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2014年5月30日金曜日

第53回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第53回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2014年6月2日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ: 解説と実践―「カヨーウッサグ」―

先月の総会で研究会の在り方について話し合われ、プレクシャ瞑想の内容と実
践を学びたいという要望がありました。研究会では最初の2年間に一度各瞑想
の中身を玩味したことがありますが、現メンバーの多くが入会する以前だった
こともあり、改めて勉強する機会を設ける必要があると判断しました。そこで
次回は、プレクシャ瞑想の基本中の基本である「カヨーウッサグ」を取り上げ、
その意義を考察し、最新の文献からバリエーションを実践したいと思います。

【今後の開催予定】
・2014年7月7日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年8月4日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

ベン・プラブー師による瞑想ワークショップのご報告

ベン・プラブー師による瞑想ワークショップのご報告 (中村)

5月10・11日に行われた瞑想ワークショップは、多くの方にご参加いただき、
大盛況のうちに終了しました。心より御礼申し上げます。

ワークショップでは、各セッションとも大変内容の深い講義と問いかけ、質疑
応答が行われ、また瞑想の実践もオリジナルの音とリズムを利用した、初心者
でも入りやすい誘導でした。体験した参加者は何かを得ることができたのでは
ないかと思います。主催者が用意してくれた無料の完全菜食ランチも好評でし
た。あちこちに輪が出来て、楽しい語らいのひと時がもたれました。昼食後に
行われた坂本知忠先生によるプレクシャ瞑想の紹介も大変わかりやすく、はじ
めての方にも興味をもっていただけたことと思います。協会員以外の参加者が
意外に多く、プレクシャ瞑想を伝える貴重な機会となりました。ありがとうご
ざいました。

今回の企画は当初、東京在住のジャイナ教徒の有志がスピリチャルな学びを深
めるため、インドから著名なグル(導師)をお招きすることを計画し、縁のあ
った私たちに日本人も是非いっしょに参加しないかと声をかけていただいたこ
とがきっかけでした。

同じジャイナ教の瞑想指導者とはいえ、テーラパンタ派が体系化したプレクシ
ャ・メディテーションとは異なる系譜の瞑想だったので、協会としても手探り
の状態で企画に参加したというのが本当のところでした。インドの方と一緒に
計画を進めるのは、日本人のやり方とかけ離れていて、それはそれは大変でし
た。何度も御徒町に足を運び、それでも決めるべきことが決まらず、業を煮や
すこともありましたが、何とか細部が固まりチラシの完成に漕ぎ着けたのが、
すでにゴールデンウィーク直前という時期でした。そこからフル稼働でチラシ
の配布と勧誘を皆で手分けして行い、ようやく予約が入り始めました。

ところが前日、グル一行を東京観光(禅寺での坐禅体験)にお連れした後、と
んでもない事態が起こりました。私たちが配ったチラシをみて、「この数字は
何だ?」と質問されたので、「当日の参加費ですよ」と答えたところ、急に、
「そんなことをしてもらっては困る」と言われたのです。何が問題かさっぱり
わかりませんでした。日本では経費を賄うために参加費をとることは普通です
し、かなり参加しやすい料金に抑えていたつもりです(無料だと逆に価値が低
いという印象を与えたり、怪しい集まりとも受け取られかねません)。実際チ
ラシ作りや観光などで諸経費がすでに発生していました。御徒町ジェインズ
(御徒町在住のジャイナ教徒たちのことを親しみをこめてそう呼んでいます)
も了解していたことです。しかも予約した方は参加費をすでに振り込まれてい
ました。それにもかかわらず、「今からお金を全部返して、無料にしなさい」
と言うのです。前日の夜に(汗)です。

グル一行と御徒町ジェインズの主要メンバー、東京ジェイン・ソサイエティの
代表者、そしてプレクシャ協会の私と増本さんで、はげしい議論が交わされま
した。そして、ようやく誤解が解け(金儲けが目的ではないことが理解され)、
なぜ食い違いが生じたかが判明し、解決策がまとまりました。それは、こうい
うことです。

