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2011年4月21日木曜日

第24回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第24回プレクシャ・メディテーション研究会を下記のとおり開催いたしますので、ご案内申し上げます。ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

日時: 2011年5月9日(月)19:00~21:00
場所: 「市川市南行徳
(東京メトロ東西線「南行徳」駅下車、徒歩1分。南口を出て線路沿いに浦安方向へ。
突き当たりの建物。立体(タワー)駐車場有り(車庫入口は大通り側))
アクセスマップ http://www.city.ichikawa.chiba.jp/gyotoku/m_mapprak.html

テーマ:  シャリーラ・プレクシャ(身体の知覚瞑想)における身体観と科学的説明

 前回まで3回にわたって「呼吸」をテーマに検討しました。身体の機能としての呼吸を瞑想の対象とするプレクシャ瞑想(呼吸の知覚瞑想法)では呼吸をどのように理解しているか、最新の現代科学では呼吸の効用はどこまで解明され科学的に説明されているか、他の瞑想法とくにヴィバッサナー瞑想ではどのように呼吸を対象としてとりいれているか、そしてヨガではどのように呼吸をとらえ、訓練し、効果を引き出しているかについて限られた素材と時間の中で概観し、シュヴァーサ・プレクシャ(呼吸の知覚瞑想)のもつ可能性を考えました。
 次回の研究会では、今度は身体そのものを知覚の対象とするシャリーラ・プレクシャ(身体の知覚瞑想)を検討します。この瞑想法では「身体」をどのようにとらえているか、どこまで科学的な知見によって説明され、効用との因果関係が明確化されているか、さらには因果関係が明確でない効用があるとすれば、われわれはそれをどのように考えるべきかといった点まで踏み込んで考察したいと思います。

 主たる検討材料は、Acharya Mahaprajna 『PREKSHA DHYANA: PERCEPTION OF BODY』ですが、参加される方は坂本知忠『ジャイナ教の瞑想法』第二章、第四段階(120-156頁)も一読してきてください。その他必要な範囲で、J.S.Zaveri『Preksha Dhyana: Human Body』Part-I (Anatomy and Physiology), Part-II (Health Care)、A. Mahaprajna『Why Meditate?』(Chapter 4. Physical Health & Preksha Meditation)およびMuni Mahendra Kumar『INTERNATIONAL PREKSHA MEDITATION: Shareer Preksha』(ビデオ講義)の内容も紹介する予定です。

※ 
当日参加費として500円(日本プレクシャ・ディヤーナ協会非会員の方は1000円)(通信費・会場費・資料代等を含む)を頂戴いたします。
※ 
準備の都合上、出席される方は 前日までに savita.nakamura@gmail.comまでご連絡ください。


【今後の開催予定(年間予定)】

6月6日(月)19時~21時 場所:市川市南行徳
7月4日(月)19時~21時 場所:同上
8月1日(月)19時~21時 場所:同上
9月5日(月)19時~21時 場所:同上
10月3日(月)19時~21時 場所:同上
12月5日(月)19時~21時 場所:同上

プレクシャ.メディテーション研究会は、原則として、毎月第1月曜日に開催しています。

本年度(2011年4月)より日本プレクシャ・ディヤーナ協会が本格的に活動を開始しました。今後は協会発行の月刊メールマガジン『[プレクシャ・メディテーション]-勝利者の瞑想法』でも開催情報をご確認いただけます。講読(無料)をご希望の方は、 こちら(http://archive.mag2.com/0001262370/index.html)からご登録ください。  
また、会員割引による研究会への参加をご希望の方は、 協会ホームページ(http://jp.preksha.com/preksha/member.htm)からお手続きください。

2011年4月20日水曜日

シリーズ[翻訳者の目線から-宗教と科学のはざま-]


小林秀雄は『信ずることと考えること』と題する講演(昭和49年)の中で、近
代科学の方法とその傲慢さを批判している。それは我々が唯一信じられると思
いこんでいる「近代以降の科学的合理主義」への批判でもある。そして、小林
の言を借りれば、そうした科学のもつ狭い物の見方が「人間の精神を非常に狭
い道に導いた」。

