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2014年1月31日金曜日

「プレクシャ・コミュニティ」発足と今後の活動内容のお知らせ

“ジャイナ教は宗教ではない。生きるための叡智である。”
(Jainism is not a religion, but a bunch of knowledge.)

先日、御徒町でお会いしたスニールさんはジャイナ教について、こう説明して
くれました。
日本ではJainismは「ジャイナ教」と呼ばれ、仏教に比肩するインドの古い宗
教の一つとされていますが、その本質はいわゆる「宗教」というよりは「知
恵」や「知識」に近いそうです。だからジャイナ教では特に信者になるための
儀式(キリスト教の洗礼のようなもの)はなく、信奉しているかどうかは食事
の内容で見分けるのだそうです。非暴力主義(アヒムサ)を徹底するジャイナ
主義(あえて「ジャイナ教」と呼ばずに、個人的な信条・行動指針をあらわす
「主義」というのがふさわしい!)の人たちはけっして肉を食べません。収穫
時に虫を傷つけるおそれのある根菜類も忌避します。逆に、ジャイナ教徒の家
に生まれた人であっても、最近の流行に負け食事に気を遣わなくなった人は、
最早「ジャイナ教徒」ではないそうです。つまり、ジャイナ的な生き方をして
いるか否かが重要で、心と言葉と行動はひとつの実態であると考えます。

プレクシャ・メディテーションはジャイナ教の瞑想法ですが、それを強調する
と宗教的な印象が強くなり、宗教と切り離してその良さを伝えたい私たちにと
って悩みの種でした。しかし、上のようにJainismの本質を理解すれば、まっ
たく気にする必要はなくなります。

ジャイナの教えは、「とにかく本来の人間の姿、自然の摂理にもどること」な
のだとも教えてくれました。自分自身の中にある「自然」を徹底的にみつめる
生き方、それがジャイナ主義です。「(ジャイナ教には崇拝の対象とする神は
ないが)もしこの世に『神』というものが存在するなら、それは自分自身の中
にある。一人ひとりの中にそれぞれ『神』は存在するのです」というふうにも
言っていました。沖ヨガの"生命即神"と同じ考え方です。沖ヨガが宗教でない
ように、Jainismもまた一般にイメージされる意味での「宗教」ではない。
生き方としてのJainismと自分自身を見つめるプレクシャ瞑想、そしてヨガ。
この三者を結びつけ共有するためのコミュニティを、この度、新たに作りまし
た。

来月(旧暦の新年)から、日本に住むジャイナ教徒の方々とともに、月に一度
「交流会」を行います。具体的な内容はこれから詰めていきますが、考えてい
るのは週末の朝、プレクシャ瞑想を行った後、スニールさん達からジャイナ主
義の本質や実生活での活かし方を学びます。

「自分にとって本当に良いものを知れば、自然に良くないものを選ばなくな
る。」(ラジェンドラさん)

現在の日本で、「自分にとって本当に良いもの」は何か。それを原点から考え
る機会になれば嬉しく思います。

興味のある方はFacebookの「プレクシャ・コミュニティ」(連絡用の非公開グ
ループ)に登録させていただきますので、日本プレクシャ・ディヤーナ協会又
は中村までお問い合わせください。会員であるか否かにかかわらず、広くどな
たでもご参加いただけます。

皆さまからのご連絡を心よりお待ちしています!


  (中村正人)

第50回 プレクシャ・メディテーション研究会 開催のご案内

第50回定期研究会を下記のとおり開催いたします。
ふるってご出席下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

日時:2014年2月3日(月)19:00~21:00
場所:集会室1(地下鉄東西線「南行徳」駅から徒歩1分)

テーマ:瞑想についての座談会(坂本知忠)

これまで多くのことを学び、実践してきた瞑想ですが、なかなかわからないこ
とも多々あると思います。今回は、坂本先生から瞑想についてわかりやすくお
話いただき、皆さんの疑問や体験を共有する会としたいと思います。