当初、私たちは御徒町ジェインズからグルたちの渡航費や滞在費を彼らが負担
するつもりである話をうかがいました。グル一行とのメールのやりとりでは経
費は気にしないように告げられていたようですが、招待側が支払うのは世界の
常識です。当然、御徒町ジェインズもそれを社交辞令と受け取り、費用を捻出
しようとしていました。それを聞いた私たちは、毎年ギリギリの収支で運営さ
れている零細団体ですので、最低限の参加費を出席者から戴き、学びに対する
謝礼として経費を除いた全額を御徒町ジェインズに寄付し少しでも足しにして
もらおうと考えました。そうして設定されたのがチラシに記載された料金です。
しかし、グル一行は次のように話しました。「経費は最初から自分たちで賄う
つもりで、そう言った」「この活動を始めた当初、お金をとらないことを心に
誓った」「お金をとる団体とは一切関わらないことも決めた」「だから、お金
はとらないでほしい。それが我々のポリシーだから。」「経費がかかったのな
ら、それも我々が負担する」・・・。

すると、東京ジェイン・ソサイエティの代表者が、「経費は我々が負担するか
ら返金しましょう。返金のための封筒作りも皆で手伝います」と申し出てくだ
さいました。ここまで言われたら、お金を取るわけにはいきません。返金がど
んなに大変な作業になろうとも、返さなければなりません。その場で会計の森
山江美さんに電話して事情を説明し、急きょ返金の準備をしてもらうことにし
ました(参加の仕方で料金がマチマチだったので、翌朝までに個々人に宛てた
封筒を用意するのは大変だったと思います。当日お手伝いいただいた受付担当
の皆様もご苦労様でした!)。

この一件は、お金のゴタゴタが当日になって生じたという点では、協会の落ち
度以外の何ものでもありません。振込手数料も発生していたと思います。金銭
的なご負担とご面倒をおかけしたことについて、協会を代表して心からお詫び
申し上げます。

しかし、私はこのエピソードを貴重な学びだったと捉えています。結局、問題
の背景にあったのは、誰もが相手を思いやる優しい気持ちでした。そして、お
金に対してクリーンな態度です。以前にも、Facebookの「プレクシャ・コミュ
ニティ」に投稿しましたが、ジャイナ教の人たちはお金に対して本当に綺麗で
す。大切にしていることにはお金の原理を入り込ませないという生き方です。
これは日本人が学ぶべきことだと思います。巷には多くの価値ある、立派な
ワークショップや教室が溢れていますが、どれも結局は対価としてお金を取っ
ています。お金を取るためには、どうしても提供するサービスを金銭的に評価
して、そのうえで相場と経費を考慮し、料金設定せざるを得ません。平等に設
定するためには、お金持ちとそうでない人を区別することもできません。その
結果、本当に必要としている人が参加しにくいものになっているかもしれませ
ん。それに、そもそも金銭的に評価すべきでないこと(人の健康や心の癒し、
教育など)に経済原理が持ち込まれることにも問題があります。それによって、
大事な何かが失われているに違いありません。そのことをもう一度よく考えて
みる必要があると思うのです。

一人ひとりの努力の甲斐あって、両日とも予想以上に多くの日本人が参加して
下さいました。そして、純粋な空気に触れて下さいました。ご参加いただいた
皆さま本当にありがとうございました。他の国で行われたワークショップでは
ジャイナ教の信者は大勢集まりますが、信者でないその国の人がこれほど沢山
参加してくれたのは日本だけだと、グル一行もとても喜んでいました。

最後に、このような機会を与えて下さったグル一行と御徒町ジェインズに心か
ら感謝いたします。私たちはお返しをする術を持ちませんが、唯一できること
は、ここで学び、感じたことを一人でも多くの人に伝えることだと思います。
皆さんも是非これから何かの折に、この日のことを想い出していただけると嬉
しく思います。

なお、ワークショップの内容については、現在制作中の会報誌に掲載する予定
です(発行が遅れていて申し訳ありません)。6月15日までに今年度の会員手
続を行った方には、近日中にお手元にお届けできると思います。手続がお済み
でない方は、早めにお申し込みください。

コラム[悟りとは]

悟りとは
ちょうど良い時に、ちょうど良いことをして、間違えない。

多くのスピリチャルな教師は「今に生きる」のが一番良い正しい幸せな生き方
だと説いている。では「今この一瞬に生きる」とはどういう事なのだろうか。
私たちの心はいつも過去を悔い、まだ来ぬ未来を心配し、夢み、計画している。
それは思考が連鎖的に起きているいわば妄想状態である。健康な人が極限のよ
うな状況の中で、懸命に努力している状態、それは妄想ではなく現実感を伴っ
た実感である。時間と行為と自己と対象が一つに結び付いた、この状態を「今
この一瞬に生きる」という。そんな時は思考を超越して直感が働いている。ま
たそんな時は同時に知覚が極度に研ぎ澄まされ、瞑想のディヤーナと同じよう
な状態にある。

