「 いまこの瞬間のなかにすべてがある。
少なくとも、大切なものは全部でそろっている。
人生の意味も、美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも。
だから瞬間を生きよう、先のことを想わず、
今ここのかがやきのなかにいよう。 」
(古東哲明著『瞬間を生きる哲学-<今ここ>に佇む技法』筑摩書房)
つい今しがた届いた本。こんな書き出しではじまっている。なか身はまだみて
ないが、急に筆を執りたくなった。いろいろなことが脳裏に浮かぶ。こんな瞬
間のかがやき、いったいどんな時に感じるだろう?
真っ先に思い浮かぶのは旅をしている時だ。インドでも、イタリアでも、大好
きなところを訪れている時は、つらい過去を思い出すこともなければ、明日ま
でに片づけなければならない仕事について考えることもない。ただこの一歩一
歩、一瞬一瞬がこの上なく大切で、過ぎ去ってほしくなく、愛おしく、貴重で、
手離しがたい。そして、なんともいえず、せつない。せつないから、すべての
光景、におい、音、肌ざわりが心に刻まれてゆく。(その瞬間瞬間を思い出し
ている今という瞬間も、きっと、この先なんども思い出すだろう。)
日常において、こんなふうに瞬間の大切さを感じることは、ついぞ無かった。
ふつうは皆、そうだろう。まわりには家族がいて、仕事があり、子育てがあり
…、いろんな人が、いろんなことを言い、わたしはいつも対応に追われている。
24時間、365日。それが、わたしの生活だ。人生だ。
でも、そんな日常のなかに少しでも特別な時間が持てたならば、たとえその時
間が1時間だろうと、30分だろうと、一瞬であろうと、それが自分のための、
自分だけのための、充溢した時間であったならば、それはものすごく大切な、
愛おしい時間になる。芸術でも、音楽でも、スポーツでも、瞑想でも。
そんなふうに想いながら、ふと自分の日常をふり返った時、子育てのなかにも、
仕事のなかにも、家事のなかにも、雑事のなかにも、そういうキラキラした、
幸せな瞬間(とき)がありますね。五感を澄ましてみてください…ほら、今も、
ボブマーリーの〈No Woman No Cry〉が、本を片手に入った店内に流れてる!
<著:中村正人>
(協会メールマガジンからの転載です)