火とは何かについてアヌプレクシャした。火について考察するとき私の脳裏に
まっさきに思い浮かぶのは焚火である。今の若い世代や私の孫たちは焚火の経
験が少ないか全くないといってよい。また、どのように薪を燃やすのか、その
技術を知らない。私は若いころ、北関東から東北北部の白神山地まで未知なる
渓谷を求めて沢登りに熱中した時期がある。道のない山を渓谷伝いに登るとき、
渓畔での野宿の友は焚火であった。山での焚火は調理のための燃料であり、体
を温めるための暖房であったが、それ以上に心の安心や暗闇を照らし、友との
語らいを引きだしてくれる媒体であった。薪を刈るための山道具として私は秋
田県角館の喜一鍛冶に特別注文の鉈を作らせたほど、渓流歩きと焚火の達人に
なった。
南アルプス北部の白岩岳に8月に登った時のこと、滝もない登りやすい門口沢
を登り予定より早く白岩岳に登頂し、前小屋沢に下った。登行記録のなかった
前小屋沢は、登りの時の門口沢とは全く違って険しい谷だった。下山途中で不
運にも雨になった。我々3人は誰も雨を予期していなかったので雨具を持って
いなかった。雨に打たれて全身びしょ濡れになった。雨に打たれているので下
山を急いだが夕暮れ時、どうにもならない大きく高い滝に遭遇した。無理して
滝を下降して滑落したら命にかかわる。3人で協議して滝の落ち口の安全な場
所でビバーグすることにした。我々は日帰りでベースキャンプまで降りてくる
予定だったので食料も持参していなかった。ひもじく、寒さに震えながらの長
い一夜を過ごした。遭難一歩手前の夏の夜が明けた。幸い雨が止み流木を集め
て焚火を盛大に起こし、濡れた衣服を乾かした。雨具や食料は持っていなかっ
たが、マッチと鉈だけはサブザックに入れていた。地図を焚きつけにして、火
を起こした。この時の焚火のありがたかったこと、一生の思い出である。
火を扱えるようになって人類はほんとうの意味で人類になれたのではないかと
私は思う。火は暗闇を照らす明かりであり、食物を食べやすくする煮炊きの燃
料であり、寒さから暖をとったり、獣から身を守るありがたいものとなった。
ホモサピエンスの登場以前、今から40~50万年以前、原人の時代から人類
はすでに日常的に焚火としての火を使っていた。
火を巧みに扱えるようになって初めて人類は文明を持つ余裕ができたと言える。
石炭や石油などの化石燃料が広く使われるようになる以前、人類史の長い間、
人間が火を作るための燃料は主に薪と炭であった。火は調理、照明、暖房、合
図として使われてきた。焚火で調理する方法として土器や金属器がなかったと
きには調理する物を串にさす、木の葉に包む、焼石を使う方法がとられた。火
を使うことが出来るようになって、食べることが困難だった豆や穀物、芋など
多くのものが食用可能となり農業が起こる礎となった。火を通すことで肉に付
着している寄生虫や病原菌を熱消毒できる利便性も得られた。
さらに火を扱うことに上達して土器が焼けるようになり、陶器や磁気まで焼け
るようになった。火が使えることで銅と錫を混ぜて青銅器をつくれるようにも
なった。文明とは火を上手に扱える技術のことだといえる。照明器具として菜
種油や魚油を燃やす行燈やランプが作り出され、化石燃料を安価に大量に扱え
るようになって、蒸気機関から自動車、航空機まで作れるようになった。さら
に現代ではエネルギー源として原子力や燃料電池、風力発電や太陽光まで火の
カテゴリーとして扱えるようになり、文明は加速度的に進歩発展している。
火という言葉の定義づけは、「熱と光を出す現象のこと」といえる。科学的に
は、「物質の燃焼に伴って発生する現象のこと」である。燃焼とは物質の急激
な酸化である。火が燃えるとき熱や光とともに様々な化学物質が生成される。
炎は煙が熱と光を持った状態になった気体の示す一形態である。それを科学的
にいうと、気体がイオン化してプラズマを生じている状態という。
火は大地の重力や引力、大気の対流や、湿度などとも関係している。ろうそく
の炎は炎心と内炎と外炎によって構成されている。最も明るいのは内炎である。
内炎では炭素(すす)が多く含まれていて不完全燃焼を起こしている。最も熱
いのは外炎で酸素と最も多く接している。ろうそくの炎の先端では1000℃
になっている。地球では火は地球独特の火の燃え方をしている。他の惑星では
火は違った燃え方をするだろう。宇宙船内部など無重力状態では対流が起きな
いので炎は球形になってしまうという。そして、完全燃焼するために青くなる
