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2014年12月28日日曜日

新年会(2015年1月)のご案内

賑やかなクリスマスも終わり、今年も残すところわずかとなりました。せわし
い時期ですが、こういう時節にこそ瞑想して穏やかな心で新年を迎えたいもの
です。

さて、年明けの1月24日(土曜日)、久しぶりに新年会を開催いたします。場
所はプレクシャ・コミュニティでいつもお世話になっている東京御徒町に在る
ジャイナ教レストラン『ヴェジハーブサーガ』です。在日ジャイナ教徒の面々
にも声をかけて楽しい会にしたいと考えています。良質のスパイスを使った美
味しい完全菜食料理を味わいながら、来年の展望を語りあいましょう。メニ
ューにない珍しい特別料理も出してくれるそうです。お楽しみに!

日時: 2015年1月24日(土曜日)18:30~
場所: 『ヴェジハーブサーガ』
(東京都 台東区 上野 5-16-9 サンエイビル B1F)Tel:03-5818-4154
http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13102977/dtlmap/
費用: 2~3000円程度

予約・お問合せ:japan@preksha.com 日本プレクシャ・ディヤーナ協会
(又は、Facebook「プレクシャ・コミュニティ」グループより、イベント「新
年会(1月24日)のご案内)」で「参加する」をクリックして下さい。イベン
トは詳細確定後、近日中に作成する予定ですので、確実に連絡を受け取りたい
方はお早めに「プレクシャ・コミュニティ」グループへの登録をお済ませくだ
さい。Facebookからの招待状と参加は登録者とその「友達」までとさせていた
だきます。)

定期講座のご案内

■「瞑想とヨガ」坂本知忠講師による、プレクシャ瞑想教室 <東中野>
(*単位取得対象講座)

『勝利者の瞑想法』著者である坂本知忠による定期プレクシャ瞑想教室です。
11月から、プレクシャ瞑想の初級から中級までの基本が学べる内容となりまし
た。初心者から上級者まで想定しています。ぜひご参加ください。

2015年1月から3月末までレベル2の講座を始めますので、下記日程および講義
内容をご確認の上、ご参加ください。

日時:毎週木曜日 19:00~20:30
<内容>
レベル2からの参加も、部分参加も可能です!

1月15日 ディープ・カヨーウッサグ ジャイナ教哲学講義
1月22日 4ステップ瞑想復習 ジャイナ教哲学講義
1月29日 シャリーラ・プレクシャ 上級1 講義と実習

2月5日 シャリーラ・プレクシャ 上級2 講義と実習
2月12日 チャイタニヤ・ケンドラプレクシャ 1 講義と実習
2月19日 チャイタニヤ・ケンドラプレクシャ 2 講義と実習
2月26日 アヌ・プレクシャ 沈思黙考 講義と実習

3月5日 アヌ・プレクシャ 自己暗示 講義と実習
3月12日 レーシャ・ディヤーナ 講義と実習
3月19日 レーシャ・ディヤーナ 講義と実習
3月26日 レベル2 のまとめ 堅い決心 6種瞑想連続実習

場所:NPO沖ヨガ協会 沖ヨガスタジオ
   中野区東中野3-6-14 小谷ビル301
電話番号:03-6908-5613
http://okiyoga.com/studio/index.php?Class
交通:JR東中野西口より徒歩5分、東京メトロ東西線落合駅より徒歩3分

アクセスマップにつきましては、下記URLにてご確認ください。
http://goo.gl/maps/qJtvK

※当日参加費として2,000円を頂戴いたします。
※NPO沖ヨガ協会(国際総合ヨガ協会)の会員でなくとも受講できます。
※初めて参加される方は予め連絡をいただき、日程や開催場所をご確認下さい。
※ヨガマットは不要です。


■プレクシャ・メディテーション基礎実践コース <浦安>
(*単位取得対象講座)

プレクシャ・メディテーションとプレクシャ・ヨガの基礎をじっくり学び、
基本ステップの習得を目指します。

講師:中村正人(協会認定講師)
日時:水曜日9:30-11:30

2015年1月のテーマ: アンタルヤートラの基本と実践
1月14日: 背骨(椎骨)と脊髄の確認と知覚
1月21日: ウォーキング瞑想とランチ新年会(葛西臨海公園内)
1月28日: 中枢神経系の知覚と理解

場所:千葉県浦安市内
会費:会員1200円(一般1400円)/2h

※初めて参加される方は予めご連絡のうえ、日程と場所を確認してください。
 (原則として毎週開催されますが、都合で開催できない日もあります)
※定員制です。ヨガマットもご持参ください。
 お問い合わせ先:savita.nakamura@gmail.com

コラム[沈思黙考「おかげさまで」] 

ディヤーナとは、何かをすることではない。何もしないこと行為をやめること
である。動かない、働かない、食べない、寝ない、考えない、呼吸しないこと、
つまり生きていて死んだ状態になることである。その時、身体内部に起こって
くること、それがディヤーナである。無為の行為がディヤーナと云える。考え
を止めることはメディテーションの重要な要素といえるが、一つのテーマを深
く広く考えて、一生懸命考えぬけばそれはメディテーションと同じである。

私達は瞑想している時に、身体内部の感覚を感じている。感じようとする意識
で身体内部にある様々な感覚を感じていく瞑想法がプレクシャ・ディヤーナで
ある。それを知覚瞑想と云う。知覚瞑想を行えば変化と流れが良くわかる。内
なる智慧の扉が開かれて渾々と叡智が湧いてくる。諸行無常の理解が格段に進
み無執着になっていく。恐怖心がなくなり、不安が無くなる。無執着になれれ
ば、心が安定し、行動と生活が正しく行えるようになれる。迷いが消え自分の
生き方に確信が持てるようになってくる。それが、知覚瞑想の効用である。

知覚瞑想によって自分が生きている実感を強く感じ、原因と結果の法則、因果
律の理解が深まる。そして全ては自己責任、自力であって他力ではないと考え
やすい。知覚瞑想によって我々は生きていると実感できるが、生かされている
のだと気づきにくい。そうなると、なかなかエゴの心が消えず自己中心的にな
りやすい。エゴは本能的に根深い汚れた心で、これを清らかにしなければ決し
てアカルマ(無業・純粋)にはなれない。

私達は多くの人と物と自然からの恵みと宇宙法則によって生かされている。今、
自己がこの場でこのように存在出来ることは、かけがえもなく尊いことで奇跡
のようなご縁のおかげであると理解しなければならない。宇宙始まって以来の
数々の尊い御縁のおかげで今の自分があるのだと深く考えてみよう。そうすれ
ば、それらに対して深い感謝の気持ちが起こり恩返しの生き方ができるように
なれる。それが人間としての一番正しい生き方、エゴのない生き方になる。

時間を遠く遡って宇宙の始まりまで辿ってみよう。何も無いVacuumと呼ばれる
真空、その真空でも空っぽにはならず、ミクロの世界で素粒子が生まれたり消
えたりしている真空のエネルギーがあると考えられている。その真空エネル
ギーの一欠片が或るとき膨張した。宇宙の始まりのインフレーション(急膨
張)が起こった。ボトルに入っていたシャンパンの一つの泡が急膨張して地球
の大きさになり、太陽系の大きさを超え、銀河系の大きさにまで広がるまでに
かかった時間といえば、僅か10の34乗分の1秒だった。真空のエネルギーが急
膨張して(真空のエネルギーが膨張しても密度は変わらなかった)水が氷にな
るように相転移が起こった。1cm3の水が氷になるとき80calの熱が発生するこ
とが知られているが、ビッグバンの相転移の時1cm3あたり10の94乗calの熱が
出た。その時に10の29乗度と云う凄まじい高温となったそれが宇宙の始まりビ
ッグバンである。ビッグバンの前に宇宙の急膨張があったとの宇宙物理学理論
がインフレーション理論だ。138億年前に私たちが存在している宇宙に起こっ
たことだ。そして均一に広がった宇宙の温度の中で10万分の1度という僅かな
温度差で物質密度のムラが生じ、星星が生まれた。

初期の宇宙には元素は水素とヘリウム、リチウムしかなかったが、恒星内部で
起きる核融合反応によって、ヘリウムから炭素、酸素、ケイ素などが作られ鉄
まで作られた。更に恒星の一生の最後の超新星爆発によって鉄より思い元素が
合成され宇宙空間にばらまかれ、新たに生まれる恒星の材料になった。こうし
て何度も何度も恒星の一生が繰り返され、ビッグバンから90億年たって、太陽
系が誕生した。

初期太陽系の小さな惑星は互いに衝突して合体し、太陽に近い岩石型惑星と氷
型惑星に別れて成長していった。水星、金星、地球、火星の岩石型惑星は20個
ほどに合体した岩石原始惑星が更に衝突合体した結果であることがわかってき
た。原始地球は微惑星の衝突によるエネルギーで煮えたぎり、地表まで熱く溶
けたマグマの海だった。その原始地球に大きな惑星が衝突したその衝突はグ
レートインパクトと呼ばれ、この時原始地球の一部がちぎれて月が出来た。ま
たこの時の衝突の影響で地軸が23度ほど傾いて自転するようになったと考えら
れる。この月という地球の衛星、地軸の傾きがなかったなら地球上に様々な生
命が育まれなかったかもしれない。季節の変化、潮の満ち引きが地上の生き物
に様々な影響をあたえている。

46億年前、地球が誕生したばかりの頃は地表が高温過ぎて、地球を取り巻く大
量の水蒸気は地表まで到達することが出来なかった。高温の雨が地表に降り注
いで海が出来たのは、5億年ほど経過した41億年前と考えられている。地球表
面に海洋が出来、バクテリアが生まれた。やがて(27億年前)海の中で光合成
する植物プランクトンが現れた。そして10億年ほど前に多細胞生物があらわれ、
植物プランクトンは海藻となり、4億年ほど前に陸上に進出して草木の祖先と
なった。次に草木を捕食する生き物の昆虫があらわれ、恐竜や哺乳類が誕生し
た。人類が出現するのは更に長年月の時間が必要だった。

私たちが今存在しているということは、過去に地球上に生息した多くの生き物
たちと繋がっているのだ。両親や祖父母、曾祖父母だけが先祖ではない。今は
化石となってしまった太古のアンモナイトまで祖先の糸で繋がっているのかも
しれない。私たちの体を形作っている様々な元素・原子は宇宙の生々流転の中
で超新星爆発が繰り返されたことで作り出された物である。私たちの体を構成
する原始・元素の中に宇宙の過去の歴史が刻まれている。このように深く考え
れば、私達は人間関係や生活に必要なものを含めて、さまざまなご縁と恩恵に
よって生かされているというのが本当の姿だと解る。生きているのではなく、
生かされているのだ。なんとありがたいことであるか。そのように思うとき、
エゴの心は晴れ晴れとして、他のために生きようという気持ちが高まってくる。

物理学は物質のことを研究しているが、物質の背後で物質に変化の方向性を与
えている神聖なものの存在を仮定せずには居れない。その神聖なものこそ、意
思であり意識であり魂であり神と呼ばれるものだ。宇宙は物理的に探知できる
ものと、探知できないものの二つで成り立っていると思う。だとしたら物理的
に探知出来ないものは瞑想によって探知するしか方法はない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2014年11月27日木曜日

プレクシャ・メディテーション公式アプリ(英語)のご紹介レビュー

プレクシャ・メディテーション公式アプリ(英語)が新しくなりました。

インド本部にて開発・配布しておりますスマートフォン用アプリ「Preksha」
はアンドロイド版とiOS版が更新されております。リニューアルされ、11/24に
はバグ修正もされましたので、お知らせさせていただきます。

アップデート内容は以下の通りとなります。

・新しくエキサイティングなインターフェース
・タイマーによる実践のカスタマイズ
・新しいバージョンの瞑想のガイド音声
・シェア・接続 / 電話連絡機能
・ソーシャルメディアの統合 (facebook, whatsapp)
・瞑想の音声と電子図書のクラウド化

私自身もダウンロードして使っておりますが、このアプリに関してレビューが
できていなかったので、使い方など概要を簡単にご説明させていただきます。

まず、このアプリはヒンディ語ではなく英語表記なのと、インターフェースも
簡単なので日本語の説明がなくても簡単に使えます。アプリはお使いのスマー
トフォンにて、「Preksha」で検索してダウンロードしてください。

瞑想の音声による誘導については、英語またはヒンディ語での誘導となります
が別途ダウンロードする必要があります。音声は、4ステップ(39分)とカ
ヨーウッサグ(完全なるリラクゼーション)(29分)の二種類あります。こち
らの音声は初心者の方向けで、瞑想の説明と瞑想前と後のマントラやスートラ
が入っています。新しい4ステップのガイドは、最初と最後をアラハンマント
ラで行うなど基本とは異なりますが、まだスートラなどを覚えていないかたも
一緒に唱えて覚えることができます。朝起きたら4ステップ瞑想を、そして寝
る前にはカヨーウッサグをかけてから寝るというのもいいかもしれません。カ
ヨーウッサグを眠らずに実践(苦笑)したい方は、インドではお昼ご飯前に実
践することが推奨されています。

瞑想タイマーは誘導なく瞑想をしたい上級者向けです。タイマーが使いたい場
合には、砂時計のアイコンから開いて設定します。タイマーは英語がわからな
くても使えますので安心して使ってみてください。タイマーは時間が細かく設
定でき、1回通しでの長い瞑想時間の設定もできますが、4ステップなどの実
践の時に、各ステップごとに時間の設定もできます(瞑想タイマーアプリは他
でもいくつもありますが、一回の瞑想で複数のタイマー設定ができるのはプレ
クシャらしい機能です。ヨガやお料理などの時にも使えるかもしれませんね)。
そして、この瞑想タイマーなどを使うとカレンダーに瞑想実践記録として自動
的に残ります。手動で記録を追加することはできないようです。

電子図書についても別途書籍データをダウンロードする必要があります。こち
らも英語になりますが、電車の通勤時に英語の勉強としても利用できるのでは
ないでしょうか。

その他細かい機能がいくつかあり、画面左上からメニューを開くことができま
す。Share and Connectというメニューからインドの本部へ電話ができるよう
ですが、インドへの国際電話となりますのでご留意ください(私自身電話をか
けたことがないので、直接英語で質問ができるのかどうかは不明です)。Blis
sful Recitationsというメニューからは、バーバナ、スートラ、讃歌、アラハ
ン瞑想などの音声ファイルもダウンロードすることができます。お好みの歌を
探してみてはいかがでしょうか。プレクシャに限らず、瞑想を実践するみなさ
んにお勧めしたいアプリだと思います。


■「Preksha」アプリの概要説明(英文の翻訳です)

スピリチュアルで科学的なプレクシャ瞑想のテクニックを使って、より高い意
識を持ち至極至幸な人として向上し、自身の若い木を育ててください。
あなたは、静穏や心の平和、喜びや健康、より大きなエネルギーや肯定的な関
係および人生の満足感を求めていますか?あなたはストレスがなくなりたいで
すか?プレクシャ瞑想で開花され、魂を変容させてください。

多くの人々が瞑想というアイデアを好んでいますが、滅多に実践することを始
めません。そのため、私たちはプレクシャの瞑想のアプリを設計しました。

意識の若い木はあなたの内にいます。あなたの指先で若い木を育てることがで
きるのです。あなた自身の心の奥に深く飛び込んで、プレクシャ瞑想を通じて
生活を豊かにしてください。環境にあるネガティブなヴァイブレーションを無
効化し、より調和した環境を築いてください。