小林は言う。「この科学というものが出来たために、人間のこの広大な経験を
非常に小さい狭い道の中に押し込めたんです。これをよく考えなけりゃいけな
いんです。…そういうことを、諸君、はっきり知ってないと駄目なんです!そ
れであの発達ってものは必ず物的なものなんです。精神の上では全然発達して
おりません…人間の人格なんてのは一っつも発達してないんです。なんだか非
常に、人間の精神てものは荒廃に瀕しているじゃないか、いま。」

プレクシャ・メディテーションは、「人間の広大な経験」(古代からの叡智)
に科学的な知見を加味して構築されたものである。しかし、そこに「加味」さ
れている科学的な説明は人間の「経験」のほんの一部にすぎない。我々はそこ
に自分の「体験」と「学び」を積み重ねていかなければならない。そうでない
と、宇宙の「真理」を知ることなどけっしてできないし、精神の荒廃を押しと
どめることもできないだろう。

「…そういう科学者の提供している客観的宇宙っていうものはだねぇ、それは
そういう宇宙に対する理論があって解釈があってね、いろいろあるだけですよ。
みんなそれは観念じゃないか。僕に伝わってくるのは知識ですよ。僕の直接に
経験するものじゃないです。僕の直接に経験するものは僕っきゃない。僕の心
だけは、これはもう間違いない。疑いないでしょ。だから恐らくだよ、恐らく
そちらの方に本当の実在ってものがあるんじゃないですか。僕はそう思ってま
すね。僕の意識ってものがある、僕の意識に外界から何かが来るんです。取り
巻いてるんだからね。それに僕が応接してるんです。その応接してるものは僕
の心でしょ。僕の意識でしょ。その意識は如何にでも大きく広がることができ
ますけどね。…そういう心ってものは、それは実在だよ。僕の経験そのものじ
ゃないか。これを疑うことはできないですよ。これは唯一の僕の財産じゃない
か。この中に何もかもあるに違いないですよ。学問の提供する客観的宇宙って
ものは、それは観念ですよ。実在に関する観念ですよ。知識ですよ。だから、
間接的なものだけども、そういうものに対して僕の意識が応対してるでしょ。
処しているでしょ。その処する僕の心ってものは、そこには宇宙のゾーンもあ
るし、処してる僕の態度もあるし、そういうものが一緒になってるでしょ。そ
れが僕の経験じゃないか。直接の経験じゃないか。そういうものが本当の実在
ですよ。そこに信ずるっていう働きがあるんです。」

プレクシャ瞑想の目的は「本当の自分を観て、真実を知ること」にある。昭和
の日本を代表する知の巨人がかつて訴えていたことと確かに通じるものがそこ
にはある。このコラムでは、プレクシャ瞑想を受け継ぐジャイナ教指導者の原
典を翻訳する過程で訳者が突き当たった壁、それを乗り越えるために自らの体
験を通して考えたこと、そしてその後の最新科学の知見から学び理解できるこ
と等を中心に、心の内を吐露していきたいと考えている。それが皆様の何かの
ヒントになれば幸いです。


<著:中村正人>
(協会メールマガジンからの転載です)

コラム[只見を日本のリシケシにする夢]

私は若いころから日本中の山々に登り、世界各地を旅した経験から、奥会津の
只見が伝統的な暮しやロハス的な暮しをする場合、東京を起点として最適な所
だとおもいます。アウトドアの世界で著名な高桑信一さん瀬端雄三さんもその
点、私と同意見です。

只見は山深く降雪量も多いところですが、谷が開けていて沢山の耕地がありま
す。食料自給率は200%でしょう。水量豊かに流れる只見川、伊南川は清ら
かで季節感がはっきりしています。只見で叶津番所に出会ったことが私の運命
を大きく変えました。番所をセンターにしてヨガと瞑想の村を作りたいと思う
ようになりました。ヨガと瞑想の村をつくりたいとおもったのは、予期せぬ経
済的変動や自然災害から、そこを砦としたかったからです。

