<K先生からの質問(携帯メール)>
今バガヴァット・ギータについて生徒さんにお話していますが、先生は義務を
果たすのにドリタラー達を殺すバガバットの教えに関してどう思われますか?
ヨガの教えなので、殺しを肯定しているわけではないのですが、義務のためな
らカルマは働かないと解いています。
<私の返信>
K先生おはようございます。生徒さんにギータの内容を教えるなんて、やはりK
先生はすごいですね。絶対非暴力の教えと対立しますが、それは、積極的ヨガ
と消極的ヨガの違いです。出家主義か在家主義かの違いです。ギータは大乗仏
教的な教えです。消極的ヨガは苦しみを除くために楽を放棄します。楽には必
ず苦しみが伴います。苦しみから逃れようとすれば楽も逃げていきます。苦楽
一如です。
追伸:
人間の業すなわちカルマを無くす、いろいろな方法のことを何々ヨガと言いま
す。カルマヨガだけがカルマを無くす道ではありません。ジュニヤーナもラジ
ャもマントラもハタもタントラもカルマを無くす道です。カルマヨガを日本語
に訳すと、行為のヨガ、仕事のヨガになります。意味は、その人にとって、ま
さに、今やるべきことを先送りしないで、今行うということです。起こってく
るあらゆることに対して最善を尽くし、責任をはたすことです。それによって
カルマがなくなります。ギータの教えです。カルマを無くす道がヨガなのです
から、マタニティーヨガなんていう言い方変だと思いませんか?
<K先生からのさらなる質問>
先生ありがとうございます。ギータでは悪人を殺すことはカルマにならず、欲
で人を殺すのはカルマになると書かれています。ここがどうしてもひっかかる
のです。例えば北朝鮮が攻めて来ました。日本人は逃げるところが全く無いと
します。大切な人達を昔のベトナム戦争のようにレイプしたり、惨殺したりす
る。もしそんな状態ならば、守ることは義務であり、相手を殺してもカルマに
はならないと説きます。一方ヨガでは絶対暴力はいけないと教えています。こ
この部分で矛盾がおきます。先生はもし人間の魂をもった宇宙人が攻めてきて、
人間がひどい目にあい、戦わなければ滅亡するときでも非暴力をとなえます
か?もしくは、必要ならばそれはカルマにならないと考えますか?
<私の返信>
K先生良い質問です。私なら、必要とあれば戦います。例え悪業になったとし
ても、自分がやらねばならないことなら、絶対にそのことから逃げません。例
え自分が殺されようとも、あるいは自分が他を殺すことになるとしてもそこか
ら逃げません。自分が例え地獄に落ちることになっても、自分がやらなければ
ならない過去の原因が結果になって今、そのような立場、役割、責任となって
現れているならそうします。絶対非暴力は理想です。人間は教育や洗脳で変わ
ります。北朝鮮をみれば、わかるでしょう。間違いを本当のことのように植え
つけられています。輪廻転生を理解し、自業自得を理解し魂について解らない
と人は正しく生きられないと思います。私もまだまだ解脱できそうにありませ
んね。
昨日の返信でカルマになるかならないか、について答えませんでした。行為は
何をしてもカルマになります。カルマにならない行為はありません。良い行為
は未来に問題を残しませんが、悪い行為は悪い結果をもたらします。一番良い
ことは何も行為をなさないことだと思いますが、これがなかなか出来ないので
す。
<K先生から>
ありがとうございます。ギータはヨガの書として難しいですね。
【解説】
以上の携帯メールのやり取りで何を話していたのか説明すると、
ヒンドウ教の聖典ギータは為すべく定められた義務はどのようなことがあって
も為さねばならないと、説いています。その人の役割と義務は最高神の御心で
あってそれを放棄してはならないと教えています。例えば軍人が戦場で敵と戦
かわねばならない時には、敵を殺さなければならない事が義務であり役割です。
責任感を持って義務を果たすことが最高神の御心に叶うことで、義務を完全履
行した時に最高神から祝福を受け解脱に至ると説いています。クリシュナ神が
アルジュナに義務の遂行について説き教える章がマハー・バーラタの「バガヴ
ァット・ギータ」です。私はこの思想の根本的な部分にカーストを肯定する内
容があるのではないかと考えています。
一方、ジャイナ教では絶対非暴力で戦争を完全否定しています。争いになる時
には、争いを避けて遠くへ逃げていきます。また争いの仲介者にもなりません。
争いの仲介者になることによって争いに巻き込まれることになるからです。遠
くに逃げ出す事が出来なければ、相手の暴力には無抵抗主義でひたすら忍耐し
ます。絶対平和主義がジャイナ教の教えです。マハーヴィーラは12年半の修
行の間、義務も責任も放棄してなんの行為もなさなかった。
究極の選択、義務の完全履行か、義務も責任も放棄しての無行為か、あなたな
らどうしますか? 絶対非暴力ですか?
よく考えてみてください。
<著:坂本知忠>(協会メールマガジンからの転載です)