プレクシャ瞑想はジャイナ教に伝わるシンプルな瞑想テクニックです。このア
プリは、身体と精神と心を向上させ、スピリチュアルなより良い人間になりた
いと興味をもっている人のためにあり、特別の信仰や宗教を押し付けるもので
はありません。この魅力的な誘導のある瞑想アプリは、近代的なテクニックと
古代からの法則を組み合わせています。今まで瞑想の経験がなかったとしても、
深いリラクゼーション、緊張の弛緩などの瞑想の効用を楽しむことができます。

プレクシャ瞑想は、2.5億人を超える人々によって全世界で実行されるインド
の瞑想テクニックです。ポジティブな考え方を養うのを助けます。また、アプ
リ内容は完全に無償です。無償の瞑想、無償の瞑想音楽そして無償であなたの
質問に対する助言が提供されます。
現在公開中ですのでダウンロードください。


■アプリケーションの内容:

・瞑想とリラクゼーションを実践する初心者および、アマチュアのための瞑想
 誘導。
・瞑想を実践するためのタイマー機能
・至極至幸な朗誦者および瞑想音楽。
・今後の瞑想キャンプの詳細
・日々の瞑想慣習記録のためのカレンダー
・瞑想のためのヒント
 どうやって瞑想をするのか、FAQ、個々からの質疑応答
・瞑想についての詳細や心身医療においての探求について、瞑想の初心者から
 上級者のための理想的な電子書籍ガイド
・その他プレクシャ瞑想に関するテクニック、構築者、関連ガイド、瞑想の利
 点、プレクシャ瞑想センターについての詳細情報

第58回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第58回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さい
ますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2014年12月1日(月)19:00~21:00
場所:集会室2(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ:企業向け研修プログラム構築への試み(2)
    -現代の「うつ」と療法としての瞑想の意義-

前回は、最初に「もう一つのカヨーウッサグ」としての「身体と魂の分離の瞑
想(ビジュアライゼーション)の内容を確認した上で、そうしたインド流の方
式がどこまで日本で適用可能かを考えました。そして今後、一般向けにプレク
シャ瞑想を普及(ローカライズ)させていくためには、より日本社会の現状に
適した形でプレクシャをわかりやすく「翻訳」する必要があるのではないかと
いう観点から、昨今増大する「うつ」の現状と対処法を紹介しました。

次回はその続きとして、うつの特徴(特に「新型」と呼ばれるうつ症状)と医
療現場で利用されている様々な対処法、そしてそれに対するプレクシャ瞑想の
有用性を検討します。皆さんからも会社など身近な所で見聞きした心身に関す
る問題を自由に提出いただき、現状と瞑想の効用を照合しながら討論を進めて
いきたいと思います。なお、前回参加された方はお配りした資料をお読みのう
えご持参ください。時間切れで確認できなかった内容を参照します。

※事前に連絡をいただかないと資料を受け取れないことがあります。
※参加費は会員1,000円/非会員1500円です。

【今後の開催予定】
・2015年2月2日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2015年3月2日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

コラム[瞑想における緊張と弛緩] 

私たちが体験している物質世界は絶え間なく変化し動いている。物質世界で形
をもち存在しているあらゆるものは背後に相反する性質の影響下に置かれてい
る。相反する性質とは電磁気的な-と+でありそれを陰と陽と云う。電磁気的
な相反する-と+があるから宇宙に動きが起こり物質が存在することが出来る。
もし、電磁気的な-+の差異がなかったら宇宙は始まらず、存在できないであ
ろう。

陽と陰は明るさ暗さ、濃密と希薄、重い軽い、集中と拡散、緊張と弛緩、熱い
冷たい、硬い柔らかい等があり、同種のものを他と比較するときの物差し基準
となる。70℃のお湯は30℃の水より熱いと言い、水はお湯より冷たいと云う。
夜は昼間より暗く、昼は夜より明るいと表現する。

私たちの体の中には電磁気的な生命エネルギーが流れている。生命エネルギー
が流れているので身体内部に様々な感覚が生起する。呼吸は吐く息と吸う息が
セットになっている。息を吐いたら次に吸わなければならない、吐き続けるこ
とも出来なければ吸い続けることもできない。吐く息は拡散・弛緩であり、吸
う息は集中・緊張である。命の働きは常に相反する二つの性質を求めている。
それが緊張(獲得)と弛緩(放下)である。食べることと排泄すること、起き
て活動することと寝て休むこと、バランスが崩れると病気や苦悩という形でバ
ランス回復運動が起こる。そのことを苦楽一如と云う。苦を離れて楽はなく楽
を離れて苦はないという意味だ。

太陽は陽、月は陰。ヨガの哲学では私たちの体の中にも陰陽があると説いてい
る。右半身がピンガラまたはスーリヤで太陽、左半身がイダまたはチャンドラ
で月。右鼻だけで呼吸すると体は温まり、左鼻だけで呼吸すると体は涼しくな
る。体温のバランスが崩れると必ず命の働きがバランス回復運動をおこして体
温を一定に保っている。つまり緊張あるところには弛緩を、弛緩あるところに
は緊張が自然に起こってくる。

ダラーナとは身体に緊張刺激あるいはリラックス・放下刺激を起こして命の働
きに反対刺激を起こさせるテクニックと言える。緊張は強ければ強いほどが良
く、リラックスは深ければ深いほど良い。アンバランスが大きいほど命の働き
は強く復元運動を起こす。命の働きのバランス回復維持能力が高いほど身心の
健康度が高く安定している。ダラーナは集中するという意味だが緊張と弛緩を
合わせるという意味もある。その場合緊張から始めてもよく、リラックスから
始めてもどちらでも良い。日本の禅宗各派は形から座法を固める方法で緊張か
ら入ることを採用している。それに対してインドの瞑想法の系統はリラックス
から入ることが多い。いずれにしても瞑想の時間が経過すると、やがて自然に
緊張と弛緩のバランスが拮抗しバランスがとれてディヤーナが起こる。テクニ
ックであるすることと環境が整って起こってくることのダラーナとディヤーナ
の境目がここにある。

瞑想とは、緊張と弛緩を同時に強め高め拮抗させて命の働きを調和させること
であると定義出来るかもしれない。力を抜くと力が入る。静と動、緊張と弛緩
を一つのものとすることを静動一如という。これらは武道の極意であり生き方
の極意でもある。そのようにして達成された無体、無心の状態を侍は不動心、
または明鏡止水と言った。

瞑想とは座るだけが瞑想ではない。座る瞑想、静的な瞑想は自分とは何かを理
解するためのものであり自己救済を目的としている。静的な瞑想によって、普
段自分と思っていた自分が自分でないと解る。静的な瞑想は皮膚の内側を対象
として細かく細かく、深く深く内部を深耕するものである。皮膚の外側に拡大
していく瞑想は、瞑想と区別して「冥想」と表現する。社会救済、地上天国の
創造を目的にして、全てを愛し全てから愛されるように行動することを意味す
る動的な冥想である。動的な冥想によって、普段自分でないと思っていたもの
が自分だと解る。本当の冥想とは内側と外側に行うものである。静的な座禅で
掴んだことを日常生活の動的冥想に応用していくのでなければ瞑想の意味がな
い。静的な座禅が出来なければ動的な立場の愛の行動が充分に出来ない。まず
静的な瞑想から練習する意味がここにある。

座る瞑想を始めたとき、初心者に障害になるのは、じっとしている事が出来な
いということである。初心者にとって体を動かさないということは苦痛である。
体を動かさないことを心が苦痛と判定し座ることを拒否する反応が起こる。拒
否する心が体を硬直させ、脚や膝、腰の痛みが起こる。痛みがさらに身心を緊
張させ雑念が次から次へと起こって集中どころではなくなる。そんなことで初
心者が瞑想は私に向いていないと誤解してしまう。少し瞑想を継続し日常的に
行うと、そのような拒否反応もだんだんなくなって来るが 、継続することが
出来なくて断念してしまう人が多い。極端に歪んだ体、病んでいる体、悩んで
いる心では瞑想出来ないので、瞑想の前提として正しい姿勢、健康な身心が必
要であることは言うまでもない。

瞑想をするとき、まず姿勢・座法が大事である。背筋を前後左右垂直に立て、
身体の力を込める部分には力を込め、力を抜く部分は力を抜くようにして、仏
像のように体をきちんと固めて動かさないようにする。これが緊張刺激である。
座法を固める前にマントラを唱えるなどしてリラックスしておくとさらに良い。
座法が固まったら、背筋、背骨だけは傾かないように注意深く心を緊張させて
おく必要がある。その緊張に対して身心をリラックスさせ、リラックスを深め
なければならない。それが瞑想の最初に行うカヨーウッサグ・完全なるリラッ
クス法である。リラックスが深ければ深いほど命の働きが内部から反対の静的
緊張感を引き出す。緊張とリラックス・放下の拮抗調和が高ければ高いほど瞑
想の質が高くなる。

瞑想とは緊張と弛緩・放下をあわせることである。これを動的冥想、日常生活
に応用するには全力を尽くして事に当たり「最大限の緊張」、結果は任せきっ
て放下する「弛緩」という生き方をすることである。日常生活を通して緊張す
る力とリラックス力を高める訓練をしていくと良い。緊張する力とリラックス
する力を高めていくと生命力、バランス維持回復能力が高まる。だから時々わ
ざとアンバランスなこと反対刺激を身心に与えて、バランスをとる工夫、偏り
をなくすようにすると良い。生活の中に緊張とリラックスの刺激を交互に行う
と疲れも少なく活き活きと生きられる。それが健康的な正しい生き方であり、
日常生活を冥想とする生き方である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2014年10月25日土曜日

指導者養成の強化に向けての取り組みと定期講座のリニューアルのお知らせ

来月から協会の新たな取り組みとして、都市部で開催されている教室(協会に
よって認定されたもの)を受講される方を対象に、プレクシャ瞑想の修習状況
に応じた「単位」(受講の内容と時間数から換算されます)を授与する制度が
はじまります。受講者は所定の内容の講座を履修することで、合宿型の指導者
養成コースに参加した場合と同等の資格(指導員資格)を取得することが可能
になります。具体的な制度の内容と背景についての詳細は、近日中にお届けす
る会報誌『アネカンタ・ジャーナル(春・秋合併号)』でご説明しています
(現在印刷中)が、それに伴い下記の講座の内容を調整し、毎月事前にお知ら
せすることにいたしました。早く単位を取得したい方は複数の講座をまたがっ
て受講することもできます。メルマガの後半に記載されている各講座の「開
催情報」をご確認の上、ご参加ください。

■平日・夜間の講座
木曜日19:00~ 坂本知忠による、「瞑想とヨガ」 <東中野>

<11月6日>
講義: 瞑想とはなにか、ジャイナ教と仏教
実習: カーヨウッサグ

<11月13日>
講義: プレクシャメディテーションとは
実習: カーヨウッサグ 

<11月20日>
講義: カーヨウッサグとアンタールヤートラについて
実習: アンタールヤートラ

<11月27日>
講義: ジャイナ教哲学 非暴力 無執着 非独善主義
実習: アンタールヤートラ

■平日・昼間の講座
月初めの月曜日15:00~ 協会認定指導員 「プレクシャ・ヨガ」 <行徳>

<11月10日>
ヨガのテーマ:
「マタニティ・ヨガはどこまで動けるか?&骨盤低筋を鍛える」
瞑想のテーマ:
「身体の知覚/シャリーラ・プレクシャ」

水曜日9:30~ 中村正人による、「基礎実践コース」 <浦安>

<11月12日>
カヨーウッサグと身体の知覚(1)

<11月19日>
カヨーウッサグと身体の知覚(2)

■週末の講座
1~3月のいずれかの土曜または日曜日 一日ワークショップ
(10:00-12:00/14:00-17:00の1日プログラムを検討中)
※ご希望の日程等がありましたら、遠慮なく協会までお知らせください。

■座学(理論面の履修)
第1月曜日 「プレクシャ・メディテーション研究会」 <南行徳>


第58回 プレクシャ・メディテーション研究会 12月の予告


第58回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さい
ますよう、宜しくお願い申し上げます。


(11月は第1月曜日が休日のため、研究会もお休みです。)

次回:2014年12月1日(月)19:00~21:00
場所:集会室2(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ:企業向け研修プログラム構築への試み(2)
    -現代の「うつ」と療法としての瞑想の意義-

前回は、最初に「もう一つのカヨーウッサグ」としての「身体と魂の分離の瞑
想(ビジュアライゼーション)の内容を確認した上で、そうしたインド流の方
式がどこまで日本で適用可能かを考えました。そして今後、一般向けにプレク
シャ瞑想を普及(ローカライズ)させていくためには、より日本社会の現状に
適した形でプレクシャをわかりやすく「翻訳」する必要があるのではないかと
いう問題を提起し、最初の例として昨今増大する「うつ」の現状と対処法を紹
介しました。次回(12月)はその続きとして、うつの特徴(特に「新型」と呼
ばれるうつ症状)と医療現場で利用されている様々な対処法、そしてそれに対
するプレクシャ瞑想の有用性を検討します。

参加される方は事前に(今回は早めに)連絡をお願いします。前回お配りした
資料をお送りいたします(実費負担)。

※事前に連絡をいただかないと資料を受け取れないことがあります。
※参加費は会員1,000円/非会員1500円です。

【今後の開催予定】
・2014年12月1日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2015年2月2日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

コラム[沖ヨガ冥想行法とプレクシャ瞑想]

沖ヨガの創始者・沖正弘先生はヨガの行法は禅定行法を中心にした冥想行法だ
けであるとして、冥想行法の重要性を提唱された。冥想は冥想であって瞑想で
はないとして、他のヨガ瞑想との違いを強調されていた。その違いとは何か。
パタンジャリのヨガ行法八段階を改良してヨガ行法を十段階とした。パタンジ
ャリの八段階では、(1)ヤマ(2)ニヤマ(3)アーサナ(4)プラーナヤーマ
(5)プラティヤハラ(6)ダラーナ(7)ディヤーナ(8)サマーディであるが、
沖先生はヤマ・ニヤマを一つにまとめ、新たにバクテイ(心を無にする、判断
を手放す、嫌悪無し)、ブッデイ(自他・全てに神を見る、悪いものはない・
全肯定、相手を生かし全てを活用する、地獄を天国に変える)、プラサード
(自分も相手も神も喜べる、全てを愛し全てから愛される、愛と自由が無限に
高まった状態)の3行法を加えられた。

なぜその3行法を加えたかと言えば従来のヨガ行法や瞑想が個人救済を主とし
ていて、社会救済の面が足らないと見たからである。そして沖先生は現代社会
に沢山存在している不幸や身体の病や心の悩みを持っている多くの人々を助け
たいとして、ヨガ行法を現代に合った実用的で効果的なヨガ行法にすべく十段
階を提唱されたのである。沖先生のヨガは伝統的なインドヨガを超えて、全く
新しい解釈で現代のあらゆる問題に対応できる積極的ヨガとなった。今、再び
沖先生の著作を読んでみると、若い頃には気づかなかった新しい発見と気付き
があって、その思想の高さと共に総合的な行法の構成に驚嘆した。そして、沖
先生は地球上に100年に一人しか出現しない哲人・聖者だと思った。

沖先生は云う。『正式な立場から言えば、冥想行法だけがヨガ行法であり、他
の訓練法は冥想行法の為の準備訓練である。冥想行法とは、心身を最高の安定
状態にする目的の総合的な訓練法で、意識層と無意識層の両方を開発してその
働きを一致協力させ、表面的だけでなく、心身の奥の世界まで安定させること
を目指しているものである。』

