メニュー

2013年6月23日日曜日

コラム[忍耐と無執着]

「執着しないことは物事の目標を簡単に諦めることになるから、あまり良いこ
とではない気がするのですけど?」「人間は努力や忍耐して諦めないことも必
要ですよね?諦めないことは執着ですか?」とIさんから質問された。

忍耐と無執着は人間にとってどちらも最重要な徳性です。無執着を言葉を変え
て表現するなら、こだわらない、囚われない、ひっかからない、事であると云
えます。又、他をコントロールしない、他からコントロールを受けない自由と
云う事です。

つまり、自由が漲り溢れている状態が無執着と言えます。別れる時、手放すと
きが来ているのに別れや手放すことを嫌がる心が執着心です。執着とは全ては
変化するという自然法則に逆からって、変化したくないとしがみつく不自然な
心のことを言います。

一方、仕事や藝術の表現の上でこだわりを持って取り組む必要性が時に重要視
されることがあります。藝術においては他の模倣とならず自他の違いを表現し
て新境地を開拓しなくてはならないのです。その場合は自己のスタイルにこだ
わることで藝術性が高まります。美しいものに感動することはある種の所有欲
や執着心を呼び起こすので、ジャイナ教の僧侶は感動してはいけないと言って
いますが・・・。

物作りの職人さんは同じ作業をコツコツ忍耐つよく繰り返さなければ目的は達
成されません。簡単に諦めることや立場を放棄することが出来ません。スポー
ツ選手も同じことが云えます。諦めず、努力し継続しなくてはなりません。目
標達成の為の継続的努力は必要なことです。

では無執着と努力忍耐をどのように折り合いをつければ良いのでしょうか?
それは精一杯努力し忍耐し結果を手放すことであると云えます。緊張(努力)
と弛緩(放下)の双方が溶け合っていることが本当の無執着です。努力も忍耐
も工夫もなく物事を簡単に諦めてすぐに放棄し常に目標を変えてしまうなら、
それは無執着ではなく単なる移り気、根性なしと言えるでしょう。

ヒマラヤの難しい山に登ることを考えて見てください。登山家はあらゆる周到
な準備をし、体調を整え登山を始めます。登山の途中沢山の困難に出遭います。
雪や氷河、岩壁や悪天候、標高の高さによる希薄な空気や寒さ、それらの困難
に耐え全力で努力しますが、場合によっては登山を中断せざるを得ない状況が
訪れる事があります。その時、執着しない事が良いのです。つまり結果にこだ
わらない事なのです。

努力と忍耐と継続で人間としての特性を磨いてゆき、あとは、囚われを無くし、
ひっかからず、こだわりを捨て自然法則に任せることが本当の無執着です。無
執着を実践するには無常についてとことん理解しなければ出来ません。又、因
果律を理解しないと無執着になれません。

無常が理解出来て因果律が良く解かれば無執着、無所有になれます。無所有、
無執着によって恐怖がなくなり、他に対する暴力をなくすことが出来ます。無
常と因果律の理解は瞑想によって達成されます。瞑想することは人間がより良
く生きるための基本行動です。


<著:坂本知忠>

(協会メールマガジンからの転載です)