ヴェーダンタ哲学とジャイナ教哲学では、人間の身体は目に見える粗雑な物
質の肉体と、精妙な物質的身体である電磁気的な体と、最も微細な物質からな
る体原因と、物質でない魂が層のように結合したものだと説いている。
ジャイナ教ではその四つを肉体、テジャス体(電磁気的な身体)、カルマ体
(原因体、汚れた魂、個我の源)、ドラビヤ・アートマン(純粋な魂)に分け
て説明している。
ヴェーダンタ哲学では肉体(粗雑な体・アンナマヤ・コシャ・食物で出来た
体)、スークシュマ・シャリーラ(精妙な体)、カーラナ・シャリーラ(原因
体・潜在意識)、アートマン(魂)に相当する。
仏教では魂を説明しないので身体の複合性・重層性を説かないが、四つの身
体を説くジャイナ教とヴェーダンタ哲学には共通の思想がある。『スワーミー
・メーダサーナンダ著「輪廻転生とカルマの法則」参照。』
魂の二面性についても純粋なる魂をヴェーダンタ哲学でシュッダートマンと
言い、ジャイナ教ではドラビア・アートマンという。本性が覆い隠された魂を
ヴェーダンタ哲学ではジヴァートマンと言い、ジャイナ教ではパーヴァ・アー
トマンと言う。何によって魂が本性を覆い隠されるのか。ヴェーダンタ哲学で
は、それは無知・マーヤ(迷い)であると説いている。その迷いとは誤解、妄
想、迷信である。
ジャイナ教では魂に付いた汚れであるカルマ(業)であるとして、中でもカ
シャーイが原因であるとしている。カシャーイとは怒り、慢心、虚偽、強欲の
ことである。ジャイナ教では全ての生き物の魂にはカルマが付着していて、カ
ルマが原因となって輪廻が起こっていると説いている。そして輪廻する魂を持
つ生き物全てをジーヴァと呼んでいる。汚れたジーヴァの魂が純粋になること
がモークシャ(解脱)であり、モークシャに到達することが全ての輪廻する魂
の目標である。人間として肉体を持った状態でモークシャに到達した人をアラ
ハン又はアラハトと言う。アラハトが肉体を捨てて魂だけになるとモークシャ
に到達しているので、もう輪廻転生が起こらない。その輪廻転生しない肉体を
持たない魂をシッダと言う。ジーヴァという言語、シッダという言語はジャイ
ナ教由来のものである。もしかするとヴェーダンタ哲学で説く四つの体は、い
つの時代か、ジャイナ教哲学の影響を受けているのかもしれない。
ジャイナ教哲学では純粋なる魂は色彩を超越したまばゆく輝くものであるが
、純粋なる魂にカルマが結びつくと輪廻する魂、ジーヴァ、つまり生き物、生
命になる。生命の中の魂はある種のバイブレーションを起こしている。その精
妙なバイブレーション(ある種の周波数を持った波動)が周囲に存在している
様々な微細な物質を引き寄せる。その微細な物質が魂に付着してカルマの材料
となる。人間であれば、五つの感覚器官を通じて微細な物質が魂に引き寄せら
れてくる。色、音、味、匂い、触感として微細な物質が魂に入ってくる。それ
は外から内への方向性である。
魂の内奥から常にある種の霊的精神的エネルギーが身体外部に放射されてい
るが、そのバイブレーションは内から外に向かって放射されるときに魂に付い
た汚れの影響を受けて着色される。それがジャイナ教哲学でいうレーシャとい
う霊的色彩光である。霊的色彩光はカルマ体(アートマンにカルマが結びつい
て出来た原因体であり、自我意識であり、個我でもある。)のカシャーイ領域
を通過するときにカシャーイに影響されて着色される。原因として蓄積されて
いるカルマによってカシャーイ(情欲・パッション)が出来てくるが、カシャ
ーイの領域を通過して着色されたレーシャは、次にカルマ体のアデヴァシャー
イの領域に入り、感情が生起する元となるエネルギーを生み出している。この
段階(カルマ体の段階)ではレーシャの周波数が高いので我々はまだ霊的色彩
光を知覚することはできない。
レーシャがテジャス体に入ると周波数が低くなり、テジャス体に流入したレ
ーシャは生命力や内部感覚に影響し、テジャス体のレーシャの領域(霊的色彩
光の見える領域)に到達すると我々はレーシャの色を知覚することが出来るよ
うになる。更にレーシャが肉体のレヴェルに入ると中枢神経に到達し内分泌系
に影響を及ぼして、そこで化学物質・ホルモンが分泌され感情が生起する。感
情によって思考が生まれ、知性が心で考えたことを分析判断し決定する。決定
することで行動となる。行動の源を辿っていくとカシャーイがその根源となっ