この文章をプレクシャ・メディテーションの体験から私なりに解釈して捉えて
みると、心身の最高の安定状態がサマーディである。意識層と無意識層を開発
するとは、観じる心で、観じられる対象を観じることを意味している。その働
きを一致させとは意識的な心で内部感覚を観じるということである。沖先生の
提唱は十段階が一つ一つバラバラにあるのではなく、十段階は一つのまとまっ
た事であると云う。冥想行法(静的方法)を行うだけで十段階全部出来るとい
うものだ。

プレクシャ・メディテーションは静的な冥想行法である。果たして、プレクシ
ャ・メディテーションをしている時に沖先生の十段階の行法を全部しているこ
とになるのか考察してみた。

ヤマ・ニヤマに関係しているところでは、座禅している時に、(1)訓練せよ、
苦行ではない、(2)全ての中に神を見よ、が含まれている。瞑想の為の座法
はアーサナであり痛みが無く長く座れるように日頃の訓練が必要である。アー
サナは統一行法として行う意味もある。プラーナヤーマは瞑想の時に重要な要
素である。プレクシャ瞑想ではシュヴァーサ・プレクシャ(呼吸の知覚)とし
て行っている。プラティヤハラは制感・自律行法と云い、身体内部の流れや痛
み、様々な内的感覚の知覚とコントロールを意味するが、これはカヨーウッサ
グ(身体の完全リラクゼーション)が相当する。ダラーナは統一行法と云い、
心と体を統一することを意味する。座法として体を固め背筋を真直ぐ立てて動
かさないようにする。そして意識的な心を一点に向け集中する。安らぎを伴っ
た緊張として行う。ディヤーナは禅定行法と云い、ダラーナが進むとある時点
から自然に起こってくることで、ダラーナの集中に対して拡散的な働きである。
体を無にする行法と言える。これによって緊張することから起こる心の病から
救われる。放下の練習で力を抜くと力が入る。静動一如の状態になって体を無
にする方法の事である。バクティは信仰行法と云い、心を無にする行法と言え
る。方法として判断を手放すことであり、無執着、無条件の練習である。又、
嫌悪、善悪を判断しない知覚の訓練と言える。サマーディは三昧行法、別名・
自他一如行法と云う。ディヤーナの状態が継続し自然に心身の最高の安定状態
が起こる。

静的なメディテーションを継続していくと、だんだんに内から叡智が現れてき
て、心の適応性が高まり、この世の中に悪いものはないと全て良きものと思え
る心が育ってくる。それがブッデイで仏性啓発行法と云う。仏性啓発行法で感
謝心が高まると、自他を神と思えて、あらゆるものに神聖を見るようになる。
全肯定し全活用することが相手を生かし全てを活かす方法である。プラサード
を歓喜・法悦行法と云い、自分も相手も神も喜べることを意味する。全てを愛
し全てから愛される状態、愛と自由が無限に高まった状態のことで、得も云わ
れぬ喜びが内から溢れてくる。それを多くの人に伝えたいと思う気持ちが生じ
てくる。それが愛の心で、神の愛と沖先生は表現している。それを実践するこ
とが愛行で、実践する人が愛の行者である。愛行こそ沖ヨガの唯一の行法であ
ると私は解釈している。冥想行法を実践しなかったら感謝心も奉仕心も育たな
い。

他のヨガ行法に不足している社会救済、地上天国の創造を沖先生は目指したの
であると私は理解した。沖先生は最晩年、ジャイナ教とプレクシャ・メディ
テーションを大変評価された。そして、タチヤ博士を始めジャイナ教の関係者
を沖ヨガ修道場に招かれて集中セミナーを開催してくださった。それまでに沖
ヨガ道場で私が経験した座禅冥想は黒点冥想とロウソク冥想だけだった。その
二つの冥想に物足りなさを感じていた私は、プレクシャ・メディテーションに
出会って渇きに水を得た思いがした。その時から30年以上が過ぎて、やっとプ
レクシャ・メディテーションを通じて沖ヨガ冥想行法の本当の意味を理解出来
るようになった。

プレクシャ・メディテーションと称する静的禅定行法の中にも沖ヨガ十段階の
行法が全て包含されている事が解り、又、十段階のヨガ行法が実は一つのもの
だと実感体得できるようにプレクシャ・メディテーションを深めなければなら
ない事が解った。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2014年9月27日土曜日

第3回プレクシャ・コミュニティ開催のご案内

秋分を過ぎ、9月24日(新月)から今年(旧暦)の下半期が始まりました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

さて、急なお誘いになりますが、今度の日曜日(9/28)、3回目となるプレク
シャ・コミュニティ「交流会」が開催されることが決まりました。

現在、アメリカからジャイナ教のヨガの先生※1が来日されており、レクチ
ャーにお誘いくださいました。ぜひとも万障お繰り合わせのうえ、ご出席くだ
さい。(人数把握の必要上、確実・不確実にかかわらず検討されている方は、
まずはご一報ください。)

日時: 9月28日(日)14:00-15:00頃の予定
※時間は目安です。インド流の時間ですので、多少遅れる可能性があることを
 お含みおきください。

場所:台東区鳥越1丁目24-2 アセッツ鳥越1階ホール
   TX・都営大江戸線/ 新御徒町  徒歩8分
   東京メトロ日比谷線/ 仲御徒町  徒歩10分
   山手線/ 御徒町  徒歩12分
   総武線「浅草橋」駅徒歩10分
(地図は下記またはFacebookの「プレクシャ・コミュニティ」ページ上部の
「ファイル」からダウンロードできます。)
http://jp.preksha.com/2014ws_map.pdf

参加費: 無料(実費が発生する場合は各自負担)

テーマ: ヨガと健康について

予約・お問合せ先:
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 中村(savita.nakamura@gmail.com)
(090-6319-1816)

※1 先生の紹介:
DR SUBHASH PALIWAL。インドの非営利慈善団体「NARAYAN SEVA SNASTHAN」
(http://www.narayanseva.org/)の代表。
アメリカでヨガを教えながら、同団体を通じて身障者や医療を必要とする貧し
い人々を助ける福祉活動を行っている。

※最新の内容は、「プレクシャ・コミュニティ」(公開グループ)でご確認く
ださい。随時更新しています。「お知らせを受け取る」設定にしてご注意くだ
さい。イベントページから「参加する」にクリックしてもお申込できます。
https://www.facebook.com/groups/465120036943301/

グループにご興味のある方は登録させていただきますので、グループ検索→
「プレクシャ・コミュニティ」からお申し込みください。日本プレクシャ・デ
ィヤーナ協会の会員であるか否かにかかわらず、広くどなたでもご参加いただ
けます。

第57回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第57回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さい
ますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2014年10月6日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ:企業向け研修プログラム構築への試み(1):
    -カヨーウッサグの精神的効果と心身への影響-

前回までにカヨーウッサグの基礎を文献的に確認し、その哲学的・科学的な
意義を説明しました。また、カルマというインド哲学上の概念が瞑想とどの
ような関係をもっているかという点もバリエーションの一つとして紹介しま
した。

このような基礎的な理解は、しかし、そのままでは日本の現代社会に適用し
にくい側面もあります。今後広く一般にプレクシャ瞑想を普及させるには、
言葉の面だけでなく意味内容も日本的に「翻訳」し、現代社会のニーズに
合わせて再構成していく作業が不可欠です。協会では来期から企業等にも
積極的に働きかけ、新型うつ対策等にプレクシャ瞑想を役立ててもらいたい
と考えており(詳細は来月発行される『アネカンタジャーナル』最新号を
参照)、本研究会を中心にそうした作業を試みることを考えています。
カヨーウッサグの効用を一般の人にもわかりやすく説明することができれば、
教室等でプレクシャを伝える際にも使えることは言うまでもありません。
今回はその最初のステップを皆さんと共有します。

※カヨーウッサグに関するお手持ちの資料もお持ちください。
※事前に連絡をいただかないと資料を受け取れないことがあります。
※参加費は会員1,000円/非会員1500円です。

【今後の開催予定】
・2014年12月1日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2015年2月2日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

コラム[瞑想登山] 

何も予定がない2日間の休暇が出来た。台風16号の影響が出るまで、あと2日ほ
どは大丈夫だろう。秋分の日の休日、午前3時20分に車で自宅を出た。混雑が
予想される中央道も早朝なので渋滞もなくちょうど5時に勝沼ICを抜けた。目
指すは車で通過できる峠としては日本最高所の大弛峠である。大弛峠は奥秩父
連峰の主脈を山梨県から長野県に越える峠で標高2365mの高所にある。自宅か
ら3時間10分かかって6時30分に峠の駐車場に着いた。大弛峠からは日本百名山
の一つ金峰山に最も短時間で容易に登ることが出来るので、休日は登山者が多
い。金峰山は秋に登りたいと思って過去何度も登る計画を立てたが、天候が悪
かったり、林道崩壊の通行止めなどで入山出来ず、私にとって登りたくて登り
残した山だった。

山が混雑しないうちにと考え、6時45分身支度を整えて峠をあとに山道を歩き
だした。緩やかな登り道なのになんとなく体が重く感じられるのは久しぶりの
山行だからだ。奥秩父の主脈はオオシラビソやトウヒ、コメツガなどの針葉樹
林に山体が覆われている。オオシラビソが密生林立する森の稜線をたどり1時
間で朝日岳に着いた。朝日岳からは富士山やこれからたどる金峰山頂上までの
全貌が見渡せた。花崗岩が折り重なった頂上部や五丈岩まで良く見えた。針葉
樹林が這松やシャクナゲに代わるとそこが金峰山の頂上部だった。花崗岩が風
化した白砂の山道を踏んでゆくと、大きな花崗岩が累々と積み重なった金峰山
の頂上に出た。頂上の西には名高い五丈岩が古代遺跡のように立ちはだかって
いる。ガイドブックの写真で見た印象よりはるかに大きく感じられた。ここま
で大弛峠から2時間で着いた。時間はたっぷりある。お湯を沸かしてコーヒー
を入れサンドウィッチでブランチをとった。

金峰山は実に展望が良い、近くは花崗岩の城塞の如き瑞牆山の奇異な姿が目を
引く。遠く八ヶ岳連峰や甲斐駒・仙丈、南アルプスの北岳、間ノ岳が望まれた。
金峰山は花崗岩の山で、頂上付近の各所で花崗岩の折り重なりがみられる。そ
の花崗岩が折り重なる一画、登山道から離れて平らな岩を見つけてその上に瞑
想座法で座った。この場所は大きな花崗岩が人目を遮っているので静かに瞑想
することが出来た。花崗岩は昨夜の冷え込みでまだ冷たくフリースの上着を敷
物にして石の冷たさを防いだ。

大気はあくまでも清涼で冷たく澄み渡っていた。日差しが強いので頭から両耳
に手ぬぐいを渡しその上から庇付の帽子を被った。背筋を真直ぐ立てて身体内
部を知覚した。背骨の中ほどの部分に重く暗く痛みを伴う拳大のブロックがあ
って、アンタル・ヤートラを試みるが上手くエネルギーが流れないし、ブロッ
クも解消されなかった。このブロックが邪魔になって瞑想に入っていけないの
で、次にプラナサンチャラニー・ムドラを試みた。少し早い呼吸で2セット終
わるころには、ブロックが完全になくなった。太陽の暖かさが丁度気持ち良く、
内部感覚は極めてクリヤーで光に満ち満ちて穏やかになった。微風、大気の冷
たさ、這松の匂い、青い空、白い雲、深い緑の山肌、花崗岩の折り重なり、外
の世界の情景もイメージとして記憶に刻んだ。1時間の瞑想がアッと言う間に
過ぎた。3時間もゆっくりと頂上付近で過ごして大弛峠に戻ったのは午後2時前
だった。今日中に自宅に戻ることが出来るが、帰りの中央道の渋滞を考えると
もう一日山に居て翌日の午前中に帰る方が良いと考えた。峠の山小屋(大弛小
屋)に宿泊手続きすると、たぶん今日泊まるお客様は貴方だけでしょうと言わ
れた。午後4時ごろになると登山者は皆帰ってしまい。峠の駐車場も静かにな
った。気温がぐんと下がって10℃以下になった。古びた山小屋の土間に置かれ
た壊れかけた鋳物の薪ストーブに火が入った。泊り客は私一人なのでストーブ
に薪をくべるのも自分でやらなければならなかった。早い夕食が終わって、8
時の消灯までの時間をストーブの火を見つめて過ごした。こうして火を見つめ
ていると寂寥感が幾分和んだ。孤独とは何か、自我とは何か、人は他のものと
完全分離している存在なのか、自己以外のものとの融合は起こりうるのか、
様々な思いが湧き起こった。

翌朝は5時に目覚めた。食堂の石油ストーブに火が入れられて暖かいお茶が用
意されていた。5時半には朝食が出来て、6時に山小屋を発つことが出来た。
台風の影響が出るのは午後からなのか、空は穏やかに晴れていた。誰も登山者
のいない山道をたった一人で歩きだす。夢の庭園と名付けられた絶景の場所を
過ぎ、木で作られた階段と木道を登ってゆく。シラビソの樹林が生えた山の斜
面を観察すると花崗岩の岩塊が折り重なっていて、その上に苔が覆い尽くして
いた。大弛峠から45分で前国師岳、北奥千丈岳に立った。頂上は花崗岩の岩塊
が露出していて瞑想ポイントにふさわしい雰囲気を醸し出していた。ここから
の眺望も実に良い。富士山の方角だけは針葉樹が妨げになって見えないが、甲
斐駒から続く南アルプス、金峰山、八ヶ岳連峰が雲海に浮かんでいた。見渡す
限り人工の構造物が皆無で人の気配もなかった。頭上は青い空、雲海の低い雲
と、高い空に巻雲がたなびいていた。遠くも近くも山ばかり、針葉樹の森は音
もなく静かだった。自分がこの地上でたった一人になってしまったのだろうか
と云う錯覚が起こった。座りやすそうな花崗岩の岩塊の上にスクハーサナで座
った。大気は昨日に増して冷たかった。ギャーナ・ムドラでは手が冷たいので、
アラハンムドラにした。マントラを声に出して唱え、スーフィーの呼吸法とビ
ジュアライゼーションで体内を浄化してから、身体内部を知覚した。内部感覚
はブロックがなく、生命エネルギーはスムーズに流れていることが解った。エ
ネルギーの流れと共に様々な内部感覚が変化し、現れては消え、そして動いて
いた。3、40分も経った頃、内部感覚の変化や動きが静まりディヤーナに入っ
て行った。時間が経過して身体内部が空っぽになったようにクリアに観じた。
冷たい風にディヤーナから顕在意識に引き戻されて、ゆっくり目を開けると1
時間近く経過していた。その間、登山者は誰も来なかった。

自然の中で瞑想するときは屋内でするときのように上手く行かない事が多い。
外部環境に五感が影響されて意識が外に向いてしまうからだ。今日の瞑想も完
璧と云えるような深いサマーディ状態にはならなかった。まだまだ私は未熟で
あることを実感した。山登りが好きで高校1年生のときからずっと続けてきた。
山登りの途中で瞑想することがあっても、今回のように瞑想そのものを目的と
して山登りをしたのは初めてだった。私もすでに高齢の領域に入った。これか
らは単に山頂を目指して山にのぼるのではなく、瞑想するための季節と場所を
考慮して登る山を選定しようと思った。