らしい。丸く燃える炎はゆっくり動かさないと消えてしまうらしい、丸く燃え
る炎の周りに発生した二酸化炭素が炎を包み込み酸素を遮断してしまうからで
ある。
火が燃え続けるには適正な温度と燃料と酸素の継続的な供給が必要となる。火
を消すにはその条件を奪えばよい。調理には炎が小さくて長くゆっくり燃える
小さな火が都合よい。燃えても炎が小さい炭はその点で使いやすく、灰をかけ
るなどの方法で燃料を長持ちさせることもできる。
火は人間に多大な恩恵を与えてくれる半面、時には大きな災いをもたらす。不
注意から家屋が火災で焼け、時には燃え広がって大火となり多くの家屋を焼き
尽くす。第二次世界大戦時、日本の主だった都会はB29による焼夷弾攻撃をう
け焼け野原となった。広島や長崎に落とされた原爆も人為的な火の大災害であ
る。火は善悪の両面がある。優しさと恐ろしさの両面を備えている不動明王の
ようだ。不動明王は体から火炎を放射した御姿をしている。それは究極的な火
の神像である。私の家の床の間には代々、慈覚大師が版木を彫って制作された
下総御瀧山の不動明王像の掛け軸が掛けられている。光背の炎は人間の血液で
彩色したものである。私はずっとこの掛け軸を見て育った。今でも毎日それを
見ている。
火は熱であり、光であり、エネルギーである。その根源、生まれたところは宇
宙の誕生とおなじ所である。今から138億年前、空間もなく、光も電波も物
質もなく、時間もない、点もないところにビックバンが起こった。天文学用語
でいう特異点から急激な膨張する動きを伴って宇宙は生まれた。なぜ急激な膨
張、天文学用語のインフレーションが起こったか?それは宇宙全体が急に加熱
された結果、急激に膨張が起こったのである。その熱は真の真空から現在の真
空に相転移することで想像を絶する高温が発生した。それが宇宙の誕生ビック
バンである。全ての元素やエネルギーや物質や星々や生物や火や水や風や地球
や我々一人ひとりの出発点がその特異点、ビックバンにある。
光も熱も火も、地球も大地も樹木も我々自身も、宇宙空間の膨張と共に時間が
始まり、時間の経過で継続する変化が起こり、その変化の中で最初の相転移の
熱が形を変えて今、このように違った形で違った場所に存在しているのである。
(協会メールマガジン2017/4月第70号からの転載です)
まっさきに思い浮かぶのは焚火である。今の若い世代や私の孫たちは焚火の経
験が少ないか全くないといってよい。また、どのように薪を燃やすのか、その
技術を知らない。私は若いころ、北関東から東北北部の白神山地まで未知なる
渓谷を求めて沢登りに熱中した時期がある。道のない山を渓谷伝いに登るとき、
渓畔での野宿の友は焚火であった。山での焚火は調理のための燃料であり、体
を温めるための暖房であったが、それ以上に心の安心や暗闇を照らし、友との
語らいを引きだしてくれる媒体であった。薪を刈るための山道具として私は秋
田県角館の喜一鍛冶に特別注文の鉈を作らせたほど、渓流歩きと焚火の達人に
なった。
南アルプス北部の白岩岳に8月に登った時のこと、滝もない登りやすい門口沢
を登り予定より早く白岩岳に登頂し、前小屋沢に下った。登行記録のなかった
前小屋沢は、登りの時の門口沢とは全く違って険しい谷だった。下山途中で不
運にも雨になった。我々3人は誰も雨を予期していなかったので雨具を持って
いなかった。雨に打たれて全身びしょ濡れになった。雨に打たれているので下
山を急いだが夕暮れ時、どうにもならない大きく高い滝に遭遇した。無理して
滝を下降して滑落したら命にかかわる。3人で協議して滝の落ち口の安全な場
所でビバーグすることにした。我々は日帰りでベースキャンプまで降りてくる
予定だったので食料も持参していなかった。ひもじく、寒さに震えながらの長
い一夜を過ごした。遭難一歩手前の夏の夜が明けた。幸い雨が止み流木を集め
て焚火を盛大に起こし、濡れた衣服を乾かした。雨具や食料は持っていなかっ
たが、マッチと鉈だけはサブザックに入れていた。地図を焚きつけにして、火
を起こした。この時の焚火のありがたかったこと、一生の思い出である。
火を扱えるようになって人類はほんとうの意味で人類になれたのではないかと
私は思う。火は暗闇を照らす明かりであり、食物を食べやすくする煮炊きの燃
料であり、寒さから暖をとったり、獣から身を守るありがたいものとなった。
ホモサピエンスの登場以前、今から40~50万年以前、原人の時代から人類
はすでに日常的に焚火としての火を使っていた。
