を育て他に依存するようになってしまう。責任を自己に見ない
で他に転嫁する考えを育む。訴訟事案の多い社会となる弊害がある。良いこと
をすれば神に救われるが、悪いことをすれば地獄に落ちて劫火に焼かれると勧
善懲悪を教える。近年の日本人の考え方から責任感が希薄になってきたのは、
創造神を認める欧米文化の影響が強くなって来ているのではないかと私は考え
ている。

ジャイナ教や初期仏教は解脱(輪廻転生からの離脱)を理想として、輪廻転生
の元である原因と結果の法則を断ち切ることを理想とした。今、自己に起こっ
ていることの全ての原因は自己にあるとして、他を助けること、他から助けて
もらうことに力点を置かなかった。このような考えはともすると他を突き放し、
自己中心的になりやすく傲慢になってしまう欠点がある。良いところは、自分
のことは自分でするという自主独立の精神が養われ、強い責任感を持ち、責任
を他に転嫁しない考え方を育む点である。しかし社会的弱者に対して突き放し
た冷たい社会になる恐れがある。原因と結果の法則、魂の輪廻転生を説いて悪
を為さないように教える。

社会救済を主とする活動は、自己を皮膚の外側に拡大していく方向性を持つ。
人類救済のために菩薩行、愛の実践を行う。地上天国の創造を目標にし、神に
救いを求める祈り、他を助けるための救いがその方法である。自己拡散的なこ
の方法を通して今まで自分でないと思っていたものが自分となる。他人が自分
となり、動物や植物が自分になり、他物が自分になり、地球が自分になり、つ
いには宇宙が自分になる。

自己救済を目的にした修行は、自己の皮膚の内側に集中していく求心的方向性
を持つ。解脱のために瞑想を通して徹底的な自己観察を行う。自己観察によっ
て今まで自分だと思っていたものが自分でないと解る。体は自分ではない。心
は自分ではない。怒りや悲しみ等の感情も自分ではない。悩みや癖や反応も自
分ではないと解る。自分ではないものを取り除いていって最後に本当の自分が
残る。不純物が混ざり合った金鉱石を精錬し純金にするように、不純物で汚染
された水を清らかにして純水を作るように、魂の本質は純魂というべき純粋な
ものである。

世界中の宗教は大まかにどちらに重点をおいていかによって二つのいずれかの
カテゴリーに分類できるので、今自分が学んでいるスピリチュアルな学びはど
ちらに属しているのか常に念頭に置いておかなければならない。そのことが分
かっていないとスピリチュアルな学びが混乱して何がなんだかわからなくなる。
創造神を信奉する宗教は神の偉大さを強調するために壮大な寺院を必要とした。
バラモン教の時代には大寺院を必要としなかったが、ヒンズー教化すると壮大
な寺院が建てられた。仏教も救いの概念が入って大乗化すると大寺院が立てら
れるようになった。ジャイナ教も祈りや救いが入ると壮大な寺院が建てられた。
偶像崇拝する心に祈りと救いの概念が入る。初期仏教や初期ジャイナ教には救
い救われの哲学は乏しく自力修行と自己責任が強調される教えであった。ジャ
イナ教のマハーマントラは救いを祈るものではなく、悟りを開いた先人に対す
る敬慕と感謝の想いを言葉に出している。

私は一般に言われている自己救済を目的にしたメディテーションを「瞑想」と
いうのに対して、自己拡大していく社会救済的な活動を「冥想」と呼びたい。
本当の瞑想とは、「瞑想」と「冥想」を合わせたものである。沖正弘先生は創
造神を認める宗教と創造神を認めない宗教を統合してその全ての修行を総合的
に行うことを冥想行法と表現された。パタンジャリのヨガ8段階に不足してい
る社会救済的な面、愛や祈り救いの行法を加えてヨガの10段階を構成した。
総合ヨガの10段階には冥想行法という段階はない。一般にメディテーション
と言われている段階は統一行法(ダラーナ)と禅定行法(ディヤーナ)に相当
する。ヨガの10段階全ての行法を含む意味合いを持つ冥想行法の中で最も重
要なものは統一行法、禅定行法であると言っている。

沖先生の提唱されたヨガは総合ヨガであり、生活ヨガ、求道ヨガ、冥想ヨガで
ある。そしてそれらを実践することが「生きている宗教」である沖ヨガ、沖道
である。創造神を認める宗教と創造神を認めない宗教を統合し、その欠点を利
点に変え、日常生活の中で実践していくとした宗教哲学である。

身体の動的訓練が素晴らしい沖ヨガと霊性の静的訓練が素晴らしいプレクシ
ャ・メディテーションが融合したら、人類史上最高の身心訓練法になるのでは
ないかと常々思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)