岩上瞑想のあと国師岳の頂上まで足を延ばした。国師岳の頂上も花崗岩の露岩
となっていた。北奥千丈岳から見えなかった紫色の富士山が、ピラミダルな姿
で裾を広げ雲海上に孤高の姿で浮かび上がっていた。山に来て良かった。これ
からは独りぼっちでもこういう静かな登山が良いとしみじみ思った。

<著:坂本知忠>(協会メールマガジンからの転載です)

2014年8月27日水曜日

コラム[仏教の源流・ジャイナ教との類似]   

何事も一部分のみを見ているだけでは本当のことは解らない。物事を広く深く
観察して考察することが瞑想である。時間と空間を拡大して考察し、さらに
そのことが起こってきた背景までも考察する。すると、疑念が解け、理路整然
となって本当のことがスッキリ腑落ちする。

河口だけ見ていても川の本当の姿は解らない。川の中流や源流をも見なければ
ならない。さらに川を理解するためには、地球の自転や海について理解し、大
気の流れや雲、雨、水の性質、どうして水が多量に地球に存在しているかなど
を考察する必要がある。

同じように、広く深く考察することで、私達日本人が仏教と思っている概念の
ほとんどは仏教であって仏教ではないことが解る。日本の仏教は広い意味での
仏教のカテゴリーに包括されるかもしれないが、その実態はゴータマ・ブッダ
(仏陀)が説いた仏教とは程遠いものだ。また、初期仏教を正しく継承してい
ると言われているテーラワーダ仏教でさえ疑わしく思えることがある。

仏教の草創期、仏教の源流、つまり仏陀が生きていた時代から没後百年ぐらい
までの初期仏教がどのようなものであったかが解らないと、私たちは後世の人
の創作を仏陀が説いた教えであると間違って受け容れてしまうことになる。

幸い私は仏陀と同時代から今日までインドに続いているジャイナ教を通して初
期仏教との共通点や相違点を探って来たので、初期仏教がどのようなものであ
ったか、又、ジャイナ教やヒンドウ教との比較の中で宗教とは何かがとても良
く理解出来るようになった。日本仏教についても格段に理解が進んで本質的な
事が良く解るようになった。

古来、インドにはバラモン教の流れと、シュラマナ系宗教の流れがあった。バ
ラモン教はアーリヤ人の奉ずる宗教で本来寺院を持たなかった。バラモン教の
伝統の中に自業自得の哲学があった。一方、シュラマナ系は土着的なインド先
住民の奉ずる宗教で輪廻転生がその哲学の中にあった。紀元前八世紀ごろ、こ
の二つの宗教哲学、自業自得と輪廻転生が出会い解脱思想が起こった。この解
脱思想こそインドに起こった宗教の根幹をなしている。

解脱思想の流行でバラモン系からもシュラマナ系からも沢山の出家者が現れた。
世俗の生活では解脱出来ないというのがその理由だった。世捨て人となって、
世俗的なことを何もなさないことを理想とした。出家は家庭を持たず、仕事も
持たず、食事の支度もせず、屋根の下に寝ず、ボロをまとい、中には素っ裸に
なった者もいた。

輪廻転生の原因であるところのカルマを根絶するために苦行と瞑想することが
修行の中心だった。

こうしたなか、紀元前5、6世紀頃、シュラマナ系修行者の中からマハーヴィー
ラとゴータマ仏陀が現れた。マハーヴィーラは苦行(断食行)と瞑想を通じて
解脱した。一方仏陀は瞑想しても苦行しても解脱に至らなかったので、修行法
にどこか欠陥があるのではと思い因果律(カルマの法則)について徹底的に考
察した。そして従来考えられていた因果律の欠陥を発見しそれを教えの基本と
した。それがブッダの教え、根本仏教である。

マハーヴィーラグループもゴータマグループも哲学的に大きな差異はなかった。
仏陀は理想主義者ではなく、現実主義者だった。現実主義者である仏陀は悟り
を開いてから、在家信者からの寄進や布施に対して理想主義的な出家者のよう
にこだわりを持たなかった。

食事の接待を受けるようになり、常に綺麗な衣を纏うようになり、屋根のある
大きな建物にも寝起きするようになった。その頃、発達し始めた都市国家の担
い手、有力な商人がこぞってジャイナ教や仏陀等の自由思想家達に帰依したが、
仏陀の教えがより多くの人々の心を捉えたのだと思う。仏陀が生きていた時代、
ジャイナ教徒からは弟子のサーリープッタが仏教教団の代表のように思われて
いた。サーリープッタは仏陀に帰依する前、サンジャヤ(注:六師外道の一人、
鰻論法で知られる懐疑論・不可知論者。シャーリプッタは仏陀が因果律を説く
と聞き兄弟弟子のモンガラナーと共にサンジャヤの下を去り仏陀の弟子になっ
た)の弟子であったので、経験的な事実に基づかない宗教哲学理論を師のサン
ジャヤと同じようにのらりくらりとした掴みどころのない戦法で否定したと思
われる。ブッダも恐らく同じような考えを持っていた。それが十難無記である。
十難無記の中に魂が有るか無いかの問題があった。

仏陀は魂が有るとも無いとも云わなかったのが真相だと思えてならない。なぜ
ならその頃の出家修行者の間では魂があるのは当たり前の考え方であり、自業
自得の因果律と輪廻転生の哲学、輪廻からの解脱とそのために出家するという
ことは広く受け入れられた考え方だった。仏陀もマハーヴィーラも言っている
ように、出家しなければ解脱できないというのがその当時の共通した考え方だ
った。出家主義は今もジャイナ教や南伝仏教に生きている。

バラモン教は仏教とジャイナ教の影響を受けて、紀元前3世紀頃、その当時有
ったインドの民間信仰を何でも採り入れて、インドのなんでもあり宗教に変化
したが、その基本的な教えはベーダンタ哲学である。ベーダンタの修行体系、
ジャイナ教の修行体系、初期仏教の修行体系はいずれも、出家を中心にしてカ
ルマの根絶、輪廻転生からの解脱に取り組むものである。その方法は多少の相
違はあっても瞑想と苦行(タパス)であった。仏陀は極端な苦行は無意味とし
たが、苦行は悟りや解脱に必要なものとして位置づけていた。共通項として他
律を廃し自律を重んじた。

ヒンドウ教にあっても、修行とは自分で自分を助け救う悟りの希求だった。
要約すると、自業自得で汚れた魂を清らかにする道、カルマを無くす方法が修
行であり、その哲学がインドで生まれた宗教であり、輪廻転生からの解脱がそ
の目的である。


<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

第2回プレクシャ・コミュニティ開催のご案内

第2回プレクシャ・コミュニティ開催のご案内(中村正人)

皆さま、暑い日が続きますがいかがお過ごしですか?

大変長らくお待たせいたしました。2度目となるプレクシャ・コミュニティ
「交流会」の開催が決定いたしました。

現在(8/22~29まで)、ジャイナ教のお祭りがインド各地で開催されています
が、東京でもインドからジャイナ教の司祭を招き、連日一連の儀式が行われて
います。

その先生(*1)が、祭祀がすべて終わった後、私たちのために帰国を一日延ば
してお話をして下さる運びとなりました。又とない機会です。ぜひとも万障お
繰り合わせのうえ、ご出席ください。(原則として事前の予約が必要です)

日時: 8月30日(土)12:00集合
場所: 完全菜食インド料理店「ヴェジハーブサーガ」
(上野5-16-9サンエイビル地下(JR御徒町駅から徒歩2分))
ホームページ:http://www.vegeherbsaga.com/shop.html

昼食に引き続いて、13時ごろから交流会をはじめます。参加は食事からでも、
交流会からでもかまいません。ただし、人数によって場所が変更になることも
ありますので、参加ご希望の方は予めご連絡ください(可能な限り、フェイス
ブックの「プレクシャ・コミュニティ」グループでも告知いたします。
https://www.facebook.com/groups/465120036943301/)

参加費:無料(昼食代等の実費は各自負担)

予約・お問合せ:savita.nakamura@gmail.com(中村)

*1 先生の紹介:
Deepakbhai氏。ジャイナ教の指導者で、インド各地でグルたちや子どもたちに
ジャイナ教の儀式やマントラ、教義の内容について教えているそうです。
グジャラート州Kach出身。

第56回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第56回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2014年9月1日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ: カヨーウッサグの疑問を解く

前回までで一通りカヨーウッサグの概説が終わりました。皆さんもこれまで
いろいろな機会にカヨーウッサグを実践し、あるいは教えてこられたと思い
ますが、その中で多くの疑問を持たれているのではないでしょうか?

次回の研究会では、そうした様々な疑問を自由に提出いただき、その解を探し
たいと思います。出席される方は、前日までにご連絡ください
(savita.nakamura@gmail.com)。
現在翻訳中のアチャーリヤ・マハープラギャ著『プレクシャ・メディテーショ
ン:リラクセーションによる真我の気づき』の下訳をメールに添付してお送り
します。当日はその内容も含めて疑問点を検討します。

※前回参加した方は資料もお持ちください。
※事前に連絡をいただかないと資料を受け取れないことがあります。
※参加費は会員1,000円/非会員1500円です。

【今後の開催予定】
・2014年10月6日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年12月1日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

2014年7月31日木曜日

第55回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第55回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2014年8月4日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ: カヨーウッサグの実践と意義の検証

前回は、カヨーウッサグのポイントを身体の知覚との比較から整理しました。
参加した皆さんから活発な発言をいただき、研究会らしい議論ができました。
次回は時間切れで出来なかったところ(最新文献の実践)から、カヨーウッサ
グの効果を検証していきます。日頃の実践で感じていることとの異同や質問を
次回もどんどん提出して下さい。

※前回参加した方は資料をお持ちください。出席される方は人数把握のため
当日の正午までにご連絡ください(savita.nakamura@gmail.com)。
連絡をいただかないと資料を受け取れないことがあります。

【今後の開催予定】
・2014年9月1日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年10月6日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

コラム[自分の生活と幸福感を何と比較するのか]  

人は皆不幸を厭い幸福を求めている。

そして、私達は自分が他と比べて幸福なのか不幸なのかをいつも気にしている。
私は多くの人が比べている対象が間違っているので、自分を不幸な存在に感じ
てしまうのではないかと思っている。比べる対象を現代の身近なところを対象
にするのではなく、もっと時間も空間も広げて対象を探して今の自分と比べた
ら、いかに自分が物質的に恵まれて幸せかが解る。物質に恵まれた分だけ、逆
に精神的に脆弱になり、心が不幸になっていることも解る。

日常的に感じて捉えている自分を取り巻く世界を瞑想的に広く深い視点で見て
みよう。視点を替えて自分が江戸時代の人間で時空を超えて現代に迷い込んだ
と仮定してみる。

場所は只見の叶津番所

叶津番所の外観を見るとほとんど江戸時代と変わっていない。建物内に入って
まずびっくりしたのは、電気という仕組みだ。指で押すだけで行灯やロウソク
の100倍も明るい光が天井から吊り下げられたギヤマンの玉から発せられるこ
とだ。又、この電気は目で見る事が出来ないが、紐のような中を通って炬燵の
中の箱型の装置の中で炭の代わりに熱を出して暖かくしている。この便利な装
置は温度を自在に調整できるので暖かく大変気持ち良い。テレビという驚くべ
き箱芝居があった。これも電気によって情景が映し出されるのだという。世の
中で起こっていることの全ての瓦版が廻り灯篭のように紙芝居のように映し出
されるのだ。テレビという装置はとても面白く、あたかもその場所にいるよう
に事件や芝居や祭りが見れるし旅行まで出来る。だから何時間見ていても飽き
ない。この家には水屋(台所)があるが、とても便利に出来ている。水が水道
という金属で出来た筒を通って来て簡単に出したり止めたりすることが出来る
し、大雨の後でもとても水が綺麗なのには驚いた。

この家には竈がなく、不思議なガスというものを使って煮炊きしている。ガス
は煙もでず、火加減も調整出来るようになっている。点火には付木を使わず、
火花を散らすことで一瞬のうちに火が付いてしまう。風呂場に行ってみると、
水道とガスをうまく組み合わせて簡単に風呂が沸かせるようになっている。厠
に行って驚いた。全然臭くない、便槽がなくて、出した便が全部水で流されて
しまう。驚くべきことに便を出すための腰掛けから水鉄砲のように水が出て紙
を使うことなく尻を洗うようになっている。

石油ストーブというものがあって油を燃やして暖を取るようになっている。ど
こにでも簡単に持ち運べるので、暖かくしたい部屋に持っていけば良い。着物
は我々の時代と全く違う形で動きやすいし丈夫で暖かい。糸は砿油から作るら
しい。それにとても安く手に入る。一日か二日働いた給金で一揃いの衣服が手
に入る。草鞋を履いている人は誰もいない。ゴム長靴という便利な履物があっ
た、外から水が染み込まないので、雪の中を歩いても冷たくない。布団はとて
も軽くて暖かい、綿でなく砿油から作られた軽い糸が中綿の代わりになってい
る。中綿が軽い羽毛で作られた布団も多く出回っているらしい。羽毛が中綿に
なった袢纏のような衣類があったが、暖かく軽く水も通さない驚くべきものだ。
遠くの人と話す事ができる手のひらに乗る程の大きさの道具は本当に不思議な
ものだ。どうなっているのかさっぱり見当もつかない。この小さな道具で手紙
のやり取りもできるとのことだ。江戸や京、長州で起こっていることが遠く離
れていても互いに話すことができるし、驚くべきことに手のひらの大きさなの
にテレビのように実際にそこにいるように見ることが出来る。

建物の中で驚いたが外にはもっと驚くべきものがあった。道が3倍も広いのだ。
そして、石と油を固めたようなアスファルトというもので敷き詰めてあって、
凸凹がなく真平なのだ。その道を鉄で出来た篭のような物が勝手に動いていく。
車が前後に四つ付いていて、篭のような中には人が腰掛けられるようになって
いるのだ。鉄篭を動かす人が一人中にいてこの人が巧みに鉄篭を動かしている。
鉄篭は4人乗りが多く中には50人も乗れる家ぐらい大きい鉄篭まである。鉄篭
は砿油を燃やして動かしているらしくとても巧妙に緻密に出来ている。只見か
ら江戸まで平らな道は繋がっていて、僅か4時間で江戸に行けるとは本当に驚
きだ。鉄篭は殿様の乗り物ではなく百姓、町人、下々の者誰もが普通に持って
いる。叶津村のどの家にも鉄篭があって、冬雪が降っても、とんでもない形の
鉄篭が雪を吹き飛ばし道を除雪して、冬でも江戸まで出かけることが出来る。
家々の屋根は茅葺きではなく、只見のような雪の降るところでは薄い鉄の板で
葺かれている。鉄板の表面は錆びないように加工されていて滑らかである。雪
が降っても屋根から簡単に落ちるように工夫されている。村人は落ちた雪だけ
片付ければ良いのでとても楽だ。

役所や寺子屋のような多勢人が集まる大きな建物は、漆喰のようなセメントと
いう石の粉を砂利と水で混ぜ合わせて作られている。石で出来た粉(セメン
ト)を水と砂や小石で混ぜ合わせると、最初は田んぼの泥のようだが数日で固
まって叩いても引いても壊れないコンクリートという大変丈夫な物が出来上が
る。地震でもビクともしないこの石の建物はとても多く作られている。今や江
戸の町ではほとんどがこのコンクリートと鉄の組合せで出来ていて、お城の天
守閣よりはるかに高く大きい建物が隙間なくぎっしり建っている。高さは70階
建て80階建てなのでびっくりだ。

