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2015年4月23日木曜日

コラム[過去と現在と未来をつなぐ出会い]

新刊書『坐禅の源流印度へ』のあとがきに、「誰かが五十年後百年後にそれ
[私が書いた拙い文章]を見つけて、その人の心の琴線に届けば嬉しい」と書
いた。なぜそのように書いたかといえば、私自身が50年以上前に書かれた文章、
今では誰からも顧みられることがなくなった文章に心惹かれ愛読しているから
である。

私は今ではディズニーランドで有名になった海辺の漁師町浦安に生まれた。生
家は浦安で採れたあさりやハマグリなどを漁師から買い取り、船で東京に運ん
で卸売商売をしていた。海と船と釣りに多大な縁がある幼少期を過ごした。戦
後の食料難だった時代に家族も多く、使用人や居候の警察官などが出入りする
賑やかな家だった。漁師の操る船よりもずっと大きな木造の焼玉船(重油エン
ジン)に時々、祖父に乗せてもらった。船上から冬の東京湾の澄んだ空気を通
して、前衛の箱根や丹沢の黒々とした山並みの背後に白い富士山が浮かぶのが
望まれた。海上から遠く山々を眺めたとき、まだ見ぬ世界、知らない世界に対
して強烈な憧れが起こった。小学校、中学校と父母に連れられて箱根や塩原、
伊香保などの山の温泉にも行った。その時目にした渓谷や森の木々の美しさに、
岩や石の面白さに気づいて、夢中になった。そして高校生になった時、私は山
岳部に入ることしか頭にない、そんな青年になっていた。高校一年生の夏、日
本でも一番険しいとされる北アルプスの剱岳に登った。今までこんなに凝縮さ
れた充実感、達成感を味わったことがないとその時思った。剱岳に登った後、
私の頭の中と心は山に対する憧れでいっぱいになった。山に対する若き日の思
いは今も継続している。

私はスポーツ観戦には全く興味がない。野球もサッカーもバレ-ボールも卓球
もフィギュアスケートも、テレビで放映されていても関心がなく観ない。私の
家内はスポーツ観戦が大好きなのでその点では全く趣味が違う。登山はスポー
ツのようでスポーツではない。競い合うものではなく、第三者が競技として観
戦するものではないからである。しかし登山家も、自分の体験を文章にして読
者に読んでもらうことはできる。日本には明治以来、有名、無名の沢山の登山
者が優れた山岳紀行文を書いてきた。私はそうした山岳紀行文を読むことが好
きである。登山がスポーツであるとすれば、他のスポーツにおける観戦にあた
るものが山岳紀行文や随筆を読むことであると言えるかもしれない。

私が好きな登山家は冠松次郎である。代表的な著作は昭和3年にアルスから発
表された「黒部渓谷」である。「黒部渓谷」は昭和37年にあかね書房より刊行
された『日本山岳名著全集第3巻』に収録されていて、高校2年生の夏に購入
して読んだ。冠松次郎の著作は20代の頃古本屋で探してもなかなか見つからず、
たまたま見つけても高価で手が出なかった。

近年、そうした入手しにくかった書物も蔵書家が高齢で亡くなるせいか市場に
出回ることが多くなった。そして価格も下がり入手しやすくなった。『黒部渓
谷』の初版本も状態の良い完全な装丁で神保町の悠久堂で見つけた。価格は18
00円、30年前の十分の一の価格だ。それ以来、冠松次郎の著作を見つけると状
態が良ければ悠久堂で買うようにしている。昭和4年第一書房刊『立山群峯』、
昭和5年第一書房刊『黒部』、昭和10年梓書房刊『白馬連峰と高瀬渓谷』、昭
和13年書物展望社刊『峰・渓々』、昭和14年三省堂刊『峯・瀞・ビンガ』、昭
和15年三省堂刊『廊下と窓』、昭和17年墨水書房刊『わが山・わが渓』等々。
刊行されてから80年ほど経過した古書である。今ではこれらの書物を読む人は
登山愛好家の中でもごくごく少数の人だけである。文章を書くことが苦手だっ
た私が文書を書くのが好きになったきっかけも山岳紀行文をよく読むようにな
ったことと、自らも山岳紀行文を書くようになったからである。

