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2019年6月16日日曜日

コラム:肉体はリサイクル品

時間の経過とともに、この世の物質的な物は全て変化してしまう。この世の
中の柔らかい物も固い物も全てが変化する。流れて時が過ぎれば全ての物は、
違った場所で違った物になっている。

 諸行無常という変化の自然法則の中で、似たような現象が前後で少し形を
変えるがパターンになって繰り返し発生することがある。それが循環の自然
法則である。循環とは地球の回転によって生起している朝昼晩の繰り返しで
あり、季節の巡りである。陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずる法則
でもある。春になれば桜の木が満開の花を咲かせるが、桜の木そのものは前
年の木と同じでも、一年の間に盛衰して違った木になっている。満開の桜の
花も咲き方が前の年とは違っている。経済現象や歴史も特定のパターンが繰
り返される。個々の株式相場の上げ下げも循環として考えることが出来る。
私たちの呼吸も循環そのものであり、血液の流れ、生命力の流れも循環で
ある。河の流れも大気も循環して変化はとどまることがない。

 そういう循環法則の中で宇宙そのものが変化して流れている。超新星爆発
で粉々に飛び散った岩石やガスを材料として新たな恒星が誕生する。新たな
星は爆発飛散した古い星の棄てた物質を素材として星自身を創っていく。循
環の中で陰陽が入れ替わり、拡散力と収縮力が入れ替わっている。

 私たち人間の肉体も宇宙的大きな流れの中の循環現象の現れであり、すべ
てリサイクル品によって成り立っている。私たちの肉体はリサイクル品なの
だ。以前、誰かが捨てたものを使って私たちは自分の肉体を作っている。そ
して私たちは自分が使って不要になったものを再度リサイクル品として廃棄
している。リサイクル品を使って自分の肉体を作り、使用済みのいらなくな
った物をリサイクル品として誰かに再度使って貰うべく捨てている。それを
受胎したときから死ぬまでずっと継続してやっているのだ。

 人間の死体は分解して全て地球上で原子・元素に還元される。その原子・
元素は植物や動物や他の人にも使われることがあるかも知れない。たとえす
ぐに使われないとしても、流れて時が過ぎれば、地球の崩壊とともに宇宙空
間にばらまかれる。さらに時が過ぎれば宇宙空間のどこかの惑星で全く別の
生き物がリサイクル品として私たちの肉体を構成していた原子・元素を使う
だろう。そう考えれば果たして墓を作ることが真実のことかどうか疑わしく
なる。その反対に地球そのものが私たちの実家であり、墓地であると考える
ことが出来るかもしれない。

 私たちが吸っている空気は地球上の他の生き物、植物や、動物や他の人間
がすでに使って棄てたものである。以前に誰かが吐いた空気を私たちは今、
吸っている。私が今吸っている空気の中には、大昔の聖者、仏陀やマハーヴ
ィーラが呼吸した空気の一部が含まれているかもしれない。そう考えれば呼
吸によって私は仏陀やマハーヴィーラとつながっているのだと思える。好き
な人だけでなく呼吸を通じて嫌いな人とも繋がっていると理解できる。混み
あった電車の中で乗り合わせた乗客たちは誰かが吐いた息を吸い、自分が吐
いた息を誰かが吸っている。呼吸を通じて乗り合わせた乗客たちはリサイク
ルの空気によって繋がっている。このように、私達は他との繋がり無くして
一人だけ単独では存在することが出来ないのである。

 私が今飲んだ水はかって誰かが使ったリサイクル品である。私が今日排泄
した小便はリサイクルされてビールその他の飲み物になるかも知れない。そ
の飲み物を誰かが飲む。私が排泄した大便は、やがて肥料になり作物の中に
養分として吸収されて、再び誰かの食物になるかもしれない。

 私たちが口から摂取している飲み物や食べ物は地球規模のリサイクル品、
使い回し品である。そのリサイクル品を通じて私たちは過去現在未来の全て
の存在達と御縁で結ばれている。私たちは個であると同時に全体である。私
たちが生涯の間に摂取するリサイクル品としての飲み物や食べ物は甚大な量
である。どれくらいの量になるかイメージすることすら難しい。その甚大な
量のリサイクル品が私たちの肉体を作り、活動のためのエネルギーを生み出
して、私たちの生存を支えている。

 私たちの肉体はリサイクル品なので本当の私ではない。本当の私はそのリ
サイクル物質を使用し廃棄しているアートマンと呼ばれる魂である。魂がリ
サイクル品でつくった肉体を使用しているのである。魂がその人にとって必
要な物質を集めて肉体を作り維持している。肉体を維持するために必要なも
のを集荷し取り入れ、使用し、不要になれば廃棄している。そのように肉体
をリサイクル品と思えれば、肉体への執着が希薄になる。肉体に対する執着
が無くなれば、恐怖や不安が無くなり非暴力が実践できる。

 魂はリサイクル品ではない。魂は変化するものではないからだ。魂は物質
ではない。作られたものではないから、無くならないし滅びもしない。魂は
あらゆるものの中に浸透し行き渡って偏在である。何処かに行くこともなけ
れば、何処からか来るものでもない。

 その魂であるアートマンがリサイクル品を使って人生を体験している。生
きていることの体験は魂にある種の汚れをもたらす。その汚れであるカルマ
がヴァーサナーになって使うべきリサイクル品の選別に関与している。だか
ら私たちはその魂に付いた汚れのことを知らなくてはならない。また、私た
ちは魂と肉体は完全に別物であるということを理解しなければならない。肉
体はリサイクル品でできているということ、その肉体は私ではないと言うこ
とを完全に理解しなければならない。諸行無常の物質世界の原則が当てはま
らない魂についても理解しなければならない。それらのことが理解できれば
魂を中心にした生き方が出来るようになる。魂を中心にした生き方のことを
正しい生き方と言うのである。魂に付着した汚れをとることがプレクシャ・
メディテーションの目的である。魂の汚れが完全に無くなり純粋になること
をモークシャという。モークシャに一歩でも近づくことが人生の意味である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2018/7月第83号からの転載です)