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2013年7月26日金曜日

コラム[呼吸の奥義]


呼吸が身体の健康にとって大事ということを多くの人は知っているが、その知
識は極めて乏しく浅いものである。現代医学の医師も呼吸の重要性についてほ
とんど理解していない。

日本では身体に良いとされる呼吸法は腹式呼吸法、丹田呼吸法、完全呼吸法な
どと呼ばれている。何々式呼吸法などと、様々な呼吸法が提唱されている。し
かしそれらのほとんどは、いかに効率よく新鮮な酸素を血中に摂り入れるかが
目的であり、それ以上の観点がほとんど欠落している。それに比べて、インド
のヨガや瞑想の伝統的な呼吸法としてのプラーナ・ヤーマは身体の健康だけで
なく心や感情、精神などの健全性までを対象としていて奥が深い。

良い呼吸法とは身体の病に無害で無料で最適な薬を作り出すテクニックである。
効果の高い呼吸法を会得し実践すれば自分で自分の病を治すことも出来る。自
分自身が自分の医者になれたらこんなに良いことはないと思うし、自分で自分
の健康をつくり、免疫力を強化でき、自然治癒力を高められたらこんなに素晴
らしいことはないでしょう。さらに呼吸の神秘は私たちの人生の意味や生命の
不思議までも解き明かしてくれるとしたら、学び実践する最高に価値あるもの
と言えるでしょう。

呼吸とはそれほど大事で価値あるものなのに、私たちはそれを学ぼうともしな
い。学校や大学でも教えてくれない。真に呼吸とは何かを理解している人が極
めて少ないので大事な呼吸法を学ぶ事が出来ない現状である。現代人は他との
コミュニケーションの発達ばかりに興味をいだいて情報機器や通信機器を発達
させているが、最も人間として大事な「自分とは何か」との興味を封印してし
まっている。現代人の問題と不幸はそこにある。本当の自分を知ることは、呼
吸の観察に始まり呼吸の観察に終わると云っても過言でない。

最良の呼吸とは悠々として、緩やかで、深く、大きく、長く、静かで、均一で、
細いものである。良い呼吸の8要素は悠・緩・深・大・長・静・均・細、であ
る。私はそこに滑らかを加えて9要素を提唱している。プラナ・サンチャラ
ニー・ムドラの6とおりの手印に対応した9回の呼吸に数を数える替わりにこ
の言葉を唱える。さらにプラナ・サンチャラニー・ムドラをしながらアンタル
ヤートラ(内なる旅)をすれば体内エネルギーを自由に動かすことが出来るよ
うになり、自分で自分の病を治す医師になることができる。プラナ・サンチャ
ラニー・ムドラは私が知る限り最高の呼吸法であり、瞑想法の一つである。

ヨギの間で最高の呼吸法とされるケーヴァリ・クンバカは深い瞑想状態のとき
呼吸があたかも停止したように微かに細くなっている呼吸だ。これはテクニッ
クではなく心と身体が整ったときに自然に起こってくる呼吸だ。バストリカ
(鞴の呼吸)系の呼吸法は神経系を覚醒させ、テジャス体(電磁気的身体)を
活性化させる。

鼻を使う呼吸、口を使う呼吸、右鼻での呼吸、左鼻での呼吸、止息を入れる、
早く強く短い呼吸、ゆったり深く長い呼吸、左右の鼻を交互に使うなどの組み
合わせによって何百種類ともいえる呼吸法ができる。さらにイメージを使うこ
とによって多彩な呼吸法となる。呼吸法とはそれほど深いものなのだ。

人間だけでなく生物は誕生してから死ぬまで呼吸が続く。植物の呼吸は炭酸同
化作用である。生物が生きているとは呼吸をしているということである。現代
西洋医学では脳死をもって人の死と定義する考え方があり臓器移植法を正当化
している。呼吸していれば生命エネルギーは流れていて、身体内部には感覚が
起こっている。もしかして脳死状態とは、患者が観じる心としての意識は働い
て内部感覚を感じているのに中枢神経の一部が機能不全に陥っているために、
感情や言葉として表現できないだけなのかもしれない。

なぜ生き物として生まれると呼吸が起こるのか、それは宇宙にカルマのエネル
ギーとして電磁気的な+と-があるからである。陰と陽の相反するエネルギー、
苦と楽があり、それが生体に働き、動きを生み出し苦楽の感覚を起こさせるか
らである。私たちはずっと息を吸い続けることもできないし、吐き続けること
も出来ない、また止め続けることも出来ない。生命は常に変化、均衡、安定の
エネルギーとして生体内部を流れている。そして身体内部を流れるとき一つ一
つの細胞内に呼吸によるエネルギーが入り内部感覚が起こってくる。内部感覚
は感覚神経系を伝わり中枢神経に到達し意識は感覚を捉えることが出来る。ま
た、自律神経系は無意識的に生命を守る働きとして作用し苦楽の感覚を呼吸に
結びつけている。苦楽の感覚が私達人間を生かしている原動力である。苦を除
いて楽だけでは我々は生きていくことが出来ない。苦楽一如で生きることが出
来る。苦楽は良い悪いではないことがこれによって理解できる。

生命とは呼吸であり、呼吸に伴う身体内部の感覚であり、その感覚を知覚する
意識である。私達が呼吸しているとき、それは今まさに生きていることである。
呼吸はこの瞬間に生起している事である。生まれてから現在のこの瞬間まで呼
吸は継続してきた。それは変化の流れだった。その流れは死ぬ瞬間まで続く。
過去の呼吸は現在のこの瞬間に感覚として感じる事は出来ない。未来の呼吸も
現在のこの瞬間に感じる事は出来ない。感じる事が出来るのは現在の呼吸と現
在の感覚だけである。呼吸を「観じる」とは現在の一瞬と一つになることであ
る。呼吸の別名を生命といい、内部感覚という。呼吸を観るとは意識が内部感
覚を観じることをいう。その時意識は直接生命と出会っている。命の別名を魂
といい、あるいは神という。命はカルマ(+-としてのエネルギー)なくして
生まれない。だから生命即神、生命即カルマ、カルマ即神なのだ。カルマは善
い悪いを超越した神の掟といえる。カルマが真実である。

観じようとする意識が呼吸に伴う内部感覚と結びついているとき、過去現在未
来が一続きになる。そんな時、意識の奥の原因としてのカルマが消えてゆく。
神である感覚が意識を清らかにするからだ。

瞑想の奥義、呼吸法の奥義がそこにある。最良の健康法は悟りともいえる。瞑
想は呼吸に始まり呼吸に終わる。それが呼吸の本当の意味である。呼吸につい
てアヌプレクシャ(沈思黙考・智慧の瞑想)をすれば、内なる智慧が呼吸とは
何かを教えてくれる。


<著:坂本知忠>(協会メールマガジンからの転載です)