ジャイナ教を特徴づける教えの一つがアヒンサーすなわち非暴力・不殺生です。
仏教の教えの中にもアヒンサーがありますがジャイナ教ではより厳格に戒律と
して実践されています。他の人や生き物に対して絶対に暴力を振るわないと云
うのがジャイナ教徒や出家僧の生き方になっています。非暴力・不殺生の象徴
としてジャイナ教出家僧は口にマスクをしてピチと云う箒を持っています。マ
スクは他に対しての暴言や悪口を慎むためであり、箒は小さな虫を踏み潰さな
いように用心するためです。全ての生き物は生きたくて生きているのですから
その命を奪ってはならないとしています。
私も非暴力思想とその実践こそこの世に平和をもたらし、地上天国を創造する
方法だと信じています。ジャイナ教の出家僧はまた、アパリグラハ・無所有を
実践しています。僧侶は本当に何も持っていません。手に持って歩けるだけの
最低必要な物だけが所有している物の全てです。着替えの白衣一式と托鉢の為
の鉢、それに数冊の本とノート筆記具だけです。お金は一切触りませんからレ
ストランでの食事も出来ません。食事は托鉢で貰って食べるだけです。ベッド
に寝ません。固い床の上に簡単な敷物を敷いてごろ寝です。最近地球環境に優
しい生き方、エコ生活が各方面で提唱されていますが、ジャイナ教出家僧が世
界一のエコ生活者であり平和主義者だと思います。
現在の文明は石油依存文明とも云えますが、それによって気候変動と云う困難
な問題を引き起こしています。根本原因は人間の過剰な欲望に起因しています。
ジャイナ教の教えには現代文明を否定するような考え方があり、地下資源を掘
ってはならない、川の流れを変えてはいけない、樹を切ってはならない等があ
ります。それらは、全ての生き物たちと地球環境に優しい教えのような気がし
ます。人類は生活の利便性や安楽生活追求のため将来的な持続性を考えもせず、
大量生産・大量消費のシステムを作り上げました。しかしそれによって原発事
故のような問題を引き起こしました。
今や世界中の経済に閉塞感が漂い、将来の生活に不安があるので、新しい人間
としての生き方の模索が始まっています。自然エネルギーへの転換、気候変動
への対応などが求められています。
エコ意識の高いヨーロッパでは新しい文明の兆しが芽生え始めています。イギ
リスの環境運動家であるマーク・ボイル氏が行った現金を一銭も使わずに2年
半生活した社会実験が世界中に共感の輪を広げています。マーク・ボイル著
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊国屋書店刊)。マークは一
銭もお金を使わずに大都市近郊で豊かに暮らすと云う見本を見せてくれました。
太陽光発電によって電源を確保し、パソコンを使って自分の生き方を世界に発
信しつづけました。食事は自然採取、自家栽培、分かち合い、コンビニ等の賞
味期限切れ廃棄物を利用しました。燃料は薪、コンロは簡単な手作り、自宅は
無料で譲り受けたトレーラハウスを使いました。交通はパンクしないタイヤの
自転車を使い、遠方へはヒッチハイクで出かけました。マークはマハトマ・ガ
ンジーの信奉者です。彼の行動は現代におけるマハトマ・ガンジーであり、彼
が始めた運動は新しい非暴力運動です。
一銭も使わないと云うことと1カ月1万円で暮らすということの間には大きな
隔たりがあります。只見に移住したTさんは1カ月の食費を1万円に抑えて自
分の理想を追求しています。お金を使わない生き方は確かに全ての生き物達に
優しい生き方であるし、人類の先祖や子孫に対して非暴力の生き方であると思
います。私は物を大切にする、活用することも同じように価値あることだと思
っています。捨てられている物の中に価値を見出し活用することも非暴力だと
思っています。日本中の中山間地域で集落や田畑が打ち捨てられようとしてい
ます。私はこれこそ現代日本人の最大暴力行為だと思っています。中山間地域
を守るアヒンサー運動とプレクシャ瞑想をどの様に関連付けたら良いか思案し
ています。これからの私はお金を出して新しく造られた物を買うのではなく、
なるべく身近にある自然物や廃棄物を活用していきたいと思っています。新し
く芽生え始めた文化や文明によって、放棄された山村や田畑に新しい光が投げ
かけられることを祈っています。
これからの時代は持続性ある社会システム、自然エネルギー、非暴力、健康、
平和がキーワードになるでしょう。
<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)