スポーツやダンス、武道に熱中しているようなとき、私たちは今この一瞬に生
きている。そのような心の状態の継続を増やすことは可能だが、常時継続して
一瞬に生きることは難しい。

瞑想とは考える心を観じる心にスイッチを切り替える事である。考えが起こら
なくなり、観じようとする心が身体内部の感覚を観じているとき、瞬きするよ
うな一瞬と一つになっている。それが、「一瞬と一つになる」ことで、「今に
生きる」本当の意味である。そんな時は、妄想から離れ、行為からも離れてい
る。そんな時、カルマが消えてゆき、宇宙エネルギーが身体に多量に流入する。
生命エネルギーは身体内部を停滞することなくスムーズに流れ、治る力、免疫
力が高まっている。神と一体になっているとはその状態の譬えのことである。
睡眠時の意識状態もこれに似ていて、思考が止んで、過去と未来から意識がは
なれて根源的なものと繋がっている状態であると言える。だから睡眠によって
癒されリフレッシュするのだ。

瞑想の意味でない、現在に生きるとはどういう心構えを云うのだろうか、私は
今に生きる、現在に生きる、あるいはこの一瞬に生きるという事の解りやすい
解釈は茶道の「一期一会」と言う言葉にあると思う。今出会っている全ての事
は只一度の出会い、過去にも無かった、未来にも二度と起こらない。貴重な出
会いなのだと、どれだけ深く理解して行動できるかにあると思う。

30歳のころ沖正弘先生から悟りとは「ちょうど良い時に、ちょうど良いことを
して、間違えないことである」と聞いて目からうろこが落ちた。それまで、悟
りとは、修行して獲得すべき、人間離れした超越した心身状態だと思っていた。
その時以来、私はちょうど良い時に、ちょうど良いことをして、間違えないと
いう事を生活の指標とし努力してきた。これがとても難しかった。ついつい結
果を期待して思いどおりにいかないと、怒りの心が湧いて来くるので無執着に
なることが難しかった。結果を手放して今に生きることは、今も本当に難しい。

「全ての業(わざ)には時がある」とは聖書の有名な一節である。天が下の全
ての事には季節があり、全ての業には「時」がある。花が咲くときに「時」が
あり、花散るときに「時」がある。生まれるに「時」があり、死ぬるに「時」
がある。出会うに「時」があり、別れるに「時」がある。集合するに「時」が
あり、離散するに「時」がある。集めるに「時」があり、手放すに「時」があ
る。愛するに「時」があり、憎むに「時」がある。泣くに「時」があり、笑う
に「時」がある。病むに「時」があり、癒すに「時」がある。壊すに「時」が
あり、建てるに「時」がある。悲しむに「時」があり、踊るに「時」がある。
黙るに「時」があり、語るに「時」がある。戦うに「時」があり、和むに
「時」がある。

私が好きな言葉は「流れて時が過ぎれば、全ての人、全ての物は、違った場所
で違った物になっている」である。良いことも、悪いことも、時、場所、条件、
状況全てがピッタリ合うと物事は必ず起こる。環境が整うと何でも起こり現れ
る。これは宇宙の法則であり、真実でもある。

今、何をすべきか、どうするべきかと常に考えて行動する。今この一瞬は過去
と未来の出会う所、今この一瞬と繋がれば過去現在未来が一つに繋がる。今こ
の一瞬を良くすれば過去も未来も良くなる。それは、瞑想によって達成される。
これがアカルマになる道、魂を清らかにする道だと信じている。プレクシャ・
メディテーションのバーバークリヤ、今この一瞬に生きる、純粋行動とはそう
いう意味である。魂を清らかにする道、モークシャへの道である。

魂は水のようにどんな汚れをも浸透させ、抱き込むことができるが、水そのも
のが汚れないように魂そのものも汚れることはない。水を浄化するように、魂
を浄化していけば清らかで純粋な魂の性質が燦然と現れる。不純物が混じり合
った金鉱石が製錬されて純金となるように・・・。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)