百姓が米を作りたがらない。米は異国から安く買えるし、油で動かす鉄製の巧
みな道具で田植えしたり刈り取りするので、楽に沢山できて国じゅうで余って
処理に困っている。貧しい百姓には年貢がないので暮らしは楽だ。稼ぎが少な
い人や体の不自由な人、年寄りには年貢免除だけでなく、お上からお助け金が
貰える。誠に羨ましい。

食べ物は不思議なものが沢山ありどう説明したらいいのか解らない。酒の種類
も豊富でどこでどう作られているのかさっぱりわからない。私が神隠しにあっ
て迷い込んだ世の中は孫の孫が暮らしている世界だったらしいが年号で言うと
平成26年ということだった。元の時代に戻っても誰も私のいう事を信じないの
で、神様から許可をもらってひとつだけ宝物を未来から持ち帰って来た。これ
がほらゴム長靴だよ。

叶津番所の役人だった保左衛門は、村人から夢物語を語るホラ役人、ホラ役と
呼ばれて当時の人々に愛され親しまれた。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2014年6月25日水曜日

第54回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第54回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2014年7月7日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ: カヨーウッサグ―その意義と効果―

プレクシャ瞑想に限らず、およそあらゆる瞑想の基本にもなる「カヨーウッサ
グ」。ヨガのシャバアサナやヨガニドラと源流を同じくする完全リラクセーシ
ョン瞑想の意義を文献から探り、その効果を整理します。ジャイナ教特有の哲
学的意義だけでなく、その普遍的な科学的価値を理解することができれば、あ
らゆる瞑想とヨガに応用することができます。流れに応じて、最新の文献から
バリエーションも実践したいと思います。

【今後の開催予定】
・2014年8月4日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年9月1日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

コラム[無常と空]

時間の経過と共にこの世の全ての物は変化してゆく、この世の中に不変の物、
恒久のものなど何もない。
どんなに堅固なものも時の流れと、変化に打ち勝つことは出来ない。

一件堅固に見える鉄筋コンクリートの建造物、東京という大都会、高速道路、
超高層ビル群、それらでさえ長い時間の流れの中で、姿を変え何の痕跡も残す
ことなく消滅してしまうのだ。

人間は自分の痕跡を何らかの形で残したいと願っているが、長い時間が経過す
れば何も残らない。石に刻まれた記念碑も金属で作られた彫像ですら痕跡も残
らない。ナショナル・ジオグラフィック制作のDVD『2億5000万年後の地球』を
観た。私達がほとんど変わることなく未来も同じ状態で存在していると思って
いる大地、日本列島やヒマラヤ山脈、太平洋ですら2億5000万年経つと今とは
全く違ったものになってしまう。そこに住む生物も、植物も今とは違った姿を
している。

現在の地球に住む一人の人類が遠い未来の地球に向かって宇宙船で旅立った。
冷凍状態で宇宙船に乗り、宇宙を放浪した旅人が地球に戻ってくる。旅人はそ
の間、10年間眠っていただけだったが、相対性理論により、旅している間に地
球は2億5000万年歳をとっていた。彼が宇宙船から見た地球は全く見慣れない
地球だった。人類は一人も生存していないし、人類が築き上げた文明や都市の
痕跡すらなかった。彼は今や自分が地上で一人ぼっちになってしまったことを
知った。

地上の大陸は全て移動し、地上から見える星の位置さえ変わっていた。北斗七
星の柄杓の形は、逆の釣り針型になっていた。宇宙の旅人は降り立った大地が
地球かどうか確信が持てなかったので、コンピューターのデータデータベース
にアクセスしてみたが、何もかにもが変わってしまっていた。彼は夜空に小さ
くなった月を見つけた。月は地球の近くに以前と変わらぬ姿で存在していた。
しかし、月は壱年に4センチづつ遠ざかって行ったので、地球と月の距離は離
れて、地球から見る月はずいぶん小さくなっていた。彼は月を見つけたので、
自分が降り立った場所が地球だと確認出来た。しかし、地球は旅立つ前と何も
かもが様変わりしていた。

彼が10年間、眠って宇宙を放浪する旅をしていた間に地球に何が起こったのか。
人類はマグマの上で生活していると言っても過言ではない。流動的な高温のマ
グマの上の薄い地殻の上に暮らしている。マグマの動きで地殻のプレートが動
いて大陸が移動していく。現在の地球から1億年後の地球では、アフリカ大陸
が北上してユウラシア大陸の下に沈み込むことで地中海は消滅し、替りにユウ
ラシア大山脈が聳え立っている。アフリカ大地溝帯によって分裂した東アフリ
カ大陸が出来ている。2億5000万年後にはオーストラリアが北上し、南北アメ
リカとユーラシア大陸が合体して一つになった大陸、スーパーコンチネントと
なっている。

2億5000万年の間に大規模な火山噴火があり、気候が温暖化し局地の氷河が全
部消滅することが起き、小惑星が衝突することが起き、氷河期と間氷期が繰り
返される。一日の気温差、季節による寒暖の差、降雨や風が吹くという気候に
よる風化作用も無視できない。中生代が始まる頃、2億5000万年前、今のグラ
ンドキャニオンのあるところは、パンゲア大陸の巨大な砂漠の一部だった。毎
日スプーン一杯ほどの風化による掘削作業が今ある深い巨大な谷グランドキャ
ニオンを刻んだ。大氷河期になれば今存在する万里の長城も北半球の大都市は
氷河の圧力によって瓦礫にされる。グリーンランドと南極の氷河が溶けると海
面は70メートル現在より水位が上がり、地球上のほとんどの大都市は水没する。
水没した都市の上に分厚く土砂が推積し、マグマが嵌入し地層がアーチ型に変
形し捻じ曲げられてすべてを打ち砕いてしまう。金属は酸化し、または他の物
質と反応し形を変えてしまう。

都市が化石になって残る可能性はあるのか。化石になりやすい地下に埋もれれ
ばその可能性はある。2億5000万年後の地球に文明の痕跡は化石となって残る
か。東京は残らない、マンチェスターもサンフランシスコも残らない。ニュー
オーリンズが都市ごと化石化し残る可能性がある。ガラス瓶やグラス、灰皿な
どが残る可能性が高い。

2億5000万年後に地球に帰還した旅人は、文明の痕跡を求めて探査する。する
と、現在は高い山の中腹になった岩山の露頭で黄銅鋼化したサキソホンの化石
を発見する。それはかって、水中に没して消滅したニューオーリンズの街の酒
場跡の打ち捨てられた真鍮のサキソホンだった。超年月のあいだに素材の真鍮
が化学反応を起し黄銅鋼化したのだった。

地球が出来てから現在までを一日24時間に当てはめてみる。恐竜が繁栄してい
た中生代ジュラ期は2億年ほど前で、22時から23時頃に該当する。人類が登場
したのは24時00分00秒の僅か2秒前のことである。一日の内の一時間の1000分
の1秒が人類の生きる時間で、人類は都市を築きあげた生き物であるが、長い
地球の歴史から見ればその時間は一瞬にもならないことが理解できる。又、良
く考えれば理解できることだが、一秒という極めて短い時間の経過の中でも超
スピードの変化が私たちの体の内側と外側の世界に起こっている。

地球上には永く持ちこたえられる物は何もない、形あるものは全て壊れる。時
間の流れで全ては変化する。変化しているものに実体はない。この世に堅固な
ものなど何もない。本質はグチャグチャに柔らかい、全ては変化しているエネ
ルギーに過ぎない。諸行無常、諸法無我、色即是空、空即是色、涅槃寂静。私
たちは所有しても実は何も所有することなど出来ない。執着しても、執着する
ことは出来ない。人間はアと生まれてアと死んでゆく。アとアの間にいろいろ
あっても全ては夢、幻なのだ。では何故自己は存在しているのか?自己とは何
か?この世という次元の背後にあの世という次元があるのか、ないのか?私は
その秘密のドアを瞑想という鍵を使って開けてみたい。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)


2014年5月30日金曜日

第53回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第53回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

次回:2014年6月2日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)
講師:中村正人

テーマ: 解説と実践―「カヨーウッサグ」―

先月の総会で研究会の在り方について話し合われ、プレクシャ瞑想の内容と実
践を学びたいという要望がありました。研究会では最初の2年間に一度各瞑想
の中身を玩味したことがありますが、現メンバーの多くが入会する以前だった
こともあり、改めて勉強する機会を設ける必要があると判断しました。そこで
次回は、プレクシャ瞑想の基本中の基本である「カヨーウッサグ」を取り上げ、
その意義を考察し、最新の文献からバリエーションを実践したいと思います。

【今後の開催予定】
・2014年7月7日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年8月4日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

ベン・プラブー師による瞑想ワークショップのご報告

ベン・プラブー師による瞑想ワークショップのご報告 (中村)

5月10・11日に行われた瞑想ワークショップは、多くの方にご参加いただき、
大盛況のうちに終了しました。心より御礼申し上げます。

ワークショップでは、各セッションとも大変内容の深い講義と問いかけ、質疑
応答が行われ、また瞑想の実践もオリジナルの音とリズムを利用した、初心者
でも入りやすい誘導でした。体験した参加者は何かを得ることができたのでは
ないかと思います。主催者が用意してくれた無料の完全菜食ランチも好評でし
た。あちこちに輪が出来て、楽しい語らいのひと時がもたれました。昼食後に
行われた坂本知忠先生によるプレクシャ瞑想の紹介も大変わかりやすく、はじ
めての方にも興味をもっていただけたことと思います。協会員以外の参加者が
意外に多く、プレクシャ瞑想を伝える貴重な機会となりました。ありがとうご
ざいました。

今回の企画は当初、東京在住のジャイナ教徒の有志がスピリチャルな学びを深
めるため、インドから著名なグル(導師)をお招きすることを計画し、縁のあ
った私たちに日本人も是非いっしょに参加しないかと声をかけていただいたこ
とがきっかけでした。

同じジャイナ教の瞑想指導者とはいえ、テーラパンタ派が体系化したプレクシ
ャ・メディテーションとは異なる系譜の瞑想だったので、協会としても手探り
の状態で企画に参加したというのが本当のところでした。インドの方と一緒に
計画を進めるのは、日本人のやり方とかけ離れていて、それはそれは大変でし
た。何度も御徒町に足を運び、それでも決めるべきことが決まらず、業を煮や
すこともありましたが、何とか細部が固まりチラシの完成に漕ぎ着けたのが、
すでにゴールデンウィーク直前という時期でした。そこからフル稼働でチラシ
の配布と勧誘を皆で手分けして行い、ようやく予約が入り始めました。

ところが前日、グル一行を東京観光(禅寺での坐禅体験)にお連れした後、と
んでもない事態が起こりました。私たちが配ったチラシをみて、「この数字は
何だ?」と質問されたので、「当日の参加費ですよ」と答えたところ、急に、
「そんなことをしてもらっては困る」と言われたのです。何が問題かさっぱり
わかりませんでした。日本では経費を賄うために参加費をとることは普通です
し、かなり参加しやすい料金に抑えていたつもりです(無料だと逆に価値が低
いという印象を与えたり、怪しい集まりとも受け取られかねません)。実際チ
ラシ作りや観光などで諸経費がすでに発生していました。御徒町ジェインズ
(御徒町在住のジャイナ教徒たちのことを親しみをこめてそう呼んでいます)
も了解していたことです。しかも予約した方は参加費をすでに振り込まれてい
ました。それにもかかわらず、「今からお金を全部返して、無料にしなさい」
と言うのです。前日の夜に(汗)です。

グル一行と御徒町ジェインズの主要メンバー、東京ジェイン・ソサイエティの
代表者、そしてプレクシャ協会の私と増本さんで、はげしい議論が交わされま
した。そして、ようやく誤解が解け(金儲けが目的ではないことが理解され)、
なぜ食い違いが生じたかが判明し、解決策がまとまりました。それは、こうい
うことです。

当初、私たちは御徒町ジェインズからグルたちの渡航費や滞在費を彼らが負担
するつもりである話をうかがいました。グル一行とのメールのやりとりでは経
費は気にしないように告げられていたようですが、招待側が支払うのは世界の
常識です。当然、御徒町ジェインズもそれを社交辞令と受け取り、費用を捻出
しようとしていました。それを聞いた私たちは、毎年ギリギリの収支で運営さ
れている零細団体ですので、最低限の参加費を出席者から戴き、学びに対する
謝礼として経費を除いた全額を御徒町ジェインズに寄付し少しでも足しにして
もらおうと考えました。そうして設定されたのがチラシに記載された料金です。
しかし、グル一行は次のように話しました。「経費は最初から自分たちで賄う
つもりで、そう言った」「この活動を始めた当初、お金をとらないことを心に
誓った」「お金をとる団体とは一切関わらないことも決めた」「だから、お金
はとらないでほしい。それが我々のポリシーだから。」「経費がかかったのな
ら、それも我々が負担する」・・・。

すると、東京ジェイン・ソサイエティの代表者が、「経費は我々が負担するか
ら返金しましょう。返金のための封筒作りも皆で手伝います」と申し出てくだ
さいました。ここまで言われたら、お金を取るわけにはいきません。返金がど
んなに大変な作業になろうとも、返さなければなりません。その場で会計の森
山江美さんに電話して事情を説明し、急きょ返金の準備をしてもらうことにし
ました(参加の仕方で料金がマチマチだったので、翌朝までに個々人に宛てた
封筒を用意するのは大変だったと思います。当日お手伝いいただいた受付担当
の皆様もご苦労様でした!)。

この一件は、お金のゴタゴタが当日になって生じたという点では、協会の落ち
度以外の何ものでもありません。振込手数料も発生していたと思います。金銭
的なご負担とご面倒をおかけしたことについて、協会を代表して心からお詫び
申し上げます。

しかし、私はこのエピソードを貴重な学びだったと捉えています。結局、問題
の背景にあったのは、誰もが相手を思いやる優しい気持ちでした。そして、お
金に対してクリーンな態度です。以前にも、Facebookの「プレクシャ・コミュ
ニティ」に投稿しましたが、ジャイナ教の人たちはお金に対して本当に綺麗で
す。大切にしていることにはお金の原理を入り込ませないという生き方です。
これは日本人が学ぶべきことだと思います。巷には多くの価値ある、立派な
ワークショップや教室が溢れていますが、どれも結局は対価としてお金を取っ
ています。お金を取るためには、どうしても提供するサービスを金銭的に評価
して、そのうえで相場と経費を考慮し、料金設定せざるを得ません。平等に設
定するためには、お金持ちとそうでない人を区別することもできません。その
結果、本当に必要としている人が参加しにくいものになっているかもしれませ
ん。それに、そもそも金銭的に評価すべきでないこと(人の健康や心の癒し、
教育など)に経済原理が持ち込まれることにも問題があります。それによって、
大事な何かが失われているに違いありません。そのことをもう一度よく考えて
みる必要があると思うのです。

一人ひとりの努力の甲斐あって、両日とも予想以上に多くの日本人が参加して
下さいました。そして、純粋な空気に触れて下さいました。ご参加いただいた
皆さま本当にありがとうございました。他の国で行われたワークショップでは
ジャイナ教の信者は大勢集まりますが、信者でないその国の人がこれほど沢山
参加してくれたのは日本だけだと、グル一行もとても喜んでいました。

最後に、このような機会を与えて下さったグル一行と御徒町ジェインズに心か
ら感謝いたします。私たちはお返しをする術を持ちませんが、唯一できること
は、ここで学び、感じたことを一人でも多くの人に伝えることだと思います。
皆さんも是非これから何かの折に、この日のことを想い出していただけると嬉
しく思います。