ていることが解り、行為の結果であるカルマがそのカシャーイを生み出してい
ると理解できる。
又、カルマはレーシャに引き寄せられていることがわかる。つまりレーシャ
が我々の行動の全ての根源だということがわかる。レーシャによって我々は行
動させられ、そしてその行動が新たなカルマを引き寄せ新たな原因を作ってい
るのである。
だからカルマを変えたかったらレーシャを変えればよい。それがジャイナ教
のカルマを変える瞑想法レーシャ・ディヤーナの理論である。霊的色彩光の知
覚を通じてレーシャの色をより良い色彩に変えていく、因果律の負の連鎖を正
の連鎖に変えて魂の純粋化を目指すのである。
カルマによって汚れた魂となったパーヴァ・アートマンをもつジーヴァ(生
き物、特に人間)が修行によってアカルマ(純粋)になると、モークシャが達
成されて輪廻転生しない普遍的なドラヴィア・アートマンになる。このことを
解脱と言う。解脱がジャイナ教・仏教・ヒンドゥー教の理想である。それは、
今も昔も変わらない。レーシャ・ディヤーナ(霊的色彩光の知覚)は瞑想の目
的と目的地とそこに到達する方法を示している。
感情を生み出すホルモンの内分泌線と関係が深いケーンドラ(チャクラとも
いう)という霊的中心点に善い色彩をイメージし、善い言葉と共に潜在意識で
あるカルマ体に浸透させる。この瞑想の継続によって我々の潜在意識は変容し
カルマも変わり、カシャーイも善きものとなる。
自分自身を知るというのは自己のカルマを知ることである。自己コントロー
ルとは自己の行為の結果であるカルマによって作られたカシャーイをコントロ
ールすることである。また、カルマによって形成された心の癖、願望、傾向、
好みであるヴァーサナー・サムスカーラをコントロールすることでもある。
我々は自分自身を肉体としての体だけであると見ていたのでは救われない。
常に肉体だけでなく、自分の体を電磁気的な体として、原因の体として、純粋
なる魂として見なくてはならない。それが、自分で自分を救う道である。ジュ
ニヤーナの道、智慧のヨガ、論理的思考を好む人の歩む道、プレクシャ・メデ
ィテーションがそれである。
(協会メールマガジン2018/6月第82号からの転載です)
質の肉体と、精妙な物質的身体である電磁気的な体と、最も微細な物質からな
る体原因と、物質でない魂が層のように結合したものだと説いている。
ジャイナ教ではその四つを肉体、テジャス体(電磁気的な身体)、カルマ体
(原因体、汚れた魂、個我の源)、ドラビヤ・アートマン(純粋な魂)に分け
て説明している。
ヴェーダンタ哲学では肉体(粗雑な体・アンナマヤ・コシャ・食物で出来た
体)、スークシュマ・シャリーラ(精妙な体)、カーラナ・シャリーラ(原因
体・潜在意識)、アートマン(魂)に相当する。
仏教では魂を説明しないので身体の複合性・重層性を説かないが、四つの身
体を説くジャイナ教とヴェーダンタ哲学には共通の思想がある。『スワーミー
・メーダサーナンダ著「輪廻転生とカルマの法則」参照。』
魂の二面性についても純粋なる魂をヴェーダンタ哲学でシュッダートマンと
言い、ジャイナ教ではドラビア・アートマンという。本性が覆い隠された魂を
ヴェーダンタ哲学ではジヴァートマンと言い、ジャイナ教ではパーヴァ・アー
トマンと言う。何によって魂が本性を覆い隠されるのか。ヴェーダンタ哲学で
は、それは無知・マーヤ(迷い)であると説いている。その迷いとは誤解、妄
想、迷信である。
ジャイナ教では魂に付いた汚れであるカルマ(業)であるとして、中でもカ
シャーイが原因であるとしている。カシャーイとは怒り、慢心、虚偽、強欲の
ことである。ジャイナ教では全ての生き物の魂にはカルマが付着していて、カ
ルマが原因となって輪廻が起こっていると説いている。そして輪廻する魂を持
つ生き物全てをジーヴァと呼んでいる。汚れたジーヴァの魂が純粋になること
がモークシャ(解脱)であり、モークシャに到達することが全ての輪廻する魂
の目標である。人間として肉体を持った状態でモークシャに到達した人をアラ
ハン又はアラハトと言う。アラハトが肉体を捨てて魂だけになるとモークシャ
に到達しているので、もう輪廻転生が起こらない。その輪廻転生しない肉体を
持たない魂をシッダと言う。ジーヴァという言語、シッダという言語はジャイ