私がヨガや瞑想に興味を抱いたのは登山がベースになっている。80歳ぐらいま
で元気で登山をしたいと思ったことと、20歳で肺結核を患ったことが私をヨガ
に向かわせた。

肺結核の病が癒えたとき、すぐには激しい登山は無理だったので、山麓歩きや
ハイキング程度の軽い山歩きから再開した。その頃、奥会津の山深い村々に魅
せられて峠を越えて集落を訪ね歩いた。美しい古民家と古風な山村の暮らしぶ
りに惹かれて、3、4年かけて奥会津の村々集落をくまなく歩いた。そうした体
験があったからこそ私は只見の叶津番所に出会い、叶津番所の保護と活用とい
う活動に私を向かわせたのである。

その後、番所の活用とヨガの実践が結びついて「みずなら只見ユイ道場」を作
った。子供の頃から今までエポックな出来事を点として捉え、それを繋いでみ
ると、バラバラに生起していると思った出来事が実はある法則性をもって相互
に関連して生じていることが解る。それが原因と結果の法則、因果律である。
生まれる前の私の潜在意識の中に既に過去の体験の結果による種があった。そ
の種に導かれて私は生まれた。それはたまたまでもなく、偶然でもなく慎重に
計画されたもののような気がする。20年以上も前のこと、私はジャイナ教の高
僧ムニ・シュリ・キーシャンラール師と全米パストラル・リグレッション協会
会長のネビル・ロウ師から個人セッションで過去生回帰瞑想を体験した。過去
生回帰瞑想によって私は潜在意識下にある自分の種を知ることができた。

私たちの命の本質は過去の上に今が重なっていて、今の上に未来が重なって行
くものだとすれば、今生の人生の流れが解かれば、忘却の彼方に消えていた過
去生のことがなんとなく解ってくる。現在と過去が解ってくれば、次にどうな
るかおおよそ見当がつくものだ。次にどのような所に生まれどのような人生に
なるかは、現世で心惹かれたものがキーワードとなって導きだされるだろう。

キーワードとなって導くものは知識でなく記憶でもなく、ある種の願望であり
成し遂げたい夢であり嗜好でありイメージである。私の場合は、山 源流 石
 岩石 水晶 石庭 ヨガ 瞑想 プレクシャ・メディテーション 古民家 
田舎の村 桃源郷 寺院建築 温泉 修行の場 自給自足 油絵 日本刀 武
道 ヒマラヤ 奥会津 早い移動手段 空を飛ぶ 平和 他との一体感 等で
ある。

高齢の域に達した今、今生を振り返ってみると、山というキーワードが私の足
元を照らし導いていたことが解った。多分、次の人生ではプレクシャ・メディ
テーションが私の足元を照らし導くだろう。

私がどんな時代、どんな場所に生まれても、きっとどこかで再びプレクシャ・
メディテーションを見つけることができると確信している。瞑想というキー
ワードが私の次の人生のエポックな出来事を引き寄せ、出会った事、起こって
きた事をどう受け止め解釈し行動するかで次の人生が展開していくだろう。い
ずれの人生でも、その時々でやるべき時にやるべき事をきちんとやることしか
ないのである。いつか私にも原因と結果の法則、生まれ変わりに飽きる時が来
るだろう。苦を離れて楽がないことを疎ましく感じるようになるだろう。その
時、真剣にモークシャ(解脱)になることを望むだろう。モークシャを望む時、
今、経験していること実践していること練習していることが必ず役に立つ。プ
レクシャ・メディテーションが必ず役に立つと確信している。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)