なお、ワークショップの内容については、現在制作中の会報誌に掲載する予定
です(発行が遅れていて申し訳ありません)。6月15日までに今年度の会員手
続を行った方には、近日中にお手元にお届けできると思います。手続がお済み
でない方は、早めにお申し込みください。

コラム[悟りとは]

悟りとは
ちょうど良い時に、ちょうど良いことをして、間違えない。

多くのスピリチャルな教師は「今に生きる」のが一番良い正しい幸せな生き方
だと説いている。では「今この一瞬に生きる」とはどういう事なのだろうか。
私たちの心はいつも過去を悔い、まだ来ぬ未来を心配し、夢み、計画している。
それは思考が連鎖的に起きているいわば妄想状態である。健康な人が極限のよ
うな状況の中で、懸命に努力している状態、それは妄想ではなく現実感を伴っ
た実感である。時間と行為と自己と対象が一つに結び付いた、この状態を「今
この一瞬に生きる」という。そんな時は思考を超越して直感が働いている。ま
たそんな時は同時に知覚が極度に研ぎ澄まされ、瞑想のディヤーナと同じよう
な状態にある。

スポーツやダンス、武道に熱中しているようなとき、私たちは今この一瞬に生
きている。そのような心の状態の継続を増やすことは可能だが、常時継続して
一瞬に生きることは難しい。

瞑想とは考える心を観じる心にスイッチを切り替える事である。考えが起こら
なくなり、観じようとする心が身体内部の感覚を観じているとき、瞬きするよ
うな一瞬と一つになっている。それが、「一瞬と一つになる」ことで、「今に
生きる」本当の意味である。そんな時は、妄想から離れ、行為からも離れてい
る。そんな時、カルマが消えてゆき、宇宙エネルギーが身体に多量に流入する。
生命エネルギーは身体内部を停滞することなくスムーズに流れ、治る力、免疫
力が高まっている。神と一体になっているとはその状態の譬えのことである。
睡眠時の意識状態もこれに似ていて、思考が止んで、過去と未来から意識がは
なれて根源的なものと繋がっている状態であると言える。だから睡眠によって
癒されリフレッシュするのだ。

瞑想の意味でない、現在に生きるとはどういう心構えを云うのだろうか、私は
今に生きる、現在に生きる、あるいはこの一瞬に生きるという事の解りやすい
解釈は茶道の「一期一会」と言う言葉にあると思う。今出会っている全ての事
は只一度の出会い、過去にも無かった、未来にも二度と起こらない。貴重な出
会いなのだと、どれだけ深く理解して行動できるかにあると思う。

30歳のころ沖正弘先生から悟りとは「ちょうど良い時に、ちょうど良いことを
して、間違えないことである」と聞いて目からうろこが落ちた。それまで、悟
りとは、修行して獲得すべき、人間離れした超越した心身状態だと思っていた。
その時以来、私はちょうど良い時に、ちょうど良いことをして、間違えないと
いう事を生活の指標とし努力してきた。これがとても難しかった。ついつい結
果を期待して思いどおりにいかないと、怒りの心が湧いて来くるので無執着に
なることが難しかった。結果を手放して今に生きることは、今も本当に難しい。

「全ての業(わざ)には時がある」とは聖書の有名な一節である。天が下の全
ての事には季節があり、全ての業には「時」がある。花が咲くときに「時」が
あり、花散るときに「時」がある。生まれるに「時」があり、死ぬるに「時」
がある。出会うに「時」があり、別れるに「時」がある。集合するに「時」が
あり、離散するに「時」がある。集めるに「時」があり、手放すに「時」があ
る。愛するに「時」があり、憎むに「時」がある。泣くに「時」があり、笑う
に「時」がある。病むに「時」があり、癒すに「時」がある。壊すに「時」が
あり、建てるに「時」がある。悲しむに「時」があり、踊るに「時」がある。
黙るに「時」があり、語るに「時」がある。戦うに「時」があり、和むに
「時」がある。

私が好きな言葉は「流れて時が過ぎれば、全ての人、全ての物は、違った場所
で違った物になっている」である。良いことも、悪いことも、時、場所、条件、
状況全てがピッタリ合うと物事は必ず起こる。環境が整うと何でも起こり現れ
る。これは宇宙の法則であり、真実でもある。

今、何をすべきか、どうするべきかと常に考えて行動する。今この一瞬は過去
と未来の出会う所、今この一瞬と繋がれば過去現在未来が一つに繋がる。今こ
の一瞬を良くすれば過去も未来も良くなる。それは、瞑想によって達成される。
これがアカルマになる道、魂を清らかにする道だと信じている。プレクシャ・
メディテーションのバーバークリヤ、今この一瞬に生きる、純粋行動とはそう
いう意味である。魂を清らかにする道、モークシャへの道である。

魂は水のようにどんな汚れをも浸透させ、抱き込むことができるが、水そのも
のが汚れないように魂そのものも汚れることはない。水を浄化するように、魂
を浄化していけば清らかで純粋な魂の性質が燦然と現れる。不純物が混じり合
った金鉱石が製錬されて純金となるように・・・。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2014年4月28日月曜日

ジャイナ教瞑想 特別ワークショップ2014

インドから来日する瞑想指導者による瞑想ワークショップ開催のお知らせ

在日ジャイナ教徒コミュニティ
(Shrimad Rajchandra Mission, Delhi)主催
日本プレクシャ・ディヤーナ協会協賛

ジャイナ教瞑想 特別ワークショップ2014

Listen to the Silence
Where our JOURNEY Begins!

“静寂に耳を澄ます ~ そこから『魂』への旅がはじまる”
 

ベン・プラブー師(BEN Sri Ratna PRABHU)はジャイナ教の精神的指導者の
一人(高位の尼僧に相当する方)で、有名な瞑想のグル(師匠)でもあります。
かのマハトマ・ガンジーに直接影響を与えたジャイナ教の聖者シュリマド・
ラジチャンドラの哲学を長年研究し、理解し、その叡智を現代に伝える活動を
行っています。

師の瞑想はジャイナ哲学を基礎に、科学的・論理的な要素を加えた、わかりや
すく容易に実践できる内容になっています。今回、イギリス、ヨーロッパ、
アメリカ、カナダをまわり、はじめて日本で瞑想ワークショップが開催される
ことになりました。

ヨガをしているすべての人へ、そして瞑想やインド文化に興味のあるあらゆる
人のために、本格的な瞑想を直接ご指導くださいます。ご期待ください。


<プログラム内容>

5月10日(土) 開場:9:30~ 開始:10:00~
会場:東京都台東区鳥越1丁目24-2(1階ホール)

【午前の部】
10:00-12:00 「私とは誰か?-スピリチャルな探究」
【昼食】
昼食希望者には、世界で最も厳しいジャイナ教の完全菜食ランチをご用意いた
します/要予約1000円
【午後の部】
14:00-15:00 もう一つのジャイナ教瞑想 『Preksha Meditation』1(無料
講座)
15:00-16:30 「宗教:単なる儀式からスピリチャルな日常へ」


5月11日(日) 開場:9:30~ 開始:10:00~
会場:東京都台東区小島1-5-2 小島社会教育館(都営小島ビル2階)

【午前の部】
10:00-12:00 「スピリチャリティ―マインドフルな変革」
【昼食】
昼食希望者には、世界で最も厳しいジャイナ教の完全菜食ランチをご用意いた
します/要予約1000円
【午後の部】
14:00-15:00  もう一つのジャイナ教瞑想 『Preksha Meditation』2(無料
講座)
15:00-16:30 「ジャイナ教の基本的な考え方」


※各セッションの内容(瞑想を含む)は同じではありません。二日間全体で
ジャイナの瞑想とその背後にある深遠なインド思想の基礎を理解できるように
構成されていますが、一部のみの参加も可能です。

※午後の 『Preksha Meditation』には、午前のみお申し込みの方も無料で参
加できます。

※プログラムの内容は予告なく変更になることがあります。

<参加費>
※協会員の方は、1割引で参加できることになりました。
すでにお支払いいただいた方は、後日返金いたします。

事前予約:二日間通し券 4,500円 (協会会員は4,100円)

当日券: 午前の部1,500円/午後の部1,500円(協会会員は1400円)
午前・午後通し券2,500円(協会会員は2,300円)

事前予約に関しましては、当事務局までメール(japan@preksha.com)で
お申込みいただき、5月7日までに下記振込先へご入金の程お願いいたします。
昼食を希望される場合には、昼食代も参加費と一緒にお振込みください。
※昼食をご希望の方は5月7日までにお申し込みください(各日とも1000円)。
(昼食代の割引はありません)

【振込先】
・ゆうちょ銀行 10580-71299071(他行からの入金:058-7129907)
 日本プレクシャ・ディヤーナ協会
・三菱東京UFJ銀行 浦安支店 普通0137217
 日本プレクシャ・ディヤーナ協会 代表 坂本知忠

【注意事項】
※昼食をご希望の方は5月7日までにお申し込みください(各日とも1000円)。
※学生の方は、上記の半額にて受講できます(昼食の割引はありません)。
※協会員の方は、1割引にて受講できます(昼食の割引はありません)。

お申込み・お問合せ: 日本プレクシャ・ディヤーナ協会
メールアドレス: japan@preksha.com  TEL: 090-6319-1816(中村)

※ワークショップの詳細については、下記のFacebookグループを
ご確認ください。最新情報を随時お伝えしています。
「プレクシャ・コミュニティ」グループ
https://www.facebook.com/groups/465120036943301/

コラム[地球温暖化の脅威]

「スペースシップの客室維持装置に異変あり」 NHKBS1 2014年1月17日放映
を観て考えたこと

1990年頃からずっと暖冬傾向、小雪傾向だった只見の冬が、2010年頃から少し
様子が変わって厳しい寒さと大雪傾向に変わってきた。地球の温暖化が進んで
いるはずなのに何でこんな現象が起きているのだろうかと疑問に思っていた。
只見の夏は暑くなる傾向は今までと変わらず、暑い季節がだんだん長くなる傾
向をみせている。なのに、どうして冬が厳しくなったのか地球気候のメカニズ
ムがよくわからなくなっていた。

その理由は、地球の海水温の上昇であり、特に北極海の海水温が上昇してきて
いるためだと解った。冬、北極海の上空の大気が海水に温められて、シベリヤ
や北米大陸上空の大気より暖かくなっているのが原因だった。本来、北極上空
にある冬の寒気がシベリヤや北米大陸の方に移動し大きく南に張り出している
ためであった。只見の近年の冬の厳しさは寒冷化ではなく地球の温暖化の現れ
だったのである。

地球温暖化は起こっていないという学説が4、5年前流布していたが、間違いな
く温暖化は進んでいるし、加速してきているというのが、日々天候に敏感に生
きている私の実感である。3.11の東日本大震災以来、マスコミの報道は被災地
の復興状況や原発事故処理の進捗状況、又、近未来に起こるであろうとされる
東南海地震や首都直下型地震の報道に偏ってしまい、地球温暖化の問題はほと
んど報道されることがなくなった。日本人の意識から地球温暖化・気候変動問
題の深刻さが、すっかり抜け落ちてしまっている。

産業革命以来、人類は物質文明を発達させてきた。この250年間に人口は7倍
に増え、化石燃料の使用量は50倍にもなり、大気中に二酸化炭素・CO2を大量
に放出し続けてきた。CO2の放出も自然環境がそれを吸収できるうちは良いけ
れど、植物や海水がCO2を充分吸収できずに大気中に溜まってくると、それが
温暖化の原因となる。現在は毎年自然環境が吸収できる量の2倍のCO2が人間活
動によって排出され続け、大気中に増え続けている。

CO2の増加によって地球温暖化が始まったのであるが、地球の温暖化が進行す
るにつれさらに困った問題が起こってきた。夏期にシベリヤやアラスカの永久
凍土層が溶けてメタン生成菌が目覚め、永久凍土層の中に閉じ込められていた
有機物を分解しメタンガスを大量に発生させているのである。今ではこの地域
の永久凍土層の60%が夏期に溶解している。永久凍土層の中にはおよそ4万年
分の有機物が閉じ込められていると考えられていて、それがメタン生成菌によ
って分解されメタンガスを発生させ始めているのだ。

メタンガスは太陽光の紫外線を受けると分子が振動して、その時に熱を発生す
る。その熱はCO2に比べて20倍の温室効果をもたらすと研究されている。2013
年に『2052-今後40年のグローバル予測-』という本が出版されたが、その本
の著者BIノルウエービジネススクール教授ヨルゲン・ランダースは、閉じ込め
られていたメタンガスの大気中への放出が人類のパンドラの箱になると警告し
ている。

グリーンランドの氷河の融解が進んでいるが、近年になって溶けていく氷河に
黒い小さな穴が沢山あく現象が見られるようになった。科学者が調査してみる
と、氷河の中に閉じ込められていた植物系のシアノバクテリアという菌が土砂
を取り込み粒状になって、オリノコナイト粒を形成しているためだった。この
オリノコナイト粒が太陽光を吸収し氷河の溶解を加速させていることが判明し
た。

海底にメタンハイドレートとして閉じ込められているメタンガスが海水温の上
昇で海中に溶け出し始めている。東シベリヤの大陸棚の平均水深は65メートル
程度で比較的浅い。そこでどのくらいの量のメタンハイドレートが溶け出して
いるかを調査したところ、2012年に全海水から溶け出した量の50%がこの海域
から溶け出していることが解った。夏期の北極海の海水温上昇が顕著なためで
ある。

大気中のメタンガス濃度の上昇が地球温暖化を促進し、温暖化の進行によって
さらに大量のメタンガスが大気中に放出され、さらなる温暖化が加速する。そ
ういう悪循環が始まりつつある。この悪循環によって地球の平均気温は6℃~8
℃にまで上昇して人類文明は崩壊してしまうと予測されている。IPCCの気温上
昇予測は控えめなのかもしれない。

宇宙船地球号という考え方がある。50年前にアメリカ人、バックスミンス
ター・フラーによって提唱された考え方だ。一人一人の人間がスペースシッ
プ・アースに乗り合わせた運命共同体という考え方だ。

今、その宇宙船が危機的な状況になって、人類の未来に暗雲を投げかけている。
地球温暖化問題は、人類自らが引き起こしたもので人類全体の業・カルマであ
る。生物はとても利己主義的である。人類とて例外でない。自分の孫達(未
来)や他国の人や他のグループにとって良いことよりも、現在の自分たちにと
って良いことを優先してしまうからだ。

又、なかなか持続可能な社会への転換が進まないのは、人間の限りない欲望が
妨げになっているからだ。人間の根本欲に無限の自由をめざす欲望があって、
現代人はもっともっとお金、もっと良いもの、もっと便利なものをと常に求め
ている。本当に必要なものは何か、必要最小限のもので生きる知恵と道徳、価
値観がその欲望に負けているからだと思う。

地球に存在する限りある資源エネルギーを節約し未来の世代のために残し、今
の私たちは孫たちの将来のために忍耐し、最小限の物だけで、それも所有する
のではなく、みんなで共有し分けあって生きる知恵が求められている。資本主
義経済ではなく、持続型経済主義である。世界には人口1000万人を超える巨大
都市が現在23も存在し、これはエネルギー多消費型で持続可能な社会とはいえ
ない。巨大都市に一局集中する大量生産大量消費の物質文明でなく、分散型、
自立型社会への転換が必要なのだ。消費者と生産者が近づいて、エネルギーや
食料をコンパクトな地域内で自給自足する生活様式への転換が求められている
のである。それによって無駄な輸送にかかるエネルギーが削減できる。日本で
いえば廃県置旛のようなことである。国土が100位の地域に分化して、それぞ
れがエコライフと幸せな生き方に工夫をこらし、地域ごとに特徴をもって自立
するのが良いと私は考えている。封建時代のような不自由な制度ではなく、
人々が住みたいところに住み、職業選択も旅行や移動も自由でなければならな
い。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

