メニュー

2012年12月23日日曜日

コラム[別れと出会い]

別れと出会いは私たちの体のなかで、瞬間、瞬間に起こっています。私たちは

生まれた瞬間から瞬間、瞬間年をとり、老人に向かって、死に向かって変化し
ています。生きるとは変化していくこと。時間の流れとともにあらゆるものが
継続的に変化しているのです。

愛別離苦、怨憎会苦はいつも私たちの体のなかで心の中で起こっています。
苦の感覚と楽の感覚がいつも私たちの内側にあります。苦の感覚が命を守って
います。私たちは苦しみがあるから生きていられるのです。苦の感覚があるか
ら動かなくてはなりません。止まり続けると苦痛がやってきます。苦の感覚が
起こるから生きている限り止まることは出来ません。私たちは苦の感覚によっ
て何ごとにも執着出来ないようになっています。それなのに執着して喪失を嫌
がるから心が苦しむのです。

苦の感覚がなくて楽の感覚だけだったら生命は生きていけません。どんなに吸
う息が楽でも、あるいは吐く息が楽でも、楽だからと言って吸い続けることは
出来ないし又、吐き続けることも出来ません。吐いた息は吸わなくてはならな
いし、吸った息は吐かなければなりません。呼吸を止めれば大きな苦しみがや
って来ます。生命は楽だけで存在することは出来ないし、苦だけで存在するこ
ともできません。苦と楽がセットになっているから生き物や人間が存在出来る
のです。

私たちは本当の自分でないもの、変化してしまう身体や心に執着するから悩む
のです。つねに心身の無常と変化を見続ければ心の迷いがなくなります。妄想
しなくなります。

人間は生きているときに、沢山人生を楽しみたいと思って行動すれば、同じ量
だけ苦しみがセットで付いて来ます。苦しみを無くすには、楽しまなければ良
いでしょう。何物も持たず、人生を楽しまないのが本当の出家の道です。世俗
の道は苦楽一如の道です。

私たちはこんにちはと言わなくても毎日たくさんの人や物と出会い、さよなら
と言わなくても毎日たくさんの人や物と別れています。今までに出会って、別
れたものは想像も出来ないほど甚大です。しかし、持つことも執着することも
出来ないのが本当です。

自分に起こっている一切はカルマの現れです。因果律によって起こっています。
今、現れ起こっている状況に対して、まさに今、自己の意志と行動によってど
のように対応するかが未来を作ります。過去の原因に縁である条件が加わって
結果が起こります。どんなに辛く苦しいことが起こったとしても結果や過去に
こだわらず、今どうする、次にどうすれば一番良いかと考えて行動することが、
今に生きる純粋行動であり、無業への道であり、本当の「冥想」です。




<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)