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2012年2月26日日曜日

第32回プレクシャ・メディテーション研究会のご案内



第32回プレクシャ・メディテーション研究会を下記のとおり開催いたします。
ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

日時:2011年3月5日(月)19:00~21:00
場所:市川市南行徳

テーマ: アヌプレクシャの種類と効果

今回は1年間の総括として、これまで勉強してきた個々のプレクシャ瞑想を総
合し、その効果を根付かせるためのテクニック、「アヌプレクシャ」を取り上
げます。アヌプレクシャとは何か、プレクシャ・メディテーションの体系の中
でどのように位置づけられるかについて簡単に説明した上で、アヌプレクシャ
の種類とそれぞれの進め方、期待される効果を整理します。

出席される方は、とくに前回レーシャ・ディヤーナの会またはチャイタニヤ・
ケンドラ・プレクシャの時にお配りした資料をもう一度目を通してきてくださ
い。これらに対する理解が前提となります。

※開催直前の一週間内に必ず協会ブログページ
(http://prekshajapan.blogspot.com/)をご確認ください。開催情報を含
む連絡事項を掲載する場合があります。
※準備の都合上、出席される方は前日までにご連絡ください
(savita.nakamura@gmail.com)。ご連絡をいただかないと資料を受け取れ
ないことがあります。
※当日参加費として500円(非会員の方は1000円)(通信費・会場費・資料代
等を含む)を頂戴いたします。

【今後の開催予定】
4月2日(月)19時~21時 場所:同上 この日は前半は協会の総会となります
5月7日(月)19時~21時 場所:同上
※プレクシャ.メディテーション研究会は、原則として、毎月第1月曜日に開
催しています。


※本研究会の開催予告(速報版)は月刊メールマガジン
『[プレクシャ・メディテーション]-勝利者の瞑想法』(日本プレクシャ・ディヤーナ協会)
にてご確認いただけます。講読(無料)をご希望の方は、こちら
(http://archive.mag2.com/0001262370/index.html)からご自由にご登録ください。

※会員割引による研究会への参加をご希望の方は、協会ホームページ
(http://jp.preksha.com/preksha/member.htm)よりお手続きください。

2012年2月25日土曜日

シリーズ[「下山の思想」とガンディー「魂の言葉」]


昨年12月に発売された五木寛之『下山の思想』(幻冬舎新書)が週刊売上1位
のベストセラーになっている。その骨子は次の文章に集約される。

「時代は『下山のとき』である。・・・登山しっぱなし、ということはありえな
い。登った山からは、必ず下りるのだ。そして安全に、確実に、できれば優雅
に麓にたどりつく。そして家へもどり、また新たな登山の夢をはぐくむ。・・・
下山する、ということは、決して登ることにくらべて価値のないことではない。
一国の歴史も、時代もそうだ。文化は下山の時代にこそ成熟するとはいえない
だろうか。私たちの時代は、すでに下山にさしかかっている。・・・少子化は進
むだろう。輸出型の経済も変わっていくだろう。強国、大国をめざす必要もな
くなっていくだろう。そして、ちゃんと下山する覚悟のなかから、新しい展望
が開けるのではないか。下山にため息をつくことはないのだ。」「下山の時代
がはじまった、といったところで、世の中がいっせいに下降しはじめるわけで
はない。長い時間をかけての下山が進行していくのだ。戦後半世紀以上の登山
の時代を考えると、下山も同じ時間がかかるだろう。しかし、下山の風は次第
にあちこちに吹きはじめている。いつか人びとは、はっきりとそのことに気づ
くようになるはずだ。・・・宇宙へ向いていた視線は、逆に個々の身体の奥へ向
けられる。生を死の側からみつめる必要も生まれてくる。慈の思想にかわって、
悲の思想が大きく浮上してくるだろう。そんな時代に、いま私たちは、直面し
ているのだ。」

全体の内容は空疎だが、それでもベストセラーになっている背景にはおそらく、
高度成長期を謳歌した世代の時代観(あるいは人生観)が共有されている面が
あるのだろう。時代を読む一つの視点がそこに提示されている。

学生の頃、昼食をとりながらふと考えたことがある。資源を無尽蔵であるかの
ごとく消費しつづける社会は、その有限性を現実のものとして意識した瞬間か
ら退行がはじまるのではないか。第三世界の資源を搾取することで発展してき
た先進諸国。それが主導するグローバリズムの構造的問題を当時考えていた。
でもそれは遠い先の未来についての、漠然とした予想に過ぎなかった。
しかし・・・。

時代はその後、現実からかけ離れたバブル経済に酔いしれてゆく。やがてバブ
ルは崩壊し、「リストラ」が社会問題化する。使い捨ての文化は、資源のみな
らず人をも使い捨てる文化である。その頃から「リサイクル」や「循環型社会」
といった言葉が日本にも登場し、人々はまだ使えるのに捨てられてゆく廃棄物
に自分の姿を重ね合わせるかのように、もう一度社会の中で再生する道を模索
しはじめる。地球温暖化や環境問題は外的動因に過ぎないだろう。内面に生ま
れた心の空虚感は、さらに個人の癒し・健康ブームへと進んでいく。自殺者の
増加も無関係とはいえない。そんな時代の流れが想い起こされる。

マハトマ・ガンディーは1925年、次のような有名な言葉を残している。
「まだ知らない人がいたら、知っておいてほしいことがある。現代社会に巣食
う七つの大罪とは・・・。

 理念なき政治(Politics without principles)
 労働なき富(Wealth without work)
 良心なき快楽(Pleasure without conscience)
 人格なき知識(Knowledge without character)
 道徳なき商業(Commerce without Morality)
 人間性なき科学(Science without humanity)
 献身なき信仰(Worship without sacrifice)