【今後の開催予定】
・2014年3月3日(月)19時~21時 場所:南行徳
・2014年4月7日(月)19時~21時 場所:同上

※定期研究会は、原則として、毎月第1月曜日に開催しています。

コラム[植物に心は有るか]

樹木や草、野菜、海藻は植物のカテゴリーに含まれます。地上の樹木や草はそ
の先祖を海中の海藻を起源としています。草木の先祖であった海藻は海の中で、
太陽光が燦々と降り注ぐ地上世界に憧れていました。効率よく光合成するため
に、もっと強い太陽光を求めていました。海の中では、海水に妨げられて陸上
のように強い光が当たらないからです。やっと夢が叶い、草木の先祖が今から
およそ4億年前に海から地上に進出しました。ところが地上の太陽光は彼らに
とって強すぎたのです。そして太陽光には有害な紫外線が含まれていました。
その紫外線によって発生する活性酸素から生命を守るために、彼らは抗酸化物
質のビタミンCとEを体内に作り出しました。植物の体にビタミンCとEが多く含
まれているのはそのためです。

魂が物質エネルギーと結びつき生命が始まります。生命の背後で命を操ってい
るものそれが魂です。その時、魂には汚染物質のカルマの束縛を既に受けてい
るので、生命はある条件の下で不自由にしか生きられません。地球上にある多
彩な生物は根本的な欲望に支配されています。その根本的な欲望は3つで、自
己保存欲、自己拡大欲、自由欲です。触覚しか持たない植物にもその欲望が備
わっています。

地上に広がっていった植物はそのカルマと意識によって、さまざまな容姿と形
態に分化しました。植物の共通の願いは自己の命が永らえること、自分の子孫
が増えて繁栄することです。ある植物は自己の命を動物や昆虫、ウイルス等の
攻撃から守るために、体の中に敵に対しての毒を持ち、棘を生やし、擬態を作
って目立たないように防御しました。栗は実が熟成するまでは、毬の中で守ら
れ、実が熟すと地上に毬ごと落ちて来ます。落ちた毬は割れて栗の実が姿を現
します。栗の実の外皮は鬼皮といって、とても硬いものです。鬼皮の内側はさ
らに渋皮があって発芽する種を守っています。栗の皮にはタンニンが含まれて
いてタンニンは多くの動物や虫が嫌いなものです。檜はヒノキチオールという
殺菌効果の高い樹脂を作り出し、ウイルスや細菌、昆虫の攻撃から身を守って
います。

植物が花を咲かせて美しく装うのは、昆虫に受粉を手伝ってもらって子孫を作
ることが第一の目的ですが、その他に紫外線が当たって生み出される有害な活
性酸素を消去するためです。花はアントシアニンとカロテンを含み、花の中で
生まれてくる次世代を守っているのです。アントシアニンとカロテンは二大色
素であり、植物が作るビタミンCやEとともに代表的な抗酸化物質です。花の赤
と青色はアントシアニンによりますが、酸性度とアルカリ度によって微妙に変
化します。酸性が強ければ赤と青を混ぜ合わせた濃い赤紫色になり、アルカリ
が強ければ黄色になります。カロテンは赤や橙、黄色の色素で鮮やかさが特徴
です。強い太陽光のもと紫外線が強ければ強いほど植物は身を守るために花や
葉や果実が濃く色付きます。色付きの良いものには抗酸化物質が沢山含まれて
いるのです。

植物は触覚一感だけですが、私達人間と同じように意識を持っていて、様々に
工夫を凝らし生命を維持し分身を繁栄させようとしています。植物は芽生えて
から動物や昆虫のように移動することもなく、捕食することもなく(捕食し消
化酵素でタンパク質を分解しチッソを摂取している例外的な植物はある。)、
自ら成長し命を維持し繁殖するためのエネルギーを自分で作っています。それ
が光合成という仕組みで、水と二酸化炭素と太陽光線でエネルギーのとなる澱
粉とブドウ糖を作っています。太陽光線が澱粉やブドウ糖に作り替えられて、
人や動物のエネルギーの究極の源になっています。