ナ教由来のものである。もしかするとヴェーダンタ哲学で説く四つの体は、い
つの時代か、ジャイナ教哲学の影響を受けているのかもしれない。
ジャイナ教哲学では純粋なる魂は色彩を超越したまばゆく輝くものであるが
、純粋なる魂にカルマが結びつくと輪廻する魂、ジーヴァ、つまり生き物、生
命になる。生命の中の魂はある種のバイブレーションを起こしている。その精
妙なバイブレーション(ある種の周波数を持った波動)が周囲に存在している
様々な微細な物質を引き寄せる。その微細な物質が魂に付着してカルマの材料
となる。人間であれば、五つの感覚器官を通じて微細な物質が魂に引き寄せら
れてくる。色、音、味、匂い、触感として微細な物質が魂に入ってくる。それ
は外から内への方向性である。
魂の内奥から常にある種の霊的精神的エネルギーが身体外部に放射されてい
るが、そのバイブレーションは内から外に向かって放射されるときに魂に付い
た汚れの影響を受けて着色される。それがジャイナ教哲学でいうレーシャとい
う霊的色彩光である。霊的色彩光はカルマ体(アートマンにカルマが結びつい
て出来た原因体であり、自我意識であり、個我でもある。)のカシャーイ領域
を通過するときにカシャーイに影響されて着色される。原因として蓄積されて
いるカルマによってカシャーイ(情欲・パッション)が出来てくるが、カシャ
ーイの領域を通過して着色されたレーシャは、次にカルマ体のアデヴァシャー
イの領域に入り、感情が生起する元となるエネルギーを生み出している。この
段階(カルマ体の段階)ではレーシャの周波数が高いので我々はまだ霊的色彩
光を知覚することはできない。
レーシャがテジャス体に入ると周波数が低くなり、テジャス体に流入したレ
ーシャは生命力や内部感覚に影響し、テジャス体のレーシャの領域(霊的色彩
光の見える領域)に到達すると我々はレーシャの色を知覚することが出来るよ
うになる。更にレーシャが肉体のレヴェルに入ると中枢神経に到達し内分泌系
に影響を及ぼして、そこで化学物質・ホルモンが分泌され感情が生起する。感
情によって思考が生まれ、知性が心で考えたことを分析判断し決定する。決定
することで行動となる。行動の源を辿っていくとカシャーイがその根源となっ
ていることが解り、行為の結果であるカルマがそのカシャーイを生み出してい
ると理解できる。
又、カルマはレーシャに引き寄せられていることがわかる。つまりレーシャ
が我々の行動の全ての根源だということがわかる。レーシャによって我々は行
動させられ、そしてその行動が新たなカルマを引き寄せ新たな原因を作ってい
るのである。
だからカルマを変えたかったらレーシャを変えればよい。それがジャイナ教
のカルマを変える瞑想法レーシャ・ディヤーナの理論である。霊的色彩光の知
覚を通じてレーシャの色をより良い色彩に変えていく、因果律の負の連鎖を正
の連鎖に変えて魂の純粋化を目指すのである。
カルマによって汚れた魂となったパーヴァ・アートマンをもつジーヴァ(生
き物、特に人間)が修行によってアカルマ(純粋)になると、モークシャが達
成されて輪廻転生しない普遍的なドラヴィア・アートマンになる。このことを
解脱と言う。解脱がジャイナ教・仏教・ヒンドゥー教の理想である。それは、
今も昔も変わらない。レーシャ・ディヤーナ(霊的色彩光の知覚)は瞑想の目
的と目的地とそこに到達する方法を示している。
感情を生み出すホルモンの内分泌線と関係が深いケーンドラ(チャクラとも
いう)という霊的中心点に善い色彩をイメージし、善い言葉と共に潜在意識で
あるカルマ体に浸透させる。この瞑想の継続によって我々の潜在意識は変容し
カルマも変わり、カシャーイも善きものとなる。
自分自身を知るというのは自己のカルマを知ることである。自己コントロー
ルとは自己の行為の結果であるカルマによって作られたカシャーイをコントロ
ールすることである。また、カルマによって形成された心の癖、願望、傾向、
好みであるヴァーサナー・サムスカーラをコントロールすることでもある。
我々は自分自身を肉体としての体だけであると見ていたのでは救われない。
常に肉体だけでなく、自分の体を電磁気的な体として、原因の体として、純粋
なる魂として見なくてはならない。それが、自分で自分を救う道である。ジュ
ニヤーナの道、智慧のヨガ、論理的思考を好む人の歩む道、プレクシャ・メデ
ィテーションがそれである。
<著:坂本知忠>