2014年度のプレクシャ瞑想合宿日程のお知らせ

今年度のプレクシャ瞑想合宿の日程が決まりましたのでお知らせいたします。
今年は1回の開催となりますが、初級者から上級者まで誰もがいつでも開催期間中にご参加いただける合宿を開催します。

別途都内近郊で特別講習会の開催なども検討しております。そちらも決定され次第順次お知らせしますのでご期待ください。

参加を希望される方は、ホームページからチラシ裏面の申込書にてお申し込み
ください。
http://jp.preksha.com/learn/default.asp


<2014年度合宿予定>

●6月15日(日)~22日(日) プレクシャ・メディテーション合宿

 参加資格:どなたでも参加できます

合宿のチラシは下記からダウンロードができます。
http://jp.preksha.com/learn/PDJ_Retreat_2014.pdf

※予定は変更されることもありますので、あらかじめご了承ください。
※指導員資格を取得された方は、特別待遇での受講が可能ですのでお問合せく
ださい。

みなさまのご参加を心よりお待ち申し上げております。

2014年3月21日金曜日

平成26年度 日本プレクシャ・ディヤーナ協会 年次総会開催のお知らせ

当協会では、第三回年次総会を4月の研究会開催時に執り行う予定です。会員
の皆様へ平成25年度の会計報告ならびに来期26年度の開催予定行事や今後の協
会運営について話し合いの場をもちたいと思っております。

当日は簡単なお菓子とお茶などをご用意いたしますので、出席ご希望の方は協
会事務局(メール:japan@preksha.com)までご連絡の程よろしくお願いいた
します。

会員の皆様からご提案などございましたら、事前に協会事務局までご連絡くだ
さい。

日時:2014年4月7日(月)18:00~(総会終了次第研究会となります)
場所:市川市南行徳市民センター3階 集会室1
千葉県市川市南行徳1丁目21番1号  TEL: 047-359-5451
東京メトロ東西線南行徳駅下車、徒歩1分
アクセスマップにつきましては、下記URLにてご確認ください。
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/gyotoku/m_mapprak.html

※会員様のための総会となりますが、新規会員希望の方や協会の活動内容にご
 興味がある方のご参加も歓迎いたします。

以上、皆様のご参加をお待ちしております。

コラム[水は偉大なる教師であり、尊崇すべき恩人である]

近頃、私は生命とは何かを探求し続ける中で、宇宙や自然がどのように成り立
っているのかに興味をもって、自然法則や自然の営みの背後にある真実にとて
も心惹かれている。私たちの身近にある水や空気、大地(地球)、火(太陽)
の科学的、哲学的意味合いに思いを巡らし、思考することが多くなった。
今回は水について少し書いてみた。

水は空気と共に私達になくてはならない存在である。しかしあまりにも身近に
あるので、その存在をあたりまえに思って、その本当の意味とありがたさが解
らなくなっているのではないだろうか。

水が酸素と水素の化合物であることは小学生でも知っている知識である。では、
その酸素と水素とは一体なんだろうか。宇宙がビックバンで始まる以前は宇宙
には水素原子しかなかったと考えられている。水素は元素の中で最も軽く、最
も数が多い物で、極めて燃焼爆発しやすい性質がある。酸素は宇宙の中で水素、
ヘリウムに次いで3番目に多くの質量を占めている。酸素の起源は恒星核のヘ
リュウム原子の核融合によって生み出されたと考えられている。宇宙で質量の
一番多い水素と3番目に多い酸素原子が結合してできたものが水であり、その
ようなことから水は宇宙に普遍的に存在している物質だと推測できる。

地球上には水惑星と言われるほど大量の水が存在している。その量は地球の表
面の凸凹、高い山脈や深い海溝を全て平らにならして、そこに全ての水を注ぐ
と、深さ2500メートルの水球になる。それは14億立方メートルの水量に相当す
る。

地球には大量の水が存在しているが、その98%が海水で、残り2%の淡水のう
ち7割が極地や高山の氷河である。氷河を除き残った3割のうちほとんどが地下
水で、そのうち半分が地下800メートルより深い所にあり、人間がこれを利用
することはできない。我々が使うことのできる水は浅い所を流れる地下水や湖、
川の流れ、雨水であって、淡水として存在している1%ほどに過ぎない。地球
上にある全ての水の5000分の1しか利用できない計算になる。その水を生活用
水として使い、工業用水、農業用水として使っている。日本は淡水の豊かな国
である。日本の山地を流れる水は純粋に近く、清らかだ。何も手を加えずその
まま美味しく飲むことさえできる。しかしこのような恵まれた国は稀で、地球
上では水に恵まれない地域も多く存在し、水の獲得を巡って紛争も数え切れな
いほど起こっている。

NHKで放映中の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛は家督を長政に譲ったあと如
水と号した。官兵衛は水の如く生きたいとの信念を持っていた。越後の銘酒に
上善如水というのがある。湯沢の白瀧酒造が作っている酒で、さっぱりと爽や
かな癖のない日本酒だ。では如水とは何であろうか。

王陽明の「水五訓」には、
一、 常に己の進路を求めて止まざるは水なり。
二、 自ら活動して他を動かしむるは水なり。
三、 障害に遭って、激しくその勢力を百倍にし得るは水なり。
四、 自ら潔うして他の汚濁を洗い、清濁合わせ容るるは水なり。
五、 洋々として大海を満たし、蒸発しては雲に変じて雨となり、凍っては玲
     瓏たる氷雪とかす。しかも、その性失わざるは水なり。

「水五訓」の四にあるように、水はこの世で最も良質な溶剤でもある。水自体
はきわめて多くの物質を溶解することが出来るが溶解された物質によって変化
を受けることはない。岩石や金属も水に溶けるし、酸素や二酸化炭素などの気
体も水に溶ける。水の持つ優れた溶解力を使って動物や植物は体内のエネル
ギー供給や老廃物の代謝に利用している。自然界の中にある物質の中で水は水
銀に次いで表面張力が大きい。表面張力の大きい性質が毛細管現象をおこすの
で、もしこの毛細現象が無かったら地上の生物は存在しなかっただろう。

水は地球上で最もありふれた平凡な姿をしているが、実は宇宙で最も優れた独
自性を持っている。地上にある物質の中で一番低い温度で個体から液体になり、
一番低い温度で沸騰する。1気圧の下、水が個体になる温度を0℃、気体になる
温度を100℃に定め、その間の液体である温度を100等分にして、人類は生活に
役立てている。水は気温が低い時に収縮して比重が増えて重くなるが、0℃が
一番重いのではなく4℃の時が一番比重が高い。それを絶対温度と云う。

普通暖かい水が膨張して軽くなり上に行き、冷たい水が収縮して重くなり底の
方に来る。水が凍り始める時、底の方で4℃の暖かい水があり、上に0℃の冷た
い水が来る。だから水は上の方、表面から凍り始める。水は凍ったとき体積が
増し比重が軽くなるという大変珍しい性質をもった物質である。氷は水より軽
いので水に浮かぶ。さらに表面に凍った氷は水に対して断熱材の働きをする。
この性質がなかったら海や湖は底から凍りはじめて、やがて表面まで全て凍り
つき、生物は住めなかったに違いない。

水はあらゆる物質の中で最も温まりにくく、冷めにくい性質がある。海の大量
の水が地球の気候を一定に保つ働きをしている。地球の気候が一定に保てなけ
れば生物の生存に厳しい環境になる。

水は方円にしたがい変化する。丸い器に入れれば丸くなり、四角の器に入れれ
ば四角くなる。こだわりがなく、適応力が抜群に高い物質である。現代は日々
変化の激しい時代だが、水のように臨機応変の心を持ちたいものである。

水は流動性がたかく、高い所から低い方へ流れ、表面から奥深くへ浸透してい
く。流れる水はいかなる障害に出会っても少しも苦にせず、サラリとかわし流
れ続ける。山に降った雨や雪は仲間を集めて流れとなり、流れが集まり支流と
なり、支流が集まり大河となる。河の流れは一番低い海へと向かう。水は動き
やすく、柔軟で素直だか、他方で堅固な岩をも穿ち、時には大地を崩し、船を
沈め、建物を倒壊させる巨大な力も秘めている。水は常に慈悲深く人を助け励
ますが、時には人の過ちを厳しく正す不動明王のようである。

空に浮かぶ雲は水の姿の変形である。行雲流水の心は少しのこだわりもなく、
執着もなく、臨機応変、只々利他のためだけに存在している。

水は他の能力や個性を引出し活かすことができる優れたコーディネーターでも
ある。粘土をこねて、適切な固さに成形し陶器が作れるのも水の仲立ちのおか
げである。熱せられた鉄塊が水によって急速冷却されると、全く別の性質が現
れて鋭利な刃物と化す。砂と砂利とセメントが水の仲立ちによって強固に固ま
ってコンクリートになる。薩長同盟を実現させた坂本龍馬のように、水は対立
するものの間に立って仲介者になり、そこから新たなものを絶え間なく生み出
している。

水は常に形を変え、場所を変え、一つ所に根を生やさず、流転している。実は
私たちの魂も水と同じだ。カルマの汚れを抱えても魂そのものはカルマの影響
を受けず、純粋である。魂は水のように形を変え、存在の場所を変え、一か所
に根を生やすことなく、生成流転している。

徳川家康は豊臣秀吉によって、駿河、遠江、三河の本拠地から関東へ国替えさ
せた。黒田官兵衛は多大な功績があったにもかかわらず、秀吉や家康の嫉妬で
九州の小さな大名に押し込められた。大名の国替えは当事者にとって困難なこ
とであっただろう。しかし、多くの人々がその国替えによって移住している。
日本人の心の深くに国替えの心が刻まれているかもしれない。それは執着しな
い、自分がどこに住んでも構わない。今いる土地に根を生やさないという柔軟
さがあり、適応力もある。それが自水一如という事である。

川の流れ、海、雨、霧、泉、雪、氷、自然界にある水に意識を集中すれば、水
は私たちにもっと沢山のことを教えてくれるに違いない。


<著:坂本知忠>(協会メールマガジンからの転載です)

2014年2月20日木曜日

第1回プレクシャ・コミュニティ開催のご案内

皆さんは瞑想やヨガを何故・何のために行っていますか? 
それぞれ目標や目的をお持ちだと思いますが、その目的は達成されていますか? 
あるいは、確実に達成に向かっていますか?

先日、プレクシャ・コミュニティ交流会の打ち合わせで、ジェインの方々(ジ
ャイナ教徒の方々ですが、宗教的ではないのでこのように呼びます)から「会
の前に3つのことを心掛けてきて下さい」と言われました(以下、要約)。

-----------------
 一つ目は、体をきれいにするということ。身体に対する意識、慈しみをもつ
ことはすべての愛情(affection)の基礎です。それをしっかり認識するため
に、体の洗い方から学ぶ必要があるということです。「人は生まれた直後に何
を見ますか? お母さんの体ですね。体で母の温もりを感じますね。そこから
すべての愛がはじまります。」

 二つ目は、食事の内容を考えるということ。人は毎日食べて生きています。
そして不要な物は排泄されますが、必ず体の中に残る物があります。それは
日々蓄積され、人の心にも影響を与えます。悪い物を食べると体が不健康にな
り、心が不健全になり、その人の人生も不調和なものになっていきます。悪い
カルマを入れないことは、まず食事からはじまります。

 三つ目は、衣類にも気を遣うということ。暗い色の服を着ると気持ちは暗く
なります。明るい色を着ると心が明るくなることは皆さんご存知のとおりです。
ジャイニズムではそれをレーシャ(精神の色)と関連づけて理解します[注:
レーシャというのは魂から放たれる光の放射に付く色のことをいいます。カル
マやその人の性質によって様々な色になり、最終的にいわゆるオーラとして、
その人の性状として現れます]。

 ジャイニズム(ジャイナ教)は、自然法則に忠実に則って生きる知恵(know
ledge)です。だから言葉や講義を通じて頭で理解する前に、まずそれらの基
本をやってみてください。そのうえで会に参加してみてください。それだけで
お話する内容の理解は格段に違ってくるはずです。

瞑想やヨガも同じです。それは心身の健康にとって非常に有効なテクニックで
すが、その前に大切なことがあります。それをよく考えてください。そうすれ
ば、もう半分以上、瞑想やヨガをする目的が達成されたことになります。すべ
ては考え方なのです。
-----------------

そんなお話をこれから毎月、ジェインの方々からうかがいます。その記念すべ
き第1回プレクシャ・コミュニティ交流会を下記の要領で開催します。奮って
のご参加をお待ちしております(原則として事前の予約が必要です)。

日時: 2月22日(土)9:00~プレクシャ・メディテーション/10:00~座談会
場所: ヴェジハーブサーガ - VEGE HERB SAGA
   (上野5-16-9サンエイビル地下(JR御徒町駅から徒歩2分))
ホームページ:http://www.vegeherbsaga.com/shop.html
予約・お問合せ:savita.nakamura@gmail.com
参加費:無料(別途お茶代などがかかる場合があります)

※このコミュニティの連絡は、Facebookの「プレクシャ・コミュニティ」(連
絡用の非公開グループ)を通じて随時更新されます。ご興味のある方は、同グ
ループに登録させていただきますので、グループ検索して「プレクシャ・コミ
ュニティ」からリクエストを送るか、直接、日本プレクシャ・ディヤーナ協会
又は中村までお申し込みください。会員であるか否かにかかわらず、広くどな
たでもご参加いただけます。

(中村正人)

第51回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第51回定期研究会を下記のとおり開催いたします。ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

日時:2014年3月3日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)

講師:伊東真知子、高山知子、丸目あきこ
テーマ:インド瞑想研修を振り返って

3月の研究会では、ラドヌーンの国際瞑想キャンプに参加した方にお集まりい
ただき、授業の中で印象に残ったことやキャンプでのエピソードなどをお話い
ただきます。

当日、皆様からのご質問も受け付けますので何なりとどうぞ!

10月のキャンプを思い出しながら、皆様とワイワイとお話するうち、また新た
に気づいたことなどをご報告できるかもしれません。大きな声では言えない、
取って置きのお話とか・・・。お楽しみに!

皆様のご参加をお待ちしております。

【今後の開催予定】
・2014年4月7日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年6月2日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、第1月曜日に開催しています。

コラム[絶体絶命、崖っぷち、究極の選択・ 非暴力と義務どっち]

<K先生からの質問(携帯メール)>
今バガヴァット・ギータについて生徒さんにお話していますが、先生は義務を
果たすのにドリタラー達を殺すバガバットの教えに関してどう思われますか?
ヨガの教えなので、殺しを肯定しているわけではないのですが、義務のためな
らカルマは働かないと解いています。

<私の返信>
K先生おはようございます。生徒さんにギータの内容を教えるなんて、やはりK
先生はすごいですね。絶対非暴力の教えと対立しますが、それは、積極的ヨガ
と消極的ヨガの違いです。出家主義か在家主義かの違いです。ギータは大乗仏
教的な教えです。消極的ヨガは苦しみを除くために楽を放棄します。楽には必
ず苦しみが伴います。苦しみから逃れようとすれば楽も逃げていきます。苦楽
一如です。      

追伸:
人間の業すなわちカルマを無くす、いろいろな方法のことを何々ヨガと言いま
す。カルマヨガだけがカルマを無くす道ではありません。ジュニヤーナもラジ
ャもマントラもハタもタントラもカルマを無くす道です。カルマヨガを日本語
に訳すと、行為のヨガ、仕事のヨガになります。意味は、その人にとって、ま
さに、今やるべきことを先送りしないで、今行うということです。起こってく
るあらゆることに対して最善を尽くし、責任をはたすことです。それによって
カルマがなくなります。ギータの教えです。カルマを無くす道がヨガなのです
から、マタニティーヨガなんていう言い方変だと思いませんか?