皮肉にも、只見の東西で大きな災害が起きてしまいました。数年前の中越地震
に続き、今また福島原発事故が発生しています。しかし巨大な岩盤に守られた
只見は中越地震でもビクともしませんでした。そして今度も、山また山に囲ま
れた地形のおかげで東京よりも放射能に汚染されることが少ないのは計測され
た数値にみるとおりです。

けれども、同じ福島県であるというだけで危険なところだと誤解されています。
残念なことに番所と道場で予定されていたセミナーのキャンセルが続いていま
す。私はあらゆる災厄を想定して只見をプレクシャ瞑想と沖道ヨガの聖地にし
たいと活動してきました。今も只見を日本のリシケシ、日本のラドヌーンにし
たい思いでいっぱいです。

3月下旬、番所の前の民家を譲り受けました。それは20年前にイメージした
ことで、やっと現実化しました。その建物をゲストハウスとして美しく整える
計画です。近い将来、経済的大変動が日本に起こるでしょう。又、気候変動リ
スクへの対応もまったなしです。これからも番所の周りから只見から奥会津か
らネガテブなエネルギーを一掃しヨガと瞑想の理想郷にしていく活動に取り組
んでいきます。

プレクシャ瞑想が自己救済だけに終わるのではなく、社会救済になるような活
動をあわせて展開していきます。プレクシャによって御縁ができた同志の皆さ
ん私の活動に協力して下さい。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2011年4月12日火曜日

心を落ち着ける瞑想法

1.座法

まず心を落ち着けて座りましょう。座り方は、安定座法(スカアーサナ)、半跏趺座などで床に座るか、椅子に浅く腰掛けても結構です。(背筋が真直ぐ保てるように座ります)

手は親指と人差し指をつけて印を結んでもよいですし、手のひらを上に向けたままでも結構です。
手を軽くひざ近くの腿の上に置きます。

背筋をまっすぐにして、目を軽く閉じます。


2.開始前の準備

自分自身と周囲の環境を整えるため、清音(マハープラナ・ドゥニ)を9回唱えます。

※マハープラナ・ドゥニとは、聖なる言霊のひとつです。
 唇は軽く閉じ、歯の間は軽く隙間を空ける感じで、喉を震わせ「ンー(mu-)」と発音する音が、マハ ープラナ・ドゥニです。
 鼻からゆっくり息を吸い、脳内に意識を集中しながら吐く息とともに音を出します。
 音のバイブレーションが頭の中、全体、体中に響き渡るのを意識します。
 唱えたあとには、その音のバイブレーションを脳の中で感じます。

その次に、下記の宣言の言葉を3回唱えます。

「私は精神を清らかにするために、プレクシャ・メディテーションを実践します。」

※宣言をすることで、これから自分が瞑想を実践するという意識が強く湧いてきます(決意の表明)。


3.呼吸法

まずは深呼吸をしていきます。
口からゆっくりと息を吐き出します。全ての息を出し切ったら自然と鼻から
息をたっぷりと吸いこみ、また口から吐き出します。
3回繰り返します。

そして次に、お腹に意識を持っていき、鼻から息を吸い込むとお腹が自然と膨らみ、鼻から息を出すとお腹が縮んでいくことを観察していきましょう。
ゆったり気持ちで5分ぐらい腹式呼吸を繰り返していきます。

呼吸を意識的に深くゆっくりしていくと、それまで浅かった呼吸が深くなり、自分自身の心が落ち着きを取り戻していきます。
そして自分の内に「本来の自由な自分」を見つけることができます。


4.カヨーウッサグ

次に完全なリラクセーションを通じて自己を感じる、カヨーウッサグを行います。

足先から頭頂まで身体の全身をパーツにわけて感じていきます。
意識を自身の身体の内側に集中し、眠らないように意識のはっきりした状態で行ってください。
緊張がほぐれてきたのを感じたら、次の部位に意識を移すようにします。