読者はこれを頭ではなく、心に刻みこんでほしい。こうした罪を決して犯さな
いために-。」(『ヤング・インディア』1925年10月22日号)
「わたしが理想とする社会のイメージは、水面に丸く広がる波紋である。それ
はひとつの人生のまわりに、また別の人生が広がっているようなものである。
そして、その中心に個人がいる。その個人は、次の波紋である村の輪の中に溶
け込んでいき、その村もまた、周囲の村々の輪に溶け込んでいく。このような
社会では、各々がこの大きな波紋をつくるための重要な波のひとつだと認識し、
常に謙虚に暮らすことができるだろう。」
(『ガンディー 魂の言葉』太田出版2011年9月)

日本や先進諸国は、長い間、罪を犯してきた。そのツケが今さまざまな場面に
表れている。3.11後の社会づくりは、人間を主役にしたこの「水の波紋のよう
な社会」であってほしい。「下山」というよりは、新しいムーブメントとして。


<著:中村正人>
(協会メールマガジンからの転載です)

コラム[アヒンサー(非暴力主義)]


ジャイナ教を特徴づける教えの一つがアヒンサーすなわち非暴力・不殺生です。
仏教の教えの中にもアヒンサーがありますがジャイナ教ではより厳格に戒律と
して実践されています。他の人や生き物に対して絶対に暴力を振るわないと云
うのがジャイナ教徒や出家僧の生き方になっています。非暴力・不殺生の象徴
としてジャイナ教出家僧は口にマスクをしてピチと云う箒を持っています。マ
スクは他に対しての暴言や悪口を慎むためであり、箒は小さな虫を踏み潰さな
いように用心するためです。全ての生き物は生きたくて生きているのですから
その命を奪ってはならないとしています。

私も非暴力思想とその実践こそこの世に平和をもたらし、地上天国を創造する
方法だと信じています。ジャイナ教の出家僧はまた、アパリグラハ・無所有を
実践しています。僧侶は本当に何も持っていません。手に持って歩けるだけの
最低必要な物だけが所有している物の全てです。着替えの白衣一式と托鉢の為
の鉢、それに数冊の本とノート筆記具だけです。お金は一切触りませんからレ
ストランでの食事も出来ません。食事は托鉢で貰って食べるだけです。ベッド
に寝ません。固い床の上に簡単な敷物を敷いてごろ寝です。最近地球環境に優
しい生き方、エコ生活が各方面で提唱されていますが、ジャイナ教出家僧が世
界一のエコ生活者であり平和主義者だと思います。

現在の文明は石油依存文明とも云えますが、それによって気候変動と云う困難
な問題を引き起こしています。根本原因は人間の過剰な欲望に起因しています。
ジャイナ教の教えには現代文明を否定するような考え方があり、地下資源を掘
ってはならない、川の流れを変えてはいけない、樹を切ってはならない等があ
ります。それらは、全ての生き物たちと地球環境に優しい教えのような気がし
ます。人類は生活の利便性や安楽生活追求のため将来的な持続性を考えもせず、
大量生産・大量消費のシステムを作り上げました。しかしそれによって原発事
故のような問題を引き起こしました。

今や世界中の経済に閉塞感が漂い、将来の生活に不安があるので、新しい人間
としての生き方の模索が始まっています。自然エネルギーへの転換、気候変動
への対応などが求められています。

エコ意識の高いヨーロッパでは新しい文明の兆しが芽生え始めています。イギ
リスの環境運動家であるマーク・ボイル氏が行った現金を一銭も使わずに2年
半生活した社会実験が世界中に共感の輪を広げています。マーク・ボイル著
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊国屋書店刊)。マークは一
銭もお金を使わずに大都市近郊で豊かに暮らすと云う見本を見せてくれました。
太陽光発電によって電源を確保し、パソコンを使って自分の生き方を世界に発
信しつづけました。食事は自然採取、自家栽培、分かち合い、コンビニ等の賞
味期限切れ廃棄物を利用しました。燃料は薪、コンロは簡単な手作り、自宅は
無料で譲り受けたトレーラハウスを使いました。交通はパンクしないタイヤの
自転車を使い、遠方へはヒッチハイクで出かけました。マークはマハトマ・ガ
ンジーの信奉者です。彼の行動は現代におけるマハトマ・ガンジーであり、彼
が始めた運動は新しい非暴力運動です。

一銭も使わないと云うことと1カ月1万円で暮らすということの間には大きな
隔たりがあります。只見に移住したTさんは1カ月の食費を1万円に抑えて自
分の理想を追求しています。お金を使わない生き方は確かに全ての生き物達に
優しい生き方であるし、人類の先祖や子孫に対して非暴力の生き方であると思
います。私は物を大切にする、活用することも同じように価値あることだと思
っています。捨てられている物の中に価値を見出し活用することも非暴力だと
思っています。日本中の中山間地域で集落や田畑が打ち捨てられようとしてい
ます。私はこれこそ現代日本人の最大暴力行為だと思っています。中山間地域
を守るアヒンサー運動とプレクシャ瞑想をどの様に関連付けたら良いか思案し
ています。これからの私はお金を出して新しく造られた物を買うのではなく、
なるべく身近にある自然物や廃棄物を活用していきたいと思っています。新し
く芽生え始めた文化や文明によって、放棄された山村や田畑に新しい光が投げ
かけられることを祈っています。

これからの時代は持続性ある社会システム、自然エネルギー、非暴力、健康、
平和がキーワードになるでしょう。


<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)