火を巧みに扱えるようになって初めて人類は文明を持つ余裕ができたと言える。
石炭や石油などの化石燃料が広く使われるようになる以前、人類史の長い間、
人間が火を作るための燃料は主に薪と炭であった。火は調理、照明、暖房、合
図として使われてきた。焚火で調理する方法として土器や金属器がなかったと
きには調理する物を串にさす、木の葉に包む、焼石を使う方法がとられた。火
を使うことが出来るようになって、食べることが困難だった豆や穀物、芋など
多くのものが食用可能となり農業が起こる礎となった。火を通すことで肉に付
着している寄生虫や病原菌を熱消毒できる利便性も得られた。
さらに火を扱うことに上達して土器が焼けるようになり、陶器や磁気まで焼け
るようになった。火が使えることで銅と錫を混ぜて青銅器をつくれるようにも
なった。文明とは火を上手に扱える技術のことだといえる。照明器具として菜
種油や魚油を燃やす行燈やランプが作り出され、化石燃料を安価に大量に扱え
るようになって、蒸気機関から自動車、航空機まで作れるようになった。さら
に現代ではエネルギー源として原子力や燃料電池、風力発電や太陽光まで火の
カテゴリーとして扱えるようになり、文明は加速度的に進歩発展している。
火という言葉の定義づけは、「熱と光を出す現象のこと」といえる。科学的に
は、「物質の燃焼に伴って発生する現象のこと」である。燃焼とは物質の急激
な酸化である。火が燃えるとき熱や光とともに様々な化学物質が生成される。
炎は煙が熱と光を持った状態になった気体の示す一形態である。それを科学的
にいうと、気体がイオン化してプラズマを生じている状態という。
火は大地の重力や引力、大気の対流や、湿度などとも関係している。ろうそく
の炎は炎心と内炎と外炎によって構成されている。最も明るいのは内炎である。
内炎では炭素(すす)が多く含まれていて不完全燃焼を起こしている。最も熱
いのは外炎で酸素と最も多く接している。ろうそくの炎の先端では1000℃
になっている。地球では火は地球独特の火の燃え方をしている。他の惑星では
火は違った燃え方をするだろう。宇宙船内部など無重力状態では対流が起きな
いので炎は球形になってしまうという。そして、完全燃焼するために青くなる
らしい。丸く燃える炎はゆっくり動かさないと消えてしまうらしい、丸く燃え
る炎の周りに発生した二酸化炭素が炎を包み込み酸素を遮断してしまうからで
ある。
火が燃え続けるには適正な温度と燃料と酸素の継続的な供給が必要となる。火
を消すにはその条件を奪えばよい。調理には炎が小さくて長くゆっくり燃える
小さな火が都合よい。燃えても炎が小さい炭はその点で使いやすく、灰をかけ
るなどの方法で燃料を長持ちさせることもできる。
火は人間に多大な恩恵を与えてくれる半面、時には大きな災いをもたらす。不
注意から家屋が火災で焼け、時には燃え広がって大火となり多くの家屋を焼き
尽くす。第二次世界大戦時、日本の主だった都会はB29による焼夷弾攻撃をう
け焼け野原となった。広島や長崎に落とされた原爆も人為的な火の大災害であ
る。火は善悪の両面がある。優しさと恐ろしさの両面を備えている不動明王の
ようだ。不動明王は体から火炎を放射した御姿をしている。それは究極的な火
の神像である。私の家の床の間には代々、慈覚大師が版木を彫って制作された
下総御瀧山の不動明王像の掛け軸が掛けられている。光背の炎は人間の血液で
彩色したものである。私はずっとこの掛け軸を見て育った。今でも毎日それを
見ている。
火は熱であり、光であり、エネルギーである。その根源、生まれたところは宇
宙の誕生とおなじ所である。今から138億年前、空間もなく、光も電波も物
質もなく、時間もない、点もないところにビックバンが起こった。天文学用語
でいう特異点から急激な膨張する動きを伴って宇宙は生まれた。なぜ急激な膨
張、天文学用語のインフレーションが起こったか?それは宇宙全体が急に加熱
された結果、急激に膨張が起こったのである。その熱は真の真空から現在の真
空に相転移することで想像を絶する高温が発生した。それが宇宙の誕生ビック
バンである。全ての元素やエネルギーや物質や星々や生物や火や水や風や地球
や我々一人ひとりの出発点がその特異点、ビックバンにある。
光も熱も火も、地球も大地も樹木も我々自身も、宇宙空間の膨張と共に時間が
始まり、時間の経過で継続する変化が起こり、その変化の中で最初の相転移の
熱が形を変えて今、このように違った形で違った場所に存在しているのである。
<著:坂本知忠>