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2018年11月13日火曜日

コラム:皮膚と触覚と意識について

人間は他から侵害されたくない境界を持っている。集団としての国は国境を設け、
小集団では砦や城に堀をめぐらし、町村境を設けて自らの権益を守ってきた。家
族として家を構え塀や外壁で外と内を区別している。生物の個体である自己と世
界の境界は樹皮や皮膚である。皮膚の内側が自己で外側が他物すなわち世界であ
る。人間は触覚、味覚、視覚、聴覚、嗅覚の五感によって外側の世界を探ってい
る。味覚、視覚、聴覚、嗅覚は特別につくられた特殊感覚器官と呼ぶべきもので、
舌、目、耳、鼻がその役割を担っている。触覚は皮膚表面だけでなく内臓諸器官
にもそのセンサー機能がある基本的な感覚神経である。舌、目、耳、鼻の感覚受
容器にも触覚が備わっていることに注目したい。

植物は舌、目、耳、鼻を持っていないが、触られたことがわかる触覚を持ってい
る。根や樹皮、葉に存在する特殊な感知器で光や温度、水の存在を感じることが
できる。植物は一感しか持っていないが、その一感が触覚であることは注目すべ
きところである。地球上に生息する全ての生き物(植物を含めて)には触覚が備
わっている。触覚が受け取っている感覚こそ自己が外界を知り、自己を守り、生
存し、子孫を残すための根源的な感覚なのだ。生まれて間もないころの人間の子
供を観察してみると、主に触覚で環境や世界を把握しようとしていることがわか
る。

人間でいえば、自己と世界の境界は皮膚である。皮膚の表面には外界(自己以外
のもの)を探るセンサー機能が備えられている。皮膚は触覚の感覚器の役割を担っ
ている。皮膚が感じることが出来る刺激は、触られている(触覚)、押される(
圧覚)、痛み(痛覚)、かゆみ(痒覚)、温かさ(温覚)、冷たさ(冷覚)の6
種の刺激である。それぞれを圧点、痛点、温点、冷点が対応している。皮膚表面
の触覚は重さ軽さ、温かさ冷たさ、固さ柔らかさ、ザラザラ・つるつるなどであ
り、これらの感覚は好き嫌いの感情を招来し、心に影響を与えている。例えば、
初対面の人を堅い椅子に座らせると相手は座らせた人を固い奴だとおもう。自動
車の販売デーラーは顧客を固い椅子に座らせると値引きされないで済む。

PRESSURE(圧)、TOUCH(触)、VIBRATION(振動)、TICKLE(くすぐったさ)な
どの感覚を生理学用語で機械的感覚という。機械的感覚の受容器は指先と口唇に
多数分布していて、上腕、大腿上部、背部には少ない。肌があう肌が合わないな
どというように、触覚は人間にとって究極のコミュニケーションの手段でもあり、
触ってみなければ解らないというように、美術品や骨董品など見た目の印象と実
際触れて感じたものでは違うことが多い。インターネットで画像だけ見て商品を
購入して失敗するのも実際手に取って触らなかったからだ。

人間の皮膚の総面積は約1.6平方メートルでおおよそ畳一畳分に相当する。皮膚の
表面には1平方センチメートルあたり触点が25個、痛点が100~200個、温点
が0~3個、冷点が6~23個分布している。全皮膚表面には200~300万の
痛点があり、侵略刺激を受けて反応する。皮膚や粘膜に分布する3万点の温点が温
度に反応している。触点や痛点などの下には各種の感覚受容器があって、それら
受容器はそれぞれ固有の刺激に反応するようになっている。受容器が受けた反応・
興奮は1次知覚神経によって伝達され脊髄を上行して視床で中継され頭頂葉の体性
感覚野に到達する。体性感覚野には体の各部についての情報を取り扱うもののほか
に触れる対象の特徴を取り出せるようなニューロンがある。それらは、硬いものに
触れたときのみ反応したり、ザラザラしたものに触れたときのみ反応するもの、角
のあるものに触れたときのみ反応するものがある。体性感覚野でこれらの情報が統
合されて能動的に獲得する感覚をもっている。

意識とは考えることであり感じることも含んでいる。心を意識と言い換えてもよ
い。知覚とは考えることではなく感じることである。感覚と知覚の違いは感覚が
観られる対象であり、知覚は観る主体者の意識的な心である。熱いものに触れた
とき皮膚の温度受容体が作動し、電気信号として神経を通じて脊髄に到達する。
その時パッと手を離す行為が脊髄反射として起こる。これが感覚である。このと
き脳によって知覚されたわけではない。知覚とは情報が大脳皮質の皮膚の感覚に
対応する場所にとどいて「熱いと」感じることをいう。知覚には脳による意識が
必要である。脳のない生物は植物であれ、ゾウリムシやクラゲ、ウニなどは感覚
機能は持っているが知覚機能をもっていない。熟睡しているときに、誰かに触ら
れても感覚機能は作動しているが知覚されているわけではない。知覚には脳によ
る意識の働きが必要である。睡眠は脳の働きの休眠状態なので、知覚することが
できなくなる。より良い瞑想は意識がはっきりしていなければならない。脳が感
じようとして鋭敏に働いていなければならない。

人間には特殊感覚器官である舌、目、耳、鼻の他に触覚として身体の内側と外側
からの刺激信号をとらえて、中枢神経系に伝える働きをもった受容器(感覚器)
が皮膚の表面だけでなく、身体の全ての組織に存在している。これらの感覚系を
生理学で体性・内臓感覚という。体性感覚は皮膚の表面で感じる感覚の他、皮下
の筋肉や腱、関節などの受容器が内部感覚(深部感覚)としても感じている。そ
れから胃、腸、肝臓、肺、心臓などの内臓は内臓感覚をもっている。

人間が生きているとは、「生体を成長させ維持し動かすために外部からエネルギ
ーを取り込み、呼吸が継続し血液が流れ、神経系を電磁気的な信号が途切れなく
伝わっていき、その流れによってさまざまな身体組織と臓器に感覚が起こってい
て、生起している感覚の粗雑なものから精妙なものまで、意識的なレヴェルから
無意識レヴェルまで」、中枢神経系がさまざまな身体感覚を感じとって、それに
対応して命を守るために、身体が健全に動くように、適切な指令を身体各部に発
信していることをいう。

粗雑な感覚から精妙な感覚まで、我々は瞬間瞬間に生起する全触覚情報の数千万
分の一しか知覚できていない。知覚できない情報は全て無意識情報になっている。
その無意識情報が潜在意識化して我々の思考や行動に莫大な影響を及ぼしている
のである。プレクシャ・メディテーションは知覚することが難しいレヴェルの精
妙な感覚を、訓練によって知覚できるようになることを目指している。その達成
によって我々は深いレヴェルの自己認識に到達する。

皮膚の表面は自己と世界の境界になっているので、自己防衛のための兵士がたく
さん存在する場所である。その兵士が触覚器である。皮膚はアンテナのようにセ
ンサーとして働き、とても鋭敏である。そのような鋭敏な皮膚表面に感じようと
する心を向けるとき、高い集中力によって見逃していた精妙な感覚を知覚するこ
とができる。最も高度なダラーナ(集中のテクニック)は身体内部の精妙な感覚
の知覚である。これをヴィパッサナーといい、プレクシャという。好き嫌い、良
い悪いの判断を手放してありのままに感じ観察することを意味する。


<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/12月第67号からの転載です)