<K先生からのさらなる質問>
先生ありがとうございます。ギータでは悪人を殺すことはカルマにならず、欲
で人を殺すのはカルマになると書かれています。ここがどうしてもひっかかる
のです。例えば北朝鮮が攻めて来ました。日本人は逃げるところが全く無いと
します。大切な人達を昔のベトナム戦争のようにレイプしたり、惨殺したりす
る。もしそんな状態ならば、守ることは義務であり、相手を殺してもカルマに
はならないと説きます。一方ヨガでは絶対暴力はいけないと教えています。こ
この部分で矛盾がおきます。先生はもし人間の魂をもった宇宙人が攻めてきて、
人間がひどい目にあい、戦わなければ滅亡するときでも非暴力をとなえます
か?もしくは、必要ならばそれはカルマにならないと考えますか?

<私の返信>
K先生良い質問です。私なら、必要とあれば戦います。例え悪業になったとし
ても、自分がやらねばならないことなら、絶対にそのことから逃げません。例
え自分が殺されようとも、あるいは自分が他を殺すことになるとしてもそこか
ら逃げません。自分が例え地獄に落ちることになっても、自分がやらなければ
ならない過去の原因が結果になって今、そのような立場、役割、責任となって
現れているならそうします。絶対非暴力は理想です。人間は教育や洗脳で変わ
ります。北朝鮮をみれば、わかるでしょう。間違いを本当のことのように植え
つけられています。輪廻転生を理解し、自業自得を理解し魂について解らない
と人は正しく生きられないと思います。私もまだまだ解脱できそうにありませ
んね。

昨日の返信でカルマになるかならないか、について答えませんでした。行為は
何をしてもカルマになります。カルマにならない行為はありません。良い行為
は未来に問題を残しませんが、悪い行為は悪い結果をもたらします。一番良い
ことは何も行為をなさないことだと思いますが、これがなかなか出来ないので
す。

<K先生から>
ありがとうございます。ギータはヨガの書として難しいですね。


【解説】
以上の携帯メールのやり取りで何を話していたのか説明すると、

ヒンドウ教の聖典ギータは為すべく定められた義務はどのようなことがあって
も為さねばならないと、説いています。その人の役割と義務は最高神の御心で
あってそれを放棄してはならないと教えています。例えば軍人が戦場で敵と戦
かわねばならない時には、敵を殺さなければならない事が義務であり役割です。
責任感を持って義務を果たすことが最高神の御心に叶うことで、義務を完全履
行した時に最高神から祝福を受け解脱に至ると説いています。クリシュナ神が
アルジュナに義務の遂行について説き教える章がマハー・バーラタの「バガヴ
ァット・ギータ」です。私はこの思想の根本的な部分にカーストを肯定する内
容があるのではないかと考えています。

一方、ジャイナ教では絶対非暴力で戦争を完全否定しています。争いになる時
には、争いを避けて遠くへ逃げていきます。また争いの仲介者にもなりません。
争いの仲介者になることによって争いに巻き込まれることになるからです。遠
くに逃げ出す事が出来なければ、相手の暴力には無抵抗主義でひたすら忍耐し
ます。絶対平和主義がジャイナ教の教えです。マハーヴィーラは12年半の修
行の間、義務も責任も放棄してなんの行為もなさなかった。

究極の選択、義務の完全履行か、義務も責任も放棄しての無行為か、あなたな
らどうしますか? 絶対非暴力ですか?
よく考えてみてください。

<著:坂本知忠>(協会メールマガジンからの転載です)

2014年1月31日金曜日

「プレクシャ・コミュニティ」発足と今後の活動内容のお知らせ

“ジャイナ教は宗教ではない。生きるための叡智である。”
(Jainism is not a religion, but a bunch of knowledge.)

先日、御徒町でお会いしたスニールさんはジャイナ教について、こう説明して
くれました。
日本ではJainismは「ジャイナ教」と呼ばれ、仏教に比肩するインドの古い宗
教の一つとされていますが、その本質はいわゆる「宗教」というよりは「知
恵」や「知識」に近いそうです。だからジャイナ教では特に信者になるための
儀式(キリスト教の洗礼のようなもの)はなく、信奉しているかどうかは食事
の内容で見分けるのだそうです。非暴力主義(アヒムサ)を徹底するジャイナ
主義(あえて「ジャイナ教」と呼ばずに、個人的な信条・行動指針をあらわす
「主義」というのがふさわしい!)の人たちはけっして肉を食べません。収穫
時に虫を傷つけるおそれのある根菜類も忌避します。逆に、ジャイナ教徒の家
に生まれた人であっても、最近の流行に負け食事に気を遣わなくなった人は、
最早「ジャイナ教徒」ではないそうです。つまり、ジャイナ的な生き方をして
いるか否かが重要で、心と言葉と行動はひとつの実態であると考えます。

プレクシャ・メディテーションはジャイナ教の瞑想法ですが、それを強調する
と宗教的な印象が強くなり、宗教と切り離してその良さを伝えたい私たちにと
って悩みの種でした。しかし、上のようにJainismの本質を理解すれば、まっ
たく気にする必要はなくなります。

ジャイナの教えは、「とにかく本来の人間の姿、自然の摂理にもどること」な
のだとも教えてくれました。自分自身の中にある「自然」を徹底的にみつめる
生き方、それがジャイナ主義です。「(ジャイナ教には崇拝の対象とする神は
ないが)もしこの世に『神』というものが存在するなら、それは自分自身の中
にある。一人ひとりの中にそれぞれ『神』は存在するのです」というふうにも
言っていました。沖ヨガの"生命即神"と同じ考え方です。沖ヨガが宗教でない
ように、Jainismもまた一般にイメージされる意味での「宗教」ではない。
生き方としてのJainismと自分自身を見つめるプレクシャ瞑想、そしてヨガ。
この三者を結びつけ共有するためのコミュニティを、この度、新たに作りまし
た。

来月(旧暦の新年)から、日本に住むジャイナ教徒の方々とともに、月に一度
「交流会」を行います。具体的な内容はこれから詰めていきますが、考えてい
るのは週末の朝、プレクシャ瞑想を行った後、スニールさん達からジャイナ主
義の本質や実生活での活かし方を学びます。

「自分にとって本当に良いものを知れば、自然に良くないものを選ばなくな
る。」(ラジェンドラさん)

現在の日本で、「自分にとって本当に良いもの」は何か。それを原点から考え
る機会になれば嬉しく思います。

興味のある方はFacebookの「プレクシャ・コミュニティ」(連絡用の非公開グ
ループ)に登録させていただきますので、日本プレクシャ・ディヤーナ協会又
は中村までお問い合わせください。会員であるか否かにかかわらず、広くどな
たでもご参加いただけます。

皆さまからのご連絡を心よりお待ちしています!


  (中村正人)

第50回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第50回定期研究会を下記のとおり開催いたします。
ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

日時:2014年2月3日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)

テーマ:瞑想についての座談会(坂本知忠)

これまで多くのことを学び、実践してきた瞑想ですが、なかなかわからないこ
とも多々あると思います。今回は、坂本先生から瞑想についてわかりやすくお
話いただき、皆さんの疑問や体験を共有する会としたいと思います。

【今後の開催予定】
・2014年3月3日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年4月7日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、毎月第1月曜日に開催しています。

コラム[植物に心は有るか]

樹木や草、野菜、海藻は植物のカテゴリーに含まれます。地上の樹木や草はそ
の先祖を海中の海藻を起源としています。草木の先祖であった海藻は海の中で、
太陽光が燦々と降り注ぐ地上世界に憧れていました。効率よく光合成するため
に、もっと強い太陽光を求めていました。海の中では、海水に妨げられて陸上
のように強い光が当たらないからです。やっと夢が叶い、草木の先祖が今から
およそ4億年前に海から地上に進出しました。ところが地上の太陽光は彼らに
とって強すぎたのです。そして太陽光には有害な紫外線が含まれていました。
その紫外線によって発生する活性酸素から生命を守るために、彼らは抗酸化物
質のビタミンCとEを体内に作り出しました。植物の体にビタミンCとEが多く含
まれているのはそのためです。

魂が物質エネルギーと結びつき生命が始まります。生命の背後で命を操ってい
るものそれが魂です。その時、魂には汚染物質のカルマの束縛を既に受けてい
るので、生命はある条件の下で不自由にしか生きられません。地球上にある多
彩な生物は根本的な欲望に支配されています。その根本的な欲望は3つで、自
己保存欲、自己拡大欲、自由欲です。触覚しか持たない植物にもその欲望が備
わっています。

地上に広がっていった植物はそのカルマと意識によって、さまざまな容姿と形
態に分化しました。植物の共通の願いは自己の命が永らえること、自分の子孫
が増えて繁栄することです。ある植物は自己の命を動物や昆虫、ウイルス等の
攻撃から守るために、体の中に敵に対しての毒を持ち、棘を生やし、擬態を作
って目立たないように防御しました。栗は実が熟成するまでは、毬の中で守ら
れ、実が熟すと地上に毬ごと落ちて来ます。落ちた毬は割れて栗の実が姿を現
します。栗の実の外皮は鬼皮といって、とても硬いものです。鬼皮の内側はさ
らに渋皮があって発芽する種を守っています。栗の皮にはタンニンが含まれて
いてタンニンは多くの動物や虫が嫌いなものです。檜はヒノキチオールという
殺菌効果の高い樹脂を作り出し、ウイルスや細菌、昆虫の攻撃から身を守って
います。

植物が花を咲かせて美しく装うのは、昆虫に受粉を手伝ってもらって子孫を作
ることが第一の目的ですが、その他に紫外線が当たって生み出される有害な活
性酸素を消去するためです。花はアントシアニンとカロテンを含み、花の中で
生まれてくる次世代を守っているのです。アントシアニンとカロテンは二大色
素であり、植物が作るビタミンCやEとともに代表的な抗酸化物質です。花の赤
と青色はアントシアニンによりますが、酸性度とアルカリ度によって微妙に変
化します。酸性が強ければ赤と青を混ぜ合わせた濃い赤紫色になり、アルカリ
が強ければ黄色になります。カロテンは赤や橙、黄色の色素で鮮やかさが特徴
です。強い太陽光のもと紫外線が強ければ強いほど植物は身を守るために花や
葉や果実が濃く色付きます。色付きの良いものには抗酸化物質が沢山含まれて
いるのです。

植物は触覚一感だけですが、私達人間と同じように意識を持っていて、様々に
工夫を凝らし生命を維持し分身を繁栄させようとしています。植物は芽生えて
から動物や昆虫のように移動することもなく、捕食することもなく(捕食し消
化酵素でタンパク質を分解しチッソを摂取している例外的な植物はある。)、
自ら成長し命を維持し繁殖するためのエネルギーを自分で作っています。それ
が光合成という仕組みで、水と二酸化炭素と太陽光線でエネルギーのとなる澱
粉とブドウ糖を作っています。太陽光線が澱粉やブドウ糖に作り替えられて、
人や動物のエネルギーの究極の源になっています。

植物があってはじめて動物や人が生きていける環境が生まれました。人間の科
学技術がどんなに発達しても、未だ水と二酸化炭素と太陽光だけで澱粉を創り
だすことに成功していません。路傍の一片の野草がその偉大な作業をこなして
います。植物の生命の仕組みと意識の働きの偉大さを思わずにはいられません。
菜食、肉食に関係なく、人間が食べている食物の大元は植物の澱粉、ブドウ糖
であり脂肪です。さらに遡れば太陽光を食べているのです。人間が食べた食べ
物は単糖類とアミノ酸に分解され、単糖類はエネルギー源となり、アミノ酸は
体をつくる材料になります。単糖類がエネルギーとして燃焼するときに酸素を
必要とします。単糖類が燃えたあと二酸化炭素と水になります。二酸化炭素は
植物が必要とするもので、酸素は動物が必要とするものです。自然界では植物
と動物はお互いに助け合い供養しあっているのです。動物蛋白も起源は太陽光
なのです。私たちは食べ物を戴くときに、植物に感謝し太陽に感謝しなければ
ならないのです。地球上に生きる生き物たちの母は太陽であって、植物たちの
父は水と二酸化炭素、私達人間の父は植物と酸素です。

台湾、玉山山中には樹齢2700年という紅檜があります。仏陀やマハヴィーラが
生まれる前から地球に生きているのです。植物ですから話すことも、考えるこ
とも、動くことも、目で見ることも、耳で聞くことも、舌で味わうことも、匂
いを嗅ぐこともできません。紅檜の巨樹は2700年の間ずっと光や風、雨、気温、
大地の振動、動物・昆虫の気配を感じて来ました。それは、偉大なる経験だっ
たと思います。話すことが出来ない、思考することが出来ないという意味では
植物に心はありません。しかし、植物も感じたことを判断し、意志(こうした
い、かくありたい)をもち、行動・行為に結びつけています。知覚することか
ら行為までの一連のプロセスを心の働きと定義すれば、植物、昆虫、鳥にも心
があることになります。この感覚と意識が魂です。ですから植物に魂があると
いえるのです。心は変化するプロセスなので心の実体はありません。

植物の命も人間の命も生命には感覚があって意識が備わっています。生命(真
我・魂)は体の中で生起し継続し変化して流れていく感覚を常に意識によって
捕捉しています。自己の命を存続させるために、分身を繁栄させるために、そ
の感覚の好き嫌いを意識(純粋でない意識)が心というプロセスを使って判定
しています。好き嫌いの判定をしなければ生きていけません。意識は既にカル
マに汚れていますが、さらに判定を下すということが行為・行動となり新しい
カルマを作ります。3次元世界の地球に生息している生物の逃れることが出来
ないカルマの法則です。それが弱肉強食の世界、争いの絶えない世界の根本原
因であり、人間が幸福に平和に自由になれない根本原因です。

このように考えたとき、話すことが出来、読み書き出来て、思考することが出
来る能力を備えた人間はどのように生きたらよいのでしょうか。会話すること
が出来、思考することが出来る能力のことを仏性といいます。仏性とは解脱で
きる能力のことです。沖正弘先生は自己中心的なエゴ的な生き方を止めて、あ
らゆるものへの感謝、懺悔、下座、奉仕、愛行の心で生きることの重要さを提
唱しました。その意味は「ありがとうございます。ごめんなさい。私は未熟者
です。私にさせてください。全ての存在は私自身の現れです。」という心構え
で生きることです。仏陀は八正道を提唱し、マハヴィーラは非暴力・不殺生、
無所有・無執着、非独善主義を提唱しました。

今、人類社会と全ての地球上の生き物が求めている願いは共存共栄、調和、持
続性、喜びに溢れた平和な世界の実現です。プレクシャ瞑想の同志のみなさん
は、植物の生態にアヌ・プレクシャ(沈思黙考の瞑想)をしながら、どのよう
にしたらそのような世界が実現するか考察してください。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)