まずは右足に意識を集中してください。右足先からくるぶし、ふくらはぎ、ひざ、腿、足の付け根まで、右足全体に意識を向けていきます。

そして緊張を取り除くように、リラックス、リラックスと唱えて、吐く息とともに緩めていきます。
全ての緊張とストレスを解き放ちます。

次に左足に意識を持っていき、自身でリラックスするよう誘導していきます。
全ての筋肉と神経もゆるめ、リラックスしていきます。
意識を部位に集中することによって、その部分が軽くなっていくことを感じていきます。

何も考えないで、何も心配しないで、ただ感覚に意識を集中してリラックスしていきます。

自分の胴体全体を感じてみましょう。
身体の前の部分、後ろの部分、身体の各臓器をゆったりとした呼吸でリラックスさせていきます。身体の中にある不要な古いエネルギーを吐く息とともに出し切るように意識してみます。

背筋はまっすぐにしたまま、リラックスした感覚に身をゆだねましょう。

両腕から肩までを感じていきます。緊張が残っていたら穏やかに吐く息とともに緩めていきます。
さらには、首、顔、そして頭全体を感じていきます。
表情の緊張も取り除き、頭の中も緩めます。頭の中に湧いてくる思考があったら、それも吐く息にのせて外に出しましょう。

ゆったりとした呼吸で、リラックス、リラックスと緩めていきます。

そしてもう一度体全体を感じてみましょう。
あなたの呼吸は静かに穏やかになり、あなたは今内なる静けさを感じています。
あなたの身体と心は、すべての緊張やストレスから解放され自由になっています。

あなたの体、神経、そして一つひとつの細胞まで全てが完全にリラックスしていることを感じてください。


5.アヌプレクシャ

次に、自分をコントロールするためにアヌプレクシャをおこないます。

あなたの意識は今、完全に内なる自分に集中しています。
その意識を胸の中心に向けてください。そして緑色に明るく輝く光を
思い浮かべてください。新緑の緑、自然の緑など、緑色のもつ癒しの波動を自身の
胸の中央に感じていきましょう。

そしてその光が身体の中の隅々にまで浸透していき、さらには身体の周りまで
拡がっていきます。あたなは緑色のオーラの光に包まれ、全身が輝きだします。
心の中で次の言葉を唱えてみましょう。

「私の心はとても落ち着いていて、穏やかになっている」

この言葉を唱えることによって、全ての強い感情や欲望、不安が消えていきます。
何度もこの言葉を繰り返すことにより、自分自身の潜在意識の中に入り込んでいきます。
意識が潜在意識に到達し、自分自身の誘導で、辛抱強い心、平常心がもどってきます。
心の中で何度も、自分がいいと思うまで言葉を繰り返します。

「私の心はとても落ち着いていて、穏やかになっている」

自分が充分だと思うまで繰り返し唱えた後、自分が静かで穏やかな場所にいることに気づくでしょう。
今あなたは深い意識の中にいます。そしてここは自分自身の神聖な場所です。
瞑想を実践することで、いつでもこの神聖な場所に戻ってくることができます。

自分の中の静けさを感じてみてください。


6.瞑想の終わりに

では今生かされていることに感謝をして、この瞑想を終わりたいと思います。
ゆっくり3回深呼吸をしてください。そして胸の前で合唱します。
次の言霊を声を出して繰り返しましょう。

「オーム、シャーンティ、シャーンティ、シャーンティ」

※「シャーンティ」とは心の平安、世の中の平和を意味します。

目を閉じたまま両手をこすり合わせて、体内に溜まったエネルギーを集めます。
そして手の平をおわん状にして右手で右目、左手で左目を覆います。
エネルギーが目から体内に入ってくるの感覚を感じます。そしてそのまま軽く目を瞬きして徐々に指を開き、手を離します。

瞑想を終わります。


(作成:日本プレクシャ・ディヤーナ協会 森山)