植物があってはじめて動物や人が生きていける環境が生まれました。人間の科
学技術がどんなに発達しても、未だ水と二酸化炭素と太陽光だけで澱粉を創り
だすことに成功していません。路傍の一片の野草がその偉大な作業をこなして
います。植物の生命の仕組みと意識の働きの偉大さを思わずにはいられません。
菜食、肉食に関係なく、人間が食べている食物の大元は植物の澱粉、ブドウ糖
であり脂肪です。さらに遡れば太陽光を食べているのです。人間が食べた食べ
物は単糖類とアミノ酸に分解され、単糖類はエネルギー源となり、アミノ酸は
体をつくる材料になります。単糖類がエネルギーとして燃焼するときに酸素を
必要とします。単糖類が燃えたあと二酸化炭素と水になります。二酸化炭素は
植物が必要とするもので、酸素は動物が必要とするものです。自然界では植物
と動物はお互いに助け合い供養しあっているのです。動物蛋白も起源は太陽光
なのです。私たちは食べ物を戴くときに、植物に感謝し太陽に感謝しなければ
ならないのです。地球上に生きる生き物たちの母は太陽であって、植物たちの
父は水と二酸化炭素、私達人間の父は植物と酸素です。

台湾、玉山山中には樹齢2700年という紅檜があります。仏陀やマハヴィーラが
生まれる前から地球に生きているのです。植物ですから話すことも、考えるこ
とも、動くことも、目で見ることも、耳で聞くことも、舌で味わうことも、匂
いを嗅ぐこともできません。紅檜の巨樹は2700年の間ずっと光や風、雨、気温、
大地の振動、動物・昆虫の気配を感じて来ました。それは、偉大なる経験だっ
たと思います。話すことが出来ない、思考することが出来ないという意味では
植物に心はありません。しかし、植物も感じたことを判断し、意志(こうした
い、かくありたい)をもち、行動・行為に結びつけています。知覚することか
ら行為までの一連のプロセスを心の働きと定義すれば、植物、昆虫、鳥にも心
があることになります。この感覚と意識が魂です。ですから植物に魂があると
いえるのです。心は変化するプロセスなので心の実体はありません。

植物の命も人間の命も生命には感覚があって意識が備わっています。生命(真
我・魂)は体の中で生起し継続し変化して流れていく感覚を常に意識によって
捕捉しています。自己の命を存続させるために、分身を繁栄させるために、そ
の感覚の好き嫌いを意識(純粋でない意識)が心というプロセスを使って判定
しています。好き嫌いの判定をしなければ生きていけません。意識は既にカル
マに汚れていますが、さらに判定を下すということが行為・行動となり新しい
カルマを作ります。3次元世界の地球に生息している生物の逃れることが出来
ないカルマの法則です。それが弱肉強食の世界、争いの絶えない世界の根本原
因であり、人間が幸福に平和に自由になれない根本原因です。

このように考えたとき、話すことが出来、読み書き出来て、思考することが出
来る能力を備えた人間はどのように生きたらよいのでしょうか。会話すること
が出来、思考することが出来る能力のことを仏性といいます。仏性とは解脱で
きる能力のことです。沖正弘先生は自己中心的なエゴ的な生き方を止めて、あ
らゆるものへの感謝、懺悔、下座、奉仕、愛行の心で生きることの重要さを提
唱しました。その意味は「ありがとうございます。ごめんなさい。私は未熟者
です。私にさせてください。全ての存在は私自身の現れです。」という心構え
で生きることです。仏陀は八正道を提唱し、マハヴィーラは非暴力・不殺生、
無所有・無執着、非独善主義を提唱しました。

今、人類社会と全ての地球上の生き物が求めている願いは共存共栄、調和、持
続性、喜びに溢れた平和な世界の実現です。プレクシャ瞑想の同志のみなさん
は、植物の生態にアヌ・プレクシャ(沈思黙考の瞑想)をしながら、どのよう
にしたらそのような世界が実現するか考察してください。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)