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2012年8月25日土曜日

コラム[非対立主義について]


私はジャイナ教の戒律アネカンタを今まで、不定主義とか非独善主義と訳して
きた。今後は非対立主義の意味も含めたいと思う。世界には沢山の宗教哲学が
ある。なぜ沢山の宗教哲学があるかと言えば、それらがどれも完璧でないから
だ。それぞれの宗教哲学が皆正しいと言えるし、同時に皆間違っているとも言
える。

南伝仏教では神もなければ魂もない(無元論)と言い、北伝仏教では神も魂も
認める宗派(二元論)がある。ジャイナ教では宇宙を創造した神はないが魂が
あり、それを純粋にすることを修行の第一としている(魂だけの一元論)。ヴ
ェーダンタ派は唯一の神としてブラフマン(梵)を認め、真我であるアートマ
ンと梵は本来一つのものだとする梵我一如(一元論)を唱えている。サーンキ
ャ哲学はプルシャ(魂)とプラクリティ(現象)を説く二元論である。

また、世界には沢山の国々とそこの人々の政治と生活と文化、伝統、習慣があ
る。これもどれが正しくどれが間違っているという問題ではない。その時の必
要性からそういうものが存在するのだ。韓国が竹島は韓国のものだと強引に既
成事実を積み上げている。中国は尖閣諸島を中国領だと主張し始めた。お互い
に領有権を主張しあえば争いになり戦争になる。このような場合アネカンタで
解決するにはどうしたらよいか。国家間の重要問題である。

アネカンタの理想は、争わない、主義主張しない、抗議しない、要求しない、
決めつけない、腹を立てない、自分から変わることだが、もう一つ大事なこと
はすぐに反応したり即答せずに、相手にゆっくり考えさせるということもある。
どうしたら平和で双方の利益になるかを考える時間を相手に与える意味も含ん
でいる。

軍事的に強い国が周辺諸国に覇権の手を伸ばす事は、歴史上、沢山の実例があ
る。私見では、チベットは中国では絶対ないのに強引に中国にされてしまった。
新疆ウイグル自治区も歴史的にみて中国ではないだろう。中国は本来大陸の国
であり、また万里の長城の内側の国である。そういう観点からみれば台湾は島
なので中国ではないし、南沙諸島の島々も中国領であるはずがない。中国が軍
事的にも経済的にも強くなったため周辺諸国に触手を伸ばしているようにみえ
る。人類史も動物と同じで、弱肉強食がその真の姿である。平和を望むなら相
手の要求を飲み忍耐するしかない。土地争いは人類史上、生存権を賭けた熾烈
な争いであった。ロシアには北方領土を返す意思はないだろう。土地は実効支
配した者の物になる。盗られたくなかったら打ち払うしかないが、そうすれば
戦争になる。所有や領有を争うのではなく、人類の幸せの観点から条約をつく
り平和に相互利用できたら一番良い。

かって韓国は日本の植民地だった。中国は日本と戦争をしていた。日本は太平
洋戦争でアメリカに敗れたが、中国や韓国と戦争して敗れたわけではない。中
国や韓国の国民が日本に対して複雑な感情を持っているのは事実である。中国
や韓国の国民生活が豊かになり、日本と同等意識・ライバル意識を持ち始めた
ことが、竹島問題であり、尖閣諸島問題であると私は見ている。竹島は取り返
すのが大変だと思う。尖閣諸島は早急に日本が施設を造り防人を置かなければ
難しいことになる。付け入る隙を与えないこと、油断しないことが大事である。
相手に考える時間を与える方法がこの事である。

自分から変わる方法として、戦国時代、江戸時代はどうだったかと考えること
だ。江戸時代は幕府が全国統治していたが沢山の旛に国が分断されていた。そ
の頃、会津旛の人に隠岐や対馬の問題は関係なかっただろう。琉球の話をして
もピントこなかっただろう。今、世界人類が国境を無くし、人類が相互に混じ
り合い、混血を繰り返す方向に動いている。世界中、好きなところに自由に住
めると考えてみる。すると民族主義もなくなり、領土問題も解決することだろ
う。民族主義、国家エゴは平和の敵である。グローバリゼーションは経済の分
野で、金融の分野で、情報の分野で急速に進展しているが、世界が一つの国に
なるまで越えなければならない壁がまだいくつもあるだろう。世界が一つの国、
一つの人類になれば、このような領土問題は存在しなくなる。それを可能にす
るのがアネカンタの哲学だ。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)